home > 通信 >『アセンション館通信』第696号:真我は世界の目撃者ではない



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2017/08/13(第696号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
-☆☆---------☆☆------------------------------------------
 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

 苦痛から欲望が生まれ、苦痛のなかで欲望を満たそうとする。

 世界の根本原因は自己愛である。そのために私たちは快楽を探し
 求め、苦しみを避ける。自己愛を真我への愛に変えなさい。
 すると画面は変わってくる。(ニサルガダッタ)

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在856名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.真我は世界の目撃者ではない

2.いただいたお手紙から:871番さん【AIと仮想通貨】

3.編集後記
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■ 1.真我は世界の目撃者ではない
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緑の前景の上はすべて一面の灰色、

塗りつぶしたような雲に覆われています。

そこでツクツクボウシの声が聞こえています。

風はない。

肌寒いような涼しさはありがたいことです。(-||-)

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、

お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

心はいつも問題を探してウロウロと

あてどもなく漂いはじめます。

それが仕事なのですから。

自我という分離の幻想が生き延びるためには、

何らかの不具合、何らかの不都合が

絶対に必要だからです。

だから自我という分離の幻想の観点に立つなら

この現象世界全体は

何らかの不具合・不都合の文脈を提供するために

展開されていることになるでしょう。

そしてその目的に沿って

洗練に洗練を加えて練り上げられたのが

この身体という驚異的対応能力を秘めた

驚嘆すべき夢の乗り物なのでしょう。

誰が練り上げたのかというような

野暮は申しませんが。(*^_^*)

ただ、間違いなく言えるのは

それは、夢の世界の住人である

この身体の乗り手を自認する者が

作れるような代物ではないことです。

RPG(ロールプレイングゲーム)で

ゲームを楽しんでいるのは誰でしょうか?

ゲームプレイヤーはPCのなかにいるでしょうか?

この身体の人生を生きているのは身体でしょうか?

そもそも身体は生きることができるでしょうか?

誰が問題を必要としているのでしょうか?

誰が苦悩に依存しているのでしょうか?

──────────────────
 関心をもっているのはあなたなのだ!
 
 『私は在る』(p488)
──────────────────

(-||-)

この身体を自分と自認するかぎり

自我という分離の幻想を維持するための

不具合、不都合は好きなだけ創造できます。

その意味では、これは娯楽とも言えます。

ただ娯楽というのは

時間と空間のなかに現象を展開して

その変化する絵柄に価値や意味を想像する

識別・判断作業に依存せざるをえません。

いったんこの想像という

途方もない創造力を解き放ってしまうと、

これはもうパンドラの箱を開けたも同然です。

意識のなかのあらゆる魑魅魍魎が

関心をもつ者の前に

現実として展開することになります。

その結果、分離幻想である自我は、

誰がこんな世界を創ったのか?

何故にすべては始まってしまったのか?

などと嘆くことになるのです。(*^_^*)

世界の中で識別判断をすれば、

あるがままは化学変化を起こして、

悲しみや喜びにならざるをえません。

分離幻想としては

現象世界のなかで悲しみを避けて

喜びだけを手に入れたいと不可能を求めますが、

原理上そんなことができるはずもありません。

なぜなら、

現象世界のなかで獲得された喜びとは

あるがままに価値判断を加えて

あるがままを悲しみや喜びに化学変化させた上で、

獲得されたものだからです。

もしそこで得られる喜びを現実とするなら

そこで価値判断されて

そこで得られる悲しみも現実になるしかない。

当たり前のことです。

喜びや悲しみの体験はなぜあるのか?

