━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2018/03/04(第724号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。
欲望や嫌悪は心のもの
そして心はあなたのものではない
あなたはその混乱から自由なのだ(『Ashtavakra Gita』)
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在848名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.“重要なこと”が多すぎる
2.いただいたお手紙から:andreさん
3.編集後記
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■ 1.“重要なこと”が多すぎる
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今日はとても暖かい日ですね。
今日は地元の祭礼の日です。
大人の神輿と子供神輿がやってきます。
(*^_^*)
さて、またまた一週間が過ぎて、
楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、
お付き合いいただく今がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人の pari です。
このところ「メルマガの趣旨」として
『アシュターヴァクラ・ギーター』の
つぎの一節を掲げています。
──────────────────
欲望や嫌悪は心のもの
そして心はあなたのものではない
あなたはその混乱から自由なのだ
『Ashtavakra Gita』(p101)
──────────────────
これが真理の言葉として
真実であることはまったく疑いません。
でも、お察しのとおり
pariパターンがその理解に根づいて揺らがない、
という意味ではもちろんありません。
pariパターンは現象の一部として
もちろん四六時中搖動しているわけです。
そしてpariパターンに自己同化している存在は
その搖動している変化の相を、
その現象を自分だと思っているわけです。
では、理解はどこに蓄積するのか?
もちろん、
理解は意識のコンテンツですから
意識のコンテンツにしか蓄積しない。
(より正確に言うなら、
浮上する想念としてしか現象しない。)
それを映し出しているものには
蓄積しようがないのです。
──────────────────
あなたはマインドを超えている。
だが、あなたはマインドで知るのだ。
『私は在る』(p330)
──────────────────
> あなたはマインドを超えている。
体験に気づいているわたしは
もちろん体験そのものではない。
> だが、あなたはマインドで知るのだ。
しかし、現象を映し出すわたしは
マインドに積もる理解、
つまり
意識のコンテンツとして累積する想念によってしか
現象を見ているのが何者なのかを
知るすべはないわけです。
現象世界での行為についてすら、
何かを実現するのに絶対必要なのは
「選択」と「集中」だと言われます。
意識エネルギーを散漫に当てていたのでは
エネルギー資源がいくらあっても
何かを実現することはできないと。
子供の頃にやったように、
レンズで紙の上に太陽の光を一点に集めると
やがて黒い一点が生まれて
そこから炎が出はじめる。
でも、それはレンズを塩梅して、
太陽の光を紙の上の一点に集めたから。
もし当てた光が散漫な範囲に広がっていたり、
その場所があちこち動いていたら、
一向に紙のなかに黒い点は生まれない。
紙に孔を開けることはできないわけです。
夢の世界の中の紙ですらそうです。
ならば夢そのものに穴を開け、
夢の魔力を破ろうとするのなら、
「選択」と「集中」は必須でしょう。
われわれが
これほどの窮地に陥っているのは、
肝心なことに焦点を絞る能力がないからです。
自分にとって何が肝心なのか?
