home > 通信 >『アセンション館通信』第716号:夢なしの気づきはありえない



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2017/12/31(第716号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

 苦痛から欲望が生まれ、苦痛のなかで欲望を満たそうとする。

 世界の根本原因は自己愛である。そのために私たちは快楽を探し
 求め、苦しみを避ける。自己愛を真我への愛に変えなさい。
 すると画面は変わってくる。(ニサルガダッタ)

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在852名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.夢なしの気づきはありえない

2.編集後記
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■ 1.夢なしの気づきはありえない
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今日もここの夢の中では晴れています。

明日の大晦日は雨になるのかどうか。

(-_-)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、

お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

昨日(12月29日(金)午後1時00分〜3時31分)

NHKのBSシネマで「コンタクト」という映画を観ました。

1997年のアメリカ映画です。

「カール・セーガンのベストセラー小説を、

 ロバート・ゼメキス監督が映画化したSF超大作」
 
ということだそうです。

普段こんな時間に映画など見ませんが、

どこかでこの「コンタクト」に触れている文章を

読んだことがあったのです。

どこだったか、誰の記事だったか……。

とてもリアルなコンタクト映画で、

必見だということでした。


(以下の仕切り線の間はネタバレを含みます。

 この映画を新鮮に見たい方は飛ばしてください。)


    ………○………ここから……○………


ジョディ・フォスター演じるMIT出の天才的天文学者が

地球外知的生命体との接触を試みて

SETIという民間プロジェクトを立ち上げます。

そしてこのプロジェクトの資金調達に成功し、

金星からのメッセージを受信するという話です。

その返信メッセージには

乗員一人を金星に送り込むための

いわば時空間移動装置の設計図が隠されていました。

いろいろ政治的駆け引きなどがあるのですが、

結局、この時空間移動装置の製作には

膨大な資金が必要になることがわかり、

最終的に地球の国際プロジェクトになります。

で、映画は、

一人しか乗れないこの装置の乗員に誰がなるか?

