home > 通信 >『アセンション館通信』第723号:論理が理解できないこと



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2018/02/25(第723号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

 欲望や嫌悪は心のもの
 そして心はあなたのものではない
 あなたはその混乱から自由なのだ(『Ashtavakra Gita』)

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在859名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.論理が理解できないこと

2.編集後記
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■ 1.論理が理解できないこと
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昨日のただ寒々しい冬枯れの景色から、

一転して今日はハレーションに煙るような春の気配。

夢の中はただ変化するのみ。

(-_-)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、

お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

昨夜、

お茶を飲みに行ったらドラマをやっていて、

お茶を飲みながら眺めていたら

気がついて途中から観ることにしました。

この頃はドラマはあまり観なくなって。

ご覧になった方もいる方もいるかもしれません。

「天才を育てた女房〜世界が認めた数学者と妻の愛〜」

という岡潔さんの生涯をドラマ化したものでした。

岡潔さんの書かれる文章が好きで、

ひところ岡さんの随筆はよく読んでいました。

もちろん、数学のことなどは

何もわかりませんが。

昨夜のドラマの岡さんは、

押し入れに閉じこもったり、

寝る間も惜しむほどに数学に取り憑かれた、

とても畸形な人物という印象でした。

実際に、そうだったのかもしれませんが、

ただただご家族は大変だったな、

という印象でした。

文化勲章を受賞されてから書かれた

一般向けの随筆の雰囲気しか知らない者には、

大変な奇人の側面が強調されたドラマは

ちょっと何とも言えない感じでした。

岡潔さんは晩年

(と言えるのかどうかよく知りませんが)

山崎弁栄上人の光明主義に心酔しておられました。

そしてどこかで、

もしまた生まれてきたら

自分は数学ではなく宗教をやりたい

とおっしゃっておられたと思います。

最後には功成り名を遂げた

大数学者の人生のドラマのはずでしたが、

ドラマからはほのぼのした雰囲気は

あまり漂ってはきませんでした。

もともと期待するほうが無理筋で、

単なる無い物ねだりですけど。(^^;)

ただタイトルからも分かるとおり、

このドラマはどちらかと言うと、

大数学者岡潔さんを支えた

奥様のみちさんのドラマです。

その奥様が岡さんの論文を抱えて

京都大学の数学科の教授を訪問する場面が

このドラマのひとつのクライマックスです。

そのときたまたま大学で

アメリカに出発する湯川秀樹博士の

歓送会のようなものが開かれています。

唐突なみちさんの出現と

夫岡潔の論文を読んでほしいという

場をわきまえない彼女の願いの筋に

数学科の木下教授は辟易します。

岡さんの数少ない友人の秋月さんのとりなしで

みちさんはしばらく柱の陰でじっとしています。

しかし、そのうちひとりで、

会場中心にあるマイクに近づいていくのです、

そこでマイクを通じて

会場の学者たちに……、

自分は数学のことは何もわからないが、

学者の妻として長く生活してきて、

数学者がどんなものかはよく知っている。

あれほど一心に数学に身を捧げ、

フランスのカルタン先生からも

評価のお手紙をいただいたこの論文には

何か価値があると思うのです。

どなたか、

この論文を読んでいただけませんか。

今の岡には何か激励の言葉が必要なのです。

と語りかけます。

その言葉が数学科の木下教授に届き、

彼から、

自分はその論文を受け取ることはできないが、

アメリカに出かける湯川さんに託したらいい、

という言葉を引き出すわけです。

さて、長々とこんな話を書いてきたのは、

みちさんの【何か価値がある】という言葉に

pariパターンの

小さなマインドが絡まったからです。(-_-;)

通常の意味で、

岡潔さんの多変数解析函数論の一部である

その論文に【価値がある】ことに、

むろん、疑問の余地はありません。

それは“「真」の創造”の一場面なのですから。

しかしまた一方で、

この“何か”に【価値がある】こと、

個々の現象そのものに固有の価値があるという幻想が、

人間世界の苦しみの淵源であることも確かです。

この観念がイデオロギーになってもまた、

それは苦しみを支えるのでしょうが。(-_-)