何が重要なのかを決める能力がないからです。
つまり、
目の前に差し出されるもの
何でもかんでもに注意を奪われ、目移りして、
あれもこれも欲しくなる。
つまり“重要なこと”が多すぎるのです。(*^_^*)
そして、
あまりにも多い“重要なこと”のなかで、
貴重な意識エネルギーを浪費し、消耗して、
ただただ疲労困憊してしまう。
夢の中の世界ですら、
【見かけ】で起こっていることですらそうです。
しかも、
“重要なこと”が存在する【見かけ】の中では、
それを克服する自由意志も健在です。
──────────────────
個人性が維持されるかぎり、
自由意志は存在する。
すべての聖典はこの事実を基盤としたうえで、
自由意志を正しい経路に向けるように勧めている。
『あるがままに』(p389)
──────────────────
自由意志が維持される領域の住人たるわれわれが、
言葉の上で自由意志を無視しても
そうは問屋が卸さないようです。(^_-)
そこは自由意志を発揮して
“重要なこと”が多すぎる状態から
まず脱出しなければならないのかもしれません。
そして本当に重要なことに
フォーカスし集中する能力を
獲得する必要があるのでしょう。
自分が本当に欲しいものは
自分で決めなくてはならない。
たとえそれが、
自分などというものはいない、
という事実の再発見であったとしても。
(-||-)
──────────────────
あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
──────────────────
(-||-)
──────────────────
永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
──────────────────
……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
………○…………○…………○………
『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html
ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
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https://www.ascensionkan.com/rdic/
おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/
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■ 2.いただいたお手紙から:andreさん
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▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)
「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。
今回、andreさんからご投稿をいただきました。
さっそく、ご紹介します。
【件名】:マインドと世界
──────────────────
また性懲りもなく、メールいたします。
わたしにとってのマハラジの最大の難所の一つは、
「マインドの中に世界があるのであって、世界の中にマインドがあ
るのではない。」
ということです。 本の中でも何回も質問者が突っかかっています
が、誰一人として腑に落ちたようではありません。
これを、人は万事、心の持ちようだというのなら、まあ、納得でき
ます。 (コップの水が半分だというのをまだ半分あるという人と
もう半分しか無いというようなこと。)
また、ミツバチに見えている世界と、我々が見ている世界はまった
く違う、つまり、我々の感覚器官によって世界は全く変わってしま
うというのも、理解できます。
さらに、私には、ある体験があります。 いつもの通勤途中の車の
中から山が見えました。その瞬間、山は私であり、私は山なのだと
いうどうしようもない実感があったのです。
この時、私はこの〇〇年の日本という世界に放り込まれたのではな
く、私とこの世界が一つであって、それ以外に存在できない、私が
抜けてしまえば、この世界も無くなってしまうということを、妙に
リアルに気が付いたのです。
しかし、この強烈な体験は一回きりで、その後、また元の木阿弥。
なんでそうなったかも何もわからないまま今日に至っています。
マインドを各個人の分離されたものとして、捉えるとわからないの
ですが、一つの巨大なマインドしか無いのだと言われれば、何とな
くわかるように思えます。 でもまだ納得できないなー。
──────────────────
> また性懲りもなく、メールいたします。
ご投稿大歓迎です。(^^)/
そんなことおっしゃらず、毎回でもお願いします。
> わたしにとってのマハラジの最大の難所の一つは、
>
> 「マインドの中に世界があるのであって、世界の中にマインドがあ
> るのではない。」
>
> ということです。
ええと、
これは『私は在る』の何ページにある言葉ですか?
ちょっと対応箇所が見つかりませんでした。
> 本の中でも何回も質問者が突っかかっていますが、誰一人として
> 腑に落ちたようではありません。
そうでしたか。
> これを、人は万事、心の持ちようだというのなら、まあ、納得でき
> ます。 (コップの水が半分だというのをまだ半分あるという人と
> もう半分しか無いというようなこと。)
うーん、まあ言葉で表現できることには、
すべてそういう側面がなきにしもあらずですが。
> また、ミツバチに見えている世界と、我々が見ている世界はまった
