home > 通信 >『アセンション館通信』第686号号:自然現象という表現



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2017/06/04(第686号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

 苦痛から欲望が生まれ、苦痛のなかで欲望を満たそうとする。

 世界の根本原因は自己愛である。そのために私たちは快楽を探し
 求め、苦しみを避ける。自己愛を真我への愛に変えなさい。
 すると画面は変わってくる。(ニサルガダッタ)

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在863名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.機会がそれ自体を差しだしているとき

2.いただいたお手紙から:andreさん【自然現象という表現】

3.編集後記
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■ 1.機会がそれ自体を差しだしているとき
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あまりはっきりしない曇りがちの天気。

気分はいいときもあればよくないときもある。

特に気分を意識しないときもある。

自分は気分じゃない。

その気分に気づいているもの。

気分に注意を払っていることもあれば、

気分のことなど何も意識していないときもある。

でも、「私は在る」。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、

お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

以前は土曜日になったら

書くことが噴出してきたものです。

最初の頃、そういう時期がありました。

でも、十年がかりでお喋りを放出してきたので、

今ではほんと、

爆発するように出てくるものなんて

何もないんです。

もしかしたらお陰さまで、

マインドの仕込み量より、

マインドの放出量のほうが多いのかもしれません。

それならおとなしく黙っていればいいのですが、

ついつい習慣でこうして

パソコンの前に向かったりしています。

でも、最初に何文字か書きだせば、

たいていは、何かかにか出てくるわけです。

でも、あまり出てこないときもあります。

そういうときは代わりに、こんな言葉が浮かんできます。

──────────────────
 質問者 人は実在を見いだすために、職業や社会的立場を
     放棄するべきなのでしょうか?
 
 マハラジ
 仕事をするがいい。
 自由な時間があるとき、内面を見なさい。
 重要なことは、
 機会がそれ自体を差しだしているときを
 逃してはならないということだ。
 もしあなたが真剣ならば、
 許された時間を最大限に使うだろう。
 それで充分だ。
 
 『私は在る』(p233)
──────────────────

> 重要なことは、
> 機会がそれ自体を差しだしているときを
> 逃してはならないということだ。

(>_<)

こんなことを言われてはかないません。(*-_-*)

まあ、でも、

わたしの“自分”という誤解は

十年間お喋りを放出してはじめて

やっとこういう言葉が聞こえてくるという

そんな現象だったということでしょう。

あなたは、

「魂」という言葉を信じますか?

わたしの場合は、

最初はよく意味がわかりませんでした。

でもそのうち意味が像を結びはじめると、

それとほとんど同時に、

そういうものがあるのが前提の言語空間に馴染みました。

それから、ニサルガダッタに出会った。

そして、こんな言葉を聴くことになります。

──────────────────
 そこに探求すべき第二の、
 あるいは高次の自己というものはない。
 あなたが最高位の自己なのだ。
 ただ、あなた自身に関する偽りの観念を捨て去りなさい。
 あなたは身体、そしてその欲望と恐れではなく、
 またマインドとその幻想的な観念でもなく、
 社会があなたに演じるように強要した
 個人としての役柄でもないと、
 信念と理性があなたに告げているのだ。
 偽物を捨て去りなさい。

 『私は在る』(p536)
──────────────────

> あなたが最高位の自己なのだ。

こんな言葉を聞いたわけです。

こんな言い回しが可能だとはを知りませんでしたが、

いちど聞いたら、

前川元文部次官ではありませんが、

「あったものを、なかったことにはできません」

という気分です。(*^_^*)

> ただ、あなた自身に関する偽りの観念を捨て去りなさい。

必要なのは、これだけだったわけです。

つづいて、マハラジはこう言葉を継ぎます。

──────────────────
 あなたはあなた自身を知りたいと言う。
 あなたがあなた自身なのだ。
 あなたはあなた以外の何者にもなれない。
 知ることと在ることは別々だろうか?
 あなたがマインドをもって知ることは
 何であれマインドのものであって、あなたではない。
 あなた自身についてあなたに言えることは
 「私は在る。
  私は気づいている。
  私はそれを愛する」
 だ。

 『私は在る』(p536)
──────────────────

なんという単純さでしょう!

自分が存在することを知っている者が、

他の何者にも保証されることなく

自ら「私は在る」と知っている者なのです。

そして、それがあなたであり、わたしです。

──────────────────
 あなたがあなたを含むすべての証明なのだということを、
 まず悟るべきだ。
 あなたの存在を証明できるものは何もないのだ。
 なぜなら、
 他者の存在もあなたによって
 確認されなければならないからだ。
 あなたは完全に、
 あなた自身によって在るのだということを
 覚えておきなさい。
 あなたはどこからも来なかったし、
 どこへも行かない。
 あなたは時間を超えた存在、
 そして気づきなのだ。

