━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2017/02/12(第670号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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☆☆ ☆☆ https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。
苦痛から欲望が生まれ、苦痛のなかで欲望を満たそうとする。
世界の根本原因は自己愛である。そのために私たちは快楽を探し
求め、苦しみを避ける。自己愛を真我への愛に変えなさい。
すると画面は変わってくる。(ニサルガダッタ)
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在873名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.意味を見いだしたいのなら
2.編集後記
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■ 1.意味を見いだしたいのなら
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夢のなかで少し雪が降って、今日はまた晴天です。
晴れている夢もあれば、降っている夢もあるのでしょう。
不公平でもあるようだけれど、
それがなくては波動で成り立つ現象世界は創れません。
(*^_^*)
さて、またまた一週間が過ぎて、
楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、
お付き合いいただく今がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人の pari です。
長いことこうして一週間にいちどだけ、
マインド無礼講モードに入って
もっともらしいことを言おうとするのですが、
そういうことすべてがまったくの無意味であることが
ますます浸透しはじめているようです。
たしかに、意見のようなもの、
観念のようなものを語ることはできます。
以前はそういうものを語ることが楽しかったし、
語るエネルギーも旺盛でした。
しかし、ニサルガダッタの言葉は
話を紡ぎ出す題材としてはいかにも不適切なのです。
立ち上がろうとするマインドに
否応なく、無意味さの感覚が浸透してくるのです。
言葉の固有の価値を信じていなければ
詩人に詩を書くことなどできないように、
pariパターンのような哲学頭にとっても
“自分が持つ”観念にいくらかは意味があると信じられなければ、
観念を保持することすら難しくなっていくようです。
そして実際に、それが起こりはじめています。
浮上する観念が“自分”が思いついたものなどではなく、
現象世界という全体が存在しうるための
調節弁のひとつとして機能していることが了解されてくれば、
それはそのように起こらなければならないだけのことです。
考えるということにいかなる理由もないことが自明であれば、
考えることに流れるエネルギーも徐々に退潮するのかもしれません。
それはただ、
たえず生起しつづける環境情報(インプット)に対する
それぞれのDNAと条件づけを担わされた
バイオコンピュータ(ロボット)の
機械的反応(アウトプット)にすぎないことが
これまた否応なく自明になってくるわけですから。
あらゆる人間というロボットが抱懐する解釈や観念は、
すべて完全に“正しい”のだということが
これまた否応なく自明になってくると、
マインドの活性化機構はだんだん崩壊していくのかもしれません。
「個人など、じつはひとりも存在しないのです」
といった聞きかじってきた観念も、
それ自体が単なる自明の事実になってくれば、
いったい誰に何を語ろうというのでしょうか……。
──────────────────
マインドには多くのレベルがあり、
それぞれがそれ自身の解釈を投影する。
それでも、
すべてはマインドのなかにあり、
マインドによって創造されたものなのだ。
『私は在る』(p521)
──────────────────
マハラジのこんな言葉に、
なんの疑問もなく頷いてしまうのです。
ならば、
──────────────────
マインド自体が創造者だ。
これさえもまた完全な真実ではない。
なぜなら創造されたものと創造者はひとつだからだ。
マインドと世界はひとつだ。
あなたが世界として考えているものは、
あなた自身のマインドなのだということを理解しなさい。
『私は在る』(p521)
──────────────────
> あなたが世界として考えているものは、
> あなた自身のマインドなのだということを理解しなさい。
この言葉を疑うことができるでしょうか?
わたしが見ている世界、
わたしが反応している世界は、
すべてわたしが担わされたマインドなのです。
そしてその観念が落ち着く先は、
要するに、
そこにマインドのある形態が生起したということだけで、
そのマインドの形態を担わされた“わたし”などというものは
存在していないという事実です。
こんな言葉に頷くしかなくなったら、
その“わたし”にいったい何ができるでしょう?