> く違う、つまり、我々の感覚器官によって世界は全く変わってしま
> うというのも、理解できます。
はい、それはわかりますよね。
> さらに、私には、ある体験があります。 いつもの通勤途中の車の
> 中から山が見えました。その瞬間、山は私であり、私は山なのだと
> いうどうしようもない実感があったのです。
そうでしたか。
> この時、私はこの〇〇年の日本という世界に放り込まれたのではな
> く、私とこの世界が一つであって、それ以外に存在できない、私が
> 抜けてしまえば、この世界も無くなってしまうということを、妙に
> リアルに気が付いたのです。
なるほど。
> しかし、この強烈な体験は一回きりで、その後、また元の木阿弥。
> なんでそうなったかも何もわからないまま今日に至っています。
体験は過ぎ去るものですものね。
> マインドを各個人の分離されたものとして、捉えるとわからないの
> ですが、一つの巨大なマインドしか無いのだと言われれば、何とな
> くわかるように思えます。
はい。
> でもまだ納得できないなー。
andreさんがおっしゃる
【マインドの中に世界があるのであって、
世界の中にマインドがあるのではない。】
が、マハラジのどの表現を指しているのかを
特定することはできませんでしたが、
ただそのあたりに関連する
いくつかのマハラジの表現を見てみましょうか。
たとえば、こんな感じです。
──────────────────
世界は記憶のなかに存在する。
記憶は意識のなかに現れる。
意識は気づきのなかに存在し、
気づきは存在の水面上の光の反映なのだ。
『私は在る』(p217)
──────────────────
この表現は体験的というよりは
むしろ哲学的というか理解の問題ですよね。
わたしにはどの一行をとっても
まったく疑問の余地のない陳述であり、
自明の理という気がします。
要するに、
気づきであるあなた存在するから、
その気づきのなかに意識の内容が顕現し、
その意識内容の一種として記憶があり
記憶を構成することで世界が現れる、
ということだと思います。
その証拠に、
気づきとしてのあなたがいない熟睡中には
世界は現れようがないわけです。
このことを、
マハラジは次のようにも表現します。
──────────────────
あなたは世界に属するのではない。
あなたは世界の中にいるのでさえない。
世界は存在しない。
あなただけが在るのだ。
『私は在る』(p471)
──────────────────
と。
これを空間的イメージで捉えたければ、
こういう表現もあります。
──────────────────
光線がほこりの微少片にさえぎられないかぎり
目に見えないように、
至高なるものもすべてを既知にしながら、
それ自身は未知としてとどまるのだ。
『私は在る』(p85)
──────────────────
視覚的イメージとして喩えて言うなら、
宏大な大暗黒空間のなかに
今ぼんやりと世界が浮かび上がっています。
しかし、大暗黒空間のなかに
そのように世界が現れているのは、
世界が無辺光を浴びて
その光を反射しているからなのです。
つまり、その大暗黒空間は
何も存在していないのではなく、
気づきの光で充満しているということです。
そして、それがあなただと。
そのあなたのなかに
あなたという気づきの光に依存して
その光を反射して世界が現れるのです。
andreさんは、
自分が存在していることは疑いませんよね。
自分が存在していることを
自明のこととして知っているからです。
またもし、
自分が存在しないのだとしたら、
何ひとつ気にすることなどないわけです。
ただ、andreさんは、
“自分が存在していることを知っている”という
そのことの真のパワーに気づいていないだけなのです。
そして、この身体が
自分の存在を知っているのだと勘違いしているのです。
身体はただの物質です。
単なるバイオロボットですから、
自分が存在していることなど知りません。
それは他のすべての現象と同じく、
ただの知覚の対象物です。
それは知覚されたがゆえに
現象できているだけです。
では、何故にそれらは現象できているのか?
それらは気づかれているがゆえに現象できています。
では、何がその現象に気づいているのか。
それが、
“自分の存在を知っている者”なのです。
それが、andreさんという名前のついていない
andreさんです。
> でもまだ納得できないなー。
という感じでしょうか。(*^_^*)
………○…………○…………○………
今回、Mindfulnessさんからも
ご投稿をいただいていたはずなのですが、
どうも見つかりませんでした。
Mindfulnessさん、ごめんなさい。<(_ _)>
………○…………○…………○………
▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518
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■ 3.編集後記:
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今日は地元で神輿担ぎの祭礼があって、
組長の番のわが家は二人で参加しました。
なので書き始めるのが午後になりました。
すっかり晩くなりました。
お休みなさい。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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→ メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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