home > 通信 >『アセンション館通信』第666号:気づきは体験ではない



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2017/01/15(第666号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

すべての体験は、わたしが在ることを思いださせる。

関心をもたないことが自由をもたらし、興味をもつことが束縛をも
たらす。しがみつかないことだ。(ニサルガダッタ)

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在870名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.気づきは体験ではない

2.暗号通貨の話(5)

3.編集後記
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■ 1.気づきは体験ではない
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下層の雲はハレーションを起こしているよう感じなのに、

その上に見えている雲にはごく普通の形があります。

なにか寒気団と関係でもあるんでしょうか。

午後になって日差しが出てきましたね。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、

お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

気がつくとやっぱり、

どうも探求というのは終わっていますね。

だって、これ以上何ををどうしろっての?

って、感じですものね。

もちろん、特別な変化なんか何もありません。

いわゆる“体験”というのは起こったことがない。

いつか起こったらいいなと思わないこともないけど、

でも、それを真面目に期待するというわけでもない。

だいいち、そんなこと無理ですもん。(^^;)

いわゆる“体験”を手繰り寄せるために

夢の中の登場人物にできることがあるとも思えないし。

いったい自分は誰なんだと言うなら、

間違いなく、この気づいているのが自分でしょう。

その気づいている自分が誰なのかと言えば、

その気づいている自分が自分だと決めたもの以外ではない。

ひと塊の欲望が【見かけ】のなかで体験を求めて、

夢を紡ぎだしたのかもしれません。

でもその体験はあくまでも想像でしかないし、

それは創造、つまり作り話でしかありえない。

ニサルガダッタの言葉を十年も聴きつづければ、

どうしたってこういうことが自明になります。

とは言っても、

この身体としての自分が自分だという意味でもありません。

その探求を創造するために

この身体の自分がそんな仕掛を発明できたとも思えない。

(少なくともそんな記憶はないです。(*^_^*))

こんな体験の場がなぜ起こったのか、

どうやってそんなことが実現できたのか、

そんなことはまるでわかりません。

そういうことを知っていそうな

上位次元のどなたかにでも聞いてください、という感じです。

なぜこんなことがおこったのか、

どうやって実現されているのかとかはわからないけれど、

はっきり、わかっているのは、

探求エネルギーが遊ぶ場所が【見かけ】として在ることです。

その遊びたいエネルギーが“自分”が何かを探求しつづける。

“自分”が何かを探求するとは、

要するに、

自分がどんな定義を担う者なのかを知りたいということでしょう。

でも、自分についてはっきりわかっていることは、

この起こっていることに気づいている者だということだけです。

ニサルガダッタの言葉を借りれば、

自分とはこういうものでしょう。

──────────────────
 あなたが
 あなたを含むすべての証明なのだということを、
 まず悟るべきだ。
 あなたの存在を証明できるものは何もないのだ。
 なぜなら、他者の存在も
 あなたによって確認されなければならないからだ。
 あなたは完全に、
 あなた自身によって在るのだということを覚えておきなさい。
 あなたはどこからも来なかったし、
 どこへも行かない。
 あなたは時間を超えた存在、
 そして気づきなのだ。
 
 『私は在る』(p178)
──────────────────

(-||-)

自分は自分であるものです。

そのうえでさらに、

【見かけ】のなかで自分が何かを知りたいとなれば、

自分が納得して、自分が決めたものでしかないでしょう。

でも、自分が納得して、自分が決めるとは、

この臆病で、自惚れで、頼りない“自分”が

おっかなびっくり決断するというようなことじゃない。

前もって知っていたら始める旅ですらなかっただろうと、

この自惚れた欲望のエネルギーが尽きかけるころに、

いやでも納得せざるをえない自分でしょう。

もし、それをしも自分が決めるというのなら、

自分が誰かは、自分が決めることでしかないわけです。

それにもかかわらず、というのか、

それだからこそ、というのか、

次から次とこれほどたくさんの人生が

途切れることもなく生まれ続けているのでしょう。

原因も目的も、わけなど何もわからない。

そもそもわけなど元々なかったわけです。

原因や目的を探し続けるエネルギーにだけ

その数だけの原因や目的が創造され、

発見されるのでしょうから。

これ以上、どうやって自分を見つけたらいいのでしょう。

一瞬一瞬、もっともらしい想念が配達され、

わかったようなつかの間の結論を出そうとしますが、

それとても取り合わなければ、

たちまち消えていくことも体験的に知っているわけです。

探求の終わりとは、ある意味で、

“自分”の月並みさにうんざりすることではないでしょうか。(*^_^*)

