━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2018/02/04(第720号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。
苦痛から欲望が生まれ、苦痛のなかで欲望を満たそうとする。
世界の根本原因は自己愛である。そのために私たちは快楽を探し
求め、苦しみを避ける。自己愛を真我への愛に変えなさい。
すると画面は変わってくる。(ニサルガダッタ)
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在852名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.起こっていることはわたしではない
2.(仮想)通貨の話(11)
3.編集後記
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■ 1.起こっていることはわたしではない
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昨日は朝から下の坂道の雪かきをしました。
かなり覚悟をして外に出たのですが、
前面の坂道を折り返して下の方を見ると
想像したほどには積もっていなかったです。
普段あまり身体を動かしていないので、
ゆっくりゆっくり休み休み作業しました。
ひととおり道を開けられてよかった。
おかげさまで、今日はこうして
こんなのんびりした気持ちになれます。
(*^_^*)
さて、またまた一週間が過ぎて、
楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、
お付き合いいただく今がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人の pari です。
なぜかその人は、無限に多くの
不幸と幸福の物語を創造して飽きないようなのです。
その人が創造しているというよりはむしろ、
自動的に再創造が起こる何らかの仕組みが
存在しているようなのです。
創造のエネルギーはその仕組の中で自給されます。
エネルギーの名前は“欲望”といいます。
自給構造の仕組みは“誤解”といいます。
その永遠のリサイクル構造の中では、
つねに形あるものの誕生の物語が流れだし、
その形あるものの束縛の物語が展開し、
その束縛からの脱出が夢見られるのです。
なぜそんな無意味な苦しみが存在するのか?
なぜそんな無意味な苦しみが永遠につづくのか?
そんなことはわかりません。
わかる必要もないのかもしれません。
あるいはただ、
それらの物語の中でその意味を再創造し解読するという
遊びなのかもしれません。
おそらく、そういった物語の中では、
正解というものがあると信じられているのかもしれません。
でも、そんなものはありえない。
もしそんなものがあったら、
自動再創造の仕組み自体が崩壊してしまうでしょうから。
そんなものが存在しないところで起こっている
苦しみとその意味の再創造と再解読であるからこそ、
この自動再創造の仕組みは盤石なのです。
創造の物語は永遠に起こっています。
止まる理由がないからです。
誰が起こしているのでもない
たんなる自動過程です。
エネルギー自給の永遠のリサイクル過程です。
それが起こっていること自体は、
なにも間違いではありません。
実際は苦しむ人も存在していません。
その自動過程で創造されるどんな解釈も正解です。
誤りというものはない。
夢は夢です。
物語は物語です。
誤った夢と正しい夢があるわけではありません。
誤解の物語と正解の物語があるわけではありません。
もしかしたら、
冴えた物語とそれほどでもない物語はあるかもしれませんが、
それとてそれを判断する基準が存在するわけでもありません。
つかの間の流行り廃りがあるだけです。
すべての夢が正しいとか、
すべての夢が間違っているとか、
そんなことを決められる基準もありません。
たとえ、そのように主張する基準があったとしても、
それも現象の中、
つまりは夢の中にしかありえないわけです。
ただ誤解によって夢が起こり、
誤解による苦しみや喜びが起こるだけです。
では、誰が苦しんでいるのか?
それこそが最大のクイズです。
誰かが苦しんでいるのでしょうか?
もちろん、誤解の中では
誰かが苦しんでいるのです。
しかし、じつは誤解は【存在していません】。
誤解は起こっているだけなのです。
苦しみは現象の中にしかありません。
現象とその現象の解釈の中にしか。
現象とは知覚の対象となる何らかの物質過程です。
そしてその現象の解釈もまた、
知覚の対象となる何らかの物質過程です。
物質過程の中で葛藤状態が起こり、
その葛藤状態の中で混乱と迷いと誤解が起こり、
それ故の苦しみが起こっているだけなのです。
それらはすべて物質過程の状態であり、
そこに苦しみは起こっていても、
苦しむ誰かは存在していません。
なぜなら苦しみとは知覚された物質状態であって、
それ自体で存在しているわけではないからです。
それは知覚されているがゆえに現象できている。
しかし苦しみは現象していても、
苦しむ誰かは存在していない……。
それは否定できない事実です。
とはいえ、その事実は
「私が苦しんでいる」、
「私が苦しむ者だ」という主張が現象することを
妨げるものではありません。
しかしまた同時に、
「私が苦しむ者だ」という主張が現れたとしても、
そう主張する誰かが存在しているわけではないのです。
矛盾も葛藤も、
知覚の対象となる物質過程の中でしか現象できません。
そして物質過程自体は、
けっしてそれだけでは存在しえません。
物質過程自体だけでは、
現象することができないからです。
なぜなら、物質過程は
なんらかの状態を表現することはできても、
それに気づくことはできないからです。
物質過程は表現担当ではありえても、
自分が存在することを知っているわけじゃない。
その物質過程に気づくことができる者は、
どんなものにもなることはできません。
現象しえないからこそ現象に気づけるのですから。
存在しているのは、
現象世界の背後にある
その何にもなることのできないものだけです。
ところで私たちは恐れや欲望を知っています。
欲望や恐れに気づいているわけです。
言葉を換えれば、
恐れたり心配したりしているわけです。
しかしまた、
もし私たちが恐れや欲望に気づいているなら、
私たちは恐れや欲望ではありえないことになります。
なぜなら、
恐れや欲望は恐れや欲望に気づくことはできないから。
明らかに、
私たちは欲望や恐れに気づいている者。
そして自分が存在することを知っている者です。
ただ、自分がその欲望や心配だと誤解して、
欲望したり心配して苦しんでいるだけなのです。
アシュタヴァクラは言います。
──────────────────
あなたは形をもたず、自由で
感覚では捉えきれない
すべてのものごとの観照者だ
だから幸せでありなさい!
