home > 通信 >『アセンション館通信』第721号:紙飛行機の失速



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2018/02/11(第721号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

 苦痛から欲望が生まれ、苦痛のなかで欲望を満たそうとする。

 世界の根本原因は自己愛である。そのために私たちは快楽を探し
 求め、苦しみを避ける。自己愛を真我への愛に変えなさい。
 すると画面は変わってくる。(ニサルガダッタ)

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在849名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.紙飛行機の失速

2.編集後記
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■ 1.紙飛行機の失速
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今日もこうして

よくもわるくもない瞬間が起こっています。

ありがたいことです。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、

お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

ここで今これを書いているパターンの記憶には

これまで何度もなんどもくり返して

「何のためにこんなものがあるのか?

 こんなものは要らないではないか?」
 
という観念に飽きずに執着してきた過去があると

お伝えしたことがあります。

「こんなもの」というのは、

そこで糾弾された無実の現象世界のことです。

昔そういう回想パターンに何度も陥ったのですが、

でもそういう回想も、実際の内実は、

過去の記憶が

今という瞬間に想起されているのであることが

嫌というほど自明になってくると、

やはり、単なる知的理解とは言え、

少しずつエネルギー的な変化を伴うことになります。

そういう記憶を再生して快感を得る感情的執着系とか、

あるいは論理的正しさを主張したい論理的報奨系といった

一種の欲動推進母体が否応なく希薄化してくると、

もうどうやっても同じ轍に入ることはできなくなります。

「何のためにこんなものがあるのか?

 こんなものは要らないではないか?」
 
といった観念に投入する

感情的・論理的エネルギーそのものが枯渇してきます。

そもそも、それこそ

なんのためにそんなことをするの?

そんなことをする必要なんかないじゃない?(?_?)

という単純極まりない話になってくる。(*^_^*)

勢い良く放り上げられた紙飛行機も、

ついには力尽き、失速して、地上に落ちてくるわけです。

こういう観念に繰り返しエネルギーを投入できるのは、

そうする“自分”という個人、

そのような観念の所有者である“自分”が

実体として存在していると思えばこそです。

ところが、実際は

そのようなさほど賢いとも思えない観念が

ただ繰り返し想起され再生されているだけで、

じつはそのような観念の所有者はどこにもいないことが、

あまりにも自明になってしまうと、

もうバカらしくて

そんなオツトメをするエネルギーは起こらない。(*^_^*)

要するに、

そういう瞬間はあった、

その瞬間そんな想念が起こった、

という事実はあっても、

その想念の所有者である“自分”という実体は

どこにも存在していないわけです。

いろんな観念、いろんな感情はわきます。

でも、それだけです。

その観念や感情の所有者という

実体が存在するわけではない。

最近では、

NHK BSの「シリーズ人体」を見るだけでも

人間の身体現象が

どれほど精緻な仕組みから構成されている

膨大な総合現象として起こっているのかを教えられますし、

素粒子的時空間まで視野に入れるなら、

人間などという括り自体が

幼い誤解と自惚れの一種にすぎないくらいのことは

容易に推測されてきます。

もちろん、

「幼い誤解と自惚れのどこが悪い。

 俺はそれで十分だ。
 
 人間なんだから人間として
 
 十分に苦しみ楽しんでやる」

というご意見も当然あるでしょうし、

それに異議を唱えるつもりもありません。

ここに浮上している想念だって、

そのような想念の一つとして湧いているだけですから。

ただここで自然にはっきりしてくるのは、

わたし(自分)というのは、

一瞬一瞬にわいてくる過去の記憶や、

それを基盤にして投影される未来の予想を、

過去・現在・未来の時系列というひとつの継続として

今この瞬間に再び編み上げているだけなのです。

わたしという実体がどこかに存在するわけでも、

時系列という一つの継続が存在するわけでもない。

わたし(=自分)とは

絶えずほつれて雲散してしまう記憶の断片を

今この瞬間に再び拾い集めて

あたかもあるかのように想像する儚い夢物語です。

【あたかもあるかのように】取り繕うことが

なにかの役に立つのならそれもいいでしょう。

でも、そのために苦しむほどの価値はない。(*^_^*)

たんなる

“自分の、自分による、自分のための物語”

にすぎないではありませんか。(*^_^*)

そんなもの誰が気にする? (^_-)

いや、そもそも苦しむ誰がいる?