黙るしかない。(;_;)
──────────────────
騙されてはいけない。
マインドについての果てしない議論はみな、
マインドそのものによってそれ自身を保護し、
継続し、拡張するために生みだされたのだ。
それを超えた彼方へと
あなたを連れていくことができるのは、
マインドの回旋や動乱を完全に拒絶することだ。
『私は在る』(p340)
──────────────────
マインド自体がそのことを知りつつあるのです。(/_;)
わたしが知っている人生とは
ある種の“誤解”によって成立している世界です。
その世界に固有の意味というものはない。
マハラジは、こう保証しています。
──────────────────
あるものの意味を見いだしたいのなら、
あなたはつくり出した人に尋ねなければならない。
だから言っているのだ。
あなたが住んでいるこの世界を
つくり出した人はあなたなのだ。
あなただけがそれを変え、
あるいはつくり変えることができるのだ。
『私は在る』(p398)
──────────────────
> あるものの意味を見いだしたいのなら、
> あなたはつくり出した人に尋ねなければならない。
このことに疑問の余地があるでしょうか……。
> だから言っているのだ。
(-_-)O
> あなたが住んでいるこの世界を
> つくり出した人はあなたなのだ。
(-_-)。
> あなただけがそれを変え、
> あるいはつくり変えることができるのだ。
たしかに。
(-||-)
──────────────────
マインドは記憶をその知識とするために、
体験を熱望する。
ジニャーニはすべての体験を超えている。
そして彼は過去の記憶をもたないのだ。
彼は特定のいかなるものとも完全に無関係だ。
だがマインドは体系化と定義づけを切望し、
つねに実在を言語的な形態のなかに押しこもうと熱心なのだ。
すべてにおいてそれは観念を求める。
なぜなら、
観念なしにマインドは存在しないからだ。
実在は本質的にひとりなのだ。
だが、マインドはそれをひとりにしておかない。
そして、
その代わりに忙しく実在について考えつづける。
ただ非実在を実在として見なすこと、
それがマインドにできる唯一のことなのだ。
『私は在る』(p376-377)
──────────────────
> 実在は本質的にひとりなのだ。
それ以外であるはずがありません。
> だが、マインドはそれをひとりにしておかない。
はい。
> そして、
> その代わりに忙しく実在について考えつづける。
(*-_-*)
> ただ非実在を実在として見なすこと、
> それがマインドにできる唯一のことなのだ。
(>_<)
……。
では、そのマインドにできることはなにもないのか?
──────────────────
あなたには何の間違いもない。
ただ、あなたのあなた自身に関する考えは、
まったくの間違いだ。
欲望をもち、恐れ、苦しむのはあなたではなく、
環境と影響によって
あなたの身体に築かれた個人なのだ。
あなたは個人ではない。
これがあなたのマインドのなかで明確に確立されるべき、
けっして見失ってはならないものだ。
通常は、長い期間のサーダナ(修練)、
何年もの苦行と瞑想が必要なのだ。
『私は在る』(p442)
──────────────────
> あなたは個人ではない。
はい。
> これがあなたのマインドのなかで明確に確立されるべき、
> けっして見失ってはならないものだ。
わかりました。
> 通常は、長い期間のサーダナ(修練)、
> 何年もの苦行と瞑想が必要なのだ。
ありがとうございます。
(-||-)
ここに古来からの教えに飽きたらずに、
マハラジに質問した人がいます。
──────────────────
質問者
数え切れないほどの聖者たちが、あなたは成熟し用意ができたと
きに真我を実現するだろうと言ってきました。彼らの言葉は真実
かもしれません。しかし、それらは役に立ちません。時間を必要
とする成熟に依存せず、努力が必要なサーダナにも依存しない道
がかならずあるはずです。
マハラジ
それを道と呼んではならない。
それはある種の技なのだ。
それでさえもない。
開いていて、静かで在りなさい。
あなたの探しているものは本当にあなたの近くにある。
だから、道と呼ぶにはふさわしくないのだ。
『私は在る』(p213)
──────────────────
> 数え切れないほどの聖者たちが、あなたは成熟し用意ができたと
> きに真我を実現するだろうと言ってきました。彼らの言葉は真実
> かもしれません。しかし、それらは役に立ちません。時間を必要
> とする成熟に依存せず、努力が必要なサーダナにも依存しない道
> がかならずあるはずです。
この質問者には、今なら
トニー・パーソンズが応答してくれるかもしれません。
マハラジは、こう答えています。
> それを道と呼んではならない。
> それはある種の技なのだ。
無防備なある瞬間に起きるゲシュタルトの反転。
> それでさえもない。
> 開いていて、静かで在りなさい。
無防備でありなさい、とでもいうのか。
> あなたの探しているものは本当にあなたの近くにある。
はい。
> だから、道と呼ぶにはふさわしくないのだ。
わかりました。
──────────────────
私たちは道しるべを必要としないのだろうか?
