home > 通信 >『アセンション館通信』第673号:澄みきった気づきの空問



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2017/03/05(第673号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

 苦痛から欲望が生まれ、苦痛のなかで欲望を満たそうとする。

 世界の根本原因は自己愛である。そのために私たちは快楽を探し
 求め、苦しみを避ける。自己愛を真我への愛に変えなさい。
 すると画面は変わってくる。(ニサルガダッタ)

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在874名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.澄みきった気づきの空問

2.いただいたお手紙から:komalaさん

2.編集後記
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■ 1.澄みきった気づきの空問
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また土曜日ですね。

三月の第一土曜は地元ではお祭りがあります。

お祭りといってもたいそうなものではなくて

ただ御輿を担いで回ってくるのです。

出不精な人間なので

ほとんど見にいくことはありませんが……。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、

お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

夢の世界のなかでは誰もが夢を見ています。

だから、もしそれができるのなら、

言い換えると、自己同一化状態が許すのなら、

夢の文脈のなかで幸せになろうとする必要もない。

その夢の光景とは無関係にただ幸せであればいいわけです。

土曜日になったからと言って

急にこんな実力不相応の話をするのは

もちろん、気がひけるようでもあります。

ただちょっと開き直った言い方をするなら、

本来の自由を行使しているだけのようでもあります。

こういう言葉があります。

──────────────────
 15 澄みきった気づきの空問
 
 1
 学んできた道が何であれ
 心の澄んだ人は
 自己を実現するに至る
 
 世俗の者たちは
 一生かけて求めつづけながら
 いまだに途方に暮れている
 
 『Ashtavakra Gita』(p098) 
──────────────────

わたしは、律儀にも

> 一生かけて求めつづけながら
> いまだに途方に暮れている

世俗の者たちの姿を演じつづけているパターンです。

それは間違いありません。

でも一方で、じっくり吟味してみれば

実際は、そのような物語とその“あり方”に

ただ気づいているだけであるのも事実です。

この気づいていることがなければ、

どんな世俗の物語も、

いまだに途方に暮れているあり方も

もともと存在できないわけですから。

この身体が自分だということにしたとしても、

この身体が誕生した最初から、

自分がいたわけでないことも自明のことです。

最初はただ

純粋に気づいていることだけが在ったでしょう。

でもその気づきはこれから夢を見ようとして、

この夢の世界の細部に夢中になるための

準備をしていたのだとは言えるかもしれません。

「夢を見る」とは、

“パターン認識のモードに入ること”だと言えます。

眼前に展開する風景を解釈し、理解して、

それをひとつの物語として体験することです。

しかし物語を体験するためには

眼前に展開する風景のなかに

物語を成立させる立場をもたなければなりません。

つまり、物語を体験するとは

現象世界のなかに立場を持つということなのです。

あたかも顕現のなかに

顕現を知覚できる立場がありうるかのように。

これが「聖なる催眠」とか、

「分離の幻想」と呼ばれるものでしょう。

しかしこのパターン認識のモードに

長く入りつづけ、体験しつづけていると、

四六時中走査しつづける

このパターン認識モード自体が

眼前に展開している現象を認識しているかのような

誤解が起こってしまうわけです。

しかし実際は、

このパターン認識モード自体が

知覚可能なひとつの気づきの対象として、

気づかれている現象にほかならないのです。

主体である“パターン認識モード”が

客体として現れている現象を認識しているわけではありません。

つまり、顕現自体をいくら細分化しても、

それはすべて顕現のなかで起こっている

想像にすぎないということです。

あらゆる知覚可能な現象は

すべて風景として現れている見かけであり、

またそれらの現象の意味は

すべて内面に現れる構造化作用とでもいうか

まあ、普通の言葉でいう「想像」にすぎません。

──────────────────
 そこには想像があるだけだ。
 知性とエネルギーは、
 あなたの想像のなかですべて使い果たされてしまった。
 あなたはまったく想像に夢中にさせられてしまったため、
 どれほど実在から遠く離れてさまよい歩いたのかさえ
 わからなくなってしまったのだ。
 想像が豊かな創造力であることに疑いはない。
 宇宙のなかの宇宙も、
 想像によって構築されているのだ。
 それにもかかわらず、
 それらはみな空間と時間、過去と未来のなかにあり、
 実際は存在しないのだ。
 
 『私は在る』(p306-307)
──────────────────

まあ、一週間にいちど

賢者の口真似をしているだけですが、

ゆっくり変化も起こっているのでしょう。

十年前にはこんな言葉は

とうてい理解不可能な不思議な言葉と聞こえたものです。

でも、いま聞いてみれば、

すべてごく端的平明な叙述ではありませんか。

すべての知覚可能な現象は気づきのなかで起こっている。

疑問の余地のない事実ではないでしょうか。

ただ、それが知的に理解されたからと言って

気づきのなかで起こっている現象に対する

自己同一化が起こらないというわけでもありません。

というか、実際に起こりつづけているわけです。

現象に対する自己同一化が起こるということは、

現象が現象自体として独自に存在しているという

誤解が起こっているということです。

しかし実際は、

現象自体のなかには存在根拠はありません。

現象はわたしが気づいているから起こりえている。

わたしが見ている光景はすべて

わたしによって支えられていて

わたしが存在していることを傍証しているだけです。

そうでありながらも、じつは、

──────────────────
 あなたの存在を証明できるものは何もないのだ。
 なぜなら、他者の存在も
 あなたによって確認されなければならないからだ。
 あなたは完全に、
 あなた自身によって在るのだということを覚えておきなさい。
 あなたはどこからも来なかったし、
 どこへも行かない。
 あなたは時間を超えた存在、
 そして気づきなのだ。
 
