━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2017/09/10(第700号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。
苦痛から欲望が生まれ、苦痛のなかで欲望を満たそうとする。
世界の根本原因は自己愛である。そのために私たちは快楽を探し
求め、苦しみを避ける。自己愛を真我への愛に変えなさい。
すると画面は変わってくる。(ニサルガダッタ)
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在850名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.クオリア(感覚質)を感じている者
2.編集後記
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■ 1.クオリア(感覚質)を感じている者
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九月なんですよねぇ……。
この前お正月だったのに……。
もうじきお正月ですね。(^_-)
(*^_^*)
さて、またまた一週間が過ぎて、
楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、
お付き合いいただく今がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人の pari です。
囚われている者など誰もいないということは、
理屈ではもう充分にわかっています。
でもこうして
朝目覚めて自分という思いが浮上し、
その自分にフォーカスしたとたんに、
物語は回転しはじめます。
その物語とは、もちろん、
この身体を存在根拠として
紡ぎだされる想像です。
この想像機能は
呼び寄せられた想像のあらゆる局面で
それぞれ二極に分岐して
想像上の比較や判断を展開していくのですから、
物語の局面は幾何級数的に増殖できます。
物語に光が当てられ、注意が注がれると
その物語は実体化して動き出します。
そして自分は世界に捕らえられていると
騒ぎ出すわけです。
でも、知覚の対象物であるこの身体や世界と
それに付随してわいてくる想念は
レベルや位相は多少異なるにしろ
すべて物質であることは間違いありません。
あえて念を押すなら“死物”です。
それらの形体が生きているわけではない。
空間イメージでいうなら、
「物質 対 空間」は「1 対 無限」のようなもの。
物質は現象世界という意識のコンテンツを
【見かけ】として表現する表現媒体にすぎません。
では何がその表現媒体を照らしだし、
表現として実現しているかと言えば、
ひとつしかない空間ということになるでしょう。
スピリチュアルな用語で言うなら
「いまここ」(here now)
ということになるでしょう。
知的な意味では、それはもう
疑う余地がないと思われます。
とはいえ、それは、
ただ言葉でそう表されるというだけのこと。
実際には分かっていることなどなにもありません。
上のほうに目を向けて「天(あめ)」と呼び、
そこから水が降ってきたので
それもまた「雨(あめ)」と呼んでみた、
そんな程度のことにすぎません。
でも、とにかく疑えないのは
それらの知覚対象となる物質に
光が当たってはじめて現象となることです。
しかしその光自体は顕れません。
現れるのはどこまでも何らかの物質だけです。
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光線がほこりの微少片に
さえぎられないかぎり目に見えないように、
至高なるものもすべてを既知にしながら、
それ自身は未知としてとどまるのだ。
『私は在る』(p85)
──────────────────
昔よく行った映画館で暗い館内に入ると
映写窓からスクリーンに向けて
闇の中を横に広がる映写光が見えたものです。
しかし、あれも実際は、
光が見えていたわけではなくて、
煙草の煙などの微粒子が見えていたわけです。
そのホコリの中でも投影画像が動いていたものです。
あの程度の仕掛けでも、
スクリーンのなかに物語を想像して
全身で共振しながら感動していたのでした。
感動していたのは誰だったのか?
もちろん、
スクリーンに映る画像と音声に合わせて
物語を想像し、体験していた人です。
では、その体験と体験する人を
区別できるものでしょうか?
実際はその体験する人は、
体験そのものと
体験を可能にする仕組みであるこの身体の間に
想像され付加された関係概念にすぎません。
体験も体験する人も
ともに意識の光なしにはありえないわけです。
実在するのは【見かけ】を輝かせる暗闇としての光です。
その光の中で
表現媒体としての物質の振る舞いが
つかの間の現象として現れるのです。
体験する人はいわば
暗闇の中に浮かび上がった知覚対象が
自分で存在すると幻想した誤解とも言えるでしょう。
マハラジは、存在するものを
どのように描写しているでしょうか?
──────────────────
質問者 それでは、意識の中心には
何があるのでしょうか?
マハラジ
それは名前も形も与えることのできないものだ。
なぜなら、
それは何の特質ももたず、
意識を超えたものだからだ。
意識のなかにありながら、
意識を超えた点とも言える。
紙のなかにあるひとつの穴が、
紙のなかにありながらしかも紙に属さないように、
至高の状態は意識の中心そのものでありながら、
しかも意識を超越している。
それはマインドのなかの開かれた穴から
光が氾濫(はんらん)しているようなものだ。
その開かれた穴は、
光とさえ呼ぶこともできない。
それはただ開かれたるものなのだ。
『私は在る』(p54-55)
──────────────────
> それはマインドのなかの開かれた穴から
> 光が氾濫(はんらん)しているようなものだ。
……。(-_-)
> その開かれた穴は、
> 光とさえ呼ぶこともできない。
(-_-)?
