home > 通信 >『アセンション館通信』第697号:するべきことはそれだけである



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2017/08/20(第697号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
-☆☆---------☆☆------------------------------------------
 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

 苦痛から欲望が生まれ、苦痛のなかで欲望を満たそうとする。

 世界の根本原因は自己愛である。そのために私たちは快楽を探し
 求め、苦しみを避ける。自己愛を真我への愛に変えなさい。
 すると画面は変わってくる。(ニサルガダッタ)

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在856名
------------------------------------------------------------
◇◇ もくじ ◇◇

1.するべきことはそれだけである

2.編集後記
------------------------------------------------------------

━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 1.するべきことはそれだけである
━━━━━━━━━━━━━━━━━━


今日はしばらくぶりに雲間に青空の片鱗が見えます。

地上にもぼんやりと日差しが落ちて、

暖かい感じです。

あまり風はない。

耳鳴りと同じ程度にセミが鳴いています。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、

お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

わたしはわたしで在ればいいだけなのに、

長い間の習慣でついつい、

自分が何かであるかのように想像してしまう。

そしてその自分である何かが

なにか問題を抱えていないかなどと、

無用な想像をふくらませては、

ウロウロ探し回るわけです。

自分が何かであると想像するその根元には

「私」という想念があります。

現象世界のなかの何かである「私」を想像してから、

その「私」が大丈夫かとか、

なにか割りを食っているのではないか、

もっとうまく生きられるのではないかなどと、

いろいろ余計な想像をふくらませることが

人生というものだったんですね。

いやー、そんな下品なのはあんただけでしょう、

わたしらもっと上品です。

どうしたらもっと良い世の中にできるか?

どうしたら人様の役に立てるかと

ひたすら考える毎日です、

などとおっしゃられる方もいるのかもしれませんが、

まあ、それもこれも似たようなものです。

死んだ友人のナンダンの口癖を借りれば、

「目くそ鼻くそを嗤う」

という程度のことなのでしょう。(*^_^*)

結局、欲望は根元から断つしか方法はないようなのです。

だから、大見者はおっしゃるのでしょう。

──────────────────
 「私」という想念の源を探究しなさい。
 するべきことはそれだけである。
 宇宙は「私」という想念が原因で存在している。
 「私」という想念が終焉すれば、
 不幸もまた終焉する。
 偽りの「私」という想念は、
 その源を探ることによってのみ終焉するのである。

 『あるがままに』(p114)
──────────────────

やっとラマナ・マハルシが

どういうことをおっしゃっていたのかが

自分なりに実感をもって理解できる感じがします。

たしかに、「私」という想念が

ありもしない不幸の源泉なのですね。

いったんこの「私」という想念が生まれると

その「私」という想念を根城にして

あらゆるドラマの物種となる観念がわいてきて、

それらの観念を満足させるために

世界という名前と形の形代(かたしろ)が創造される。

そしてその世界の中で問題を解決しようとして

止め処のない苦しみが創造されることになる。

なぜなら現象世界の中での問題解決とは

その問題を分離解体するための観点の発見であり

その新たな観点とはとりも直さず、

新たな問題の創造過程でしかありえないのですから。

──────────────────
 いつのときも進歩はある。
 すべてが進歩に貢献しているのだ。
 しかし、これは無知の進歩だ。
 無知の輪はつねに広がりつづけていくかもしれない。
 それでも、それは相変わらず
 束縛のなかにとどまったままだ。
 
 『私は在る』(p131-132)
──────────────────

> いつのときも進歩はある。

進歩というべきでしょうか?

退歩というべきでしょうか?

でも、こういう言葉遣いもわかります。

たしかに、進歩のような変化があるのです。

> すべてが進歩に貢献しているのだ。

あらゆる要因を巻き込みながら全宇宙は前進し、

誕生した新たな波動はそれぞれ干渉しあって

宇宙の津々浦々まで到達していくのでしょう。

> しかし、これは無知の進歩だ。
> 無知の輪はつねに広がりつづけていくかもしれない。
> それでも、それは相変わらず
> 束縛のなかにとどまったままだ。

宇宙の果まで届く波動の峰と谷は

“二元性の原理”という盥の中でかき回される水のように、

すべては相殺しあって、一瞬と言えども

増えもしなければ減りもしないのです。

多次元宇宙は知覚されなければ現象できず

すべては盥の中にあって

現象宇宙の外に出ることはできないのですから。

どれほど偉大な犠牲と善行も、

同じ程度の悪行によって裏書きされなければ

振り出すこともできないわけです。

──────────────────
 やがてグル(師)が現れ、
 私たちに真我を探求するように教え励ます。
 
 『私は在る』(p132)
──────────────────

(-||-)

たとえば、ラマナ・マハルシは

こんなふうに教え励ましてくれます。

──────────────────
 あなたは心である。
 あるいは、あなたは心だと考えている。
 心とは想念以外の何ものでもない。
 さて、あらゆる特定の想念の背後には、
 「私」という普遍的想念がある。
 それがあなた自身である。
 この「私」を第一の想念と呼ぶこととしよう。
 この「私」という想念を心に保ちなさい。
 そしてそれが何なのかを見いだすために問いただしなさい。
 この問いがあなたの注意を
 強固に引きとどめるようになったとき、
 他には何も考えることができなくなるのだ。

