home > 通信 >『アセンション館通信』第702号:わたし:気づきと身体のあいだ



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2017/09/24(第702号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

 苦痛から欲望が生まれ、苦痛のなかで欲望を満たそうとする。

 世界の根本原因は自己愛である。そのために私たちは快楽を探し
 求め、苦しみを避ける。自己愛を真我への愛に変えなさい。
 すると画面は変わってくる。(ニサルガダッタ)

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在851名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.わたし:気づきと身体のあいだ

2.編集後記
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■ 1.わたし:気づきと身体のあいだ
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一面の大きな雲の向こう、

南側の稜線の上に青空が姿を現しています。

カラスが鳴いている。

風景がいつもわずかに変わっています。

当たり前ですね。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、

お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

こうして今この文字に気づいている者、

それがわたしです。

今わいているこの想念に気づいている者、

それがわたしです。

こんなことは言うまでもないことで、

誰にとっても自明のことです。

たしかにそうなのですが、

でもこれは、この身体が誕生したときすでに

自明だったわけでもありません。

なぜなら、

【今わいているこの想念に気づいている者、

 それがわたしです】などという言葉を、

生まれたばかりの赤ん坊が

知覚できたはずもないからです。

でも誕生したばかりの赤ん坊も

確かに何かに気づいていたでしょう。

もっとも、気づいている対象を

記憶できるかどうかはまた別のことですが。

というか、

記憶のための受け皿ができていなければ、

何ひとつ記憶されなかったでしょうね。

当時のことなど何も覚えていません。

でも、そのとき気づいていた気づきも

今ここで気づいている気づきも

まったく同じ気づきであることは、

これまた自明ではないでしょうか。

気づいている気づきははつねに同じです。

気づきに何種類もあるはずもなく、

つねに唯一の気づきが気づいているだけです。

ところが、

【今わいているこの想念に気づいている者、

 それがわたしです】とこう言ったとき、

「この想念に気づいている者」とか、

「わたし」とかいう言葉が指しているものが、

その「たったひとつの気づき」を

指しているかどうかは非常に疑問です。

というよりたぶん、

同じものを指してはいないでしょう。

おそらく、その

「この想念に気づいている者」とか、

「わたし」という言葉には、

それが使われている状況に応じて、

千差万別の物語や関係概念が付加されていると思います。

言葉とはそういうものなので、

それは避けようがありません。

でも、改めて杓子定規に言うなら、

それらの物語や関係概念もすべて知覚の対象物です。

それらは知覚の対象物なのですから、

それらの物語や関係概念が、

知覚の対象物を知覚できるわけではありません。

そうすると、事態はとても単純で、

今ここで気づいているのがわたしであるなら、

その気づきはひとつしかないのですから

つまり、わたしとは

そのたったひとつしかない気づきのことです。

以上。

というふうに、もしそれで一巻の終わりとなるなら

これほど簡単なことはありません。

実際は、それほど単純なことのはずなのに、

ご存知のように、ここにいろいろ

問題をわかりにくくしている状況があります。

それは、言ってみるなら、

人間バイオコンピュータの構造上の問題です。

人間の身体という乗り物は、

そこに体験と呼ばれる現象が起こるように

デザインされたバイオコンピュータです。

人間が作った電気釜なら、

「自分がご飯を炊いた」とは言わないのに、

人間バイオコンピュータは

「自分は心配だ」と言うように設計されている。

人間バイオコンピュータというのは、

もちろん、単なる比喩的概念です。

そしてこのバイオコンピュータの観点から見ると、

“わたし”とか“自分”というのは、

いろいろな属性や状況や性格を帯びているわけです。

コンピュータも最初の頃は、

ハードウェアとソフトウェアの区別がとても明確でした。

ハードウェアというのは

すでに基盤や筐体としてできあがっている部分。

ソフトウェアというのは

そこに紙テープ、カード、磁気テープといった

何らかの外部記憶から読み込ませる

一連のデータのことでした。

でもその後、ご存知のようにPCの発達で、

このハードウェアとソフトウェアの区別は

とても曖昧になってきました。

LSI(大容量集積回路)技術の発達で

記憶容量も桁違いに大容量化し

計算能力も高速化し、処理も多機能化してくると

以前はソフトウェアに分類されていた機能が

どんどんパッケージ化され内蔵化され、

もうソフトともハードとも識別できなくなって

ファームウェアと呼ばれる中間層になったりと、

