home > 通信 >『アセンション館通信』第689号:底深くには完全な充足が



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2017/06/25(第689号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

 苦痛から欲望が生まれ、苦痛のなかで欲望を満たそうとする。

 世界の根本原因は自己愛である。そのために私たちは快楽を探し
 求め、苦しみを避ける。自己愛を真我への愛に変えなさい。
 すると画面は変わってくる。(ニサルガダッタ)

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在863名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.底深くには完全な充足が

2.編集後記
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■ 1.底深くには完全な充足が
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穏やかに晴れた日にそよ風が吹いています。

梅雨の晴れ間という感じもなく、

ときどき庭の木々が風に揺れています。

ハレーションを起こしたような空には

あまり動かない薄い雲がかかっています。

もちろん、「私は在る」のですが、

ただその私は悪さをする“私”になっている。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、

お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

話を単純化するなら、

人生とは体験世界に魅せられて、

至福を滑り落ちることです。

そうするなかで

「私は在る」は、

「私は囚われている」に変わるのでしょう。

眼前の光景のなかには

どんな物語が書き込まれているわけでもないのに、

光景を見ている“私”が物語のなかに住んでいる、

と思っているわけです。

では物語のなかに住んでいるその私とは何なのか?

想念です。

瞬間瞬間に浮上する物語のプロットです。

“自分”が住んでいると想像する世界のなかの

“自分”の立場に対する斬新でおきまりの解釈です。

その解釈はプログラミング(DNA+条件づけ)による

機械的な創造物なのかもしれません。

あるいは「配達」という言葉を尊重するなら、

どこかから機械的に配達される既定値なのかもしれません。

時間が存在しないという立場に立つなら、

両者は同じことなのかもしれません。

「私」が苦しみの元種であることはわかったとして、

その「私」とは存在自体のことではありません。

また存在の表面に現れる現象自体でもありません。

ここで言う意味の「私」とは

この現象の一部(登場人物)を自分だと思うことです。

苦しみの元種である「私」とは、

物語の登場人物になりきった立場から

瞬間瞬間に湧き上がってくる想念のことです。

その瞬間瞬間の想念があまりにも注目されるために

その想念自体が主役の座を奪ったのです。

観照者は、観賞者となり、ファンとなって

その想像上の主役に意識エネルギーを

差し出して飽きません。

たとえドラマの画面が苦しみと暴力だけに満たされても、

見るのをやめられないカウチポテトのように。

そして、

どうしてこんな世界なのか、と嘆くのです。

あたかも、自分以外に

この世界を創造した誰かがいるかのように。

──────────────────
 この残酷な世界が
 誰にとって現れるのかを見いだしなさい。
 そうすれば、
 なぜそのように残酷に現れるのかを知るだろう。
 あなたの質問は完全に正当なものだ。
 しかし、
 それが誰にとっての世界なのかをあなたが知るまでは、
 それに答えることはできないのだ。
 あるものの意味を見いだしたいのなら、
 あなたはつくり出した人に尋ねなければならない。
 だから言っているのだ。
 あなたが住んでいるこの世界を
 つくり出した人はあなたなのだ。
 あなただけがそれを変え、
 あるいはつくり変えることができるのだ。

 『私は在る』(p398)
──────────────────

> あなたが住んでいるこの世界を
> つくり出した人はあなたなのだ。

眼前に現れている世界に不満を言うことができる人は

いないようです。

むしろ、誰が不満を言っているのかを

見つけることが急務なのでしょう。

──────────────────
 マハラジ
 あなたは誰だろうか? 
 誰が不満なのだろうか?
 
 質問者 私は苦痛と快楽の人間です。
 
 マハラジ
 苦痛と快楽はともにアーナンダ(至福)だ。
 私は今、こうしてあなたの前に座り、
 直接の不変の体験から話している。
 苦痛と快楽は、至福の海の波の頂きと谷間だ。
 その底深くには完全な充足があるのだ。

 『私は在る』(p183)
──────────────────

> あなたは誰だろうか? 
> 誰が不満なのだろうか?

まさにこの問に集約されているようです。

わたしは誰なのか?

誰が不満なのだろうか?

> 質問者 私は苦痛と快楽の人間です。

質問者も、ズバリ答えました。

> マハラジ
> 苦痛と快楽はともにアーナンダ(至福)だ。

苦痛と快楽はともに至福の海が許し

至福の海が演じている。

> 私は今、こうしてあなたの前に座り、
> 直接の不変の体験から話している。

(-||-)

> 苦痛と快楽は、至福の海の波の頂きと谷間だ。

苦痛と快楽は、

至福の海の表面が形作るもの、

あなたがそれに興味を持ち、

それに光を当てるからこそ、それは現れている。

> その底深くには完全な充足があるのだ。

あなたが沈黙の充実に興味を持つなら、

至福の海の底深くには完全な充足がある。

──────────────────
 解放への道には何も立ちはだかっていない。
 そしそしてそれは今ここで起こることができる。
 だが、
 あなたはほかのことにもっと興味がある。
 そしてあなたはその興味と闘うことはできないのだ。
 あなたはそれとともに行き、それを見抜き、
 それが単に判断と賞賛の誤りであることを、
 それ自体が自ら暴くのを見守らなければならないのだ。
 
 『私は在る』(p475)
──────────────────

こうしてこれまで何度も引用したことのある

このマハラジの言葉を読み返してみると、

どこにも不思議な感じはありません。

マハラジはありのままのその通りのことを言っており、

そのままの意味でこちらにも伝わってきます。

本当に、このとおりなんですよね。

> 解放への道には何も立ちはだかっていない。

よくわかります。

> そしそしてそれは今ここで起こることができる。

そのとおりだと思います。

> だが、
> あなたはほかのことにもっと興味がある。

そうなのです。

ほぼ人間全員がそうであるように、

わたしも動くものに目がないいわば“現象中毒”です。

> そしてあなたはその興味と闘うことはできないのだ。

そのとおりです。

現象世界の真実については

こうしてマハラジの言葉にまでたどり着いて、

知るべきことはすべて知りました。

学ぶこと、学習することについては

これ以上できることは何もありません。

マインドでできることはすべてし終えました。

もう世界が何かを「習う」ことは終わって、

底深くにある完全な充足に「慣れる」ことに移るべきなのです。

それしか残っていないもわかっています。

それでもまだ“現象中毒”が終わらないのだとすれば、

> あなたはそれとともに行き、それを見抜き、
> それが単に判断と賞賛の誤りであることを、
> それ自体が自ら暴くのを見守らなければならないのだ。

ということなのでしょう。

チロチロと燃えつづける現象世界への興味が

自ずから燃え尽きるのを待つしかないのでしょう。

(-||-)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
──────────────────

(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.編集後記:
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マインドの操作基盤である

頭の限界がとても早く来るようになりました。

もう無理せんでもよい、

と言われているのかもしれません。(^^;)

ま、わかりませんが。

いずれにせよ、夢の中。

『藪の中』かもしれません。

今日は明るいうちに終えました。

ではまた。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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