home > 通信 >『アセンション館通信』第722号:この世の苦しみは幻肢痛



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2018/02/18(第722号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

 欲望や嫌悪は心のもの
 そして心はあなたのものではない
 あなたはその混乱から自由なのだ(『Ashtavakra Gita』)

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在851名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.この世の苦しみは幻肢痛

2.編集後記
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■ 1.この世の苦しみは幻肢痛
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今日もこうして

眼前には雲一つない晴天が広がっています。

(-_-)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、

お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

今この瞬間に、

こういうことが起こっている。

このことは否定できません。

つまり、

こういうことを映し出しているものが

存在していることは間違いない。

それがわたしです。

それがあなたです。

わたしとあなたが別物であるわけではないですが。

起こることはすべてわたしに起こっています。

それは間違いない。

映し出すわたしが存在しなければ、

何事も起こりえません。

ただ……。

ただわたしはまだ……わたしを知らないわけです。

なぜなら、わたしはまだ

起こっていることが自分だと思っているから。

こうして湧いてくる

欲望と嫌悪を自分だと思っているから。

でも、実際は、

起こっていることは

起こっていることを映し出すことはできません。

なぜなら、

起こっていることは

起こっていることの表現担当であって、

起こっていることを映し出すことはできませんから。

起こっていることを映し出すことができるのは、

起こっていないものだけです。

起こるとは“何か”が起こることです。

現象として起こるには、

何かとして起こるしかありません。

何でもないものは起こることができません。

何かが起こっているとき、

その何かを映し出しているのは何でもないものです。

だから、

何かが起こっているときは、

何でもないものはいわば隠れるわけです。

それでも、

何かが起こりうるのは、

何でもないものがそれを映し出しているからです。

何事かが起こりうるのは、

わたしがそれを映し出しているからです。

何であれ起こっていることはすべて、

わたしに起こっています。

起こっていることはすべてわたしに起こっていますが、

と同時に、

すべて起こっていることはわたしではないわけです。

わたしはそれを映し出している者です。

だから、わたしがいなければ、

何事も起こりえません。

それでも、

起こることはすべてわたしではない。

非顕現にしか顕現を映し出すことはできません。

顕現は何者かであることが仕事なので、

顕現を映し出すことはできないのです。

顕現を映し出すことができるのは非顕現だけです。

くどくどと言いますが、

つまり、

今こうして起こっていることを映し出しているわたしは、

何者かではありえないわけです。

以上のことは論理的には自明です。

ただ、かと言って、

わたし以外に何かが存在するわけでもありません。

なにしろ、起こることはすべて、

何かであることに手が一杯で

起こっていることを映し出す能力がないので、

じつは、起こっていることはすべて、

起こっていることを何も知らないわけです。

ということは、そこには誰もいないのです。

同じことをくどくどいいますが、

起こっていることはすべて、

自身何かであることに手が一杯で、

起こっていることについては何も知らないわけですから。

では、何が

あるいは誰が起こっていることを知っているのか?

何者にもなりえないものが知っているのです。

つまり、わたしが知っている。

いえ、

知っているという表現は誤解の元かもしれません。

わたしは映し出しているだけです。

すべてはわたしが映し出している。

すべてはわたしに起こっているのです。

ただし、

わたしは起こっていることの中にはいません。

わたしは体験されるものの中にはいない。

体験されるものの中にいないだけでなく、

わたしは体験する者の中にもいません。

なぜなら、

自称「体験する者」は、

起こっていることの中にいると称しているわけですから。

でも、何度も言うように、

起こっているものの中には誰もいません。

ところが、

自称「体験する者」は、

起こっていることの中にいなければならない。

そうです。

だから、じつは、

「体験する者」は存在しないのです。

しかし、

現に体験することが起こっていて、

「体験する者」が存在しているではないか、

という議論はありえます。

ということは、

体験することというのは

誤解の中で起こっているわけです。

その誤解の中に「体験する者」が現れるのです。

「体験する者」の生息領域は誤解の中です。

よくよく吟味するなら、

「体験する者」は存在しないことがわかるはずです。

まあ、

それを吟味するのがサーダナというわけです。

こう書いている者は、

いっこうにそのサーダナに乗り出さずに、

こうしてあれこれ理屈を言っているわけですが、

では、“こう書いている者”は存在するかとなれば、

そんな者は存在しないわけです。

ただ自分は存在すると思っているだけです。

というわけで、

「体験する者」とは、

起こっていることが自前で存在していると想像する

誤解のことです。

では、

苦しんでいる者は存在するのでしょうか?

苦しんでいる者とは誰なんでしょう?

いったい、誰が苦しんでいるのでしょうか?