と尋ねる質問者に

ラマナ・マハルシはこう答えます。

──────────────────
 喜びや悲しみは、
 人が真の本性を離れたときにだけ
 事実であるように見える。
 実際には、喜びも悲しみも存在しない。
 
 『あるがままに』(p365) 
──────────────────

こういう答えを得た質問者は、

思わず

「世界が創造されたのは幸福のためでしょうか、

 不幸のためでしょうか?」
 
と聞いてしまいます。

ラマナ・マハルシの答えはとても明晰かつ平明で

誰もが納得せざるをえないのですが、

語られている事実はきわめて深遠です。

──────────────────
 創造は善でも悪でもない。
 それはあるがままにある。
 ものごとを自分の角度から眺め、
 自分の利益に沿うように解釈し、
 そのうえにあらゆる類の説明を
 押しつけるのは人間の心なのだ。
 ひとりの女性はただの女性である。
 だが、ひとつの心は彼女を「母」と呼び、
 別の心は「妹」と呼ぶ。
 さらに別の心は「叔母」と呼ぶといったように。
 男は女を愛すが、蛇は憎む。
 そして道端の草や石には無関心だ。
 こういった価値判断が
 世界中のすべての不幸の原因なのである。
 創造は菩提樹のようだ。
 鳥たちがやってきては木の実をついばみ、
 枝の葉陰に巣をつくって憩う。
 人びとは木陰に涼む。
 だが、
 ある人はその枝で首を吊ってしまうかもしれない。
 それでも、樹はその静かな生を送り、
 人びとが彼をどう利用しょうと気にかけない。
 自分で困難をつくり出しておいて、
 それから救いを求めるのは人間の心なのである。
 ひとりの人には平和を与えておいて、
 別の人には苦しみを与えるほど神は不公平だろうか?
 創造のなかには
 すべてをつくり出せるほどのじゅうぶんな空間がある。
 だが、人は真、善、美を見ようとしない。
 その代わりに、
 彼はご馳走の横に座っていながら手を伸ばすこともせず、
 「いったい誰の責任だ、神のか、人間のか?」
 と泣き言を言いつづける空腹の人のようなものである。
  
 『あるがままに』(p365-366)
──────────────────

(*-_-*)

> 創造は善でも悪でもない。
> それはあるがままにある。

なんとかしてこの言葉くらいは

憶えていられたらと思います。(-_-)

【創造は善でも悪でもない】

【それはあるがままにある】

(-||-)

> こういった価値判断が
> 世界中のすべての不幸の原因なのである。

【価値判断が世界中のすべての不幸の原因】……。

なんという明快さでしょう。

だからこそ、こういう問答があったのですね。

──────────────────
 質問者 知性(ブッディ)とは何でしょうか?
 
 マハルシ
 思考あるいは識別の機能です。
 それらは単なる名前でしかありません。
 自我、心、知性、それらはみな同じものです。
 誰の心でしょう?
 誰の知性だと言うのでしょう?
 自我のです。
 自我は実在でしょうか?
 いいえ。
 私たちは自我を取り違えて知性や心と呼ぶのです。

 『ラマナ・マハルシとの対話 第1巻』(p379)
──────────────────

(-||-)

歴史上の覚者と言われる方々は

けっして、みなさん同じことを

おっしゃっているわけではありません。

対話が発生した状況も違えば、

またたとえ同じ言葉が使われたとしても、

その言葉が使われている文脈も違えば、

その言葉で示そうとした意味も違うでしょう。

そのすべてを考慮に入れても、

これほど透明な言葉を聞ける機会は

めったにないような気がします。

> 自我、心、知性、それらはみな同じものです。

(-||-)

> 誰の心でしょう?
> 誰の知性だと言うのでしょう?
> 自我のです。
> 自我は実在でしょうか?
> いいえ。
> 私たちは自我を取り違えて知性や心と呼ぶのです。

(-||-)

同じようなことをマハラジは別の機会に、

こんなふうに述べたのかもしれません。

──────────────────
 いつのときも進歩はある。
 すべてが進歩に貢献しているのだ。
 しかし、これは無知の進歩だ。
 無知の輪はつねに広がりつづけていくかもしれない。
 それでも、
 それは相変わらず束縛のなかにとどまったままだ。
 
 『私は在る』(p131-132)
──────────────────

と……。

そして、信頼できそうな覚者方はこぞって

「しかし実際には、何も起こっていない」
https://www.ascensionkan.com/mm/vol694.html#1

という言い方をなさるようです。

──────────────────
 目覚めの状態のなかで起こっていることは何であれ、
 知る者だけに起こる。
 そしてその知る者自身が非実在であるため、
 実際は、
 いままで何も起こってはいなかったし、
 いまも何も起こってはいない。
 そしてこれからも、
 何も起こることはないのである。
 
 『あるがままに』(p333) 
──────────────────
と。

この言葉のなかの

> 目覚めの状態のなかで起こっていることは何であれ、
> 知る者だけに起こる。

この部分については誰もが了解せざるをえません。

「知る者」が存在していない

いわゆる深い睡眠状態の中では

どんな現象世界も体験できないわけですから。

しかし、

> そしてその知る者自身が非実在であるため、

この部分をどう了解したらいいか

いつも悩んでしまうわけです。

そんなことを考える暇があったら瞑想しなさい、

というご意見も、もちろんあると思います。^^;

