━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2018/04/01(第728号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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☆☆ ☆☆ https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。
欲望や嫌悪は心のもの
そして心はあなたのものではない
あなたはその混乱から自由なのだ(『Ashtavakra Gita』)
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在845名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.欲望は苦痛を生みだす
2.編集後記
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■ 1.欲望は苦痛を生みだす
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春の一日……。
わたしは夢を見ている。
(*^_^*)
さて、またまた一週間が過ぎて、
楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、
お付き合いいただく今がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人の pari です。
あなたは今、幸せですか?
わたしは、
ときどきとても不幸せになります。
なぜなら、
いまだに幸せを求めて不安になるからです。
そのことが体験的にはっきりわかってきました。
現象世界の中で幸せを求める質問者に、
マハラジが、
こんなふうに答えるところがあります。
──────────────────
私の体験ではすべてが至福だ。
しかし、至福への欲望は苦痛を生みだす。
それゆえ、至福が苦痛の種子となる。
この苦痛の宇宙全体は欲望から生まれたのだ。
喜びへの欲望をあきらめなさい。
そうすれば、
あなたは苦痛が何かさえ知らずにすむだろう。
質問者 なぜ喜びが苦痛の種子となるのでしょう?
マハラジ
なぜなら、
喜びのためにあなたは多くの罪を犯しているからだ。
罪の結果は苦しみと死なのだ。
『私は在る』(p100-101)
──────────────────
こんな当然で単純な言葉が、
やっと理解の範疇に入ってきました。
> 私の体験ではすべてが至福だ。
それは、もちろん
マハラジが【見かけ】の世界に
何も求めていないからでしょう。
何ひとつ求めていない状態が至福ですから。
> しかし、至福への欲望は苦痛を生みだす。
しかし、いったん幸せを望むと
その欲望がたちまち不安を呼び起こします。
なぜなら、
(いま達成されていないという)その幸せは、
もしかしたら、
達成できないかもしれないからです。
この欲望が苦痛を発動する過程は
まさに自動的で寸分の狂いもありません。
> それゆえ、至福が苦痛の種子となる。
求められた幸せは、
即座に不安という苦痛を発動し、
そこで抑圧された苦痛は、
より大きな精神的また物理的混乱と騒動を呼び起こして
さらなる苦痛の種となるでしょう。
> この苦痛の宇宙全体は欲望から生まれたのだ。
そのようにして、
【見かけ】のなかに幸せの形を求めた欲望が
この苦痛の全宇宙を呼び寄せたのだと
マハラジは言います。
> 喜びへの欲望をあきらめなさい。
だから、
喜びへの欲望自体をあきらめなさいと。
> そうすれば、
> あなたは苦痛が何かさえ知らずにすむだろう。
求められていない想像上の幸せが
あなたを苦しめることも起こらないだろうと。
> 質問者 なぜ喜びが苦痛の種子となるのでしょう?
なぜ喜びが苦痛の種子となるのか、
とこの質問者はしつこく聞いてくれました。
> マハラジ
> なぜなら、
> 喜びのためにあなたは多くの罪を犯しているからだ。
これはあらゆる自我の論理が
覆い隠そうとする真実です。
【見かけ】のなかで喜びを求めることは、
それ自体が【見かけ】のなかに、
喜びと苦しみを実体化する行為なのだという事実。
> 罪の結果は苦しみと死なのだ。
そこで現実化した
【見かけ】のなかの喜びと苦しみが
ありもしない死を創造し、
その死を避けようとする苦しみを現実化すると。
無用な苦しみを創造することが
罪というものなのでしょう。
欲望すること自体が、
夢にエネルギーを送ること、
つまり、
夢の世界に入っていくことなのです。
【見かけ】そのものは
内部から投影される「入力」だとすれば、
欲望は、
観劇者からの「出力」に当たるのでしょう。
これが夢の世界の再生産機構です。
アシュターヴァクラはこう言います。
──────────────────
世界はただ偽りの印象の集まりにすぎない
あきらめなさい
幻を手放しなさい
世界を手放しなさい
そして自由に生きるのだ
『Ashtavakra Gita』(p77-79)
http://goo.gl/Bzgj7F
──────────────────
世界が勝手に向こうから
襲いかかってくるわけではない。
世界にそんな能力はない。
【見かけ】に対する観劇者の関心だけが
夢の世界を再創造している。
──────────────────
すべてはあなたにかかっている。
世界はあなたの承諾によって存在しているのだ。
『私は在る』(p470)
──────────────────
まさに、そういうことでした。
(-||-)
──────────────────
人間のありさまを観察し
快楽と知識への欲望
そして人生そのものへの欲望を
放棄した人は稀だ
彼は祝福されたのだ
何ひとつ存続しない
何ひとつ実在ではない
すべては苦しみ
果てのない三重苦だ!
