━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2017/08/06(第695号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。
苦痛から欲望が生まれ、苦痛のなかで欲望を満たそうとする。
世界の根本原因は自己愛である。そのために私たちは快楽を探し
求め、苦しみを避ける。自己愛を真我への愛に変えなさい。
すると画面は変わってくる。(ニサルガダッタ)
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在859名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.自己同一化の輪
2.編集後記
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■ 1.自己同一化の輪
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全面雲に覆われていたのですが、
いつの間にか青空が顔を出しています。
と思っているうちに、
もう目の前のデッキに陽が当たっています。
宇宙が見ている夢の一部は
一瞬の休みもなく変化し続けていて、
気にするほどのことではないよ、
と言っているのでしょうか。
(*^_^*)
さて、またまた一週間が過ぎて、
楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、
お付き合いいただく今がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人の pari です。
ひところは、
ひたすら不幸を自慢していたこのエゴですが、
いつの間にかそれも恥ずかしくなって、
そんなには不幸にもなれなくなりました。
やっぱり、それだって飽きますよね。
マインドはひとつの状態にはとどまれない。
だからもちろん、
特に幸せというわけでもありません。
一瞬一瞬の風景を、
そんなに幸福だ不幸だと
大騒ぎする必要もないわけです。
あ、目の前の雲の形が
運慶の仁王像の顔だけ上向きに寝かせたような
形になっている……。
でも、もう何がなんだかわからないような形だ……。
たしかに雲は少し形が崩れるのが速いけれど、
それはこちらの注目では延命できないだけのこと。
あらゆる顕現すべてが、
崩れるまでの時間に多少の長短はあっても
つかの間の形であることは確かです。
【見かけ】に意味を求めるエネルギーが枯れると
想像された作り物の意味はすべて
ただ無意味の中に溶けていくしかないでしょう。
意味も無意味もすべてはありのままに湧いているだけ。
すべての想像は【見かけ】のなかにただ湧いている。
その【見かけ】の一部に注意を注げば
それはたちまち実体化する。
──────────────────
関心をもっているのはあなたなのだ!
そして、その絵があなたの真実、愛、
美の感覚と衝突するかぎり、
あなたはそれに関心をもちつづけるだろう。
調和と平和への熱望は、
消し去ることのできないものだ。
だが、ひとたびそれが満たされれば関心は去り、
身体的生活は注意のレベル以下の
努力を要しないものとなる。
身体を得るか、身体を去るかは、
あなたにとって同じこととなる。
あなたには何ひとつ起こらないという地点に達するのだ。
身体なしには殺されない。
所有物なしには奪われない。
マインドなしには騙(だま)されない。
そこに欲望や恐れを引っかける留めクギもない。
何の変化もあなたに起こらないかぎり、
ほかに何の問題があるだろうか?
『私は在る』(p488)
──────────────────
(-||-)
> 関心をもっているのはあなたなのだ!
このことはわかりました。
いま関心が湧いているからといって、
全体から分離した固有の“関心の所有者”が
存在するわけではないということも。
ということは、
関心を浮かべている空間が、
その関心と関心の対象に意識エネルギーを注いで
それらを現実化してみているのでしょう。
> そして、その絵があなたの真実、愛、
> 美の感覚と衝突するかぎり、
> あなたはそれに関心をもちつづけるだろう。
その絵に関心を向けた空間が、
自分を何であると自認しているかに応じて
絵柄に対する意味づけは変化するでしょう。
自分を絵のなかの何かと想像していれば、
その立場から想像され派生する様々の衝突を
回避できるはずもありません。
だからこそ、マハラジは言うのでしょう。
──────────────────
在ることとは苦しむことなのだ。
自己同一化の輪が狭いほど、
欲望と恐れによって生じた苦しみは
より激しいものとなるのだ。
『私は在る』(p531)
──────────────────
何とまたわかりやすい話ではないでしょうか。
この「自己同一化の輪」の狭さを
評価する者は実際には誰もいません。
ただ【見かけ】のなかで
想像の輪を狭めたり広げたりして、
それに応じた欲望と恐れを想像(創造)して
そこから生じる苦しみを味わってみている
だけなのだと思います。
この「自己同一化の輪」を
広げたり狭めたりすることに飽き果てるまでは
真実、愛、美の感覚との衝突はどこまでもつづき、
それに対する関心も終わることはないでしょう。
【見かけ】の絵柄は変化しつづけ、
「自己同一化の輪」に応じた解釈は
どこまでも新たな想像を派生させ続けるからです。
【見かけ】の世界がその展開自体のなかで自ら動きを止め、
終焉へ誘ってくれると期待することはできません。
夢見る者が終焉の夢を期待できないように。
──────────────────