そういうパターンはもちろんそれでいいのですが、

pariパターン型ロボットは、

ついつい考えてしまいます。^^;

わたしが在るがゆえに世界は在るというのは、

真我(=実在=気づき=純粋な意識)が

現象世界の顕現を可能にしている

という意味でしょう。

しかし、もう一方には

その真我は現象世界の内容には関知しない

という事情があるらしい。

そこで、pariタイプのマインドに気になるのは、

いったい、真我は現象世界に

気づいているのかいないのかということでした。

なんとなく、そのへんがいまいち

スッキリしていなかったのです。

ところが、こちらの焦点がそこに合ったら、

ラマナ・マハルシはとおの昔に

そのことについて語っていたのでした。

まず、その文脈を語る美しい背景をご紹介しますね。

──────────────────
 質問者 真我を実現した人にとって、
     目覚め、夢見、眠りの三つの状態は
     存在しないと言われています。
     それは事実なのでしょうか?
 
 マハルシ
 何があなたに、
 「実現した人は三つの状態をもたない」
 と言わせるのだろうか?
 「私は夢を見た、
  私は深い眠りのなかにいた、
  私は目覚めた」
 と言うことで、
 あなたは三つの状態すべてに存在していたことを
 認めることになる。
 それは、
 あなたがつねにそこに存在していたことを
 明らかにしている。
 もし今のままのあなたとしてあれば、
 あなたは目覚めの状態にいることになる。
 夢見の状態のなかでは、
 目覚めの状態は隠されている。
 そしてあなたが深い眠りの状態にいるとき、
 夢見の状態は消え去る。
 あなたはそのときそこにいた。
 あなたは今そこにいる。
 あなたはつねにそこに存在している。
 三つの状態が来ては去っていく。
 だが、あなたはつねにそこにいる。
 それはちょうど映画のようなものだ。
 スクリーンはつねにそこにある。
 だが、いくつかの画像がそこに現れ、そして消えていく。
 スクリーンには何も残らないが、スクリーン自体は残る。
 同じように、三つの状態すべてのなかで、
 あなたはあなた自身の真我としてとどまるのだ。
 もしそれを知っていれば、
 画像がスクリーン上に跡を残さないように、
 三つの状態があなたに問題をもたらすこともないだろう。
 ときおり、
 あなたはスクリーンの上に広大な海と限りない波を見る。
 そしてそれは消え去っていく。
 別のときに、あなたは周りじゅう火に囲まれているのを見る。
 それもまた消え去っていく。
 どちらの場合もスクリーンはそこに存在している。
 はたしてそのスクリーンは水によって濡れただろうか、
 あるいは火によって燃えただろうか?
 何もスクリーに影響を与えることはなかった。
 それと同じように、
 目覚め、夢見、深い眠りの状態のなかで起こったことが、
 あなたに影響を与えことはまったくない。
 あなたは真我としてとどまるのである。
 
 『あるがままに』(p26-27)
──────────────────

(-||-)

> あなたは三つの状態すべてに存在していたことを
> 認めることになる。

あ、そうか。(@_@)

わたしは深い睡眠中にも自分が存在していることを

まったく疑っていないわけだ。

> それはちょうど映画のようなものだ。
> スクリーンはつねにそこにある。
> だが、いくつかの画像がそこに現れ、そして消えていく。
> スクリーンには何も残らないが、スクリーン自体は残る。
> 同じように、三つの状態すべてのなかで、
> あなたはあなた自身の真我としてとどまるのだ。

そういうことだったのか。(-_-)

わかりました。

(-||-)

さて続いてマハルシは

舞台上の照明の例を取り上げて説明します。

──────────────────
 質問者 それはつまり、たとえ目覚め、夢見、深い眠りの
     三つの状態にあっても、それらが私に影響をあた
     えることはないということでしょうか?
 
 マハルシ
 そのとおりだ。
 これらの状態はみな来ては去っていく。
 だが、真我は惑わされない。
 それはただひとつの状態なのである。
 
 質問者 そのような人は、単に目撃者として
     この世界に在るだけだということでしょうか?
 