 『私は在る』(p178)
──────────────────

> あなたの存在を証明できるものは何もないのだ。

マハラジのこの言葉には

何度も戻ってくることになります。

わたしが存在することは間違いない。

ところが、わたしの存在を証明できるものは

わたし以外には何もないのです。

それどころか、他のあらゆるものは

わたしが認識してはじめて存在しているのです。

> なぜなら、
> 他者の存在もあなたによって
> 確認されなければならないからだ。

というわけですから。

> あなたは完全に、
> あなた自身によって在るのだということを
> 覚えておきなさい。

このマハラジのメッセージの意味するものが

堆積したマインド層を貫通して徐々に浸透してきます。

わたしが存在していることは間違いない。

他のすべてのものは

わたしが知覚することによって現象している。

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
──────────────────

(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
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ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
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おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
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▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


       ………○…………○…………○………



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■ 2.いただいたお手紙から:andreさん【自然現象という表現】
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▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


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今回も、andreさんからご投稿をいただきました。

さっそく、ご紹介します。

【件名】:自然現象
──────────────────
 「わかっちゃったひとたち」を再度読んでみます。
 ご指摘いただいた部分はどういうわけかまったく
 記憶に残っておりません。すみません。
 今図書館に予約中。
 
 Pariさんの的を射るようなマハラジの言葉を提示は
 ずいぶん助かります。
 Pariさんの回答に引き出されて、
 新たな疑問やら解釈やらを書いていたら、
 長文になってしまい、
 それも切りが無くなってしまいました。
 それを改めて読み返していたら、
 なんだ、俺はただの象の周りをまわっている盲人じゃないか
 というような気分になってしまい、
 ああ、これは語りえぬものは沈黙しなければならいのか、
 という状況になっています。
 ただ、一つだけ。
 Pariさんの言われた「自然現象」、
 「あるがまま」ということがキーワードになっています。
 それがしっくりいったとき、
 私の周りの霧が晴れるような気がします。
 
 Pariさんは沈黙しないでくださいね。
 月を指す指でも役に立ちます。
 また疑問が沸いてどうしようもなくなったら、
 助けてください。
──────────────────

Andreさん、ご投稿ありがとうございます。m(_ _)m

> 「わかっちゃったひとたち」を再度読んでみます。
> ご指摘いただいた部分はどういうわけかまったく
> 記憶に残っておりません。

そう言えば、わたしの場合も

初回読んだときは印象が薄い章でした。

> 今図書館に予約中。

(^^)/

> Pariさんの的を射るようなマハラジの言葉の提示は
> ずいぶん助かります。

ありがとうございます。

どこをとってもマハラジの言葉はすごいですね。

> Pariさんの回答に引き出されて、
> 新たな疑問やら解釈やらを書いていたら、
> 長文になってしまい、
> それも切りが無くなってしまいました。

そうでしたか。

> それを改めて読み返していたら、
> なんだ、俺はただの象の周りをまわっている盲人じゃないか
> というような気分になってしまい、
> ああ、これは語りえぬものは沈黙しなければならいのか、
> という状況になっています。

まあ、いろんな気分がきますよね。

よろしかったら、今度またご投稿ください。

> ただ、一つだけ。

はい。

> Pariさんの言われた「自然現象」、
> 「あるがまま」ということがキーワードになっています。
> それがしっくりいったとき、
> 私の周りの霧が晴れるような気がします。

「自然現象」という言葉を使うようになったのは、

そのほうが「ロボット」という言葉より

ニュアンスが穏やかで

普遍的意味合いを伝えるように思えたからです。

「草はひとりでに生える」という意味では、

欲望も「自然現象」のようなものですから。

普通「自然現象」という言葉は

人為的行為を含まない意味合いで使いますよね。

たとえば、

雪山で雪崩に呑み込まれて死ねば、

「自然現象」による死亡事故です。

しかし、井上靖の『氷壁』にあるように、

それが人為が関わるザイルの断裂によるとなれば、

殺人事件を構成するかもしれません。

人間世界のドラマはすべてこれが前提になっています。

莊子に「虚舟」という文章があります。

「虚舟のたとえ」というサイトにその説明がありますが。
http://yarinokoshi.blog.so-net.ne.jp/2011-04-26-1

「虚舟舟に触るとも人怒らず」。

同じく舟がぶつかっても、人がいるといないとで、

人間ドラマの展開はまったく異なります。

おそらく莊子は、

実際は人間のなかにも行為者がいないことを

知っていたのでしょう。

十年前、はじめてマハラジの言葉に触れたとき、

いちばん飲み込めないのは次のような言葉でした。

──────────────────
 質問者 私はあまりにも多くのなすべきことがあり、
     マインドを静かに保つだけの余裕がありません。
 
 マハラジ
 それはあなたが行為者だという幻想によるのだ。
 実際には、
 ものごとはあなたに対してなされるのであって、
 あなたによってなされるのではない。

 『私は在る』(p499)
──────────────────

> それはあなたが行為者だという幻想によるのだ。

これが本当なのだろうということは疑いませんでしたが、

どう理解すればいいのかと思い悩んでいたのです。

> 実際には、
> ものごとはあなたに対してなされるのであって、
> あなたによってなされるのではない。

マハラジがそう言っているわけです。(-_-;)