そして、もう、それ以上

架空の創造物に期待しなくなる。

これが、

トニー・パーソンズのいう

「nothing being everything」

であるのでしょう。

【見かけ】のなかの限定された“自分”に、

どんな自性も独立性もありえないことが自明なのですから、

「何でもないものが、あらゆるものになっている」

ことは疑いようもないのです。

新たな自分の発見に乗り出すエネルギーがない以上、

それが探求が終わるということだと思います。

でも、そんなチッポケな発見など物ともせず、

存在が探求をやめないこともわかっています。

なぜなら、いまこうして自分のすべてが

【見かけ】として顕れているからです。

いま自分は、こうして自分に気づいている。

記憶や想像を使うなら、

幼いころの自分もいれば、

死んでいく自分もまわり中に顕れている。

そのなかのどれでもよりどりみどりです。(*^_^*)

これは体験で言っているのではなく、

単なる言葉として言っていますが、

自分の前に顕現しているすべてが自分であるわけです。

いや、それは自分じゃなくて、

単なる【見かけ】でしょ、というなら、

それならそのすべてに気づいているのが自分です。

それをしも否定するのなら、

そもそも自分などどこにもいない、ということになる。

普通、探求といって問題にしているのは【見かけ】の話です。

われわれは体験のなかで自分探しをやっている。

しかし、そのような体験を問題にする文脈では

体験者と体験は同じものです。

──────────────────
 質問者 体験者がいて、彼の体験があります。何がその
     二つの間のつながりをつくり出すのでしょうか?
 
 マハラジ
 何かがつながりをつくるわけではない。
 二つはひとつなのだ。
 
 『私は在る』(p473) 
──────────────────

> (体験者と体験の)二つはひとつなのだ。

もうひとつ。

──────────────────
 明らかに、体験されたすべてのことは体験だ。
 そして、すべての体験のなかに体験者が現れる。
 記憶が連続するという幻想を与えるのだ。
 実際には、各体験にそれぞれの体験者がいる。
 そして、同一であるという感覚は、
 すべての体験者と体験との関係の根底において
 共通の要因があるためだ。
 同一性と連続性は同じものではない。
 ちょうどそれぞれの花がそれ自身の色をもっていながら、
 そのすべての色は同じ光源をもとにしているように、
 数々の体験者も記憶においては別々でありながら、
 本質においては同一の分割不可能な気づきのなかに現れる。
 この本質こそが根源、基盤、
 そして時空を超えたすべての体験の「可能性」なのだ。
 
 『私は在る』(p24-25) 
──────────────────

このマハラジの言葉、

どこかに疑問の余地があるでしょうか?

> 明らかに、体験されたすべてのことは体験だ。

もちろんです。

> そして、すべての体験のなかに体験者が現れる。

これも当然です。

あらゆる体験は、体験者の体験として現れる。

誰も体験していない体験があるはずもないのだから。

> 記憶が連続するという幻想を与えるのだ。

連続という幻想は、

いくつもの体験を想起する記憶機能のゆえに生じる。

> 実際には、各体験にそれぞれの体験者がいる。

実際には、一瞬一瞬の体験に気づいているのは

同じ<いま>、同じ気づきです。

> そして、同一であるという感覚は、
> すべての体験者と体験との関係の根底において
> 共通の要因があるためだ。

つねに唯一無二の同一の<いま>が

それぞれの体験に気づいているために、

それらの体験の体験者が同一だという観念が生まれる。

> 同一性と連続性は同じものではない。

たしかに、体験者は間違いなく同一だが、

それは記憶の上で同定されたこの身体ではない。

身体は単に出来事の一部、体験の内容物にすぎない。

> ちょうどそれぞれの花がそれ自身の色をもっていながら、
> そのすべての色は同じ光源をもとにしているように、
> 数々の体験者も記憶においては別々でありながら、
> 本質においては同一の分割不可能な気づきのなかに現れる。

