home > 通信 >『アセンション館通信』第674号:マインドと世界はひとつだ



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2017/03/12(第674号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

 苦痛から欲望が生まれ、苦痛のなかで欲望を満たそうとする。

 世界の根本原因は自己愛である。そのために私たちは快楽を探し
 求め、苦しみを避ける。自己愛を真我への愛に変えなさい。
 すると画面は変わってくる。(ニサルガダッタ)

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在873名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.マインドと世界はひとつだ

2.編集後記
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■ 1.マインドと世界はひとつだ
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また土曜日。

今日は、311と言われる日ですね。

少し寒いようです。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、

お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

なんでこんなものがあるんだろう?

そう思って始まった探求でした。

ただあるからあるだけです。

それ以外の理由などあるはずもないし、

たとえあったとしても、そんなものはすべて

時間を前提に想像された観念でしかないでしょう。

地上で打ち出された弾丸の着地点が、

出発点と方向と初速で定義されているように、

空想上の疑問が到達する結論も、

その疑団が持つ方向とエネルギーによって

予め定義されているのでしょう。

ただ、ロケットに積んだエネルギーが充分にあれば

そのロケットが地球の引力圏を脱出するように、

疑団のエネルギーが充分に大きければ

その疑団はマインドの気圏を脱出するのかもしれません。

いずれにせよ、起こるべきことが起こっている。

起こしている誰もいなければ、

振り回されている誰かがいるわけでもありません。

pariパターンの場合なども、

マインドの“こんぐらかり”が究極の意味を求めました。

あまり真面目に求めたものだから、

意味そのものが崩壊してしまった。(*^_^*)

マインドの気圏に想像以外の

どんな意味も理由も目的もないことはよくわかりました。

にもかかわらず、

疑団のエネルギーが足りなかったのか

そうなる運命だったのかそれはわかりませんが、^^;

まだマインドの気圏で油を売っていて

ノーマインドのなかに安らぐということも起こっていません。

でも、文句があるわけでもない。

起こるべきことが起こっているだけです。

今起こっている状態と別の状態を望むという

そういう積年の癖は残っているけれど、

もうそれほど真面目に望んでいるわけでもありません。

何かを真面目に望むという機能自体が

かなり損傷してしまったのでしょう。

だから、マハラジの次のような言葉が

そのまま素直に飲み込めてしまいます。

──────────────────
 因果関係の概念に取りつかれたマインドが創造を発明し、
 そして「創造者は誰なのか?」と不思議がるのだ。
 マインド自体が創造者だ。
 これさえもまた完全な真実ではない。
 なぜなら創造されたものと創造者はひとつだからだ。
 マインドと世界はひとつだ。
 あなたが世界として考えているものは、
 あなた自身のマインドなのだということを理解しなさい。
 
 『私は在る』(p521)
──────────────────

> マインドと世界はひとつだ。

マハラジが嘘を言うはずがないので、

この言葉が真実であることは

まあ、最初からわかっていました。

しかし、最初からシックリ来たわけではない。

その理由は、その前にある言葉

> マインド自体が創造者だ。

という言葉のイメージが鮮明でなかったからです。

【マインド自体が創造者だ】とは、

具体的には、われわれの関心が

現象世界の次の展開を呼び出すということです。

それは世にいう「引き寄せの法則」、

つまりエゴの都合に引き寄せた宇宙法則の解釈が

どれほど有効かなどとは関係ないことです。

自分の表面的“願い”が叶うかどうかはわからない。

しかし、その場面を呼び出したのが、

あるいは、その場面に注目しているのが、

自分の関心ではないと言える人はいないでしょう。

自分の関心が現象世界の次の展開を呼び出しているのは、

まったくもって疑いようがありません。

その“自分の関心”をマインドと呼ぶなら、

疑問の余地なく【マインド自体が創造者】なのです。

マインドとは一瞬一瞬にわき起こる想念です。

“一瞬一瞬にわき起こる想念”が

現実を、世界を創造している。

もちろん、

表現媒体としての“わき起こる想念”に

現実を創造する力、現象世界を創造する力はない。

なぜなら、“わき起こる想念”自体は

【見かけ】(表現媒体)の一部にすぎないから。

では何が現実を創造しているのか?

> 関心をもっているのはあなたなのだ!(p488)
 
その“一瞬一瞬にわき起こる想念”に

フォーカスしているのはわれわれなのです。

では、そのわれわれとは何なのか?

たったひとつ実在している

意識エネルギー以外にあるはずもない。

> マインドと世界はひとつだ。

波立ちにフォーカスしているのは

意識エネルギーであるわたしです。

> あなたが世界として考えているものは、
> あなた自身のマインドなのだということを理解しなさい。

世界として立ち現れているのは、

波立ちにフォーカスしている自分自身であることを理解しなさい。

マインドに気づいているという語法を使うなら、

あたかも「マインド」と「気づき」という

二つの別のものが存在するようにも聞こえます。

しかしそれは、「気づき」と離れて

「マインド」が存在しうるという意味ではない。

──────────────────
 あなたは想像のなかで
 世界を夢のように創造している。
 あなたがあなた自身を夢から分離できないように、
 あなた自身から独立した
 外側の世界を持つこともできないのだ。
 独立しているのは、世界ではなくあなただ。
 
