home > 通信 >『アセンション館通信』第662号:どんなものも実際には存在していない



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2016/12/18(第662号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

すべての体験は、わたしが在ることを思いださせる。

関心をもたないことが自由をもたらし、興味をもつことが束縛をも
たらす。しがみつかないことだ。(ニサルガダッタ)

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在871名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.どんなものも実際には存在していない

2.暗号通貨の話(1)

3.編集後記
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■ 1.どんなものも実際には存在していない
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今朝は今年一番の冷え込みでした。

今はこうして雲一つない青空が広がっています。

このところ晴天がつづきますね。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、

お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

まだ暗いうちに目が覚めて、

トイレに立ってまた布団に潜り込みましたが、

すぐには寝つけませんでした。

いつもたいてい枕元には

何かしら本がおいてあります。

枕元の電気スタンドを点けてみると、

置いてあったのはジョーン・トリフソンの

『つかめないもの』でした。

その時々の気分で置く本は変わるんですが、

この頃はだいたい、

福間さん、ヒロさん、高木さんの翻訳本が三強です。

いつごろからついた癖なのか……。

ずっと以前からのような気もするし、

わりあい最近ついた癖のような気もします。

置いてはあっても、

たいていは読みません。

ときどき寝る前にちょっと眺めて、

じきに明かりを消すという感じです。

まあライナスの安心毛布みたいなものです。

以前、気取って、

キンドルで英語の本を読んだこともありましたが、

わたしの英語力だと

読めるような気はするけれど、

気がするだけでほとんど何も残らない。

英語では読んだはずなのに、

高木悠鼓さん訳の『意識は語る』が出たので読んだら、

まったく初めて読む感じでした。(*^_^*)

まあ、余計なことを書きましたが、

未明に読んだトリフソンがとても良かったんです。

一言一言が、

そのまますっと入ってきて、

まったく当然のこととして了解されました。

留保するような余地がまったくなかった。

──────────────────
 実際には、
 気づきだけでは解消できない生理的、
 化学的、神経的、心理的、医学的、
 社会な状態はいくらでもあります。
 悟りというのは、
 そうしたあらゆる問題が
 一瞬で解決してしまうという意味ではありません。
 悟りとは、
 生のどんな状態も表現も非個人的な現れであって、
 そこに永続する実体はないと、
 ただ見ることです。
 悟りはそうしたことすべてを、
 境界のない愛と優しさで見ます。
 悟りは闇の中に光を見ます。
 そして悟りは、
 闇を避けるために光の中に隠れたりはしません。
 
 『つかめないもの』(p133-134) 
──────────────────

> 実際には、
> 気づきだけでは解消できない生理的、
> 化学的、神経的、心理的、医学的、
> 社会な状態はいくらでもあります。

そりゃ、ありますよね。

> 悟りとは、
> 生のどんな状態も表現も非個人的な現れであって、
> そこに永続する実体はないと、
> ただ見ることです。

そうか。(-||-)

> 悟りはそうしたことすべてを、
> 境界のない愛と優しさで見ます。

なるほど。

> 悟りは闇の中に光を見ます。

闇の中に光があるんだ。(-_-;)

> そして悟りは、
> 闇を避けるために光の中に隠れたりはしません。

お見事!\(^-^)/

──────────────────
 全体性はすべてを含んでいます。
 光も闇もです。
 自然界では、
 出だしからのつまづきは頻繁に起こり、
 淘汰も激しく、
 短命に終わったり
 まったく成長しないまま死んでしまう個体も数知れません。
 一度も花開くことなく枯れてしまう花もあります。
 大きくならないうちに消えてしまう波もあれば、
 高くそびえてから派手に崩れる波もありますが、
 そのすべては同じ海がしていることです。
 そのすべては自然のプロセスの一部です。
 大きくならずに消えてしまうとか、
 一度も花を閲かせずに終わるというのは、
 ひとつの分離した断片と同一化している場合には
 悲劇的で恐ろしく不公平に聞こえますが、
 全体の観点からすると
 そのすべてがダンスを構成しているのです。
 
 『つかめないもの』(p134)
──────────────────

> 全体性はすべてを含んでいます。
> 光も闇もです。
> 自然界では、
> 出だしからのつまづきは頻繁に起こり、
> 淘汰も激しく、
> 短命に終わったり
> まったく成長しないまま死んでしまう個体も数知れません。

