home > 通信 >『アセンション館通信』第664号:『オープン・シークレット』の心地よさ



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2017/01/01(第664号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

すべての体験は、わたしが在ることを思いださせる。

関心をもたないことが自由をもたらし、興味をもつことが束縛をも
たらす。しがみつかないことだ。(ニサルガダッタ)

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在867名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.『オープン・シークレット』の心地よさ

2.暗号通貨の話(3)

3.編集後記
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■ 1.『オープン・シークレット』の心地よさ
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あけまして、おめでとうございます。

これを書いているのは去年の今ですが、

読んでいただいているのは今年の今です。

というのは、もちろん、嘘で、(*^_^*)

書いているのはただの今で、

読んでくださっているのもただの今です。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、

お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

こんなメルマガを書くエネルギーは、

少なくとも最初のころは

多少なりとも爆発力を抱えた

疑問や怒りや不満だったと思います。

でも今となっては、

不満がないと言っては嘘になるかもしれませんが、

怒りや疑問はなさそうです。

──────────────────
 そこに探求すべき第二の、
 あるいは高次の自己というものはない。
 あなたが最高位の自己なのだ。
 ただ、
 あなた自身に関する偽りの観念を捨て去りなさい。
 あなたは身体、そしてその欲望と恐れではなく、
 またマインドとその幻想的な観念でもなく、
 社会があなたに演じるように強要した
 個人としての役柄でもないと、
 信念と理性があなたに告げているのだ。
 偽物を捨て去りなさい。
 そうすれば真実はそれ自体で現れるだろう。
 
 『私は在る』(p536)
──────────────────

> あなたは身体、そしてその欲望と恐れではなく、

わたしは身体や欲望や恐れではなく、

身体や欲望や恐れに気づいているもの。

たしかに、わたしはあるときから

身体や欲望や恐れを自分だと

思いこむようになっていたけれど、

この言葉を聞いて、

それをまだ疑うことなどできません。

──────────────────
 あなたはあなた自身を知りたいと言う。
 あなたがあなた自身なのだ。
 あなたはあなた以外の何者にもなれない。
 知ることと在ることは別々だろうか?
 あなたがマインドをもって知ることは
 何であれマインドのものであって、
 あなたではない。
 あなた自身についてあなたに言えることは
 「私は在る。
  私は気づいている。
  私はそれを愛する」だ。
 
 『私は在る』(p536)
──────────────────

(-_-)

> あなたがあなた自身なのだ。

これは疑いようがない。

> あなたはあなた以外の何者にもなれない。

わかってます。

> 知ることと在ることは別々だろうか?

いいえ、

気づいているものこそが存在するものです。

> あなたがマインドをもって知ることは
> 何であれマインドのものであって、
> あなたではない。

身体を持っても最初のころは

おそらくこのことを知っていただろうと思います。

でも、いつからかこれがわからくなった。

> あなた自身についてあなたに言えることは

(-_-)O

> 「私は在る。

たしかに。

>  私は気づいている。

はい。

>  私はそれを愛する」だ。

そうか……。(-_-)

ただ間違って別のものにこだわる癖がついただけ。

というわけで、

もう疑問など持ちようがないのです。

でもマハラジがこう語ったからといって、

見かけの宇宙が消失するわけでもありません。

現にこうして、

森羅万象は顕現しており、

その見かけの現象のなかで、

大宇宙は次々と新たな愚者や覚者を輩出して

見かけの探求をやめようとはしません。

今回resonanz360のヒロさんが翻訳された

トニー・パーソンズの唯一の著作本、

『オープン・シークレット』を読みました。

これは、

聞きたかったすべてが

そのまま書いてある本でした。

大宇宙は見かけのなかで

無限無量の表現を生み出しながら

しかもけっして飽きることがないのでしょう。

もうこれで十分以上なのに、

pariもこうして書いているくらいですから。

この本はとっても小さな本なので、

いつもみたいに大量に引用することは遠慮します。

また、一回読んで、また一回引用して、

わかったようなふりをするのもじつにバカげたことです。

読んだ印象で言うなら、

最初の「はじめに」という文章だけで、

もう本当に十分に満足でした。

その最初の部分を引用させていただきます。

──────────────────
 一人の個人として存在しながら
 人生を切り抜けていくという、
 見かけ上の経験に閉じ込められたままでいるかぎり、
 私たちは夢を見ている状態で生きている。
 