実行される処理機能の大部分が

最初からPC自体に内蔵されるようになりました。

人間バイオコンピュータも同様です。

赤ん坊の身体が誕生した時点で

能力的なもの、機能的なものはすべて

その潜在的成長可能性とともに

ハードウェアやファームウェアとして

すでに最初から内蔵されているわけです。

たしかに、人生というビビッドな物語自体は

身体の誕生後に紡ぎ始められます。

それは身体の誕生後に逐次インストールされる

家族や社会や時代の物語(ソフトウェア)です。

でも、その物語的状況に対応する

操作的な処理系や、膨大な潜在的連想野はすべて

バイオコンピュータ自体の維持制御系として

PCのハードウェアやファームウェアのように

最初から身体自体のなかに内蔵されています。

細かい厳密なことなどもちろん知りませんが、

身体の運動系、循環系、神経系を制御中枢である

大脳小脳などの制御構造体がそれに当たるのでしょう。

こういった構造体はすべて

何らかの物質で構成されているわけですから、

それが知覚の対象物であることは当然です。

何らかの知覚の対象物は、

もちろん、気づきそのものではないでしょう。

杓子定規な理屈から言えば

そういった大脳小脳などの制御構造体は

わたしではありえません。

でも、現に起こっていることから判断すると、

わたしたちはその区別ができないようです。

自分というのはほとんどつねに、

何らかの物語や属性を帯びていて、

そのことを少しも疑いません。

こういったこと自体は、

理解したければ、すぐに理解できるのです。

人間バイオコンピュータの精神構造体が

求められた理解をただちに提供するからです。

でも、これほど洗練された

奇跡のバイオコンピュータともなると、

使い手はほとんど見たいものを見られるということです。

誰がこの奇跡のバイオコンピュータに乗っているのか、

という話をいちおう措いておけば、

この奇跡のバイオコンピュータの乗り手は、

見たいものを見ることができる、

知りたいことを知ることができるわけです。

逆に言うと、

知りたくないことは知らなくてすむわけで、

自分の望みどおりのものを見ていることにもなります。

ということは、

この奇跡のバイオコンピュータ、

つまり精神身体構造体のなかには

全宇宙が包含されているとも言えます。

今起こっている出来事、

今起こっている想念、感覚、気分に気づいている者

それがわたしです。

このこと自体は間違いなさそうです。

しかし、もう一方では

わたしはわたしが見たいものを見て、

知りたいことを知っているというのも間違いなさそうです。

その意味では、

わたしは、わたしが気づいている出来事、

わたしが気づいている想念、感覚、気分である

とも言えそうです。

知覚の対象物がそれ自身に気づくことはありえないので、

これは一見すると矛盾ですが、

実際は矛盾でも何でもない。

想念を呼び出している者と、

その想念に気づいている気づきとは

同じではないというだけのことです。

想念を呼び出している者は

その呼び出した想念に出会うことができる。

しかし、

その想念に気づいている気づきには

実際は何も起こりません。

われわれの使う「わたし」という言葉は

この両者の間の何処かに位置しているわけです。

あるいは、じつはどこにも存在していないか。(*^_^*)

興味をもつことが愛でしょうか?

いや、興味をもつことは

興味をもたないことの反対概念にすぎないかもしれません。

もしかしたら、

無条件に気づいていることが愛なのかもしれません。

──────────────────
 世界を知ることで、あなたは自己を忘れ、
 自己を知ることで、あなたは世界を忘れるのだ。
 結局のところ、世界とは何だろう?
 記憶の集合だ。
 ひとつのことを固守しなさい。
 それが大切なことだ。
 「私は在る」をつかみ取りなさい。
 そしてほかのすべてを手放しなさい。
 これがサーダナ(修練)である。
 真我実現のなかには、
 覚えることもなければ、忘れるものもない。
 すべては知られたものだ。
 思い出すことなど何もない。
 
 『私は在る』(p421)
──────────────────

> 結局のところ、世界とは何だろう?
> 記憶の集合だ。

(-_-)

> ひとつのことを固守しなさい。
> それが大切なことだ。
> 「私は在る」をつかみ取りなさい。
> そしてほかのすべてを手放しなさい。
> これがサーダナ(修練)である。

(*-_-*)

> 真我実現のなかには、
> 覚えることもなければ、忘れるものもない。
> すべては知られたものだ。

(-||-)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
──────────────────

(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.編集後記:
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気づいている者。

知覚している者。

経験している者。

想像している者。

追求している者。

否定と回避衝動に突き動かされている者。

多様な視点を宇宙が創造しているのか、

それともわたしひとりが夢を見ているだけなのか。

今日はすっかり夜も更けました。

おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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