home > 通信 >『アセンション館通信』第709号:「これは夢だ」という了解



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2017/11/12(第709号)
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

 苦痛から欲望が生まれ、苦痛のなかで欲望を満たそうとする。

 世界の根本原因は自己愛である。そのために私たちは快楽を探し
 求め、苦しみを避ける。自己愛を真我への愛に変えなさい。
 すると画面は変わってくる。(ニサルガダッタ)

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在848名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.「これは夢だ」という了解

2.編集後記
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■ 1.「これは夢だ」という了解
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今日はずいぶん温かい日ですね。

日差しが強いので窓を開け放っています。

日が陰るとすぐに寒くなるんですけどね。

そうしたら、

またすぐ閉めるだけです。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、

お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

映画の中の登場人物が

自分は映画の中の登場人物であると了解する、

そういうことはありうるでしょうか?

いくらなんでもそれはないですよね。

たとえ、その映画の筋立てがそうなっていて、

そんな物語が展開したとしても、

そもそも映画の登場人物そのものが

スクリーン上に連続投影される画像にすぎないので、

元々そんな人物は存在していないのですから。

存在してもいない人物が、

何事かを了解するはずもありません。

これについては

まったく疑問の余地はないと思います。

では、

映画の中の登場人物には

そのことを了解できる可能性はないとして、

あらためてここで質問です。

映画の中の登場人物というのは

映画の中の登場人物でしかないという了解自体は、

ありうるものでしょうか?

え、え、なに、なに? (?_?)

それ、その前の疑問と何が違うの?

いえ、ですからね、

映画の中に出てくる画像としての登場人物には

「自分は映画の中の画像にすぎない」(-_-;)

という了解が生まれることはありえないだろう、

ということはわかったと。

じゃ、話を一般化して、

「映画の中に出てくる登場人物ってのはね、

 ありゃ、実際にああいう人物がいるわけじゃなくて、

 実際は、ただの画像にすぎないのよ」
 
っていう了解自体はありうるのか?って、

ことですよ。

うーん、なんか、回りくどい言い方だね。(^_-)

そんなの、あるに決まってるじゃん。

現に俺だってそれくらい知ってるよ。

映画の観客だったら、

誰だってそれくらい知ってるんじゃね?

というわけで……、

急に語調がずっこけましたが、(*^_^*)

要は、こういうことです。

つまり、

実際には存在していない映画の登場人物には

自分が映画の中の登場人物にすぎないことを

了解する可能性はありえないけれども、

その映画を観ている観客には

その映画の中の登場人物が

映画の中の登場人物にすぎないという了解が起こりうる、

というわけです。

ふーん。

なんでそんな回りくどい言い方をするのかはわからんけど、

まあ、わかりますよ。

われわれが映画を観るとして、

あの映画の中の登場人物は

実際は映画の中の登場人物にすぎない、なんて

バカバカしくて意識するまでもないことだから。

そんなこと、

わざわざ入場券を買って館内に入らなくても

もともとわかりきったことだし。

第一、わざわざ入場券を買って館内に入るのは、

一瞬そのわかりきったことを忘れて

その映画の中の登場人物に入れ込んで、

その映画の中で展開される状況を

映画の中の登場人物の観点から味わって

一喜一憂するためだしね。

……というわけで、こんなこと、

改めて言うまでもない当然のことです。(*-_-*)

すんません。<(_ _)>

改めて言うまでもないほど当然のことですが、

この文脈をちょっといじってみますね。

文頭に掲げた文章の

【映画】の部分に【夢】を入れてみます。

すると、こんな感じになります。

【夢の中の登場人物が

 自分は夢の中の登場人物であると了解する、

 そういうことがありうるでしょうか?】

これ、どう思いますか?

かくいうわたしは、これまで

日常生活のなかで何度も

「これは夢だ」

と思ったことがある、と言ってきました。

で、じゃっかんの気休めにはなったかもしれないが、

だからといって、何が変わったわけでもない、と。

……。(-_-;)

ところで、これって、

「これは夢だ」と了解したことを意味すると

思われますか?

誰が了解したんでしょう?

もし、わたしが「これは夢だ」と思ったのなら、

それはたんに、その言葉が

夢の登場人物としてのわたしのセリフだった、

ということを意味しているだけなのでは?