まったくです。

> 一度も花開くことなく枯れてしまう花もあります。

心乱れて、

人を殺さなければならない人だっているわけです。

> 大きくならないうちに消えてしまう波もあれば、
> 高くそびえてから派手に崩れる波もありますが、
> そのすべては同じ海がしていることです。

そう。

> そのすべては自然のプロセスの一部です。

そう。(;_;)

> 大きくならずに消えてしまうとか、
> 一度も花を閲かせずに終わるというのは、
> ひとつの分離した断片と同一化している場合には
> 悲劇的で恐ろしく不公平に聞こえますが、
> 全体の観点からすると
> そのすべてがダンスを構成しているのです。

そうなんです。

──────────────────
 どの瞬間にも自己が存在していないことに気づくと、
 すべてがそれぞれのやりかた、
 それぞれのペースで起こるのを
 そのままにしておけるようになります。
 いずれにしてもそのようにしか起こらないわけですが。
 「いまここ」にいようとする努力がすべて落ちて、
 それとともに、
 今あるものを現在の状態から
 変えなければいけないと思っているその人も消え去ります。
 そして、
 明るく輝きながら脈打っている
 生き生きとした性質に目覚めますが、
 それは雨や車の音、紅茶の味、涼しいそよ風、
 日差しに照らされて輝きながら風に踊る緑の葉、
 青空を飛んでいく白い雲、
 走りすぎていく真っ赤な消防自動車、
 鳴り響くサイレンとして現れています。
 これが平凡な生の非凡な奇跡です。
 それはいつでも手に入るものですが、
 今ここにしかありません。
 
 『つかめないもの』(p134-135)
──────────────────

> どの瞬間にも自己が存在していないことに気づくと、
> すべてがそれぞれのやりかた、
> それぞれのペースで起こるのを
> そのままにしておけるようになります。

それだけでいいわけですね。

問題を作り上げ、その架空の問題が消える。

それだけのこと。

> いずれにしてもそのようにしか起こらないわけですが。

そうなんです。

> 「いまここ」にいようとする努力がすべて落ちて、
> それとともに、
> 今あるものを現在の状態から
> 変えなければいけないと思っているその人も消え去ります。

そうか……昼間の日常のなかでは

それが消え去らないわけか。(^^;)。

よれが夜明け前の寝床のなかでは、

まったく問題にならないんですね。

ちょうどそんな言葉がこの後でつづきます。

──────────────────
 現代のある禅の指導者は、
 明晰さは過大評価されているとまで言っています。
 彼の説によると、
 夜明け前の座禅が効果的なのは、
 まだ意識が十分には働いていない半睡眠状態、
 つまり夢から抜けきっていない無意識状態、
 あるいは熟睡のぼんやりとした状態が
 優勢であるからにすぎません。
 ベッドから出ないことによって
 同じ成果を手にする人がいても
 不思議はないのかもしれません!
 
 『つかめないもの』(p135)
──────────────────

> 現代のある禅の指導者は、
> 明晰さは過大評価されているとまで言っています。
> 彼の説によると、
> 夜明け前の座禅が効果的なのは、
> まだ意識が十分には働いていない半睡眠状態、
> つまり夢から抜けきっていない無意識状態、
> あるいは熟睡のぼんやりとした状態が
> 優勢であるからにすぎません。

なるほど。

> ベッドから出ないことによって
> 同じ成果を手にする人がいても
> 不思議はないのかもしれません!

まさに、これだった。(*^_^*)

──────────────────
 目覚めとは、
 晴れの日が永久に続くことではありません。
 それでも、
 思考に巻き込まれた状態から
 開かれた気づきとして
 完全に今にある状態への転換が起こると、
 苦しみは終わります。
 存在しているように思える問題、
 自分が抱えている問題を解決できるのは
 今だけだということ、
 昨日でも明日でもなく、
 そして一度解決して終わりでもなく、
 今この瞬間だけだということがわかりはじめます。
 
 『つかめないもの』(p135)
──────────────────

> 目覚めとは、
> 晴れの日が永久に続くことではありません。

ははは。

これは言っておく必要があるかも。(^_-)

> それでも、
> 思考に巻き込まれた状態から
> 開かれた気づきとして
> 完全に今にある状態への転換が起こると、
> 苦しみは終わります。

なるほど。

> 存在しているように思える問題、
> 自分が抱えている問題を解決できるのは
> 今だけだということ、
> 昨日でも明日でもなく、
> そして一度解決して終わりでもなく、
> 今この瞬間だけだということがわかりはじめます。