 『私は在る』(p471)
──────────────────

マハラジはこの言葉のなかで

意識エネルギーの二つの側面、

【見かけ】と「気づき」の独立性について語っています。

つまり、

【見かけ】は「気づき」なしには存在できないが、

「気づき」は【見かけ】がなくても存在しているのだと。

> あなたは想像のなかで
> 世界を夢のように創造している。

あなたはわき起こってくる想念にフォーカスして

様々な【見かけ】を引き寄せている。

> あなたがあなた自身を夢から分離できないように、
> あなた自身から独立した
> 外側の世界を持つこともできないのだ。

しかし引き寄せた【見かけ】がら自分を切り離せないように。

あなたが注意を向けない世界を存在させることもできないのだ。

> 独立しているのは、世界ではなくあなただ。

なぜなら、世界という【見かけ】を存在させているのは

あなたの関心と注目であり、

実在しているのは、世界という【見かけ】ではなく

「気づき」であるあなたのほうだからだ。

存在しているのは唯一無二の<意識の海>です。

そこには<水>しかないとも言える。

しかし、<意識の海>が波立つとき、

それは世界という【見かけ】を現象させる。

とはいえ、波立ちが【見かけ】として現象できるのは、

それが<水>だから、「気づいている」からです。

波立ちとして現れる【見かけ】は、

つかの間の姿でしかありえない。

しかし、<意識の海>が気づいていることは永遠です。

<意識の海>で唯一確かなことは

気づいているということです。

波立ちという【見かけ】が存在を保証しているのではなく、

「気づいている」ことが存在の証なのです。

つまり、気づいていることが

存在していることなのです。

──────────────────
 存在の静かな状態が至福なのだ。
 乱された状態が世界として現れる。
 非二元性のなかには至福がある。
 二元性のなかには体験がある。
 来ては去っていくのは苦痛と快楽の二元性の世界だ。
 至福とは知られるものではない。
 人はつねに至福なのだ。
 しかし、けっして至福に満ちているのではない。
 至福とはひとつの属性ではないのだ。
 
 『私は在る』(p124-125)
──────────────────

> 存在の静かな状態が至福なのだ。

水が水であることを知っていること、

自分が存在していると知っていることが至福なのです。

> 乱された状態が世界として現れる。

<意識の海>の波立ちが世界として現れる。

> 非二元性のなかには至福がある。

自分が<水>であると知っていることのなかに至福がある。

> 二元性のなかには体験がある。

自分が波立つ【見かけ】の中にいると思ったとき

そこに体験がある。

> 来ては去っていくのは苦痛と快楽の二元性の世界だ。

波立つ【見かけ】の世界に自己同化すると、

多数に分裂した苦痛と快楽の「分離の幻想」が起こる。

> 至福とは知られるものではない。

至福とは知覚の対象として体験できるものではない。

> 人はつねに至福なのだ。

意識しようとしまいと人はつねに<水>なのだ。

自分が<水>であること、

すべての源である気づきだと知っていることが至福なのだ。

> しかし、けっして至福に満ちているのではない。

けっして至福という状態にいることではない。

> 至福とはひとつの属性ではないのだ。

至福とは状態ではないのだ。

──────────────────
 要点をつかみなさい。
 世界と自分はひとつであり、
 完全なのだということを。
 誤りはあなたの姿勢にあり、
 そこに再調整の必要があるのだ。
 
 『私は在る』(p158)
──────────────────

世界はあなたであり、

完全なのだということを知りなさい。

誤りは、あなたが自分を

世界のなかの個人だと思っていることだけだ。

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
──────────────────

(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


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■ 2.編集後記:
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> あなたが世界として考えているものは、
> あなた自身のマインドなのだということを理解しなさい。

わたしの世界は、

わたしが関心を向けて呼び寄せているものであることが

これではっきりしました。

しかし、そういう理解が腑に落ちたからと言って、

ただちに完全な無欲になれるわけでもない。

一瞬のマインド状態が何を呼び出せるものでもないからです。

その意味では、個人の自覚がつづくかぎり、

トニー・パーソンズがいう以下の状態は起こりつづけます。

──────────────────
 一人の個人として存在しながら
 人生を切り抜けていくという、
 見かけ上の経験に閉じ込められたままでいるかぎり、
 私たちは夢を見ている状態で生きている。
 
 その夢見の状態においては、
 何をしようとすべては見かけの上で
 相対の法則に支配されていて、
 その法則により、
 いわゆる肯定的行為は
 それと釣り合う正反対の行為によって
 寸分の狂いもなく相殺される。
 
 『オープン・シークレット』(p1)
──────────────────

現象世界は厳密な「二元性の原理」に基く

宇宙全体のバランスに沿って

マインドの中で生起しつづけるのでしょう。

【見かけ】がそれ自体で破綻することはありません。

──────────────────
 解放への道には何も立ちはだかっていない。
 そしそしてそれは今ここで起こることができる。
 だが、あなたはほかのことにもっと興味がある。
 そしてあなたはその興味と闘うことはできないのだ。
 あなたはそれとともに行き、それを見抜き、
 それが単に判断と賞賛の誤りであることを、
 それ自体が自ら暴くのを見守らなければならないのだ。
 
 『私は在る』(p475)
──────────────────

> それが単に判断と賞賛の誤りであることを、
> それ自体が自ら暴くのを見守らなければならないのだ。

(-||-)

けっきょくすべては自然現象なのだと思います。

自然現象のなかで、静かになるべきものは、

静かになっていくのでしょう。

今日はまだ明るいです。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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