home > 通信 >『アセンション館通信』第699号:取らないほうがいいのだ



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2017/09/03(第699号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

 苦痛から欲望が生まれ、苦痛のなかで欲望を満たそうとする。

 世界の根本原因は自己愛である。そのために私たちは快楽を探し
 求め、苦しみを避ける。自己愛を真我への愛に変えなさい。
 すると画面は変わってくる。(ニサルガダッタ)

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在853名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.取らないほうがいいのだ

2.いただいたお手紙から:シマさん

3.編集後記
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■ 1.取らないほうがいいのだ
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九月の空の色はすばらしいです。

今年ももう、九月になってしまったんですね。

後半の人生というのは本当に速い……。(-_-;)

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、

お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

「光陰矢のごとし」という言葉をはじめて聞いたのは、

小学六年生のころだったと思います。

学校でこの言葉を教わったときは、

何か深い意味があるのだろうと思ったものです。

でも、小学生にこの言葉を意味など、

わかるはずがありません。

そして、それがわかる歳になれば、

そんなものわかる必要もない。(*^_^*)

実際、誰に言われるまでもなく

「光陰矢のごとし」なのですから。

一年など、あっという間に過ぎ去ってしまいます。

しかし、つくづく……秋の空は高いですね。

あ、いつの間にか、

高い雲がすべて……消えている。

南の稜線に白い雲がかかっているだけです。

上はすべて青空……。

ほんとの秋になりましたね。

先日は、はじめて号外などを出して

みなさまにビックリされたり、呆れられたり、

ぱりさんまたやってる、と思われたりしたことでしょう。

もちろん、軽蔑された方もいると思います。

実際、それが夢のなかのpariパターンの

等身大なのですから仕方ありません。

ついつい

うまい話を信用したがるところがあります。

もしホントにうまい話なら、

今でなければ間に合わないというのなら、

皆さんに伝えてもいいかと思ったり。

バカですねぇ。(*^_^*)

別に先月中でなくても良かったみたいですね。

でも、あの話、そのあとを聞くと、

あれは“大盤振る舞い”で「くれる」とかいう話ではなくて、

普通の“お金儲けに乗りませんか”という話ですね。

そのためには当然参加費もあるのでしょう。

わたしですら、あ、これはダメだと思いました、

たぶん、皆さんには合わない話だろうと思います。

地球はまだ、黙ってお金を配ってくれる

という話にはならないようですね。

わたしはどうも、いまだに

お金という接触面をうまくこなせません。

そして自分がそうなものだから、

ついついこれを読んでくださる皆さんにも

きっとそういうところがあるのではないかなどと

勝手に推測してしまうところがあります。

でも、登場人物のわたしが

これをどうにかできるわけでもない。

夢のなかにいるのは物語の登場人物ですから。

それにもかかわらず、

欲望を持った者は苦しむ者になるわけです。

わたしとしては、できることなら

あまり恥などかかない形で

うまくこの身体を乗りこなしたいところなのですが、

そうは問屋が卸さない。

それを理不尽だと叫んでも仕方がない。

そうなっているわけです。

実際、欲望を持ってそれが上手くいったら、

理不尽だとは騒がないわけですものね。(^_-)

身体は夢を映し出す映写機なのでしょう。

投影するシナリオの画面も携えていれば、

それぞれの場面に応じて浮上する反応も仕込んでいる。

それが現象世界という夢の構造体の仕組みなんですかねぇ。(-_-;)

とうてい理解し難いことです。

ただ、わたしはこうして夢を見ている。

そして自分が見ているその夢の物語の状況にハマって

苦しんでいることだけは間違いない。

ラマナ・マハルシの言うところによれば、

この身体の一挙手一投足は

この身体が誕生した時点ですべて決まっているそうです。

──────────────────
 質問者 人の人生において、彼の国、国民、家族、仕事、
     職業、結婚、死などにおける顕著な出来事が、
     彼のカルマによってすべて宿命づけられている
     ことは理解できますが、しかし彼の人生の詳細
     すべてに至るまで、取るに足らないことまで、
     すでに決定されているのでしょうか? 
     例えば、今私は手のなかの扇を床の上に置きました。
     それはこの日、この時間に、私がこのように扇
     を動かし、このようにここに置くということまで、
     すでに決定されているということなのでしょうか?
 
 マハルシ
 もちろんだ。
 何であれこの身体がすること、
 そして何であれそれが通り抜ける体験は、
 その身体が存在を現したときにすでに
 決定されているのである。

 『あるがままに』(p388-389)
──────────────────

何度読んでも驚きです。

>     例えば、今私は手のなかの扇を床の上に置きました。
>     それはこの日、この時間に、私がこのように扇
>     を動かし、このようにここに置くということまで、
>     すでに決定されているということなのでしょうか?
> 
> マハルシ
> もちろんだ。

信じがたいことです。(@_@)

> 何であれこの身体がすること、
> そして何であれそれが通り抜ける体験は、
> その身体が存在を現したときにすでに
> 決定されているのである。

時間が幻想であるということと同様に、

これは夢のなかの登場人物にはとうてい理解し難い。

しかし、同時に、

物語がすべて夢であるのなら、

物語を支える基幹構造である時間が

幻想でしかありえないのは確かでしょう。

この信じがたいマハルシの言明を聞いて

質問者は思わずこう尋ねます。

──────────────────
 質問者 それでは、人の自由や彼の行為に対する責任
     はどうなるのでしょうか?
 