苦しんでいる者というのは、

苦しみのことです。

「苦しみ」というのは現象します。

再確認しますが、

すべての現象は

わたしが存在するがゆえに起こっています。

ですから、「苦しみ」も

わたしが存在するがゆえに起こりえているわけです。

しかし、

わたしが苦しんでいるわけではありません。

その理由は、

わたしは「苦しみ」にはなりえないからです。

わたしは苦しみを映し出している者です。

もしわたしが「苦しみ」になったら、

その「苦しみ」であるわたしは

「苦しみ」を映し出すことができません。

苦しんでいるのは

夢の中で自前の存在を想像している観念です。

自分を独立存在と誤解している物質現象です。

でも、

その現象には現象を知覚する能力はないわけです。

現象とは

何かを表現するための物理的表現媒体ですから。

何かを表現するための物理的表現媒体に、

現象を知覚する能力はありえません。

(位置と速度の両方を同時に確定できない

 飛跡をたどって飛翔するという素粒子に

 どうして他の素粒子の位置と速度を

 確認する能力がありうるでしょう。)

とはいえ、

現に「苦しみ」は現象しています。

たとえば、

四肢を切断した患者は、

しばらく「幻肢痛」という激痛を体験するそうです。

その切断された脚が存在しないことが見抜かれ、

完全に受け容れられるまでは、

存在しない手足が激痛を引き起こすのです。

なぜなら、

精神身体機構が維持している誤解の中では、

まだその「幻肢」の存在が信じられており、

そこにエネルギーが流れ込んでいくからです。

流入したエネルギーは

期待された経路をたどることができず、

衝撃を受けて、指令センター(脳)に

緊急事態を報告します。

大脳の前頭前野からの上位指令によって

精神身体機構内で、

それが誤認であることが周知徹底されるまでは、

その緊急事態報告(激痛)は継続するわけです。

知覚とは微細な物質過程によって支えられた

エネルギーの流れと抵抗です。

いったん精神身体機構をまとって

現象という仮想現実に興味を持った以上、

意識エネルギーは絶えず現象の方に流れています。

その意識エネルギーが

どこから流れだすのかは一先ず措いておくとして、

仮想現実の知覚機関である精神身体機構のなかでは、

最上位の判断中枢は

大脳前頭前野にあると考えられます。

精神身体機構の活動のほとんどすべては

自動過程で実施されているでしょうが、

その全活動のパターン認識の最終結論は

大脳前頭前野の興味として実現されているはずです。

その意味では、

精神身体機構の活動のすべては

大脳前頭前野の興味に仕えているとも言えます。

大脳前頭前野の支配下にあると言ってもいい。

大脳前頭前野の興味・関心、

いわばその理解以上のことは

精神身体機構には起こりえないわけです。

精神身体機構の機能のすべてを使って

あるパターン認識過程が進行しています。

しかしそのパターン認識過程は、

精神身体機構自体が主宰して実施しているのではない。

この道具を使って

何かがこのパターン認識過程を推進しているのです。

そして、

最終的にはどうやら

このパターン認識過程が現象世界への興味を

失わなくてはならないようです。

(どうして、こんな面倒なものがあるのか?

 Why not?(なぜ、いけない?(^_-) )

(>_<)

たとえば、

pariパターンなどの理解では

こんな過程そのものが不必要ではないか。

最初から何も起こらない

ただの熟睡の無でいいではないか、

すべてが絶対の虚無でいいではないか、

などと思うのですが、

現実にはそうなっていません。(^^;)

たぶん、サッチタナンダに至るための

この「リーラ」という大騒動が必要な理由が

何かあるのでしょう。

そしてそれが了解されたとき、

実際は、

何ひとつ起こっていなかったことが

明らかになるのでしょう。

マハルシは、

同じような状態の意識に

「創造の目的」を問われて

次のように答えています。

──────────────────
 質問者 創造の目的とは何でしょうか?
 
 マハルシ
 それはこの質問をもたらすことにある。
 この質問を調べなさい。
 そしてついには至高なるもの、
 あるいはすべての源の内にとどまりなさい。
 調べ入ることは
 それ自体を真我探究のなかに溶かし去り、
 真我探究は
 真我ではないものすべてがぬぐい去られて
 はじめて終焉する。
 そして真我は
 その純粋性と輝きのなかで実現されるのである。
 
 『あるがままに』(p321) 
──────────────────

> 質問者 創造の目的とは何でしょうか?

(-_-)O

> マハルシ
> それはこの質問をもたらすことにある。

マハルシがこうおっしゃるのだから

仕方ありません。

(-||-)

そして、マハラジは

別種の問に対して次のように答えています。

──────────────────
 たったひとつ、あなたには誤りがある。
  ……
 あなたは世界が外界のものだと信じている。
 だが、それは完全にあなたの精神の投影なのだ。
 これが混乱の根本であり、
 新たな爆発がその混乱を正すわけではない。
 あなた自身で考え抜かなければならないのだ。
 ほかに道はない。
 
 『私は在る』(p258)
──────────────────

> あなたは世界が外界のものだと信じている。
> だが、それは完全にあなたの精神の投影なのだ。

外界は当人の中に

誕生時に仕込まれた人生のフィルム。

> あなた自身で考え抜かなければならないのだ。
> ほかに道はない。

肉体存在としてのあなたは

リーラが使うひとつの道具にすぎない。

(-||-)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
──────────────────

(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.編集後記:
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今日は羽生結弦選手が金メダルを取って、

藤井聡太棋士が朝日杯を制した

とても特別の日であるようです。

もう暗くなりました。

それではまた。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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