そういうことだなぁ。(-_-)

──────────────────
 言葉は指し示すだけです。
 現実には分離は存在していません。
 考えることと気づくことのあいだにも、
 意識と気づきのあいだにも、
 気づきと(究極の現実)のあいだにも、
 かたちと空のあいだにも、
 熟睡と目が覚めているときの
 生という映画のあいだにも、
 輪廻と涅槃のあいだにも分離はありません。
 そういったいろいろな言葉がありますが、
 どれもがひとつの出来事を表しています。
 実際には分割されていないものを
 言葉が分割しているように見えるだけです。
 突きつめてみれば、
 言葉はどれも
 「騒がしくて激しいが、何の意味もない」
 ものなのです。
 
 『つかめないもの』(p136)
──────────────────

> 言葉は指し示すだけです。
> 現実には分離は存在していません。

はい。

> 考えることと気づくことのあいだにも、
> 意識と気づきのあいだにも、
> 気づきと(究極の現実)のあいだにも、
> かたちと空のあいだにも、
> 熟睡と目が覚めているときの
> 生という映画のあいだにも、
> 輪廻と涅槃のあいだにも分離はありません。

一つのものの顕現の姿を、

言葉がそのように表現するだけなんですね。

> そういったいろいろな言葉がありますが、
> どれもがひとつの出来事を表しています。

わかります。

> 実際には分割されていないものを
> 言葉が分割しているように見えるだけです。

そのとおりです。

> 突きつめてみれば、
> 言葉はどれも
> 「騒がしくて激しいが、何の意味もない」
> ものなのです。

言葉には、何の意味もない。(-_-)


寝床のなかでとてもいい気分になったのは、

次の言葉を読んだときでした。

──────────────────
 私たちは、
 条件づげや因果の無数の網の目、
 遺伝や環境によって
 縛られているような感覚を抱いています。
 ですが、
 考えていたのとは違って、
 どんなものも実際には存在していない
 (あるいは他から分離していない)
 ということを認識するとき、
 縛られていたり
 自由だったりする何かが
 存在できるでしょうか?
 
 『つかめないもの』(p154)
──────────────────

> 私たちは、
> 条件づげや因果の無数の網の目、
> 遺伝や環境によって
> 縛られているような感覚を抱いています。

そのとおりです。

ここから抜け出したいという感覚にさえなります。

わたしの一生は、

まさにこのために消費されました。

> ですが、
> 考えていたのとは違って、
> どんなものも実際には存在していない
> (あるいは他から分離していない)
> ということを認識するとき、

わかります。

> 縛られていたり
> 自由だったりする何かが
> 存在できるでしょうか?

(@_@) ⌒★?

縛られていたり自由だったりする何かが

存在できるだろうか? (-_-;)

存在するのは<一なるもの>のみ。(-_-)

縛られていたり

自由だったりするのは、

その<一なるもの>の仮初の姿……。


では、そんなリーラ(神の戯れ)は、

いったいなんのためにあるのか。

そんなことを、

マハルシに聞いた人がいます。

──────────────────
 質問者 創造の目的とは何でしょうか?
 
 マハルシ
 それはこの質問をもたらすことにある。
 この質問を調べなさい。
 そしてついには至高なるもの、
 あるいはすべての源の内にとどまりなさい。
 調べ入ることは
 それ自体を真我探究のなかに溶かし去り、
 真我探究は
 真我ではないものすべてがぬぐい去られて
 はじめて終焉する。
 そして真我は
 その純粋性と輝きのなかで実現されるのである。
 
 『あるがままに』(p321) 
──────────────────

> 質問者 創造の目的とは何でしょうか?

何故にすべては始まってしまったのか?

> マハルシ
> それはこの質問をもたらすことにある。

ガーン! (*_*) ⌒★?

なんと……。

今回のマハルシの必殺技は、

「誰がそれを聞いているのか?