 マハルシ
 人が手にできる唯一の自由とは、
 努力をしてジニャーニを得ることである。
 それが彼と身体との同一化を断ち切る。
 身体はプラーラブダによって宿命づけられた、
 避けることのできない行為を通り抜けていくだろう。
 人は身体と彼自身を同一視し、
 その身体の行為の報いに執着するか、
 あるいはそれから離れ、
 身体の活動の単なる目撃者となるか、
 という選択の自由だけをもっているのである。

 『あるがままに』(p389)
──────────────────

> 質問者 それでは、人の自由や彼の行為に対する責任
>     はどうなるのでしょうか?

もしわれわれの身体の行動が

何から何まですでに決まっているのなら、

そもそもそんな夢の登場人物に

自由や責任などありうるものでしょうか?

人間に自由はいっさいないのですか?

> マハルシ
> 人が手にできる唯一の自由とは、
> 努力をしてジニャーニを得ることである。

う。(>_<)

> それが彼と身体との同一化を断ち切る。

(-_-;)

> 身体はプラーラブダによって宿命づけられた、
> 避けることのできない行為を通り抜けていくだろう。

はい。

> 人は身体と彼自身を同一視し、
> その身体の行為の報いに執着するか、

(-_-)?

> あるいはそれから離れ、
> 身体の活動の単なる目撃者となるか、
> という選択の自由だけをもっているのである。

そうか……。

何回読んでも……同じことが書いてあります。

でも……以前よりもちょっとはっきり聞こえたかもしれない。

(-||-)

覚者はそれぞれ異なる語法を使います。

たとえば、アジャシャンティの場合、

われわれは苦悩の依存症だというふうに説明します。

──────────────────
 私たちが最も深く依存しているもの、
 選んだドラッグは、実は苦悩です。
 
 『大いなる恩寵に包まれて』(p205)
──────────────────

という立場(語法)です。

アジャシャンティは

わたしたちの状況を次のように描きます。

──────────────────
 スピリチュアルな人たちは
 よく偉大な覚者たちの教えを聴いたり、
 その教えを生かしているのですが、
 重要な要素を見逃していることがよくあります。
 それは私たちが自分自身でいることに
 溺れているということ、
 自己中心であることに耽っているということ、
 自分の苦悩の中毒になっているということ、
 自分の信念や世界観の依存症になっているということです。
 人は自分がもし宇宙の中での自分の役割を放棄したなら、
 宇宙は崩壊するかもしれないと本気で考えています。
 このようにして人は
 実際に苦悩し続けることを望んでいるのです。
 
 『大いなる恩寵に包まれて』(p207-208)
──────────────────

この一節のタイトルは

「苦悩とはまったく自由意志によるもの」

というのです。

> 苦悩とはまったく自由意志によるもの。

この語法はこの語法で了解可能ですよね。

結局は、どの登場人物の場合も

その人という分離独立した実体が存在するのではなく、

ただ知覚する者が自己同化する

ひとつの物語にすぎないわけです。

身体自体はいわばバイオコンピュータですから、

あえて言うなら物質であり死物です。

知覚対象物の出現と同時発生する知覚者は、

知覚対象である登場人物の観点(DNAと条件づけ)から

すべてをパターン認識するしかありません。

登場人物の観点から登場人物を無化する方法……、

そんなものあるはずがないですね。

それでもその拘束のなかには収まりきれずに、

溢れてしまうエネルギーがあるものだから、

そのエネルギーは

登場人物の構造(DNAと条件づけ)のなかで、

つまりは登場人物の物語のなかで、

脱出路を探求することになるわけです。

(脱出が必要かどうかはまた別の話ですが。)

だからある人々は瞑想の道を進み、

別の人々は感受性と行動の道を進み、

また別の人々は懸命に考えるしかないのでしょう。

でもラマナ・マハルシは

この登場人物の物語は、

その身体の誕生時点ですべて

何から何まで決定しているのだという。

(この点では、

 ニサルガダッタの語法は少し違います。

 でも、そんな覚者の語法の違いに注目しても、

 われわれには何の益もありませんが。)

しかし、どれほど語法が違ったとしても、

あらゆる覚者が例外なく同意するのは、

覚醒があるのは今のなかであること。

時間は実在ではなく、

夢の中、物語の中で想像されたものだということです。

たとえば、アジャシャンティはこう言います。

──────────────────
 実際のところ、
 目覚めそのものはプロセスではありません。
 どうやって目覚めを表に示していくか
 という点ではプロセスはありますが、
 本当に目覚めることと
 個人的な苦悩を終わらせることは
 時間のかかることではないのです。
 この事実はとても理解しがたいものです。
 皆こう言います。
 「アジャ、そうは言っても実際に時間はかかるよ。
  本当に時間がかかる」。
 世界中の何千人という人たちに会ってきてわかったことは、
 今なお苦悩している人たちは時間がかかると言うのですが、
 その一方で目覚めた人たちからすると、
 時間はかからないとはっきり言えるのです。
 