まったく何の価値もない
これを知りなさい
すべてをあきらめなさい
そして静かに在りなさい
『Ashtavakra Gita』(p77-79)
──────────────────
> 人間のありさまを観察し
(pariパターンの)わたしに即して言えば、
人間のありさまを観察するのは
きわめて不得手です。
わたしにはよくわかりません。
でも、自分の不幸はわかる。
子供っぽい人間はたいていそんなものです。
> 快楽と知識への欲望
> そして人生そのものへの欲望を
> 放棄した人は稀だ
これが稀なのはわかります。
これが人生双六の上がりでしょうから。
> 彼は祝福されたのだ
はい、
彼が祝福されたのは間違いありません。
でも、改めて考えてみれば、
それはわずか、
> 快楽と知識への欲望
> そして人生そのものへの欲望を
放棄するだけのこととも言えます。
たった、それだけのこと。
でも、それが起こるために、
すべての運命が、
すべての恩寵が起こらなければならない。(-_-;)
そしてそこで起こったすべては、
あらゆる苦しみを生みだしながら、
> 何ひとつ存続しない
> 何ひとつ実在ではない
というわけです。
すべては水泡に帰したのです。
> すべては苦しみ
間違いない。
> 果てのない三重苦だ!
果てのない三重苦……、
よくこんな言葉を発明したものですね。
> まったく何の価値もない
まったく何の価値もないです。
> これを知りなさい
はい。
> すべてをあきらめなさい
あまりにも多くのことを想像して。
> そして静かに在りなさい
(-||-)
──────────────────
努力こそが悲しみの根本原因なのだ
だが、誰がこれを理解するというのだろう?
この教えを理解して
祝福を受けるとき
はじめてあなたは自由を見いだすだろう
『Ashtavakra Gita』(p111)
──────────────────
> 努力こそが悲しみの根本原因なのだ
(;_;)
> だが、誰がこれを理解するというのだろう?
たしかに。
どんなエゴにこれが理解できるでしょう?
> この教えを理解して
これを知的に理解することはできません。
ただ、
これが事実であると
一瞬、感じられることはあるかもしれませんが。
運命が恩寵なのだと。
> 祝福を受けるとき
> はじめてあなたは自由を見いだすだろう
恩寵が受け止められたとき、
はじめて
【見かけ】への興味が消失するのでしょう。
──────────────────
ある未知なる力が行為をし、
あなたはあなたが行為をしていると想像するのだ。
いかなる形であっても、
影響を与えることのできないまま、
あなたは単に起こることを見ているだけなのだ。
『私は在る』(p256)
──────────────────
> ある未知なる力が行為をし、
> あなたはあなたが行為をしていると想像するのだ。
これが人間という
特殊なバイオロボットに起こること。
あたかも自分がその場面に影響を及ぼせるように
感じられてしまう。
人間が作るバイオロボットに起こらないことです。
> いかなる形であっても、
> 影響を与えることのできないまま、
> あなたは単に起こることを見ているだけなのだ。
とことがじつは、
わたしたち映画の登場人物には
いかなる意味でも映画の内容に
影響を及ぼすことなどできません。
しかし、どんなロボットに
これが理解できるというのでしょう?
【見かけ】への興味を失う前に、
まず真我である自分を体験することへの
切望が起こらなければならないのでしょう。
(-||-)
──────────────────
あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
──────────────────
(-||-)
──────────────────
永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
──────────────────
……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
………○…………○…………○………
『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
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ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
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おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
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というのを作らせていただきました。(^^;)
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■ 2.編集後記:
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マインドでは生きられないというのに、
何とかマインドの中で生きようとするのが
マインドというものなのでしょう。
今日は比較的寒い風が吹いています。
ではまた。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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