 その人を見いだしなさい」

ではありませんでした。

もしあなたが、

<何故にすべては始まってしまったのか?>

と問うのなら、

その理由は、あなたにそれを問わせるためだ。

完璧ですね。(-_-)

そして<一なるもの>を

いたずらに分割するその言葉に

どんな意味もないことを見破りなさい、と。

> そしてついには至高なるもの、
> あるいはすべての源の内にとどまりなさい。

(-||-)

> 調べ入ることは
> それ自体を真我探究のなかに溶かし去り、
> 真我探究は
> 真我ではないものすべてがぬぐい去られて
> はじめて終焉する。

わかりました。(*-_-*)

> そして真我は
> その純粋性と輝きのなかで実現されるのである。

はい。

(-||-)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
──────────────────

(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


       ………○…………○…………○………


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るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


       ………○…………○…………○………


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■ 2.暗号通貨の話(1)
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いつも超絶的な話をしていますが、

少し夢のなかのお話をしようと思います。^^;

夢の中と言っても、もちろん、

通常の意味ではごくリアルな話です。

昔アセンション噺に興味があったころ、

『日月神示』の何処かで

現在の地上の「お金」の世界から

一気に「お金」の要らない世界へ行くのではなく、

その途中に【お金のようなもの】が

流通する時代を通っていく、

というようなお話を読んだような気がしていました。

もっとも、これがどこで読んだ話なのか、

いまだに確認できていません。

『◎一二三』(スペースプレゼンツ刊)にも、

『ひふみ神示』(コスモテン刊)にも、

中矢伸一さんの

『日月神示 完全ガイド&ナビゲーション』(徳間書店刊)

でも見つかりませんでした。

もしかしたら、わたしの思い違いなのかもしれません。

と言っても、ていねいに探したわけでもないので、

もしご存じの方がいたら教えてください。


というわけで、その記憶のなかの

【お金のようなもの】がどういうものなのか、

なんとなく気になっていました。


ま、そんな関心が、

いつかここでもご紹介した

多呂ご兄弟が発明した「禊通貨」とか、

それを自分でカード形体にしてみた

「絆通貨」というイメージにも

つながっているのだと思います。

要するに、

どういう通貨形体を経過すれば

現在の地上の“金縛り”とも言える現実から

「お金」の魔法を解除できるのだろうか、

という問題意識があったわけです。


で、以前、

ビットコインという言葉を耳にしたときは

そんな関心とはまったくつながりませんでした。

そのうち、マウントゴックスという

ビットコインの取引所が破綻して

怪しげな話が消えたと思っただけです。


ところが最近になって、

仮想通貨という言葉を

よく耳にするようになりました。

複数の方から声をかけられたりしましたし、

その気になって注意すると、

新聞やテレビでもけっこう見かけるようになりました。

このインターネット上の通貨、

日本では「仮想通貨」と呼ばれる通貨は、

世界的には「暗号通貨(Cryptocurrency)」

という名称で呼ばれているようです。

それで、自分なりの興味で

少し調べてみたりしました。

で、その結果、

どうやら、わたしが気になっていた

【お金のようなもの】というのは、

この「暗号通貨(Cryptocurrency)」のことらしい、

という感触を持つようになりました。

要するにこれは、

新しい時代の「お金」のベースになるものですね。

現在地上社会が、

国際金融資本主義の最終段階に達したこと、

その矛盾が極大化していること、

これ以上、地球人類は

この矛盾に耐えられないこと、

要するに、現在の国際金融資本主義は

すでに崩壊過程をたどりはじめていることは、

ほぼ自明の事実だと思います。

そして、この現在の

国際金融資本主義の後を引き継ぐことになるのが、

どうやら、この「暗号通貨(Cryptocurrency)」

という技術であるらしいのです。

世界的にはもうその下地は

十分すぎるほどに広がっているようですが、

どうやら、来年2017年は、

日本にとっての「仮想通貨元年」に

なるのではないかと思われます。

自分にとっての長い間の興味でもあったので、

少しずつ、この【お金のようなもの】

いわば“新しい通貨”のことを、

書いてみたいと思います。

まあ、わたしなどが何を言わなくとも、

黙っていても広がっていくでしょうけどね。(*^_^*)

ではまた、次回に。

<(_ _)>


       ………○…………○…………○………


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       ………○…………○…………○………


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■ 3.編集後記:
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いろんな時期があるものですよね。

いろいろ意味があるように想像したり、

そうかと思えば、

まったく何の意味もないのだと想像したり。

でもこれ、別にどちらが正しい、

とかいうことでもないのかもしれません。

そのときはそのとき、このときはこのとき。

いえ、ほんと。

まあ、そんなこんなで、

今日もなんだか書きました。

他のこともやったりして、

けっきょく夜になりました。

お休みなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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