 その夢見の状態においては、
 何をしようとすべては見かけの上で
 相対の法則に支配されていて、
 その法則により、
 いわゆる肯定的行為は
 それと釣り合う正反対の行為によって
 寸分の狂いもなく相殺される。
 
 したがって、
 人生をうまくいかせたい、
 完壁を目指したい、
 個人として解放されたい
 といった動機でなされる個々の試みは、
 そのすべてが中和されることになる。
 
 『オープン・シークレット』(p1)
──────────────────

どうでしょう、これ。

こう言ってもらえると、

ほんとうに嬉しいですよね。

夢のなかで起こる多様な努力はすべて、

いわば水枕の一箇所を押すようなものだというのです。

一箇所を力いっぱい押せるのは、

他の場所がその分飛び出してくれているからだと。

こういう話は、

精神衛生上、いいですね。

この本は薄い本なのにハードカバーで、

カラーの装丁で覆われています。

普通こういう装丁の場合は、たいてい奥書かどこかに

装丁誰々というふうに書かれているものですが、

不思議と装丁の名前がありません。

ヒロさんがブログで明かしておられますが
https://resonanz360.com/2016/12/15/the-open-secret-on-sale/

この装丁画を書かれたのは、

ナチュラルスピリット社の今井博央希社長なのだそうです。

スピリチュアル本の通の代表のような方が

本の装画を自分で描きたくなったんですね。

まあ、そういう本だと思います。

たとえ、読み終えてまだ物足りなさが残っていたとしても、

ヒロさんが力作の「訳者あとがき」で、

その乾きを癒してくれこと間違いなしです。

また折に触れて読み返すと思いますが、

きっとまたはじめて読むような気がするんでしょうね。

(-||-)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
──────────────────

(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
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ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
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「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


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■ 2.暗号通貨の話(3)
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さてまた、楽しい夢の中のお話。(^^;)

これからの地球社会の動向を

大きく誘導していきそうな暗号通貨の話です。

暗号通貨の中核的技術である

「ブロックチェーン」という技術によって、

最も大きな影響を受けるのは

これまで地上の夢の世界で

シニョリッジ(通貨発行権)という途方もない独占権を

一手に掌握してきた国際銀行家たちでしょう。

地上人としてのわれわれは、

つねに“お金の不足”に悩まされてきました。

現地球人類の物語は「お金」を巡って

展開されてきたと思います。

たぶん、その賞味期限が尽きつつあるのでしょう。

これから展開されるのは、

「お金」が無意味になっていく筋道なのかもしれません。

もっともこれは、

pariというバイオロボットに仕込まれた

特殊な思い込みという可能性もありえますが。(^_-)

「お金」というのは

物々交換を超える手段としての

とても便利な道具という表の面もありますが、

隠されたもう一つの側面は、

“不足を創造するための道具”ということでしょう。

それはあらゆるものを「交換価値」という

ひとつの側面から測る習慣を強いることによって、

あらゆるものの意味を「価値」に矮小化し、

諸現象の比較可能性を強調することによって

「比較」連想を強制したことでしょう。

それが巡り巡って“不足”を創造することになったのでしょう。

まあ、そんな話は誇大妄想と言うか、

哲学者の“ほら話”のようなものでしかありませんが、

しかし、われわれのいう現実というものが

そのようにして作られているのも事実です。^^;;

最初っから脱線してしまいましたが、

「ブロックチェーン」という技術は、

誰も信じられないことを前提とするこの世界で

既得権益者たちの特権となっていた

“信用創造”の方法そのものに挑戦したのです。

わたしたちのこの社会は、

誰も信じられないという前提の上で

信じられるのは「お金」だけということを信じさせられた社会です。

このような世界を

「お金」の“金縛り”から解除するには

いったい、どうしたらいいのか?