先程の映画の文脈のなかでは

こんなふうに書かれていました。

──────────────────
 たとえ、その映画の筋立てがそうなっていて、
 
 そんな物語が展開したとしても、
 
 そもそも映画の登場人物そのものが
 
 スクリーン上に連続投影される画像にすぎないのですから、
 
 元々そんな人物は存在していないわけです。
 
 存在してもいない人物が、
 
 何事かを了解するはずもありません。
──────────────────

(-_-;)

たとえ、その夢の筋立てがそうなっていて、

そんな夢の場面が展開したとしても、
 
そもそも夢の登場人物そのものが

空間内に内部投影されるホログラムにすぎないのですから、

元々そんな人物は存在していないわけです。

存在してもいない人物が、

何事かを了解するはずもありません。

(-_-;)

……。

(*-_-*)

あの……、

日常生活のなかで「これは夢だ」

という想念が湧いてくることがあるのは

それは夢の場面がそうなっているだけのことですね。

「これは夢だ」と

誰かが気づいているわけではない。

……。(-_-;)

「これは夢だ」と

気づいている誰かがいるわけではない。

……。

うーむ。

別の言い方をすると、

想像上の自己(とその論理マシン)は

とっても“知りたがり屋”で

“気づきたがり屋”なので

「これは夢だ」と

自分が気づいていると主張したいのかもしれません。

でも、実際には

何かを“想像する自分”はありえたとしても、

何かに“気づく自分”なんてものは存在しない。

もちろん、

何かを“想像する自分”というのも

ひとつの想像、観念にすぎませんけど。

端的に言えば、ただの言葉ですね。

で、話を流れに戻すと、

映画の中に気づいている登場人物が存在しないように、

夢の中にも何かに気づいている自分は存在しません。

気づいている当人が存在しない以上、

気づかれた理解とか認識なんてものもありえません。

すべては想像です。

すべては観念、ただの言葉です。

悪くもなければ、良くもない。

だからマハラジもこう言っているのでしょう。

──────────────────
 想像なしには世界もない。
 あなたが世界を意識しているという確信が世界なのだ。

 『私は在る』(p304)
──────────────────

> 想像なしには世界もない。

想像のエネルギーに巻き込まれた状態がなければ、

世界も無ければ、

その世界にハマっている自分もいない。

> あなたが世界を意識しているという確信が世界なのだ。

(*-_-*)

……。

しつこく話を元に戻します。

映画の中には、

気づいている登場人物というものは存在しません。

これは了解できると思います。

もし、同様の文脈を夢に適用するなら、

夢の中にも、

気づいている登場人物というものは存在しないでしょう。

夢の中の登場人物というものは、

単なる夢見られた夢のコンテンツにすぎません。

つまり、

この自分のことです。

で、こんな頓狂な話は、

そもそも夢の中の登場人物には届きようもないのです。

なぜなら、

どんなに夢の中に届けようとしたところで、

受け取るべき登場人物が夢の中には存在しないからです。

じゃ、今この話を聴いているのは誰なのか?

それは唯一存在している

夢を見ている人です。

夢を見ている人は

夢の中の登場人物ではありません。

それはこの話を聴いているあなたです。

夢を見ているのはあなただからです。

もちろん、

わたしじゃないという意味じゃありません。(*^_^*)

これを書いているあなたのことです。

唯一あなたしか存在しないのですから。

もちろん、そこには

了解するべき何かが存在するわけでもなく、

了解する誰かが存在するわけでもありません。

──────────────────
 あなたが夢を夢として見たとき、
 為すべきことはすべて為し終えたのだ。
 
 『私は在る』(p135)
──────────────────

【夢を夢として見る】

このことが起こったのか、

それともまだ起こっていないのか、

それだけです。

──────────────────
 新たな視野にもかかわらず、
 しばらくの間は既知なる過去への切望と
 未知なる未来への恐れという
 精神的習慣が続くことだろう。
 それらがただのマインドにすぎないと知ったとき、
 あなたはそれらを超えていくことができる。
 あなた自身に関して
 あらゆる類の観念を持っているかぎり、
 あなたはあなた自身を
 それらの観念を通して知るのだ。
 あなたをあるがままに知るには、
 すべての観念を捨て去らなければならない。
 
 『私は在る』(p527-528)
──────────────────

> 新たな視野にもかかわらず、
> しばらくの間は既知なる過去への切望と

「既知なる過去への切望」がどれくらいあるか

よくわかりませんが、

> 未知なる未来への恐れという
> 精神的習慣が続くことだろう。

【未知なる未来への恐れ】があるのは間違いなく、

またいかにも続きそうです。

もしかしたら、

同じことなのかもしれませんが。

> それらがただのマインドにすぎないと知ったとき、
> あなたはそれらを超えていくことができる。

【ただのマインドにすぎない】という反応が

まだ自動過程になっていない。

> あなた自身に関して
> あらゆる類の観念を持っているかぎり、
> あなたはあなた自身を
> それらの観念を通して知るのだ。

はい。

> あなたをあるがままに知るには、
> すべての観念を捨て去らなければならない。

【すべての観念を捨て去る】

はるか彼方かもしれません。

そんなに遠くないかもしれません。

よくわかりませんが。

(-||-)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
──────────────────

(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.編集後記:
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存在するものが

その存在を脅かされることはありません。

ただ、

存在を脅かされたいと望むことが

ありうるような状況が可能になっている。

これだけは間違いない。

だからこそ、

ラマナ・マハルシでさえ

肉体を持って夢を見ようとしたのでしょうから。

【実際には何も起こっていない】

ということの了解ははるか彼方です。

日の暮れるのが早くなりましたね。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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