しかし、そのうちじょじょに、

まさにミリ単位でその真意が浸透してきました。

ラメッシ・バルセカールも

こんなふうに教えてくれました。

──────────────────
 仏陀は次のように言っています。
 「出来事は起こり、行為はなされるが、
  そこに個々の行為者はいない」
 これが基本です。
 これ以上短く、シンプルな言葉で
 このことを表現できた人はいないと思います。
 
 『誰がかまうもんか?!』(p28)
──────────────────

このことを理解したいと思って、

この『誰がかまうもんか?!』を

ずいぶん繰り返して読みました。

そのうち、マハラジのこんな言葉を読んでも、

だんだん違和感を感じなくなりました。

──────────────────
 マハラジ
 すべてはひとりでに起こる。
 探求者は何もせず、グルも何もしない。
 ものごとは起こるように起こる。
 行為者という感覚が現れた後に、
 非難や賞賛が割り当てられるのだ。
 
 質問者 何と奇妙なのでしょう! 行為者はかならず
     行為の起こる前に現れるはずです。
 
 マハラジ
 それはその反対だ。
 行為が事実であり、
 行為者はただの観念なのだ。
 あなたの言葉そのものが、
 行為は確定的であり、
 行為者は疑わしいことを示している。
 責任を転嫁することは人間の特徴的なゲームなのだ。
 何かが起こるために不可欠な要因の
 果てしないリストについて考えていくと、
 すべてが起こるための責任は、
 いかに間接的であっても
 すべてにあると認めるほかはない。
 行為者とは、
 「私の」と「私のもの」という幻想から生まれた神話なのだ。

 『私は在る』(p393-394)
──────────────────

いま読めば、このマハラジの言葉は自明です。

でも最初は呑み込めませんでした。

けれども、やがて

いわゆる人為的行為と言われるものに

通常想定される「行為者」が存在しないということが、

とても事実に即した論理的結論であることが

わかってきました。

やがてそれも単に論理的に理解できる事実という範疇から

だんだん一種の感覚的な事実になってきたようです。

「草はひとりでに生える」と言われるように、

欲望が「自然現象」のように起こってくるのは事実ですし、

【見かけ】の上で起こる現象世界のすべての出来事が

何らかの欲望的な動因の相互干渉によって遷移していくのは

間違いないことなのですから。

一般に「個人」と呼ばれる肉体精神機構が

ラメッシ・バルセカールがいうように、

プログラミング(DNA+条件づけ)で行動を規定された

一種のバイオ・ロボットであることは自明です。

観察される行動パターン以外に、

どこかに行為者という分離実体がいるわけではないからです。

たとえば、考えるという行為を取り上げても、

思考を創造している分離した実体があるわけではなくて、

肉体精神機構(この場合は大脳)内部の

シュミレーション過程とその最終結論の出力過程があり、

それが顕在意識にもたらされる知覚過程があるだけです。

その思考過程の具体的内容を規定する事柄、

たとえば、

どんなタイプの事柄に興味を持つかとか、

どんなタイプの異性に惹きつけられるかとか、

どんなタイプの思考回路をたどりやすいかとか、

そういった決定的な事柄を、

どこかで決断した自分という実体がいるわけではなく、

それらの行動パターン自体を

自分と呼んでいるにすぎないことは自明です。

ラメッシ・バルセカールの喩えで言うなら、

ご飯を炊いた電気釜は

「自分が炊いた」……とは言わないですが、

人間というバイオ・ロボットは、

「自分が考えた」……と言うわけです。(*^_^*)

でも、それは人間の自惚れとも言えるけれど、

人間とはそういうタイプのロボットだとも言えます。

もしかしたら、

人間だけがそういうタイプのロボットなのかもしれません。

そしてすべての人間ドラマは

このロボットたちの排出する態度や言葉の相互干渉波動、

つまり相互の玉突き状態で構成されていることは明らかです。

【見かけ】上起こる現象すべてが「自然現象」なのです。

もちろん、これも

意識の中に生まれたひとつの観念にすぎません。

ま、そんなような概念を、

最初のうちは「ロボット」と表現していました。

でもそのうち「自然現象」という表現に

落ち着いてきたというわけです。

> Pariさんは沈黙しないでくださいね。

ありがとうございます。

お喋りが好きなので、たぶん、喋り続けるのでしょう。

> 月を指す指でも役に立ちます。

「月を指す指」、たいへんな褒め言葉です。m(_ _)m

もちろん、人間にはそれ以上のことはできません。

> また疑問が沸いてどうしようもなくなったら、
> 助けてください。

助ける人も、助けられる人もいませんが、

よろしければ、

またご投稿いただけたらうれしいです。

ありがとうございました。

m(_ _)m

       ………○…………○…………○………


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http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


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■ 3.編集後記:
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今日は明るい内におわりました。

今日は来客があります。

ではまた。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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