はい、そのとおり。(*^_^*)

> この本質こそが根源、基盤、
> そして時空を超えたすべての体験の「可能性」なのだ。

それがあなたであり、自分なのだと。

──────────────────
 すべての体験は限定された、
 一時的な幻想でしかない。
 体験からは何も期待してはならない。
 それが新しい次元の体験へと導くことはあっても、
 真我の実現自体はひとつの体験ではないのだ。
 新しい体験がいかに興味深いものであっても、
 古いものより真実だというわけではない。
 真我の実現が新たな体験ではないことは明らかだ。
 それはすべての体験における時を超えた要因の発見だ。
 それは体験を可能にする気づきなのだ。
 すべての色のなかで光が色彩をもたない要因であるように、
 すべての体験のなかには気づきが存在している。
 それにも関わらず、
 気づきは体験ではないのだ。
 
 『私は在る』(p420-421)
──────────────────

(-||-)

このあまりにも自明なメッセージを

まだ疑える自分がいるとは思えません。

──────────────────
 すべての体験の宇宙は、
 身体と共に生まれ、身体と共に死ぬ。
 そのはじまりと終わりは気づきのなかにある。
 しかし、
 気づき自体は始まりも終わりも知らない。
 もしそれについて時間をかけて慎重に熟考すれば、
 あなたは気づきの輝きをはっきりと見るだろう。
 そして、
 世界はあなたの視野から消え去るだろう。
 
 『私は在る』(p281)
──────────────────

> すべての体験の宇宙は、
> 身体と共に生まれ、身体と共に死ぬ。

はい、わかっています。

> そのはじまりと終わりは気づきのなかにある。

了解です。

> しかし、
> 気づき自体は始まりも終わりも知らない。

はい。

> もしそれについて時間をかけて慎重に熟考すれば、

「時間をかけて慎重に熟考」するということが、

論理的に考えることならば。

> あなたは気づきの輝きをはっきりと見るだろう。

「気づきの輝きをはっきりと見る」

これはある種の体験なのでしょうか? (-_-)

> そして、
> 世界はあなたの視野から消え去るだろう。

世界がまだこうして現れているのは、

まだまだ世界に興味があるからでしょう。(*-_-*)

──────────────────
 すべての体験の背後には自己があり、
 その体験への興味があるのだ。
 それを欲望と呼ぶがいい。
 あるいは愛と呼ぶがいい。
 言葉は重要でない。
 
 『私は在る』(p401)
──────────────────

> すべての体験の背後には自己があり、

はい、それは疑問の余地がありません。

> その体験への興味があるのだ。

ああ、そうなんですね。

そして、それは「体験への興味」という想念なのか

実在が体験に興味をもっているということなのか。

> それを欲望と呼ぶがいい。

はい。(-_-)

> あるいは愛と呼ぶがいい。

おお。(@_@) ⌒★?

> 言葉は重要でない。

そうか……。(-_-)

それも自分、これも自分。

空即是色。

(-||-)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
──────────────────

(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
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ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
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おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
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「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


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■ 2.暗号通貨の話(5)
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ギャップが大きいのですが、

そこもまた空、ここもまた空。(*^_^*)

地球の現実を深いところで規定しているのは、

いまもなお「お金」です。

「お金」という流通を媒介する手段は、

発行主体はいろいろありますが、

その価値を裏づけているのは国家です。

国家がその価値を保証して、

強制流通させているわけです。

つまり、あの紙っ切れを信用して

世の中の人間が様々な取引ができるのは、

「お金」の価値を保証する国家の強制力を信用するからです。

ところが、

現在の国際金融資本主義という資本主義の最終段階では

金融経済がグローバル化することによって、

国際銀行家たちと多国籍企業という既得権益者たちは、

どうかすると国家権力を超えるほどの力を持ち始めました。

最近起こっているBREXIT(英国のEU離脱)や、

アメリカのトランプ新大統領の選出などは、

この止め処もないグローバリゼーションに対する

国家権力の側からの反逆という見方もできます。

どちらも単なる抽象的観念にすぎませんが、

いま地上では「お金」の覇権を巡って

国家間の競争だけでなく、

諸国家と国際金融資本との間にも競争があるわけでしょう。

時代小説のプロットに喩えるなら、

藩と豪商との闘いのようなものでしょうか。

しかし、完全に国際金融資本の一人勝ちということになると、

地球世界はいわば現在以上の“生き地獄”になるわけですから、

良かれ悪しかれ、

ここは国家にも頑張ってもらわなければなりません。(*^_^*)