“苦しみの、苦しみによる、苦しみのための物語”

にすぎないのに。

この“自己報酬系”には賞味期限があります。

当たり前のことです。

魔法が剥がれたら、

この“自己報酬系”を推進している実体が

どこにもいないことが自明になってしまう。

喜びも悲しみも幾歳月……

もとへ、

喜びも悲しみも、

すべてはこの“自分”という物語への

投資だったのです。

そこにどんな自己もいないことがはっきりしたら、

いつまでもエネルギー投資だけが

自動継続するというわけにもいかない。

この苦しみの再創造機構を維持することに

いったいどれほどの価値があるでしょう?

そこには誰もいない。

そして誰もいなくなった。(^_-)

記憶の物語を絶えず再生成し、

その捏造された物語(=自分)との関係で

絶えず湧いてくる想念に対する態度を

微調整していくことだって、

それなりの大きな労働です。

それにいったいどれほどの価値があるというのか?

それをやめたところで、

いったい誰が気にする?

そもそもいったいやっている誰がいる?

(*^_^*)

──────────────────
 行為が事実であり、
 行為者はただの観念なのだ。
 あなたの言葉そのものが、
 行為は確定的であり、
 行為者は疑わしいことを示している。
 責任を転嫁することは人間の特徴的なゲームなのだ。
 何かが起こるために不可欠な要因の
 果てしないリストについて考えていくと、
 すべてが起こるための責任は、
 いかに間接的であっても
 すべてにあると認めるほかはない。
 行為者とは、
 「私の」と「私のもの」という幻想から生まれた神話なのだ。
 
 『私は在る』(p393-395)
──────────────────

今読むと、

まったく疑問の余地がありません。

> 責任を転嫁することは人間の特徴的なゲームなのだ。

起こったことの原因を“何か”に押し付けて

責任を取らせようとするのが人間ゲームなのだと。

まさに、

そのとおりとしか言いようはありません。

“自分”というのは、

捏造された虚構の継続の物語であり、

またその物語に執着するエネルギーです。

しかし、こんな理屈を言ったからといって、

過去・現在・未来という時系列的継続が、

自然に解体するというものでもありません。

解体するところでは解体するでしょう。

その気もないのに、

勝手にそんなことが起こるわけでもない。

その意味では、

その時系列的継続の上に展開する

“物語への執着”という感情エネルギーこそが

決定要因だとも言えるでしょう。

もしかしたら、

いずれにせよ、

間違いないのは、どちらも、

今この瞬間に湧いてくる想念に対する

態度が歩留まりだということでしょう。

ウロウロと落ち着きなく

今とは違う状況を求めるという意味での

何かを探し求めることは、

いつかは終息していくのでしょう。

けれども、

マハラジが言う意味での「探求」は

それとはまた少し違うようです。

──────────────────
 質問者 探求とは、欠けていること、欲していること、
     未完成、そして不完全を意味します。
 
 マハラジ
 いいや。
 それは不完全と未完成の拒絶と拒否を意味する。
 実在の探求自体が実在の動きなのだ。
 ある意味では、
 すべての探求は真の至福、
 実在の至福のためのものだ。
 しかし探求ということで、
 私たちはマインドを超えた光としての、
 意識的存在の根本である真我の探求を意味している。
 この探求が終わることはけっしてない。
 それと同時に、
 それ以外のすべてへの落ち着きのない切望が
 終わらなければならないのだ。
 
 『私は在る』(p241)
──────────────────

> 質問者 探求とは、欠けていること、欲していること、
>     未完成、そして不完全を意味します。

この方の意味も、よくわかります。

> いいや。
> それは不完全と未完成の拒絶と拒否を意味する。

あーあ、そういう意味か……。(-_-)

やむにやまれぬもの。

たしかに、それはありますね。

> 実在の探求自体が実在の動きなのだ。

そうか。

脱臼は治したい。

故郷には帰りたいんだ。

> ある意味では、
> すべての探求は真の至福、
> 実在の至福のためのものだ。

はい。

> しかし探求ということで、
> 私たちはマインドを超えた光としての、
> 意識的存在の根本である真我の探求を意味している。

わかります。

> この探求が終わることはけっしてない。

了解です。

> それと同時に、
> それ以外のすべてへの落ち着きのない切望が
> 終わらなければならないのだ。

そうか。(*-_-*)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
──────────────────

(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.(仮想)通貨の話(11)
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またまた夢の中の話です。(*-_-*)

苫米地博士がとても面白いお話をなさっています。

現在の暗号通貨がすべて崩壊し、

新しい真の暗号通貨の時代が来るのかもしれません。

量子コンピュータが実用化されたら

その時代が来る可能性があるのだとか。

もし興味があったらご覧ください。

https://goo.gl/KNGMdc

夢のなかで。(-||-)

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■ 3.編集後記:
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今日はまだあかるいようです。

それではまた。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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