 『私は在る』(p178)
──────────────────

(-||-)

完全に自律的に存在しているのはわたしだけです。

にもかかわらず、

そのわたしは自由ではないつもりなのです。

──────────────────
 2
 感覚に囚われなければ
 あなたは自由だ
 
 囚われれば
 あなたは束縛される
 
 これを悟れば
 あなたは思うままに生きる
 
 3
 これを悟れば
 利口でせわしく
 言葉巧みな人も
 静かになる
 
 彼は何もしない
 彼は静かだ
 
 この世の快楽に耽りたい者たちが
 これを理解したがらないのも無理はない!
 
 『Ashtavakra Gita』(p099)
──────────────────

なんと……。(-_-)

──────────────────
 4
 あなたは身体ではない
 身体はあなたではない
 
 あなたは行為者ではない
 それを楽しむ人でもない
 
 あなたは純粋な気づき
 すべてのものごとを見守る観照者だ
 
 期待もせず
 自由だ
 
 どこへ行こうと
 幸せでありなさい!
 
 『Ashtavakra Gita』(p100)
──────────────────

> あなたは身体ではない
> 身体はあなたではない

身体は気づきのなかで起こっている。

気づきに支えられてこそ

現象は起こりうるのだから。

しかし身体が独自の存在をもっていると誤解されるとき

身体への自己同一化が可能になる。

すると、わたしは行為者として現れる。

> あなたは行為者ではない

実際は、現象として起こる行為はあっても

それは現象世界のなかの自然現象、

単なる見かけにほかならない。

行為者という独自の実体が存在しているわけではない。

わたしという気づきのなかで

身体や想念が独自に存在しているかのような

自惚れが、つまり誤解が起こっているだけ。

> それを楽しむ人でもない

体験を楽しんでいる人という見かけに対する

わたしの権限委譲が起こっているだけ

わたしの自己同一化が起こっているだけ。

その体験を楽しんでいる人は

わたしという気づきのなかで現れているだけ。

> あなたは純粋な気づき
> すべてのものごとを見守る観照者だ

わたしはすべてを見ているだけ。

しかし、現れている現象に権限委譲することができる。

現象に自己同一化することができる。

> 期待もせず
> 自由だ

もし、気づきであるわたしが

どんな現象にも自己同一化することがなければ、

わたしが気づいている見かけのなかに

どんな期待もすることがなければ

わたしは見かけのなかにあって

見かけに拘束されることはない。

わたしは自由だ。

> どこへ行こうと
> 幸せでありなさい!

すべてはわたしに支えられて

わたしという気づきのなかで現象している。

わたしのエネルギーが

見かけのなかに流れ出さなければ

どんな見かけのなかにあっても

わたしはつねに自由だ。

あらゆる現象はつねに

単なる見かけでしかないのだから。

過去も、未来も、いまも、永遠に。

──────────────────
 17
 あなたは純粋な気づき
 
 世界はただの幻にすぎない
 
 これを悟れば
 欲望は消え去る
 
 あなたは平和を見いだしたのだ
 なぜなら、本当に
 何も存在しないのだから
 
 『Ashtavakra Gita』(p107)
──────────────────

(-||-)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
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(-||-)

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 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


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■ 2.いただいたお手紙から:komalaさん
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▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


       ………○…………○…………○………

今回、久しぶりにkomalaさんからご投稿をいただきました。

さっそく、ご紹介します。

【件名】: なるほどね。(*^_^*) /
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 いつも、ありがとうございます。
 komalaパターンです。(*^_^*) /
 
 ***
 夢のなかで道草を喰うには、
 “他人が存在する”という幻想を最大限に利用することです。
 “他人”こそが幻想の最たるものなのですから。
 “他人”がいるかぎり現実はあり、物語が展開する。
 眼前に展開する現実をリアルだとするかぎり、
 いつまでも夢を見つづけることができます。
 
 ***
 
 なるほどね。
 たしかにそうですね。
 
 もう、つたえようとして、
 ことばを探さなくてもいいのですね...。
──────────────────

komalaさん、ありがとうございます。

お互いに、形を思えば、

他人ですよね。(*^_^*)

でも、それは物語のなかのことですね。

よかったら、また夢のなかで、

ときどき投稿などしてください。(^人^)

m(_ _)m

       ………○…………○…………○………


▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


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■ 3.編集後記:
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賢者の口真似というのもやってみるもので、

いつの間にか、真似なのか、自前なのか

そんな区別もつかなくなります。

いわゆる人為と言われるものも

すべてはけっきょく、自然現象なのだと思います。

自然現象のなかで、

すべては静かになっていくのでしょう。

おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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