home > 通信 >『アセンション館通信』第729号:まず理解しなければならない



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2018/04/08(第729号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

 欲望や嫌悪は心のもの
 そして心はあなたのものではない
 あなたはその混乱から自由なのだ(『Ashtavakra Gita』)

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在845名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.まず理解しなければならない

2.編集後記
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■ 1.まず理解しなければならない
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春の嵐……。

この時期が庭がいちばん華やかになる季節です。

眼の前のチューリップの棚がいちばん賑やかで、

向かって左手の桜が満開になり、

正面のピンクの花桃が一気に開花し、

下の畑で白い桃の花が満開のこの時期。

花桃の左下の黄色いレンギョウと、

右下の白いユキヤナギ。

庭に降りると右手の奥の木蓮に、

その手前の少し終わりかけアセビ。

あと名前を覚えられないたくさんの

小さな花たちがとりどりの色で咲いています。

昨夜は風が強く、

先程来全天を覆っていた一面の雲が

右側の西の方から開けて

青空が顔を覗かせています。

わたしは夢を見ている。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、

お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

見えている光景、湧いてくる思い、

現象する世界はすべてが夢です。

はは、

いつまでこんなことを言いつづけるものやら。

でも、気分は

つねに変わりつづけているのです。

見かけに焦点が合っているかぎり、

いつまでも見かけの中に何かがあるような気がして。

でも、

見かけの中に何かが在るはずもありません。

見かけは見かけ、

そこには何も無いから見かけです。

ただ、見ている存在だけが在る。

とは言いながら、

見ている存在はいつも勘違いをする。

自分が見ている存在なのだと。

でも、それこそが見られている夢のコンテンツです。

見ることを可能にしている実在は、

夢の内容にはどんな興味も持っていない。

でも、その実在が存在しなければ、

いかなる夢もなければ、

夢を見ている存在もありえません。

見ることを可能にしている実在は、

なぜ夢の内容にはいかなる興味ももたないのか?

それは、

意識の内容は、

たとえゴミではあっても異物ではないからです。

かき回せばゴミは舞い上がって空間を満たし、

在るかのような様々な見かけを幻出する。

でもそれはつかの間の見かけを顕現するだけで、

そこに何かが存在するわけではない。

その見かけに焦点を合わせれば、

そこにドラマは展開しています。

そしてそのドラマに入れ込めば、

そのドラマは現実化します。

でも、それを見るのをやめれば、

じつはそこには何も存在していない。

見られるものも、見る者も、見るそのことも、

見かけはすべて消えてしまいます。

でも、

そこには何も存在しないのではありません。

見かけが湧き上がる可能性すべてが潜在しています。

だから、

見かけが欲しくなる欲望が起こって、

その潜在可能性の海をかき回せば、

すべての大伽藍が空無から立ち上がります。

見かけに興味をもち、

潜在可能性を顕在化させた欲望はそこでまた間違える。

自分が見ているそれはリアルな何かなのだと。

でもそれは、

単に顕在化した見かけにすぎません。

そこに実際に何かが在るわけではない。

なぜなら、

潜在可能性を顕在化させた存在以外には

実際は何ひとつ存在してはいないからです。

すべては見かけの中に分離した実体を想像した、

憶測と誤解が現象しているだけです。

なぜこんなことが言えるのか?

マハラジのこの言葉が聞こえてしまったからです。

──────────────────
 あなたがあなたを含む
 すべての証明なのだということを、
 まず悟るべきだ。
 あなたの存在を証明できるものは何もないのだ。
 なぜなら、他者の存在も
 あなたによって確認されなければならないからだ。
 あなたは完全に、
 あなた自身によって在るのだということを
 覚えておきなさい。
 あなたはどこからも来なかったし、
 どこへも行かない。
 あなたは時間を超えた存在、
 そして気づきなのだ。
 
 『私は在る』(p178)
──────────────────

ここでいったい何が語られているというのか?

それは、

つづめて結論だけ言うなら、

存在しているのはわたしだけだということです。

論理的な言葉を並べるなら、

まずわたしは、

他の何者にも依拠せずに

自分が存在していることを知っている。

そして他のあらゆるものは、

わたしの承認によって存在している、

ということです。

わたしは、

自分の存在だけは否定することができない。

なぜなら、もし否定したら、

否定したそのことが

わたしの存在を証明してしまうからです。

要するに、

わたしは自分が存在することを知っている。

わたしはわたし自体で存在している。

そして、他のものはすべて

わたしが認めているから存在している。

ということは、

もしわたしが認識しなければ、

それらの見かけの何ひとつ存在できないということです。

世界は顕現するためにわたしの認知を必要としている。

ただ……、

世界はわたしに耽溺していないかもしれないけれど、

わたしは世界に耽溺している可能性があります。

もしわたしが世界依存症に陥っていれば、

世界の方にはわたしを治療する義務も能力もない。

だからこそ、マハラジは

このこと↓を理解する必要があると言うのです。

> あなたがあなたを含む
> すべての証明なのだということを、
> まず悟るべきだ。

ここで、マハラジは

「まず悟るべきだ」と言っています。

英語はこうです。

──────────────────
 You must realize first of all
 that you are the proof of everything,
 including yourself. 
 
 『I AM THAT』(p160)
──────────────────

> You must realize first of all

あなたは何よりもまずこれを理解しなければならない

とここでマハラジは言っている。

ということは、マハラジの理解では、

このことを理解することが決定的に重要なのです。

何を理解しなければならないというのか?

それは、

自分を含めたすべての証明は

わたしが握っているということをです。

なぜ何よりも最初にまずこれを理解しなさい、

とマハラジ言ったのでしょう?