正や不正
喜びや悲しみ
これらはたんに心が生みだすもの
あなたはそれらではない
行為をしたり、喜んだりするのは
本当はあなたではない
あなたは遍く存在し
永遠に自由だ
『Ashtavakra Gita』(p035)
──────────────────
> あなたは形をもたず、自由で
> 感覚では捉えきれない
> すべてのものごとの観照者だ
わたしは形を持たず、自由で
知覚の対象となることのない
すべてのものごとの観照者。
> だから幸せでありなさい!
(;_;)
> 正や不正
> 喜びや悲しみ
> これらはたんに心が生みだすもの
> あなたはそれらではない
正しいとか間違っているとかいう判断、
喜んだり悲しんだりする感情、
それはたんに意識の中に湧いてくるだけ、
わたしはそれらではない。
> 行為をしたり、喜んだりするのは
> 本当はあなたではない
行為に駆り立てられ、
喜怒哀楽に翻弄されているのは
本当はわたしではない。
> あなたは遍く存在し
> 永遠に自由だ
わたしは遍く存在し
永遠に自由なるもの。
──────────────────
11
もし自分が自由だと考えるなら
あなたは自由だ
もし束縛されていると考えるなら
あなたは束縛されている
なぜなら、古(いにしえ)の言葉にあるとおり
あなたは自分が思うものになるからだ
12
真我は世界のように見える
だが、それはただの幻
真我は遍く存在している
ひとつであり
静かで
自由で
完全だ
好意も執着も欲望もなく
すべてのものごとを見守る観照者
気づきなのだ
『Ashtavakra Gita』(p038)
──────────────────
> もし自分が自由だと考えるなら
> あなたは自由だ
もしわたしが自分は自由だと考えるなら
わたしは自由なのです。
> もし束縛されていると考えるなら
> あなたは束縛されている
もしわたしが自分は束縛されていると考えるなら
わたしは束縛されているのです。
> なぜなら、古(いにしえ)の言葉にあるとおり
> あなたは自分が思うものになるからだ
なぜなら、遠い昔から言われているとおり
わたしは自分が思うものになるのだから。(;_;)
> 真我は世界のように見える
> だが、それはただの幻
世界はまさに現実であるように見えます。
だが、それはただの【見かけ】。
一瞬の波の形のようなつかの間の形です。
> 真我は遍く存在している
世界はわたしという気づきの中で起こっている。
わたしという気づきは……。
> ひとつであり
> 静かで
> 自由で
> 完全だ
わたしとは唯一不可分の気づき
静かで、自由で、完全です。
> 好意も執着も欲望もなく
> すべてのものごとを見守る観照者
> 気づきなのだ
好意にも執着にも欲望にも気づいているわたしは
好意でも執着でも欲望でもない、
すべてのものごとに気づいている気づき。
恐れたり心配したりはできないからこそ、
恐れたり心配したりの振りはできるのです。
(-||-)
──────────────────
あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
──────────────────
(-||-)
──────────────────
永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
──────────────────
……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
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『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html
ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/
新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/
おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/
………○…………○…………○………
▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)
「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。
………○…………○…………○………
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http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518
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■ 2.(仮想)通貨の話(11)
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またまた夢の中の話です。(*-_-*)
苫米地博士がとても面白いお話をなさっています。
現在の暗号通貨がすべて崩壊し、
新しい真の暗号通貨の時代が来るのかもしれません。
量子コンピュータが実用化されたら
その時代が来る可能性があるのだとか。
もし興味があったらご覧ください。
https://goo.gl/KNGMdc
夢のなかで。(-||-)
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■ 3.編集後記:
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すべてはわたしに起こっています。
わたしが気づいていることしか
わたしには起こりえません。
起こっていることすべてに
気づいているのがわたしである以上、
わたしはそれらすべての起こっていることではありません。
これほど明瞭なことなのに……。
今日は晩くなりました。
おやすみなさい。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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