そうであるとも、ないとも言える。
あなたに確信がなければ必要であり、
あなたが道を知っているなら必要ではないのだ。
ひとたび私たちが自分自身に確かならば、
技術的な点を除いて、グルはもはや必要ではない。
『私は在る』(p464)
──────────────────
> 私たちは道しるべを必要としないのだろうか?
いえ、必要だと思います。
わたしは世界について
まったく誤解していましたから。
世界は無視してもいいものだということを
わたしは知りませんでした。
> そうであるとも、ないとも言える。
はい。
> あなたに確信がなければ必要であり、
はい。
> あなたが道を知っているなら必要ではないのだ。
そうか。
> ひとたび私たちが自分自身に確かならば、
> 技術的な点を除いて、グルはもはや必要ではない。
わかりました。
(-||-)
──────────────────
あなたのマインドとは、つまり道具なのだ。
それをどう使うのかを知らなければならない。
あなたがどう身体を使うかを教わったように、
どうやってマインドを使うかを知らなければならないのだ。
『私は在る』(p464)
──────────────────
> あなたのマインドとは、つまり道具なのだ。
そうか。
> それをどう使うのかを知らなければならない。
はい。
> あなたがどう身体を使うかを教わったように、
> どうやってマインドを使うかを知らなければならないのだ。
たしかに。
──────────────────
誠実さとは、
努力の結果を熱望することではない。
それは偽り、非本質的、
個人的なものから興味をそらし、
内なる移行をすることの表現なのだ。
『私は在る』(p474)
──────────────────
「誠実さ」という言葉を、
そういう意味で使っていらっしゃったんですね。
──────────────────
私の師が、
「私は在る」という感覚をしっかりつかまえ、
一瞬でさえ離してはならない、と私に言ったのだ。
私は彼の助言にしたがって最善を尽くし、
比較的短期間で彼の教えの正しさを実現した。
私がしたことといえば、
彼の教え、彼の顔、彼の言葉を
絶えず思い起こしていたことだ。
これがマインドに終焉をもたらした。
マインドの静寂のなかで、
私は束縛から解放された、
あるがままの私を見たのだ。
『私は在る』(p240)
──────────────────
> 私の師が、
> 「私は在る」という感覚をしっかりつかまえ、
> 一瞬でさえ離してはならない、と私に言ったのだ。
……。(-_-)
(-||-)
──────────────────
あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
──────────────────
(-||-)
──────────────────
永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
──────────────────
……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
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『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html
ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/
新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/
おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/
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http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)
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るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。
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■ 2.編集後記:
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不毛感をそのどん詰まりまで突き詰めること。
そういうことがわたしの人生なのでしょう。
ずいぶん若いときから、
そういうことばかりしてきたように思います。
> あなたが住んでいるこの世界を
> つくり出した人はあなたなのだ。
そうなのでしょう。
わたしが住んでいるこの世界をつくり出したのは、
わたしというマインドなのだと思います。
お休みなさい。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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