変化するものは変化しつづける。
その間、不変なるものは待ちつづけているのだ。
変化するものが不変なるものへとあなたを連れていくと、
期待してはならない。
それはけっして起こらない。
『私は在る』(p541)
──────────────────
(-||-)
なぜなら、
──────────────────
独立しているのは、世界ではなくあなただ。
『私は在る』(p471)
──────────────────
からです。
マハラジは、
> 調和と平和への熱望は、
> 消し去ることのできないものだ。
と言います。
【見かけ】のなかで
「自己同一化の輪」を変化させてみていても、
それはどこまでも「自己同一化の輪」、
つまりは想像された分離の幻想であって、
本来の自由ではないからです。
ではいつになったら
調和と平和への熱望は消え去るのでしょうか。
理屈でしかないかもしれませんが、
──────────────────
あなただけが在るのだ。
『私は在る』(p471)
──────────────────
ということに得心がいったときでしょう。
他者が存在するドラマの現実に興味があるかぎり、
欲望と恐怖を避けることはできないし、
調和と平和への熱望が消え去ることもないはずです。
これは、哲学的というよりは
むしろ数学的に確実なことだと思います。
だからこそ、ラマナ・マハルシは
こう言わざるをえないわけです。
──────────────────
もしあなたが真理を、
ただ真理のみを求めるならば、
世界を非実在として受け入れる以外に方法はない。
『あるがままに』(p327)
──────────────────
(-||-)
このように明確に言ってくださることが
覚者の役割なのだと思います。
すべての【見かけ】が
分離の幻想に基盤を与えるものでしかないのが自明なら、
細かいことはあまり気にしなくてもいいわけです。
【見かけ】のなかには無限のパターンが溢れていて、
それぞれのパターンがそれぞれの道で
「自己同一化の輪」の創造や解消を目指して
固有の軌跡を展開し、
また互いに干渉し合いながら
おそらく一枚の織物を織っているのでしょう。
あらゆる解釈や理解は
相互に共振しあい、相殺しあって、
すべては無のなかに消えていき、
また無から湧いてきているのでしょう。
満たされなかった欲望や癒やされなかった恐怖は
新たな創造へ送り込まれ、
また満たされ癒やされた欲望や恐怖は
空無のなかに解消していくのでしょう。
でもそれはすべて、
死物である無生命の物質な織りなす【見かけ】でしかありません。
永遠不動の生命にはいかなる変化も起こっていない。
興味もまたクォーツに反映された仮言の姿なのですから。
──────────────────
解放への道には何も立ちはだかっていない。
そしそしてそれは今ここで起こることができる。
だが、あなたはほかのことにもっと興味がある。
そしてあなたはその興味と闘うことはできないのだ。
あなたはそれとともに行き、それを見抜き、
それが単に判断と賞賛の誤りであることを、
それ自体が自ら暴くのを見守らなければならないのだ。
『私は在る』(p475)
──────────────────
> そしてあなたはその興味と闘うことはできないのだ。
はい。
> あなたはそれとともに行き、それを見抜き、
> それが単に判断と賞賛の誤りであることを、
> それ自体が自ら暴くのを見守らなければならないのだ。
わかりました。
(-||-)
──────────────────
あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
──────────────────
(-||-)
──────────────────
永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
──────────────────
……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
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■ 2.編集後記:
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理屈が起こっている間は
理屈を書くしかありません。
でも、心配する必要はないのだ、
という気もします。
マハラジもこう言ってくれています。
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あなたは適格だ。
なぜならあなたは在るからだ。
あなたが真理に値する必要はない。
それはあなた自身のものなのだ。
『私は在る』(p389)
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(*^_^*)
これなら大丈夫。
だって、間違いなく、わたしは在るから。
ただ、そのあとを見ると、
こんなことを言っている。(@_@)
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ただ、それを追いかけることによって、
それから逃げだしてはならない。
沈黙しなさい。
静かで在りなさい。
『私は在る』(p389)
──────────────────
(>_<)
まあ、そんなことです。^^;
今日は明るいうちに終えました。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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