home > 通信 >『アセンション館通信』第678号:夢は実在の表現ではない



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2017/04/09(第678号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

 苦痛から欲望が生まれ、苦痛のなかで欲望を満たそうとする。

 世界の根本原因は自己愛である。そのために私たちは快楽を探し
 求め、苦しみを避ける。自己愛を真我への愛に変えなさい。
 すると画面は変わってくる。(ニサルガダッタ)

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在861名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.夢は実在の表現ではない

2.編集後記
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■ 1.夢は実在の表現ではない
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今日は静かな霧雨が降っています。

右側に白く滲むかすかな山陰以外は

庭の向こうはほとんど何も見えません。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、

お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

だんだん地味な心境になってきますね。(*^_^*)

当たり前のことが当たり前になってくるというのか、

世界の方には何の問題もなくて、

ときどき自分が気にするときだけ問題が現れる。

そんなことがあまりにも自明になってくるようです。

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 マインド自体が創造者だ。
 これさえもまた完全な真実ではない。
 なぜなら創造されたものと創造者はひとつだからだ。
 マインドと世界はひとつだ。
 あなたが世界として考えているものは、
 あなた自身のマインドなのだということを理解しなさい。
 
 『私は在る』(p521)
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> あなたが世界として考えているものは、
> あなた自身のマインドなのだということを理解しなさい。

こんな言葉に納得する日がこようとは。

ありがたいことです。(-||-)

これでも昔はけっこう、

イワン・カラマーゾフの言葉に共振して、

世界を糾弾することもできたんですけどね。

今ではマハラジになだめられて、

すっかり覇気をなくしてしまいました。(*^_^*)

自分が気にするときにだけ

問題が現れるというのは、

どう考えても自明じゃないですか。

だったら、実際、

自分が気にするときにだけ

世界が現れるというのも、

自明になってくるのでしょうね。

これはもう

引き返しようのないプロセスなんだと思います。

いついつのころの自分に戻りたい、

そんな思いが湧くことはもうありえないですね。

そのいついつのころの自分が

こうしてこのいまの【見かけ】に至ったことは

どうにも否定しようのない事実ですから。

これから起こる【見かけ】の変化は、

この今の【見かけ】に対する欲望から生まれるものです。

そうして顕れてくる【見かけ】のなかで

その欲望が実現するかどうかはまた別の話です。

でも、その【見かけ】に関心をもつかぎり、

その【見かけ】は問題の種になりうるでしょうね。

その【見かけ】というのは、

いわゆる外界と言われる形態上の【見かけ】だったり、

その外界に対する心理的反応として浮上するようにみえる

いわゆる内面と呼ばれる想念上の【見かけ】だったりでしょうが。

いずれにしろその【見かけ】はつかの間の光景です。

現れては消えていくだけです。

それがどんな【見かけ】であれ、

それは現象世界の固有の構造のなかで実現している。

たとえば、わたしが満足するためには、

不満である誰かの存在が必要になるというように。

対比のなかで実現する現象世界は、

その構造体内のひとつの立場に自己同化した気づきを

満足させるために存在しているわけではないからです。

──────────────────
 マインドは放っておきなさい。
 それだけだ。
 それについていってはならない。
 結局、あなたの法則ではなく、
 それ自体の法則に従って去来する想念を離れて、
 マインドというものは存在しないのだ。
 ただあなたが興味を持つために、
 マインドに支配されてしまうのだ。
 
 『私は在る』(p366)
──────────────────

(-||-)

> あなたの法則ではなく、
> それ自体の法則に従って去来する想念

【見かけ】のなかで起こることはすべて、

【見かけ】を構成する構造体内部の必然性にしがたって

現象しているのでしょう。

この【見かけ】構造体の変化を駆動するのは

【見かけ】構造体内部に発生する個々の欲望でしょうね。

しかし、

それら個々の欲望がその望みを達成できるわけではない。

(もっとも、

 いわゆるスピリチュアルゴシップの中には

 そういう類の天界もあるという噂もあります。

 つまりそこでは自分望みがすべてかなって、

 それ故にそこではどんな成長も起こらないとかいう話です。

 言ってみれば、

 幻想付きサマーディといった感じの世界でしょうか。)

霊的成長そのものが幻想だという観点に立てば、

その幻想付きサマーディでいいじゃないか、とも思えます。

しかし、実際には、

体験自体に興味をもっているかぎり、

その幻想付きサマーディは永遠ではありえないわけで、

いつかは、こうしてわれわれが現在観ているような、

こういう夢に入ってこなければならないわけです。

われわれが見ているような夢のなかでは

個々の欲望がその意図を実現しつづけるドラマ展開など

まずは起こりません。

どんなドラマ展開のなかでも

じつは自分が永遠に存在していることを

自分のどこかが知っているのと同じように、

個々の欲望がその意図を実現しつづけるドラマ展開など

いくらなんでもあまりにも嘘っぽすぎることを、

自分の何かが知っているからでしょう。

われわれが眠って見る個人的夢ですら、

必ずしも夢見る個人に都合よくばかりは展開しません。

それは

個人が累積している経験情報(潜在意識)ですら、

相互に対立・矛盾する個人的意図を全部実現させるのは

いくらなんでも無理なことがわかっているからでしょう。

寝て見る夢も、目覚めて見る夢も、

夢見る自分が満足する展開ばかりは起こりません。

夢の中身を思いのままにはできないのです。

──────────────────
 夢は同じではない。
 だが、夢見る人はひとりだ。
 ……
 私は夢の内側と外側だ。
 頭痛もちの人がその痛みを知り、
 また自分がその痛みではないことを知っているように、
 私も夢を知り、私自身が夢を見、
 また見ないことを同時に知っている。
 私は私で在る。
 夢の前も、夢の間も、夢の後も。
 だが、私が夢のなかで見ることは、
 私ではないのだ。
 