 『大いなる恩寵に包まれて』(p207-208)
──────────────────

> その一方で目覚めた人たちからすると、
> 時間はかからないとはっきり言えるのです。

目覚めることは物語から出るということ。

時間は物語の中にしかないのは明らかです。

そしてわたしは今その物語のほうに

より大きな関心をもっている……

ということになるのでしょう。

まだ物語の引力圏のなかに捕らえられている。

まだ納得できていないことはこのことです。

──────────────────
 あなたが必要とするものは非実在であり、
 あなたの努力は無意味だ。
 あなたは所有物があなたを守ると想像している。
 実際は、
 それらがあなたを傷つきやすくするのだ。
 あなた自身が「あれ」や「これ」として
 指し示すことができるすべてから
 離れたものであることを自覚しなさい。
 あなたは感覚的体験や言語的解釈によって
 到達することのできないものだ。
 それから立ち去りなさい。
 人格化を拒否しなさい。
 
 『私は在る』(p356) 
──────────────────

> あなたが必要とするものは非実在であり、
> あなたの努力は無意味だ。

このことがまだ腹に落ちていない。

> あなたは所有物があなたを守ると想像している。

たしかに。

また、だからこそ人生に対する嫌悪感が湧くのです。

> 実際は、
> それらがあなたを傷つきやすくするのだ。

ほんとうはそうなのでしょう。

ただ、それがまだわかっていない。

> あなた自身が「あれ」や「これ」として
> 指し示すことができるすべてから
> 離れたものであることを自覚しなさい。

頭では……理解できるのだけれど。

> あなたは感覚的体験や言語的解釈によって
> 到達することのできないものだ。

概念としては……わかるのだけれど。

> それから立ち去りなさい。

わからなくてもいいから……、

それから立ち去りなさいということかなぁ。

> 人格化を拒否しなさい。

(-||-)

──────────────────
 そこに放棄するようなものは何もない。
 もしあなたが獲得することをやめるなら、
 それで充分だ。
 与えるためにはもたなければならない。
 もつためには取らなければならない。
 取らないほうがいいのだ。
 それは「霊的な」自尊心となる危険性のある
 放棄を行うよりもシンプルだ。
 
 『私は在る』(p367)
──────────────────

> そこに放棄するようなものは何もない。

(-_-)彡

> もしあなたが獲得することをやめるなら、
> それで充分だ。

ああ。

> 与えるためにはもたなければならない。

はい。

> もつためには取らなければならない。

ええ。

> 取らないほうがいいのだ。

そうなんですね。

> それは「霊的な」自尊心となる危険性のある
> 放棄を行うよりもシンプルだ。

この言葉はまだ腑に落ちていません。

(-||-)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
──────────────────

(-||-)

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 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


       ………○…………○…………○………


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■ 2.いただいたお手紙から:シマさん
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▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


       ………○…………○…………○………

今回、シマさんという方から貴重なご意見をいただきました。

シマさんご自身はもうこのメルマガを読まれていないのですが、

せっかくですので、ここでご紹介いたします。

【件名】:解除しました
──────────────────
 翻訳家の古閑さんのブログで何回かこのメールマガのことが
 書かれてたので登録してました。
 号外で詐欺みたいな情報商品を宣伝されたのでびっくりして
 メール解除です。
 ニサルガダッダさんもがっかりではないですか。
 前も変な健康食品みたいなやつを宣伝してましたがアセンシ
 ョンってそういうことなんですか。
──────────────────

> 翻訳家の古閑さんのブログで何回かこのメールマガのことが
> 書かれてたので登録してました。

そうでしたか。

> 号外で詐欺みたいな情報商品を宣伝されたのでびっくりして
> メール解除です。

了解いたしました。

これまでお付き合いいただきありがとうございました。

> ニサルガダッダさんもがっかりではないですか。

まったくですね。(-_-)

> 前も変な健康食品みたいなやつを宣伝してましたがアセンシ
> ョンってそういうことなんですか。

まあ、今はあまり

アセンションテーマについては書いていないのですが、

でも、そんなことは弁解にもなりません。

ご期待に添えなくて、申し訳なかったです。

貴重なご意見、感謝いたします。(-||-)

<(_ _)>


       ………○…………○…………○………


▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


       ………○…………○…………○………


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■ 3.編集後記:
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いろいろなご感想を持たれた方も

多いと思います。

意味というのはすべて意識の中に、

すべてわたしの汚れの中にあるんですね。

その汚れに

わたしはこれほど執着しているのでしょう。

この身体に起こることは

わたしが変えられるようなことではないそうです。

> 人は身体と彼自身を同一視し、
> その身体の行為の報いに執着するか、
> あるいはそれから離れ、
> 身体の活動の単なる目撃者となるか、
> という選択の自由だけをもっているのである。

状況はとても単純になってくるようです。

今日は暗くなりました。

お休みなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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