 マハルシ
 そうだ。
 このことからヴィディヤーランヤは、
 『パンチャダシー』の第十章で
 舞台上の照明の例を取り上げている。
 芝居が演じられている間、照明はそこにあり、
 王様であれ、召使であれ、踊り子であれ、
 すべての役者たち、またすべての観客に
 区別なく光を照らしている。
 芝居が始まる前、上演の最中、そして終わったあとにも
 その照明がそこにあるだろう。
 それと同じように、
 真我である内なる照明は、
 自我、知性、記憶、そして想念に光を与えながら、
 それ自体は増大することも減少することもない。
 深い眠りや気絶の状態の間、
 そこに自我の感覚はないが、
 真我は属性をもたないままとどまり、
 それ自体で輝きつづけるのである。
 
 『あるがままに』(p27)
──────────────────

そういうことか……。(-_-;)

> 芝居が演じられている間、照明はそこにあり、
> 王様であれ、召使であれ、踊り子であれ、
> すべての役者たち、またすべての観客に
> 区別なく光を照らしている。

はい、光はつねに、あまねくいき渡っている。

> 芝居が始まる前、上演の最中、そして終わったあとにも
> その照明がそこにあるだろう。

世界があるときも、世界がないときも、

真我はつねに存在している。

わかりました。(-_-)

そして、フィニッシュです。

──────────────────
 実際には、
 真我が世界の目撃者としてあるという観念は
 心のなかにだけ存在している。
 それは真我における絶対的な真実ではない。
 目撃者は目撃されている対象と相対的関係にある。
 目撃者と目撃されるものはともに思考の産物なのである。
 
 『あるがままに』(p27-28)
──────────────────

(@_@) ⌒★?

そういうことか。

> 実際には、
> 真我が世界の目撃者としてあるという観念は
> 心のなかにだけ存在している。

目撃者という観念は

照らし出された意識の内容物であって、

照らし出している真我が目撃者であるわけではない。

うーむ、納得です。

> それは真我における絶対的な真実ではない。

はい、了解しました。

> 目撃者は目撃されている対象と相対的関係にある。

はい、よくわかります。

> 目撃者と目撃されるものは
> ともに思考の産物なのである。

ほんとですね。(-_-;)

(-||-)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
──────────────────

(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


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■ 2.いただいたお手紙から:871番さん
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▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


       ………○…………○…………○………

今回、871番さんからご投稿をいただきました。

さっそく、ご紹介します。

【件名】:AI・仮想通貨
──────────────────
 pari様
 
 毎週ありがとうございます。
 871番です。
 最新号を読み、翻意してお聞きしたく投稿させて頂きました。
 
 688号とそれ以前に「(仮想)通貨」の記述がありました。以前か
 らAIや仮想通貨など近未来を変えていく開発の現状が気になってい
 ました。
 (「I AM THAT」の中でも「ロボット」「コンピューター」の言葉が
 がありますが)
 現在、機械学習のプログラムを得たAIは開発者自身が回答プロセス
 を理解できない答を出したり、突如ロボット同士で人間が理解でき
 ない共通言語で話をします。
 ホーキング博士は「人工知能の進化は人類の終焉を意味する」とそ
 の危機を述べられています。
 一方仮想通貨は、富の分配の再構築が起きる可能性を秘めていま
 す。
 
 変化するものは変化し続け、変化するものが私達を不変なるものに連
 連れていくことはけっして起こらないのであるから、「自己同一化の
 の輪」に囚われる私達にとっては他の事象と同様に「起こることは起
 起こるのだ」と然したる意味を持たないというスタンスでいてよい
 でしょうか。
 
 「苦しみと苦しみの終焉」に何か影響はあるのでしょうか。
 
 次は何かと心配する必要はない。次が必ずやって来る。だから心配す
 る必要もないのでしょうか。
 
 マインドに囚われ、思い考えました。
 
 「何にも成るな、何も知るな、何も持つなだ。これが唯一生きる価
 値の生き方、唯一手にする価値のある幸福なのだ」とあります。
 
 昨今の著しい変化をどのように眺めていられますか。
 よろしければお教えください。
 (お手すきの時に返信頂ければ)
 
 立秋ですが、暑さ真っ盛りです。
 お身体を大切になさってください。
 では。
──────────────────

> pari様
> 
> 毎週ありがとうございます。
> 871番です。

871番さん、いつも読んでいただき、

ありがとうございます。

> 最新号を読み、翻意してお聞きしたく投稿させて頂きました。

はい。

> 688号とそれ以前に「(仮想)通貨」の記述がありました。以前か
> らAIや仮想通貨など近未来を変えていく開発の現状が気になってい
> ました。

そうでしたか。

> (「I AM THAT」の中でも「ロボット」「コンピューター」の言葉が
> がありますが)
> 現在、機械学習のプログラムを得たAIは開発者自身が回答プロセス
> を理解できない答を出したり、突如ロボット同士で人間が理解でき
> ない共通言語で話をします。