苦しみとは

ある現象は別の現象とは分離しているという

分離幻想に由来します。

分離があるという幻想が苦しみのもとなのです。

そしてこの分離幻想が

個々の現象の価値を支えてもいるわけです。

こういうテレビドラマを観てさえ、

ただ楽しむというそれだけのことができず、

こんな想念が湧いてくるとは因果なものですが。(-_-;)

でも、それはわたしのものではなく、

ただここにそんな現象が起こっているというだけです。

そしてそこに

あたかも自分の想念であるかの如き、

幻想も同時に湧いているのですが。


ところで、唐突ですが、

「巧言令色鮮し仁」という言葉があります。

コウゲン レイショク スクナシジン

夢中の世界での真実だと思います。

どういう連想から

こんな言葉が浮かんだんでしょうね?(-_-;)

ただ、結果的にですが、

こんな連想が浮かんでしまいました。

「巧論令弁鮮し信」

コウロン レイベン スクナシシン

これ、何だと思います?

このpariという夢中人間が書いている

『アセンション館通信』に対して浮かんだ感想です。

この『アセ通』に書かれた文章の内容が

通じているのかどうかはわかりませんが。

pariパターンは

巧みな論理を展開しようと努めているようです。

思いつくかぎりのレトリックを

使おうとも思っているらしい。

でも、どんなに合理性で頑張っても、

「信」、

信頼を創造することはできそうもない。(-_-)

論理ができることは迷うことだけです。

pariパターン(として湧いてくる想念)が

いちばん理解したくて、

しかもどうしても理解できないのは、

マハルシの次の言葉です。

──────────────────
 質問者 
 人の人生において、
 彼の国、国民、家族、仕事、職業、結婚、
 死などにおける顕著な出来事が、
 彼のカルマによって
 すべて宿命づけられていることは理解できますが、
 しかし彼の人生の詳細すべてに至るまで、
 取るに足らないことまで、
 すでに決定されているのでしょうか?
 例えば、
 今私は手のなかの扇を床の上に置きました。
 それはこの日、この時間に、
 私がこのように扇を動かし、
 このようにここに置くということまで、
 すでに決定されているということなのでしょうか?
 
 マハルシ
 もちろんだ。
 何であれこの身体がすること、
 そして何であれそれが通り抜ける体験は、
 その身体が存在を現したときに
 すでに決定されているのである。
 
 『あるがままに』(p388) 
──────────────────

> 例えば、
> 今私は手のなかの扇を床の上に置きました。
> それはこの日、この時間に、
> 私がこのように扇を動かし、
> このようにここに置くということまで、
> すでに決定されているということなのでしょうか?
> 
> マハルシ
> もちろんだ。

マハルシの返答に

一瞬の遅滞があったとも思えません。

この瞬間にpariパターンが

このような文章を書いていること自体も

すでに決定されていることだというのです。

> 何であれこの身体がすること、
> そして何であれそれが通り抜ける体験は、
> その身体が存在を現したときに
> すでに決定されているのである。

この身体が誕生したときに

すでにすべては決定されているのだと。(-_-;)

(-||-)

この瞬間に起こっていることが、

撮影済みの映画フィルムのように

もし何から何まで決まっているのだとしたら、

心配することに何の意味があるでしょう? (*^_^*)

しかしまた、

もしこの言葉を本当に信頼できたら、

必然的に次のマハルシの言葉が

その意味を打ち明けはじめるでしょう。

──────────────────
 質問者 それでは、
     人の自由や彼の行為に対する責任は
     どうなるのでしょうか?
 