 『あるがままに』(p102)
──────────────────

> あなたは心である。

はい、わたしが気にしているのが

わたしの思いであることは確かです。

> あるいは、あなたは心だと考えている。

そのとおりです。

避けがたく、無視しがたく

浮上してくるのは思いですから。

> 心とは想念以外の何ものでもない。

異存ありません。

> さて、あらゆる特定の想念の背後には、
> 「私」という普遍的想念がある。

このわいてくる想念が

自分の思いだという感覚の根っこのようなもの

そういうものがあるのですね。

> それがあなた自身である。

わかりました。

> この「私」を第一の想念と呼ぶこととしよう。

はい。

> この「私」という想念を心に保ちなさい。

いつも思いが気になっているくせに、

なかなかその的を絞ることができません。

でも、なんとなく、

「私とは何か?」という想念が

知的な問ではない問いになっていくような。

いえ、たとえそうでなくとも仕方ありませんが……。

> そしてそれが何なのかを見いだすために問いただしなさい。

「私とは何か?」という思いのなかに

すべての根っこがあるのだと信頼して。

> この問いがあなたの注意を
> 強固に引きとどめるようになったとき、
> 他には何も考えることができなくなるのだ。

それだけの誠実さがあるかないか、

それだけなんですね。

そういうことが起こるかどうか……。

(-||-)

──────────────────
 あなたの務めはただ在ることであり、
 あれやこれとして在ることではない。
 「私は私であるものである」(I AM THAT I AM)
 という言葉がすべての真理の要諦である。
 その方法は、
 「静かに在ること」に尽きる。
 では静寂とは何を意味するのだろうか?
 それはあなた自身を打ち壊すことを意味する。
 なぜならすべての名前と形が苦しみの原因だからだ。
 「私はこれである」という観念を放棄しなさい。
 真我を実現するために必要なのは、
 静かに在ることだけである。
 それ以上簡単なことがあるだろうか?
 それゆえ、
 アートマ・ヴィディヤー(真我の知識)の達成は
 最も容易なことなのである。
 
 唯一、自己の真の本性だけが、
 調べられ、知られる価値のあるものである。
 それを注意の的として射止め、
 ハートの中で強烈にそれを知るべきである。
 この自己の本性の知識は、
 苛立ち苦しむ心の活動から解放された、
 明晰で平静な意識にのみ明らかにされるだろう。
 ハートのなかで絶えず輝きつづける
 意識こそが無形の真我であり、
 存在や非存在である何かなどと考えることなく、
 ただ静かに在ることによって知られるもの、
 ただそれだけが完全な実在であると知りなさい。
 
 『あるがままに』(p122-124)
──────────────────

> あなたの務めはただ在ることであり、
> あれやこれとして在ることではない。

はい。

> 「私は私であるものである」(I AM THAT I AM)
> という言葉がすべての真理の要諦である。

(-_-)

> その方法は、
> 「静かに在ること」に尽きる。

やっぱり。(*-_-*)

> では静寂とは何を意味するのだろうか?

はい。

> それはあなた自身を打ち壊すことを意味する。

(*_*) ⌒★?

そうか……、

そういう意味だったんですね。

だから抵抗するエゴも本気なんだ……。

> なぜならすべての名前と形が苦しみの原因だからだ。

頭ではわかっているつもりでした。(*-_-*)

> 「私はこれである」という観念を放棄しなさい。

やっとその意味が浸透しはじめたところです。

> 真我を実現するために必要なのは、
> 静かに在ることだけである。

そうなんですねぇ。

> それ以上簡単なことがあるだろうか?

エゴにとってそれを理解するほど

難しいことはないわけですね……。

こうやってピエロの役回りをしつづけたのは、

それを理解するためだったんですね。(-||-)

> それゆえ、
> アートマ・ヴィディヤー(真我の知識)の達成は
> 最も容易なことなのである。

わかりました。

> 唯一、自己の真の本性だけが、
> 調べられ、知られる価値のあるものである。

憧れて、そして怖いわけですよね。

> それを注意の的として射止め、
> ハートの中で強烈にそれを知るべきである。

(-||-)

> この自己の本性の知識は、
> 苛立ち苦しむ心の活動から解放された、
> 明晰で平静な意識にのみ明らかにされるだろう。

わかりました。

> ハートのなかで絶えず輝きつづける
> 意識こそが無形の真我であり、
> 存在や非存在である何かなどと考えることなく、
> ただ静かに在ることによって知られるもの、
> ただそれだけが完全な実在であると知りなさい。

恥ずかしいです……。

恥ずかしいですが……わたしは恥ずかしさではない。

わたしは恥ずかしさを映し出すパワー。

言葉だけで恥ずかしい。(*-_-*)

(-||-)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
──────────────────

(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


       ………○…………○…………○………


▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


       ………○…………○…………○………


▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


       ………○…………○…………○………


▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


       ………○…………○…………○………


━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.編集後記:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━

今日は明るいうちに終えました。

というか、書くことなど何もありません。

なにひとつわかってもいないし。

ではでは。

<(_ _)>


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
------------------------------------------------------------
このメールマガジンは二つの配信スタンド
「まぐまぐ」は:http://www.mag2.com/m/0000126287.html
「melma」は  :http://www.melma.com/backnumber_110091/
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
Copyleft(C)2017 paritosho
------------------------------------------------------------