home > 通信 >『アセンション館通信』第672号:ただ在りなさい



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2017/02/26(第672号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
-☆☆---------☆☆------------------------------------------
 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

 苦痛から欲望が生まれ、苦痛のなかで欲望を満たそうとする。

 世界の根本原因は自己愛である。そのために私たちは快楽を探し
 求め、苦しみを避ける。自己愛を真我への愛に変えなさい。
 すると画面は変わってくる。(ニサルガダッタ)

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在874名
------------------------------------------------------------
◇◇ もくじ ◇◇

1.ただ在りなさい

2.編集後記
------------------------------------------------------------

━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 1.ただ在りなさい
━━━━━━━━━━━━━━━━━━

また土曜日。

いつか見たような雲が浮かんでいる。

地上は無風で庭の木々の枝も揺れていません。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、

お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

このメルマガを書かされているpariパターンは

当初は完全に未来にフォーカスしていました。

なにしろ、

『アセンション館通信』ですからね。(^_-)

「アセンション」となれば、

流行りの最先端だと思ったのでしょう。

マインドが体験に駆り立てられているのは当然ですが、

このpariパターンの場合は特に、

先のことを“知っている”ということに、

とても強い価値を感じるタイプらしい。

自分が見たことのある映画の展開を

後でいっしょに見ている友達に教えたがるような

まあそんな幼い欲望なのでしょう。

そういう得意げな路線でずっと行けるはずでした……。

少なくとも当人はそのつもりだった。

ところが早い段階でその路線は崩れました。

『私は在る』という本に出会ってしまった。(>_<)

マインドのフォーカスは真逆とも言えますから

そこで語られていた言葉がわかったとはとても言えません。

ただ、どういうわけか、そこで語られていることが

真実だということが直覚されてしまったのです。

それは比較的論理性の勝ったpariパターンの

急所を直撃した遅効性の何かだったのかもしれません。

それが真理であることは直覚されましたが、

と同時にそれは、

個人の人格が知りたがるような真実でもなかった。

pariパターンとしては

メッセージをうわべでなぞるのに吝かではないが、

けっしてそれを受け取るつもりはなかったでしょう。

メッセージ自体は単純ともいえます。

──────────────────
 何もすることはないのだ。
 ただ在りなさい。
 何もしてはいけない。
 在りなさい。
 山に登って洞窟のなかに座ることはない。
 わたしは「あなた自身で在りなさい」とさえ言わない。
 なぜなら、あなたはあなた自身を知らないからだ。
 ただ、在りなさい。
 あなたは知覚可能な「外側」の世界でもなければ、
 思考可能な「内側」の世界でもない。
 あなたは身体でもマインドでもないことを見極めたのだ。
 ただ在りなさい。
 
 『私は在る』(p349)
──────────────────

ただこれだけのことです。

しかし、このメッセージは

出会ったpariパターンがそのまま飲み込めるようなものでは

もちろん、ありませんでした。

そしていまだに飲み込めてなどいません。

だから、pariパターンとしては

こういうメッセージは、ありがたく神棚の上に祭り上げて

そのまま聞こえなかったことにしたかったでしょう。

それでも、一週間に一度は

こうして土曜日がやってきて、

自分なりに本当に本当だと思うことを

知ったかぶりで喋り散らす時間が巡ってくる。

しかし、どんなふうに喋り散らそうにも、

基本テクストが決まっているのだから、

それからそれることはできません。

いずれにしろ、鼻面は完全につかまえられました。

いちど聞いて、あとは忘れてしまえるようなものではない。

──────────────────
 ここで語られた真理は不動の、
 永遠のものだ。
 そしてその証拠は聞き手のなかに、
 彼の存在全体における深い永続的な変化のなかにあるのだ。
 彼自身の自己の存在を疑わないかぎり、
 その証拠は彼が疑えるようなものではない。
 わたしの体験があなた自身の体験となったとき、
 それ以上の証拠をあなたは求めるだろうか?
 