 『私は在る』(p135)
──────────────────

> 私は私で在る。
> 夢の前も、夢の間も、夢の後も。

夢の前も、夢の間も、夢の後も、

わたしはずーっと存在している。

そしてその夢が起こることを可能にしている。

> だが、私が夢のなかで見ることは、
> 私ではないのだ。

【だが、私が夢のなかで見ることは、私ではない】

しかし、それにもかかわらず、

わたしは夢の中身に興味を持ってしまう。

その結果起こるのが……。

> ただあなたが興味を持つために、
> マインドに支配されてしまうのだ。

だがその夢はけっして、わたしから離れて

何処かに実在しているわけではない。

わたしなしには夢は存在できないのだから。

夢の存在を可能にしているのはわたしです。

なのに、外界や内面として浮上する【見かけ】に

わたしが興味を持つばかりに、

わたしはその【見かけ】に支配されてしまう。

──────────────────
 夢に現実性を与えるかぎり、
 あなたはそれらの奴隷だ。
 ある特定のものとして生まれたと想像することで、
 あなたは特定のものとして在ることの
 奴隷になってしまう。
 あなた自身を過程として、過去と未来、
 そして物語をもつ者として想像することは
 奴隷状態の本質なのだ。
 実際には、私たちに物語はない。
 私たちは過程ではなく、発展もせず、崩壊もしない。
 すべてを夢と見て、動じずにいなさい。
 
 『私は在る』(p207)
──────────────────

> 夢に現実性を与えるかぎり、
> あなたはそれらの奴隷だ。

そうなるしかないわけです。

> ある特定のものとして生まれたと想像することで、
> あなたは特定のものとして在ることの
> 奴隷になってしまう。

なるほど。(-_-;)

> あなた自身を過程として、過去と未来、
> そして物語をもつ者として想像することは
> 奴隷状態の本質なのだ。

わかりました。

> 実際には、私たちに物語はない。

【実際には、わたしに物語はない】

> 私たちは過程ではなく、発展もせず、崩壊もしない。

【わたしは過程ではなく、発展もせず、崩壊もしない】

> すべてを夢と見て、動じずにいなさい。

(-||-)

さまざまな【見かけ】に意味を想像すること、

それこそが夢を見ることでしょう。

なぜなら

【見かけ】は構造体内部の論理によって捏造されるもので

【見かけ】のなかに実在が反映されるわけではないからです。

──────────────────
 質問者 非実在は実在の表現ではないのでしょうか?
 
 マハラジ
 どうしてそうありえよう?
 それは、あたかも
 真理は夢のなかでそれ自体を表現すると言うようなものだ。
 実在にとって、非実在は存在しない。
 あなたがそれを信じるために、
 それは実在として現れるのだ。
 疑ってみなさい。
 そうすればそれは消え去る。
 
 『私は在る』(p352)
──────────────────

> 質問者 非実在は実在の表現ではないのでしょうか?

そう、そんなことを想像していたものでした。

> マハラジ
> どうしてそうありえよう?
> それは、あたかも
> 真理は夢のなかでそれ自体を表現すると言うようなものだ。

フ。(*-_-*)

> 実在にとって、非実在は存在しない。

実在は、この【見かけ】を関知しない。

> あなたがそれを信じるために、
> それは実在として現れるのだ。

この【見かけ】をつかの間の実在にするのは

わたしの【見かけ】に対する関心。

> 疑ってみなさい。
> そうすればそれは消え去る。

【見かけ】に対する関心が滅ぼされたとき

【見かけ】は消える。

……。

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
──────────────────

(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
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ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
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おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
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というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


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■ 2.編集後記:
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こうして埒もない文章を書いている間、

実在は永遠に待っているのでしょう。

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 変化するものは変化しつづける。
 その間、不変なるものは待ちつづけているのだ。
 変化するものが不変なるものへとあなたを連れていくと、
 期待してはならない。
 それはけっして起こらない。
 変化という観念自体が偽りとして見られ、
 放棄されたときにのみ、
 不変なるものがおのずと現れるのだ。
 
 『私は在る』(p541)
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しかし夢の登場人物が夢を加速することはできません。

愚かさが愚かさ自体を展開して、

愚かさの終焉に至るのを見届けるしかありません。

その前に肉体が滅びるのなら、

それもまた仕方のないことです。

今日も暗くなりました。

お休みなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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