 マハルシ
 人が手にできる唯一の自由とは、
 努力をしてジニャーニを得ることである。
 それが彼と身体との同一化を断ち切る。
 身体はプラーラブダによって宿命づけられた、
 避けることのできない行為を
 通り抜けていくだろう。
 人は身体と彼自身を同一視し、
 その身体の行為の報いに執着するか、
 あるいはそれから離れ、
 身体の活動の単なる目撃者となるか、
 という選択の自由だけをもっているのである。

 『あるがままに』(p389)
──────────────────

> 質問者 それでは、
>     人の自由や彼の行為に対する責任は
>     どうなるのでしょうか?

まさに。(-_-)

> マハルシ
> 人が手にできる唯一の自由とは、
> 努力をしてジニャーニを得ることである。

それ以外にはどんな自由もないと。

> それが彼と身体との同一化を断ち切る。

ジニャーニを得れば、

身体との同一化は自ずから断ち切られる。

> 身体はプラーラブダによって宿命づけられた、
> 避けることのできない行為を
> 通り抜けていくだろう。

身体は映画フィルムに定着された

振る舞いをたどって展開していくだろう。

> 人は身体と彼自身を同一視し、
> その身体の行為の報いに執着するか、

あなたには、

その身体を自分と思い、

義務と責任の中で欲望と恐れに苛まれるか、

> あるいはそれから離れ、
> 身体の活動の単なる目撃者となるか、
> という選択の自由だけをもっているのである。

ただ身体の振る舞いの目撃者になるかの

どちらを選ぶかの自由があるだけだ。


マハラジの言葉のなかでは、

マハルシのこの言葉に照応するのは

おそらく、次の言葉でしょう。

──────────────────
 たったひとつ、あなたには誤りがある。
 あなたは内面を外面に見て取り、
 外面を内面として見ているのだ。
 あなたの内側にあるものを
 あなたの外側にあると見なし、
 外側にあるものを
 あなたの内側にあると見なしているのだ。
 マインドと感情は外側にあるのだ。
 だが、あなたはそれらを
 最も内部にあると見なしている。
 あなたは世界が外界のものだと信じている。
 だが、それは完全にあなたの精神の投影なのだ。
 これが混乱の根本であり、
 新たな爆発がその混乱を正すわけではない。
 あなた自身で考え抜かなければならないのだ。
 ほかに道はない。
 
 『私は在る』(p258)
──────────────────

> たったひとつ、あなたには誤りがある。

この誤りは

単にこの質問者に限られるものではなく

夢の中の登場人物すべてに共通するでしょうね。

> あなたは内面を外面に見て取り、
> 外面を内面として見ているのだ。

内側から投影される画像を外界だと思い、

その画像に反応して湧いてくる想念を

内面だと見なしている。

> あなたの内側にあるものを
> あなたの外側にあると見なし、

実際は内側から投影されているものを

自分の外側にあると思いこみ、

> 外側にあるものを
> あなたの内側にあると見なしているのだ。

眼前に浮上してくる想念を

自分の内面だと思っている。

> マインドと感情は外側にあるのだ。

実際は想念と感情は

あなたのシステムが排出した出力だ。

> だが、あなたはそれらを
> 最も内部にあると見なしている。

だがあなたはそれを自分の内面だと思っている。

> あなたは世界が外界のものだと信じている。

あなたは世界の独自存在を信じているが、

> だが、それは完全にあなたの精神の投影なのだ。

外界は完全にあなたの存在に依存し、

あなたの興味が呼び寄せている画像にすぎない。

> これが混乱の根本であり、
> 新たな爆発がその混乱を正すわけではない。

そこのところが間違っているのだから、

待っていれば

その混乱自体の中から自動的に

誤解の崩壊という物語が起こるわけではない。

> あなた自身で考え抜かなければならないのだ。

待っていても仕方がない。

夢を観ているあなたが、

そのパターンを見抜き、

夢から覚めなければならないのだ。

> ほかに道はない。

Good luck!

(-||-)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
──────────────────

(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.編集後記:
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今日はまだまだ明るいようです。

それではまた。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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