話が初っ端から脱線しましたが、

「暗号通貨」(仮想通貨)の話です。

現物通貨の紙幣や預金通貨という単なる数値である「お金」が

なぜ流通しているのかは、

要するに“信用”されているからだ、という話でした。

「ビットコイン」という単なる

ハッカーたちの間の“ゲーム通貨”が

どこで、どうやって実際の通貨に化けたのか?

もちろん、どこかで「お金」として“信用”されたからです。

またそこに、現在の国際通貨が

どこかで“信用”されなくなったというお話も

合流してくるわけです。

サトシ・ナカモト氏が

「ビットコイン:P2P電子マネーシステム」という

9ページほどの論文を発表したのは2008年10月のことでした。

その論文の日本語訳はここにあります。
https://coincheck.com/blog/292

要点は、

(1)誰でも参入できる電子取引の通貨を実現しようとすると、
  データの改ざんが可能になるため、現状では通貨の担保性と
  取引の正当性を証明するためには、信用の置ける金融機関を
  通さざるをえない。

(2)電子上の取引は、記録が消えてしまっては取引が正当なもの
  だったかどうかの証明ができないので、「記録を消さない」
  というこが必要になり、そのための管理費用が発生する

(3)管理する金融機関を通せば、そこでの管理費や仲介手数料が
  上乗せされるので、少額決済は利用できなくなる。
  それが電子商取引の発展の妨げがとなっている。

ということです。

だから、現段階では地上のあらゆるところに存在する
少額の商取引にチャンスを与えられないわけです。

このナカモト論文が発表されてからわずか3ヶ月後に

「ビットコイン」の最初のコードが発表されます。

2009年1月に初めて発行された時は、まだハッカーの間での
ただのゲームコインに過ぎなかったわけです。

最初のうちはナカモト氏も参加しながら送金テストを行ったり、
実験して改良したりを繰り返しながら、洗練されていった
のでしょう。

ある時、フロリダの技術者のひとりが暗号理論のメーリングリストに
「誰か1万ビットコイン(当時25ドル程度)とピザを交換しない?」
と面白半分に書き込んだそうです。

それに応じた人がいたことから、はじめて本物の通貨として
機能するようになったのだとか。

ビットコインの誕生の瞬間として有名な話です。

ある意味では仲間内のお遊びの通貨ですが、でもある意味では
実際に通貨として成立する機能がたしかに確認されたわけです。

当時、1ビットコイン=8セントでした。

この一般に公開されていた仲間内の通貨の話が、やがて人づてに
伝わって、実際の利用者と結びつきます。

テンポが速いですよね、2010年7月にビットコイン交換所の
Mt.Gox(マウントゴックス)が日本に取引所を開設します。

こういう話でたいてい一番の“早耳”は犯罪者集団です。

麻薬取引などの決済で、命懸けで代金の授受を行っていた連中が、
このビットコインというインターネット上のVirtual currency、
文字どおり仮想通貨の存在を知ります。

「シルクロード」という「bitcoin」を使った違法サイトが誕生した
のは2011年2月のことです。

この頃、1ビットコイン=1ドルです。

2011年8月になって、一部の世界に認知されたビットコインは
急速に価値を上げ、1ビットコイン=3ドル(300円)になります。

2012年に入ると世界中でビットコインの認知度が上昇し、
ビットコイン関連の様々なビジネスが登場しはじめます。

ビットコインが、一気に値上がりするきっかけとなったのは、
2013年に起こったキプロスの金融危機です。

キプロス島は地中海の一番東の小さな島で、その半分くらいの
国土をもっているのが地中海の小国キプロス共和国です。

大きさとしては日本の山形県くらい、人口は80万人くらいです。

これ、小国なんですけど、金融立国なんです。

西欧と東欧の境目に位置するいわゆるタックスヘイブンで、
西欧と東欧(主にロシア)の不透明なマネーが流入していること
で知られていました。

キプロスにある銀行資産はキプロスのGDPの約8倍、
預金残高は約4倍に達しており、キプロスの経済規模に対して
銀行が巨大すぎるなど、過度に金融依存経済に偏っていました。