おそらくそれは、

これが論理的に理解可能なことだからです。

pariパターンは比較的に

論理的な言葉に反応するタイプなので、

これまでこの言葉は何度も引用してきました。

今ちょっと気になって

これまで何回くらい引用したのか調べてみました。

なんとこれまで26回の号で引用しています。

今回は27回目です。

最初に引用したのは

『アセ通』第169号(2007/07/01)でした。
https://www.ascensionkan.com/mm/vol169.html#1-1

過去に26回も引用して、

そのたんびに論理的には共振しながら、

ただ言葉の上だけだったということでしょう。

とはいえ、そこは真理の言葉です。

たとえ形だけにせよ、26回も引用していると、

惰性のつもりでも27回目には

その意味が浸透してきてしまうのかもしれません。

いつの間にか腑にまで落ちていたりして。(*^_^*)

だって、あまりに自明で、

反論のしようがないじゃないですか。

> あなたの存在を証明できるものは何もないのだ。

これは、自明でしょ。

> なぜなら、他者の存在も
> あなたによって確認されなければならないからだ。

どんな他者も、

わたしの承認なしに、

何かをわたしに証明することはできません。

> あなたは完全に、
> あなた自身によって在るのだということを
> 覚えておきなさい。

覚えるも何も、

無条件で自前で存在しているのは

わたしだけです。

> あなたはどこからも来なかったし、
> どこへも行かない。

たしかに、わたしはいつもここにいる。

> あなたは時間を超えた存在、
> そして気づきなのだ。

そのとおりです。(-||-)

ただし、それは

この身体としての自分という意味ではありません。

これはただの現象世界の一部です。

この身体に自己同化している

pariパターンの記憶からなる

夢の中の登場人物にすぎません。

ここでマハラジが言うあなたではありません。

ここでマハラジが言うあなたとは、

すべての見かけの顕現の可能根拠、

唯一の実在であるあなたです。

──────────────────
 そこに探求すべき第二の、
 あるいは高次の自己というものはない。
 あなたが最高位の自己なのだ。
 ただ、
 あなた自身に関する偽りの観念を捨て去りなさい。
 あなたは身体、
 そしてその欲望と恐れではなく、
 またマインドとその幻想的な観念でもなく、
 社会があなたに演じるように強要した
 個人としての役柄でもないと、
 信念と理性があなたに告げているのだ。
 偽物を捨て去りなさい。
 
 『私は在る』(p536)
──────────────────

> そこに探求すべき第二の、
> あるいは高次の自己というものはない。

こういう表現で

誤解の余地なく語ってくれたのは、

マハラジが初めでした。

本気にはしなかったかもしれませんが、

何かは確実に聞こえてしまいました。

こういう真実の言葉は、

いちど聞いてしまうと、

もう聞かなかった元には戻れません。

少しずつ少しずつ浸透してくるものです。

> あなたが最高位の自己なのだ。

実際はわたしこそが最高位の自己です。

たとえ黒煙で満たされていようとも、

実在する不動が空間だけであるように。

> ただ、
> あなた自身に関する偽りの観念を捨て去りなさい。

この見かけの顕現を可能にしているのは何か?

気づいているわたし以外にありえない。

ただこの気づきのなかに浮上している観念が

知覚の対象の中に自分がいると誤解しているだけで。

> あなたは身体、
> そしてその欲望と恐れではなく、

はい。

欲望や恐れは

誤解が呼び寄せた想念にすぎません。

> またマインドとその幻想的な観念でもなく、

pariパターンはこのあたりで

とても夢中になってしまうのだけれど。(*-_-*)

> 社会があなたに演じるように強要した
> 個人としての役柄でもないと、

たしかに、

義務とか責任とかいう観念は

そう簡単には放り出せません。

それでも、それは間違いなく

夢の物語のなかにしか存在していない。

> 信念と理性があなたに告げているのだ。

間違いありません。

> 偽物を捨て去りなさい。

ごくごく日常的な感情の中に

その自己同化は居座っている。

──────────────────
 そこには想像があるだけだ。
 知性とエネルギーは、
 あなたの想像のなかですべて
 使い果たされてしまった。
 あなたはまったく
 想像に夢中にさせられてしまったため、
 どれほど実在から遠く離れてさまよい歩いたのかさえ
 わからなくなってしまったのだ。
 想像が豊かな創造力であることに疑いはない。
 宇宙のなかの宇宙も、
 想像によって構築されているのだ。
 それにもかかわらず、
 それらはみな空間と時間、
 過去と未来のなかにあり、
 実際は存在しないのだ。
 
 『私は在る』(p306-307)
──────────────────

> そこには想像があるだけだ。

ほんとにそうなんですね。

> 知性とエネルギーは、
> あなたの想像のなかですべて
> 使い果たされてしまった。

(*-_-*)

> あなたはまったく
> 想像に夢中にさせられてしまったため、
> どれほど実在から遠く離れてさまよい歩いたのかさえ
> わからなくなってしまったのだ。

おっしゃるとおりですが、

それでも帰りたいのです。

> 想像が豊かな創造力であることに疑いはない。

ほんと、すごいものですよね。

> 宇宙のなかの宇宙も、
> 想像によって構築されているのだ。

わかります。

> それにもかかわらず、
> それらはみな空間と時間、
> 過去と未来のなかにあり、
> 実際は存在しないのだ。

間違いないです。

(-||-)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
──────────────────

(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.編集後記:
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とても心乱れる状況というのが、

少し遠ざかろうとしているようです。

見かけの現れは

それなりの意味での自然現象です。

波動で編み込まれた現象世界に

独立した分離実体は存在しないため、

何かができる誰かというものは存在しません。

それでも、

自分は何かができると想像しつづけますが。

でも、何ひとつできない。

自慢できるものもなければ、

恥ずかしがるべきものもない。

今日は昏くなってきました。

ではまた。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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