━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2017/04/23(第680号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。
苦痛から欲望が生まれ、苦痛のなかで欲望を満たそうとする。
世界の根本原因は自己愛である。そのために私たちは快楽を探し
求め、苦しみを避ける。自己愛を真我への愛に変えなさい。
すると画面は変わってくる。(ニサルガダッタ)
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在862名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.誰が、何を、何のために求めるのか?
2.編集後記
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■ 1.誰が、何を、何のために求めるのか?
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ここの夢で見える風景としては
今が一年中でいちばん華やかな景色です。
薄明るい曇天の下、
正面のピンクの花桃に加えて、
向かって左手の微かに赤みを交えた白い八重桜が
まだ花をつけています。
(*^_^*)
さて、またまた一週間が過ぎて、
楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、
お付き合いいただく今がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人の pari です。
今も昔もこれからも
存在は永久に不動のゴールに確立していて、
あるがままのこのほかにどうにかなろうとはしていません。
存在は存在しながら同時に無でもあるからです。
在るということには対極がありません。
存在があらゆる定義を受付けないのはそのためです。
存在であり無であるものをどう定義できるでしょうか?
だから、ある意味では、
無は想像のなかにしかないとも言えます。
その意味では、無がありうるためには、
虚構を想像する能力が必要になります。
それが思考であり、マインドでしょう。
古来インドの伝統で「常在」を描写してきた言葉
サット−チット−アーナンダ(存在−意識−至福)の
「意識」と描写されたパワーに属する能力
ということになるでしょうか。
だから、あえて論理的に言うなら、
実在のこの意識的権能のなかに知覚能力があり、
現象世界はこの知覚能力を根拠にして存在している、
ということになるでしょうか。
ところが、
その知覚能力は「二元性原理」に拠って機能するため
知覚される世界(現象世界)には、
「知覚する者」と「知覚されるもの」の二元対立が潜在し、
「存在」と言えばすでに「非存在」が導入されており、
「幸福」は「不幸」の存在なしには成立できません。
これが、
現象世界が偽りの【見かけ】でしかありえない理由です。
この偽りの【見かけ】である現象世界では、
「知覚する者」に内在する存在感覚は
容易に、あるいは簡単な誘導によって、
【見かけ】のなかに発生する有機体がその知覚能力をもっている
かのような誤解を発生させます。
これが「自己意識」という誤解であり、
存在感覚がまとう「わたし」という衣装です。
これが分離の幻想と呼ばれるものであり、
「わたし」が抱える喪失感の原因でしょう。
その「わたし」は
知覚能力を根拠に発生する現象世界のなかで
迷子になり、途方に暮れて、
その喪失感を満たすための活路を
知覚が生成する【見かけ】の現象世界のなかで探そうとします。
この思考とよばれるシュミレーションが探索できるのは、
実際は、アーナンダの代替品としての幸福です。
かくて思考はつねに新たな未来(時間)を捏造しながら
その空想された未来のなかで
現象世界での【見かけ】の幸福を見いだすように
つねに新たな努力を呼びかけることしかできません。
サット−チット−アーナンダの遠い反響を求めて
どこまでも思考の盥回しに応じるべきだ、
とでも言うかのように。
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あなたの幸福への探求自体が、
あなたを惨めに感じさせているのがわからないだろうか?
『私は在る』(p258) http://tinyurl.com/s747u
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たしかに、わかりました。
思考のなかで一生かけて了解できることは、
すべてが架空であり、すべてが無駄だったのだと
知ることでしかありえません。(*^_^*)
しかし、同時に
それらすべてはまったく必要のないことでもありました。
なぜなら、
「わたし」はすでに現状として存在しており、
「わたし」が存在しなくなる恐れはありえないからです。
そしてもしその「わたし」が
存在しないことをのみ求めているというのなら、
「わたし」は何を、何のために求め、
何を、何のために恐れるというのでしょうか?
すべては、実在しているものの
つかの間の表現にすぎないというのに。(*^_^*)
誰が、何を、何のために求め、
誰が、何を、何のために恐れるというのか?
そしてそれもまた
あるがままの一瞬の【見かけ(表現)】にすぎません。
──────────────────
あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
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(-||-)
──────────────────
永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
──────────────────
……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
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■ 2.編集後記:
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どんな感覚が湧いてこようが、
すべては何でもないものがまとう
一瞬の【見かけ】なんですね。
薄明るい春の光に満ちているこの瞬間……、
桜の花びらがはらはらと舞い落ちています。。
どんな想念が湧いてこようとも、
それもまたひとつの光景。
それをまとっている誰かがいるわけでもない。
ただ自分がいると思っている幻想があるだけ。
今日は、もちろん、まだまだ明るいです。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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