この国が「預金税」というのをかけはじめて、預金者たちに
大ショックを起こします。

この預金がビットコインの購入に走るわけです。

2013年3月に、1ビットコイン=200ドルになります。

2013年10月、違法サイト「シルクロード」の創設者がFBIに逮捕され、
同時にサイトは閉鎖されます。

そして、このニュースが世間に知られるわけです。

こういうニュースに対しては日本人は鈍感ですし、もしかすると、
国策的な報道規制の可能性も考えられます。

しかし、中国の富裕層はじつに敏感に反応したようです。

中国では「元⇒ドル」移転は国策的に制限されていますが、
富裕層は「元⇒ビットコイン⇒ドル」という通路が存在すること
を知ったわけです。

2013年11月、ビットコインは発行上限2,100万コインのうち、
1,200万コインまで発行します。

2011年11月、1ビットコイン=1200ドル(12万円)に暴騰します。

その後、慌てた中国政府によって、中国の金融機関が事業として
ビットコインを取り扱うことは禁止されます。

中国の個人が取引所をつうじてビットコインを買うのは当時も
現在ももちろん可能です。

ただ、一般人が中国の銀行でビットコインを買えないだけです。

このため中国の富裕層マネーが引いていったので、この
1ビットコイン=12万円というのが最近までの最高値でした。

2014年2月、Mt.Goxの破綻でビットコインの価格が暴落し、
次世代ビットコイン2.0とも言えるイーサリアムプロジェクト
がはじまります。

2014年6月、自民党IT戦略委員会から、ビットコインをはじめと
する「価値記録」への対応に関する「中間報告」が公表されます。

2014年7月、パソコン大手Dellがアメリカ国内でビットコイン支払い
を開始します。

2014年9月、インターネット決済大手のPaypalが、ビットコイン決済
への対応を発表します。

2014年12月、Microsoft社がビットコイン決済受付開始。

このころ、世界でのビットコインATMが260台を超えます。

2015年12月21日、日銀が「ビットコイン」の分析を公開。

2016年3月4日、日本政府もビットコインを貨幣に認定し、
法規制案を閣議決定。

2016年5月25日、「仮想通貨法」が可決されます。

以後、ビットコインを購入しても消費税がかからなくなります。

2016年3月17日、日銀、フィンテックセンター設立予定。

そして最近、ご存知のとおり、インドのモディ首相が高額紙幣の
廃止を発表しました。

今年2017年1月5日(木)の最高値、1ビットコイン=149,977円は
その結果だと言われています。
https://bitflyer.jp/bitcoin-chart?ns=ad01_google_gsem-other_pc_dsa

有事の際には必ず値上がりするようです。

これからは、どの国家もメチャクチャなことはできなくなります。

現在、ビットコインの時価総額は1兆円を超え、人々が資産分散を
考える際の選択肢のひとつとして検討されるまでになっています。


2009年当時、ビットコインのユーザー数は10,825人でした。

2011年11月、中国富裕層マネーが動いたピーク時、ユーザー数は
3.699,783人と約340倍になり、発行量は2,100万コインです。

2009年の通貨の登場から4年ほどで、約120万倍に価値が上昇した
わけです。

文字どおり、夢のなかの話ですね。(^_-)

法定通貨と違って、暗号通貨はゴールドと同じく通貨総量が大きく
動かないので、購入者の参入数にほぼ比例して価値が動きます。

もう、「暗号通貨」の勢いを無視することは誰にもできなくなった
わけですね。

またぼちぼち書いていこうと思います。

<(_ _)>


       ………○…………○…………○………


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■ 3.編集後記:
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今日もまたけっこう書きました。

いろんな感想はわいてきますが、

いずれも大した根拠のあるものではありません。

ただの【見かけ】です。

こういうことにまったく無関心になれば、

またそれはそれ、ということでしょう。

【見かけ】のなかに現れる物語に興味がわくあいだは。

今日も晩くなりました。

ではお休みなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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