 『私は在る』(p376)
──────────────────

pariパターンのマインドは完全に捕まりました。

もっと希望に満ちた別の話に

自由に乗り換えるというようなわけにはいかない。

行く先は決まっているわけです。

最終的には止まるしかない。

ただ、途中でいかに脇見して、いかに長く油を売るか、

いかに無駄な動きをつづけるかしかない。

pariパターン(という架空の個人)としては

終始一貫、最善を尽くしています。

なにしろ、架空のとは言え、

いのちがかかってますから。(*^_^*)

それが……、

──────────────────
 解放への道には何も立ちはだかっていない。
 そしそしてそれは今ここで起こることができる。
 だが、あなたはほかのことにもっと興味がある。
 そしてあなたはその興味と闘うことはできないのだ。
 あなたはそれとともに行き、それを見抜き、
 それが単に判断と賞賛の誤りであることを、
 それ自体が自ら暴くのを見守らなければならないのだ。
 
 『私は在る』(p475)
──────────────────

ということでしょうね。

夢のなかで道草を喰うには、

“他人が存在する”という幻想を最大限に利用することです。

“他人”こそが幻想の最たるものなのですから。

“他人”がいるかぎり現実はあり、物語が展開する。

眼前に展開する現実をリアルだとするかぎり、

いつまでも夢を見つづけることができます。

しかし、残念ながら肉体年齢の関連もあって

pariパターンの場合は、

リアルな現実を楽しみたいエネルギーがあまりない。

エネルギーはなくても、

マインドは元気だからまだまだと思っていたけれど、

さてそれもいつまでつづくか……。

> 何もすることはないのだ。
> ただ在りなさい。
> 何もしてはいけない。
> 在りなさい。

なんか、もうそれでいいような感じもある。

(土曜日だけのことですけどね。(*^_^*) )

──────────────────
 山に登って洞窟のなかに座ることはない。
 わたしは「あなた自身で在りなさい」とさえ言わない。
 なぜなら、あなたはあなた自身を知らないからだ。
 ただ、在りなさい。
 あなたは知覚可能な「外側」の世界でもなければ、
 思考可能な「内側」の世界でもない。
 あなたは身体でもマインドでもないことを見極めたのだ。
 ただ在りなさい。
 
 『私は在る』(p349)
──────────────────

そう、たしかに、見極めた。

身体が自分でないことはずいぶん前から理解していたけれど、

自分が考えていることが自分でないとは

マハラジから教わるまで知らなかった。

でもいちど聞いてしまったら、

もう忘れることができるようなことじゃないです。

> あなたは知覚可能な「外側」の世界でもなければ、
> 思考可能な「内側」の世界でもない。

はい。(-_-)

> あなたは身体でもマインドでもないことを見極めたのだ。

わたしはこの身体だ、という観念にも、

わたしはこうして浮かぶ想念だ、という観念にも、

どちらにももうエネルギーを注ぐことはできません。

> ただ在りなさい。

だから、残ったこの【ただ在る】ことだけは、

しっかりと避けつづけてきた。

まあ、賢いふりがしたいマインドとしては

できることはそれしかないでしょう。

でも……。

──────────────────
 あなたが在るということ以上に、
 あなたを幸せにすることのできるものはない。
 幸福へのすべての探求が不幸のもととなり、
 より多くの不幸を導くのだ。
 価値のある唯一の幸福とは、
 意識的存在の自然な幸福だ。
 
 『私は在る』(p335)
──────────────────

> あなたが在るということ以上に、
> あなたを幸せにすることのできるものはない。

なんとなく……こんな言葉が浸透しはじめてきたような。

> 幸福へのすべての探求が不幸のもととなり、
> より多くの不幸を導くのだ。

これまでのところは、

どうやらそのとおりのようなのです。(;_;)

> 価値のある唯一の幸福とは、
> 意識的存在の自然な幸福だ。

【在ること】以外に何も求めない

意識的存在の自然な幸福……。

だんだん攻め込まれますねぇ。

元々できることなど何もなかったのだけれど……。

それでも元々存在もしないただの架空の誤解が

少しずつどこかで崩壊しはじめているような……。

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
──────────────────

(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


       ………○…………○…………○………


▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


       ………○…………○…………○………


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.編集後記:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

あらためて書きたいことなど何もありません。

ただ生活だけを考えてあたふたしながら、

あとはぼんやりしていればいいのかもしれません。

というか、それしかできなくなりつつある。

まあ、歳相応ということでしょうか。

起こることが起こる。

仕方ありません。

今日は昏くなりました。

おやすみなさい。

<(_ _)>


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
------------------------------------------------------------
このメールマガジンは二つの配信スタンド
「まぐまぐ」は:http://www.mag2.com/m/0000126287.html
「melma」は  :http://www.melma.com/backnumber_110091/
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
Copyleft(C)2017 paritosho
------------------------------------------------------------