はい、そういう話題が盛んになってきましたね。

> ホーキング博士は「人工知能の進化は人類の終焉を意味する」とそ
> の危機を述べられています。

そうみたいですね。

> 一方仮想通貨は、富の分配の再構築が起きる可能性を秘めていま
> す。

はい、そう思います。

> 変化するものは変化し続け、変化するものが私達を不変なるものに連
> 連れていくことはけっして起こらないのであるから、「自己同一化の
> の輪」に囚われる私達にとっては他の事象と同様に「起こることは起
> こるのだ」と然したる意味を持たないというスタンスでいてよいでし
> ょうか。

ええ、それができるのなら、それが一番ですよね。

すべてこういう話題は現象世界の話、

夢の内容にすぎないわけですから。

> 「苦しみと苦しみの終焉」に何か影響はあるのでしょうか。

ある意味では、あるのかもしれないですね。

地球にも文明が始まるかも、というような意味では。

もちろん、真我の光を浴びた芝居の中の話です。

でもある種の「苦しみの終焉」ではあるかもしれません。

『神との対話』の神様は、

HEB(高度に発達した存在)の話をしていました。

HEBは苦しみを必ずしも自分で体験しなくてもいいように

一定の管理下においているそうです。

生活とは分離して、TVの中で管理しているとか。

つまり、HEBの世界のTVで放映される番組に

苦しみを実体験している地球の姿があるそうです。

世界はあのようにもなる可能性があることを忘れないために。

もしかしたら、地球もHEBの仲間入りをするのかも。

わかりませんが。

> 次は何かと心配する必要はない。次が必ずやって来る。だから心配す
> る必要もないのでしょうか。

はい、芝居も永遠に展開しているのでしょう。

地球世界の夢の内容のフェーズが変わることも

ありうるのかもしれませんね。

> マインドに囚われ、思い考えました。

はい、わたしもご同様です。

> 「何にも成るな、何も知るな、何も持つなだ。これが唯一生きる価
> 値の生き方、唯一手にする価値のある幸福なのだ」とあります。

マハラジはそう言っていますね。

> 昨今の著しい変化をどのように眺めていられますか。
> よろしければお教えください。
> (お手すきの時に返信頂ければ)

わかりました。

では、いま871番さんの言葉をきっかけにして

舞い上がってきた想念を少し述べさせていただきます。

まず、ホーキング博士の

「人工知能の進化は人類の終焉を意味する」という

危機感についてですが、

わたしはそういうことはありえないと思っています。

ホーキング博士はメディアのインタビューで、

次のようにおっしゃったんだそうですね。

──────────────────
・完全な人工知能を開発できたら、
 それは人類の終焉を意味するかもしれない
・人工知能が自分の意志をもって自立し、
 そしてさらにこれまでにないような早さで能力を上げ、
 自分自身を設計しなおすこともあり得る。
・ゆっくりとしか進化できない人間に勝ち目はない。
 いずれは(人間は)人工知能に取って代わられるだろう
・人工知能の発明は人類史上最大の出来事だった。
 だが同時に、『最後』の出来事になってしまう可能性もある
──────────────────