「ブロックチェーン」という技術の背後にあるのは

そのような意図かもしれないと想像させるところがあります

というもの、「ブロックチェーン」とは

“誰も信用しない”ことを前提にした、

つまり“不信用”を基本にした技術だからです。

“不信用”を前提にして、

その社会の信用の根本である「お金」を

いわば不特定多数の庶民の手、

つまりインターネット上のP2Pの世界に解放してしたのです。

「ブロックチェーン」とは、まあそういった技術です。

「ブロックチェーン」のことを

“分散台帳”というふうに表現することもあります。

通常の国際金融システムでは

金融取引の台帳はその取引を認証する責任主体である

どこかの銀行が統括して管理しているものです。

しかし「ブロックチェーン」という“分散台帳”では、

この台帳のコピーをP2Pのなかの

何台ものコンピュータが維持しています。

P2Pというのは、

集合的なコンピュータパワーを発揮できるように、

インターネット上で直接接続されたコンピュータの集まりです。

P2Pに参加しているコンピュータをノードと呼びます。

P2Pは、全体としてはある種のコンピュータのように

固有の機能を発揮するように期待されています。

しかし、参加している個々のノード自体は、

企業に雇われている社員のようなものではなく、

個人事業主のような独立したコンピュータでもあります。

そういう個人主体でもあるノードが

この分散台帳のコピーを個別に維持しているのです。

Bitcoinの場合だと、

このノードは数千台と言われています。

そして、Bitcoinは出発以来現在に至るまで、

いちどもダウンしたことがないのです。

これは大変な実績で、

その積み重ねが大きな信用につながっています。

しかし、この分散台帳という概念だけでは、

それが実際の「お金」になるとは信じられません。

Bitcoinが現在の信用力を身につけるまでには

いろいろな経緯があるのですが、

それはまた別の機会に述べるとして、

まず、現在の国際金融システムのなかで

決済手段としての「お金」がどんなものかを

理解する必要があります。

「お金」というと、

われわれは通常、「現金通貨」をイメージします。

具体的には、政府貨幣である「硬貨」と日銀券の「紙幣」です。

しかし、決済手段の圧倒的な部分は、

じつは「現金通貨」ではなく「預金通貨」なのです。

「預金通貨」とは、具体的には帳簿上の数値です。

しかも、現在の国際金融システムのなかでは、

それは“サイバー空間上の数値”なのです。

むろん、通常は、その「預金通貨」は

各種銀行のサーバー上の数値です。

そして、当然、見当がおつきでしょうが、

暗号通貨が代替するのは、

むろん、「現金通貨」ではなく

この“サイバー空間上の数値”である「預金通貨」です。

現代の「預金通貨」とは、

実際はコンピュータ上の数値なのです。

これが単なるコンピュータ上の数値である以上、

それが「お金」になりうるかどうかの条件は、

その数値が「お金」として信用されるかどうかだけです。

信用さえされれば、

“サイバー空間上の数値”は「お金」になりうるわけです。

それは、ある意味では、たんなる決め事とも言えます。

ある範囲の仲間内で、

その数値を「お金」として扱うことに決めれば、

その具体的形態は、

子どもの人生ゲームであろうと、

ある地域の地域通貨であろうと、

どこかのカジノで扱われる数値であろうと、

根本的な違いはないわけです。

どこかの国のカジノでは

大きな金額が取引されていますが、

そこで実際に扱われているのは、

すでに信用が確立している地上の「お金」です。

また、子どもの人生ゲームの“お金”の信用は、

けっして、大きな世界には広がりません。

Bitcoinは子どもの人生ゲームのような、

小さな仲間内から始まった約束事の“お金”ですが、

地上の現実社会に広がる潜在能力を秘めていたのです。

それがどんな形で、その潜在力を形成していて、

そこにどのように参加され、

どんな経緯で広がっていったのか、

そのあたりの話は、

またぼちぼち書いていこうと思います。

<(_ _)>


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■ 3.編集後記:
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今日もけっこう書きました。

遊んでいるような、楽しんでいるような。

まあ、こうして

マインドの中に住んではいますが、

疑問も欲望も、ほどほどにしかありません。

先のことはわかりませんが、

それほど悩む能力があるとも思えません。

文章もだんだん支離滅裂になっていくような気もします。

でも、気にする当人いなくなってきた。(*^_^*)

今は年の暮れ、ではお休みなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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