> それはただ開かれたるものなのだ。
わたしたちは意識の雲間に開いた穴……。(-_-)
ところで……、
身体は奇跡的な創造物だと言われます。
たぶん、その一番の奇跡性は
この身体を介して体験が起こることでしょう。
人間の身体には大脳という奇跡的な器官があって、
人間がクオリア(感覚質)を
持つことを可能にしています。
クオリアとは
主観的に体験される様々な質のことです。
いわゆるわれわれの内面です。
いちばん単純なクオリアである痛みは、
傷ついた身体部位で起こっているのではなく、
脳内の電気現象として起こっているそうです。
その電気現象がどこかで痛みに転換する。
とはいえ、その電気現象を
痛みと同定することもできないようです。
──────────────────
人が痛みを感じるとき、
脳の神経細胞網を走るのは、
「痛みの感触そのもの」ではなく
電気信号である(活動電位)。
脳が特定の状態になると痛みを感じるという
対応関係があるだろうものの、
痛みは電気信号や脳の状態とは別のものである。
クオリアとは、
ここで「痛みの感覚それ自体」にあたるものである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/クオリア
──────────────────
この古くて新しいクオリアを
現在の地上の科学で扱えるかどうかについては、
まだ定説はないそうです。
──────────────────
現在のところ、
クオリアとはどういうものなのか、
科学的な「物質」とどういう関係にあるのか
という基本的な点に関して、
研究者らによる定説はない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/クオリア
──────────────────
こういう問題が新たに脚光を浴びてきたのは
地上の脳科学の発達だけでなく、
AI(人工知能)の側からの必要も
高まってきているからでしょう。
こういった現代の視点から、
何がクオリアを認識しているのか?
そもそも、いったい何が生きているのか?
いや、そもそも実在しているのは何なのか?
といった視点までの距離は
いったいどれくらいあるものなんでしょうね?
それは思いの外に近いのかもしれませんし、
あるいはその逆なのかもしれません。
こうして、pariパターンなどが
言葉の上の興味を振り回しているところを見れば、
その距離は思いの外に遠いのかもしれませんし。
でも、これも現象構造体全体がしていること、
pariの一存でしていることでもないでしょう。
──────────────────
探求者は消え去るが、探求は続く。
探求は究極であり、永遠の実在だ。
『私は在る』(p241)
──────────────────
それは全体が個々の登場人物として
していることなのかもしれません。
しかし、また一方では、
われわれ登場人物に関するかぎり、
自分が何に興味を持っているのかは
自分が決めるしかないのでしょうね。
たとえ、それが
全体が決めていることだとしても。
そしてその理由は明らかです。
なぜなら……。
──────────────────
質問者 私たちは生きています。なぜならば、
そうしなければならないからです。
マハラジ
私たちは生きている。
なぜなら感覚的存在を切望しているからだ。
『私は在る』(p149)
──────────────────
(>_<)
> 私たちは生きている。
> なぜなら感覚的存在を切望しているからだ。
ソレヲイッチャーオシメーヨ。(*^_^*)
──────────────────
質問者 普遍的なことがらは、
間違いのはずがありません。
マハラジ
もちろん間違いではない。
その時と場所においては間違ったことなど何もない。
しかし真実に関心を持ち、
実在に関心を持つならば、
あなたはすべてを、
あなたの人生そのものを疑わなければならない。
感覚的必要性、
知的体験を主張することによって、
あなたは真理の探究を安楽の追求へと狭めてしまうのだ。
『私は在る』(p149-150)
──────────────────
> その時と場所においては間違ったことなど何もない。
もちろん。
> しかし真実に関心を持ち、
> 実在に関心を持つならば、
> あなたはすべてを、
> あなたの人生そのものを疑わなければならない。
わかります。
> 感覚的必要性、
> 知的体験を主張することによって、
> あなたは真理の探究を安楽の追求へと狭めてしまうのだ。
(>_<)
そういうことなんだよなぁ……。(;_;)
何かに依存することで、
依存症から解放されようというのは
無理なんなんです。
気を失うことで
正気になろうとするようなもので。
──────────────────
私が知っていることは、
何であれ依存するものは実在でないということだけだ。
実在は真に独立している。
個人の存在は世界に依存している。
そしてそれは世界によって制限され、
定義されている。
それゆえ、それは実在ではありえない。
『私は在る』(p78)
──────────────────
> 私が知っていることは、
> 何であれ依存するものは実在でないということだけだ。
【依存するものは実在でない】
当たり前だな。(;_;)
> 実在は真に独立している。
> 個人の存在は世界に依存している。
> そしてそれは世界によって制限され、
> 定義されている。
> それゆえ、それは実在ではありえない。
話がわかったのなら、
もうそれ以上言葉を操ることは、
無駄であり、無意味であり、
ただの障害物であることは明らかなのでしょう。
(-||-)
──────────────────
あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
──────────────────
(-||-)
──────────────────
永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
──────────────────
……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
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■ 2.編集後記:
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何をか言わんや……という気持ちですね。
今日は暗くなりました。
お休みなさい。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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