もしホーキング博士が

本気でこのように考えていらっしゃるのなら、

それは思考過程の代替能力の高さを

意識の存在そのものと混同してしまったのでしょう。

そのため思考過程の処理能力の高さを

そのまま人間の知的能力と同定したのでしょうね。

たぶん、デカルトの「我思うゆえに我あり」を

基底のドグマとして発達した西洋の科学には、

思考過程自体を存在の根拠とする誤解が

深く刷り込まれているのだと思います。

西欧世界のSFには

高度な思考を駆使するようになったAIロボットが

人間を襲う話はよくあるパターンのようです。

ホーキング博士にかぎらず

西欧の突出した知性の持ち主たち、

特にITやAI関連の科学者や技術者たちのなかには

思考と意識の違いが本当にわからない方たちが

いるのだろうと思います。

でも実際は、

「我思うゆえに我ある」わけではなく、

つまり、思考(想念)を根拠に意識があるわけではなく、

「我あるがゆえに我思う」、

つまり意識あるがゆえに、

その一態様として思考が現象しているわけですから、

いくらAIの情報処理能力が大容量化しようが

高速度化しようが、

ただそれだけの結果として

意識生命体が発生するというようなことはありえません。

現段階の特定目的型人工知能の段階を超えて

汎用人工知能の段階が始まったとしても、

そのこと自体で意識生命体が発生するわけでもありません。

2045年くらいに想定されているという

シンギュラリティー(技術的特異点)という言葉には

何らかの実質的内容が対応しそうな感じもありますが、

それは高度なAIロボット王国による

人間世界の隷属化というような陳腐な話ではなく、

むしろ、別種の知的段階との公的遭遇

みたいなことかもしれませんね。

数学上のカタストロフィ論の概念である

特異点がこのようなSFに置き換わる理由は

現段階の地球ではまだ

高度なAIと人間との本質的違いが

常識として共有されていないからだと思います。

AIと人間との本質的違いは

処理能力の容量や速度の違いでも

特定目的型知能と汎用知能の違いでもありません。

それは、

そこに実際に意識的内面が存在するかどうかの違いです。

人間には内面と呼ばれる意識内実があります。

つまり、そこで体験が起こっているのです。

それに対してAIには、

思考過程の代替機能があるだけです。

そこにあるのは情報の処理過程だけであって、

そこには人間的意味での体験は起こっていません。

超高機能人間型ロボットとの恋愛に

わたしたちが本能的な違和感を覚えるのはそのためです。

つまり、人工知能の情報出力や動作出力が

「判断」とか「介護」と呼ばれるのは

実際はあくまでも比喩的な表現なのです。

AIの中にあるのは電気パターンの変化だけで

そこにどんな「判断」も「介護」もありません。

実際は、AIの無機的な情報出力が、

人間のなかで「判断」や「介護」に変化するのです。

AIの中に意識も内面も体験も存在しないというのに、

どうやってAIが意志や欲望を持てるのでしょうか。

もちろん、人間がAIに“エゴ回路”を

設定することはできないことではありません。

人間の恐怖や欲望のパターンを学習させて

人間の反応や態度を模倣させることはできるでしょう。

でも、何が悲しくて、人類を隷属させる回路を

設定しなければならないのでしょうか。(*^_^*)

Googleやビル・ゲイツ氏が資金を提供している

未来生命研究所という機関があるそうです。

ここでは人間の脳内神経回路を

すべて忠実にAIの中にコピーし、移築して、

人間の意識をアップロードする計画だそうです。

自分の意識に永遠の生命を与える試みだとか。

ここでも思考過程の位置移動と

意識の創設との混同が起こっています。

自分の脳内神経回路をすべて忠実に

AIの中にコピーすることはできるかもしれません。

しかし、

そのAIに生成される電気過程自体のなかには

じつはどんな体験も起こっていません。

その電気過程のなかにどうやって

自分(エゴ)をアップロードするというのでしょうか? (*^_^*)

そこではじめて意識の話が起こるということです。

> 一方仮想通貨は、富の分配の再構築が起きる可能性を秘めていま
> す。

仮想通貨(暗号通貨)に使われている

ブロックチェーンという技術には、

将来国境を破壊できる潜在能力があると思います。

また様々の暗号通貨を購入する人たちの中から

新興の暗号通貨長者も現れそうです。

しかしそれだけでは、

富の分配の再構築とは言えないだろうと思います。

地上の富の再配分の構築には

地上の集合意識の転換が不可欠でしょうね。

そのためには、

誰もが必要な可処分所得を手に入れる以外に

適切な手法は存在しないだろうと思います。

つまり、これからそう遠くない未来に

どうしてもBI(基本所得)の構築が

必要になるということではないでしょうか。

> 立秋ですが、暑さ真っ盛りです。

これまでのところ、

今年は意外に涼しい日が多いですね。

助かっています。

> お身体を大切になさってください。
> では。

ありがとうございます。m(_ _)m

871番さん、ご投稿嬉しかったです。

m(_ _)m

       ………○…………○…………○………


▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


       ………○…………○…………○………


━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 3.編集後記:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━

今日はずいぶん書いてしまいました。

まだまだ現象世界のなかで点滅する

エネルギーパターンでありたいのかもしれません。

それはそれで、仕方のないことです。

今日は昏くなりました。

お休みなさい。

<(_ _)>


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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