━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2018/01/07(第717号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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☆☆ ☆☆ https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。
苦痛から欲望が生まれ、苦痛のなかで欲望を満たそうとする。
世界の根本原因は自己愛である。そのために私たちは快楽を探し
求め、苦しみを避ける。自己愛を真我への愛に変えなさい。
すると画面は変わってくる。(ニサルガダッタ)
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在853名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.流氷の島
2.いただいたお手紙から:Mindfulnessさん
3.編集後記
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■ 1.流氷の島
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年が改まりましたね。
夢のなかで。
(*^_^*)
さて、またまた一週間が過ぎて、
楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、
お付き合いいただく今がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人の pari です。
わたしたち夢の登場人物たちは
浮上してくる想念をなだめる方法を
懸命に模索しています。
何かを理解し、真実を知ったなら
そこで解放される真実の叡智によって
平安が訪れると想像するからです。
要は、この湧いてくる想念が何かを理解したら、
その観点、その何らかの理解によって
すべてが落ち着くことを想像するのです。
この夢の世界を落ち着かせる究極の観念を知りたいと
足掻きつづけるわけです。
でも、
残念ながら、そんなものは存在しないので、
そんなことは起こりません。
知覚可能なものはすべて
つかの間の変化でしかありえないからです。
一瞬わいてくる想念、
気づきの対象として浮上してくる知覚可能な一瞬の想念に
落ち着きをもたらすことを期待するのは
いかにも無理です。
想念がわいいてくるのは
記憶を材料に創作された自我という物語が
苦痛を避け、快楽を求めようとして
新たな思考や体験に期待を寄せているからです。
その自我という物語自体が
知覚可能な気づきの対象物です。
言うなれば、ひとつの風景です。
そのひとつの風景が、
自らの存続を求めて、
溺れる者が藁をもつかむように、
解決策を想念のなかに求めている。
想念はもちろん次々とわいてきます。
でも一片の思考に
物語を解体してくれることを期待するのは、
流氷の島が
近づいてくるひとつの流氷に、
流氷の島そのものを溶かしてくれることを
期待するようなものかもしれません。
一片の流氷は
一瞬、流氷の島の形を変えることはあっても、
流氷の島そのものを消滅させることはできないでしょう。
むしろ、ただじっとして
流されるままに陽の光を浴びていれば、
流氷の島はやがては消え去るのかもしれません。
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言葉はそれらの限界まで
あなたを連れていくことができる。
それを超えるには、
言葉は放棄されなければならない。
沈黙の観照者としてのみとどまりなさい。
『私は在る』(p469)
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> 言葉はそれらの限界まで
> あなたを連れていくことができる。
たしかに。
> それを超えるには、
> 言葉は放棄されなければならない。
わかります。
> 沈黙の観照者としてのみとどまりなさい。
(-||-)
助けを求める者が助けを得ることはありえません。
もしそんなことができたとしたら、
その助けもまた夢のなかの物語でしかない。
助けを求める者は
存在しない自分ゆえの
想像の苦しみを苦しんでいるのですから。
──────────────────
静かにしなさい。
揺らいではならない。
そうすれば智慧と力は自ずとやってくるだろう。
それを熱望することはない。
マインドとハートの沈黙のなかで待ちなさい。
静かにすることはとてもやさしいことだ。
ただ、進んでそうしようとする意志がまれなのだ。
あなたがたは一夜にしてスーパーマンになりたがる。
野望なしに在りなさい。
わずかな欲望もなしに、
露(あらわ)になり、壊れやすく、
無防備で、不確かで、独りで、完全に開いて在リ、
すべてがあなたの物質的、
あるいは霊的快楽と利益を生みだすべきだといった
利己的な確信をもつことなく、
起こるがまま人生を受け入れなさい。
『私は在る』(p512)
──────────────────
> マインドとハートの沈黙のなかで待ちなさい。
(-_-)
> 静かにすることはとてもやさしいことだ。
できることは何一つないとわかりさえすれば……。
> ただ、進んでそうしようとする意志がまれなのだ。
苦痛の背景から生まれる欲望はあまりにもリアルで
その欲望自体が自分なのだと思われるから。
> あなたがたは一夜にしてスーパーマンになりたがる。
たしかに。
> 野望なしに在りなさい。
わかりました。
> すべてがあなたの物質的、
> あるいは霊的快楽と利益を生みだすべきだといった
> 利己的な確信をもつことなく、
> 起こるがまま人生を受け入れなさい。
それだけのことがこんなに難しかったのか。(-_-)
──────────────────
いかなる特定の思考も
マインドの自然な状態ではない。
ただ、沈黙だけが自然な状態だ。
沈黙という概念ではなく、沈黙そのものだ。
マインドが自然な状態にあるとき、
すべての体験の後に、
自発的にそれは沈黙へと立ち返る。
あるいはむしろ、
沈黙の背景に対してすべての体験が起こるのだ。
『私は在る』(p260)
──────────────────
> いかなる特定の思考も
> マインドの自然な状態ではない。
はい。
> ただ、沈黙だけが自然な状態だ。
わかりました。
> 沈黙という概念ではなく、沈黙そのものだ。
はい。
> マインドが自然な状態にあるとき、
> すべての体験の後に、
> 自発的にそれは沈黙へと立ち返る。
そうなんですね。
> あるいはむしろ、
> 沈黙の背景に対してすべての体験が起こるのだ。
それは、わかります。
(-||-)
──────────────────
あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
──────────────────
(-||-)
──────────────────
永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
──────────────────
……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
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『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html
ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/
新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/
おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/
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■ 2.いただいたお手紙から:Mindfulnessさん
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▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)
「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。
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今回、Mindfulnessさんとおっしゃる方から
はじめてのご投稿をいただきました。
さっそく、ご紹介します。
【件名】:意識の存在
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40年程前、禅寺の坐禅会で「見られている自分と
見ている自分」を経験しました。
「坐禅終了の鐘の音を聞いている自分と、それを見
ている自分」です。
この経験は五分ほどの時間に感じましたが、実際は
50分の坐禅の時間が経過していました。
私は、ただ、そこに存在していたわけです。
意識は時間と距離を持っていません。
──────────────────
> 40年程前、禅寺の坐禅会で「見られている自分と
> 見ている自分」を経験しました。
そうなんですか。
見ている自分というのは、
幽体離脱みたいな体験だったんでしょうか。
> 「坐禅終了の鐘の音を聞いている自分と、それを見
> ている自分」です。
ほお。
> この経験は五分ほどの時間に感じましたが、実際は
> 50分の坐禅の時間が経過していました。
そうだったんですか。
> 私は、ただ、そこに存在していたわけです。
なるほど。
> 意識は時間と距離を持っていません。
言葉はどうしても定義を伴うので難しいですよね。
時間や距離は意識のなかにしかない、
という言い方もできるでしょうし。
でも、
時間は思考が作るものだということはわかります。
思考がなければ今があるだけなんでしょうね。
Mindfulnessさん、ありがとうございました。
m(_ _)m
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▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518
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■ 2.編集後記:
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欲望すると不幸になる、
このことは体験的に知りつつあります。
欲望すること自体が不安を生み出しますから。
「あなたが欲望を持つもののなかには、
何の幸福もないということを見て取りなさい。」(p473)
というこのことを見抜くためには
いろいろな条件が整うことが必要なのかもしれません。
だからまだ欲望して、
不安を呼び込んだりしているんですよね。
レッスンがまだ学ばれていないのなら、
苦しむしかないのだと思います。
苦しむエネルギーが枯渇すれば
黙るしかないのかもしれませんし。
今日はまだまだ明るいです。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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→ メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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