という問題を中心に展開します。

最初の発見者である彼女は

もちろん、最有力の乗員候補ではあるのですが、

この国際プロジェクトの乗員決定の最終段階の公聴会で、

「あなたは神を信じますか?」

という質問を受けます。

つまり、

アメリカを含む多くの国々の税金を使う以上、

無神論者を地球の代表としては選べないというわけです。

ところが、彼女は

「はい、私は神(の存在)を信じます」

とは言えないタイプの人なのです。

「私は科学者として、

 証拠がないものを信じるとは言えません」
 
としか答えられない。

彼女は、いわゆる不可知論者です。

というわけで、彼女は選にもれて、

彼女の上司が選出されます。

で、またいろいろ展開があって、

最後に結局、彼女はもう一度

密かに用意されていた時空間移動装置の乗員になります。

彼女は複数のワームホールを通りぬけ、

金星への時空間移動に成功するのです。

そして亡父(のイメージ)との再開を果たします。

彼女が過ごした記憶のなかの18時間は、

地球に戻ってみれば数秒のことでした。

つまり、地球上では

ただ一瞬、その装置が地上に落下した

だけだったというわけです。

彼女はこの国際プロジェクトでの

成果発表の公聴会に出席します。

彼女自身は

宇宙空間のワームホールを通過して

金星に時空間移動したという体験をしており、

その体験の記憶を持っています。

金星への宇宙旅行に成功しと発表したい。

しかし、そこで彼女は

「証拠を提示できますか?」

という問に晒されるというわけです。


    ………○………ここまで……○………


この映画のなかで言われる「証拠」というのは、

もちろん、物理的・感覚的・体験的証拠です。

カール・セイガンという方は科学者ですから、

物理的・感覚的・体験的意味での証拠を

信じていたのだろうと思います。

もっとも、

カール・セイガンさんが

現象的証拠自体の有効範囲を追求するような

哲学的疑問を抱いていた可能性も

一概に否定するものではありませんが。

しかし、これまで

ラマナ・マハルシやニサルガダッタの言葉を

読み続けてきたマインドにとっては、

この映画を観ることは

感覚的・体験的証拠というものの意味を

否応なしに再確認させられる体験でした。

感覚的体験というのは、

事実“夢のようなもの”でしかありえません。

たとえば、

「わたしはこういう人間だ」と言ったとしても、

それは当人の記憶でしかありません。

関連する記憶をいっさい持たない人には、

それはただの聞いた話にすぎません。

また関連する記憶を持つ者同士の間では、

それは互いの記憶で補強し合ったり

排除し合ったりする記憶でしょう。

映画のなかで求められていたのは

「truth(真実)」でした。

そしてその真実とは、

記憶によって確認される感覚的体験のことでした。

自分の真実(記憶)が受け容れられないとき、

彼女にそれ以上できることはありませんでした。

映画を観ている途中で何度も湧いてきた思いがあります。

それは、疑いようのない真実は、

「私は在る」だけだということでした。

これには他の誰の容認も必要ありません。

「私は在る」ことを自分が知っているからです。

公聴会ですべての報告が否定されても、

自分が存在していることを彼女は知っています。

それだけは疑うことができないし、

誰に認めてもらう必要もありません。

「私は在る」というこの存在感は、

他の誰に認めてもらう必要もないものです。

その彼女が

「私は金星に行ってきた」という物語を

信じてもらいたいと願ったとたん、

彼女の不幸は始まります。

そして、

身体が歩む物語にフォーカスするかぎり、

この不幸は避けられない。

これほど明らかなことなのに、

それでも自分がこの身体の運命に関心を持ち、

それに執着し、その不幸を望むことを感じました。

pariというマインドパターンは

自分が存在しないことを願います。

少なくとも、そんなふうに思われます。

もしかしたら、

ここには何かの誤解があるのかもしれませんね。

「自分が存在しない」というのを

“自我が発生しない”という意味にとらえるなら

これはもちろん、望ましいことでしょう。

でも、

“気づきが存在しない”という意味とするなら、

それはできない相談です。

永遠の常在は存在しています。

言葉に翻訳するなら

「私は在る」わけです。

気づきは何ものかではありません。

ただ永遠の気づきです。

でも、その永遠の気づきの内部には

いつも夢が湧いている。

夢なしの気づきというのは無いようです。

気づきにはいつも夢が湧いている。

だから、

湧いている現象はすべて夢だと知らずに

現象を真に受けると

とんでもない想像が起こりうる。

するとその想像のなかで苦しみが起こる。

誰が理解するのか?

想像が理解するのです。

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 あなたは想像の中で世界を夢のように創造している。
 あなたがあなた自身を夢から分離できないように、
 あなた自身から独立した
 外側の世界をもつこともできないのだ。
 独立しているのは、
 世界ではなくあなただ。
  
 『私は在る』(p471)
──────────────────

> あなたがあなた自身を夢から分離できないように、
> あなた自身から独立した
> 外側の世界をもつこともできないのだ。

気づきという私自身を

夢から分離することはできない。

気づきは非存在ではありません。

そため非存在ではないことを保証する

何かの証拠を残しているのかもしれません。(*^_^*)

──────────────────
 無知な人は長い間眠りの状態の中に
 とどまることができません。
 彼は生来の性癖によって
 強制的にそこから追い出されてしまうのです。
 彼の自我はまだ死んではいないため、
 再び立ち現れます。
 しかし賢明な人は、
 自我が源にある間にそれを破壊しょうと試みるのです。
 自我は生来の性癖、つまり運命に駆り立てられて、
 何度も何度も立ち現れてきます。
 すなわち、ジニャーニにもアジニャーニにも
 自我は生じるということです。
 
 『ラマナ・マハルシとの対話1』(p487)
──────────────────

> すなわち、ジニャーニにもアジニャーニにも
> 自我は生じるということです。

夢なしの気づきはありえないようです。

(-||-)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
──────────────────

(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


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おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
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■ 2.編集後記:
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今年はよく苦しみました。

ずいぶん想像したということでしょう。

来年はどんな年になるのか。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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