home > 通信 >『アセンション館通信』第736号:全顕現は不妊の女性の子供



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2018/05/27(第736号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

わたしは存在している。身体は現れてはいるが存在してはいない。
欲望や期待や喜びは、現れはするが存在してはいない。
心配や恐怖や悲しみは、現れはするが存在してはいない。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在838名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.全顕現は不妊の女性の子供

2.編集後記
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■ 1.全顕現は不妊の女性の子供
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あ、薄曇り……。

(*^_^*)

またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、

お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

これまでに何度も言ってきたので

もう耳タコかもしれませんが、

pariパターンは若い頃に

  <何故にすべては始まってしまったのか?>

などというバカげた疑問に取り憑かれました。

こんな一度引っかかった疑問のせいで

何かを実現するために一生懸命に生きる

というような殊勝な気持ちに

なかなか成り切れなかったところがあります。

つまり、一生を棒に振ることを

最初から約束されているようなものでした。

だからあんなにも若い頃に、

あの坂道で一瞬起こったあの

「自分の人生がまったくの無駄だったことを

 一生覚えていよう……」
 
などという変な想念のことを

いつまでも再想起するハメになったのでしょう。

こういう事態の原因となった

pariパターンという実体が

存在するわけでは無論ありません。

現象世界の一隅に

そういうパターンも現れたというだけのことです。

現象世界の内部機構の話に入り込めば、

DNAとか条件づけとかいった

後付けの理屈はいくらでも湧いてくるでしょうが。

現象世界は波動の世界です。

個々の探求という意識波動が

それぞれに見合った結論を引き寄せるのです。

どこに主体が在るわけでもなく、

ただそういうことが自然に起こるというだけです。

求道者とグルの波動が引き寄せ合うというか。

若い頃のpariパターンの問い

  <何故にすべては始まってしまったのか?>

は、ついにそれに見合った

マハラジの言葉を引き寄せたようです。

マハラジの『意識に先立って』、

すごいですね……。(-_-)

今回は「一九八一年一月十九日」

の対話から写経します。

──────────────────
 マハラジ
 存在のこの感覚は、
 あなたに関するかぎり
 最も受け入れられるものではないだろうか?
 あなたはそれを一番愛しているのではないだろうか?
 
 あなたはなぜここに座っているのだろうか?
 あなたはここに自分自身のために座っている。
 なぜなら、
 あなたは自分自身のために何かが欲しいからだ。
 あなたとは何なのか?
 その中に入りなさい。
 あなたは自分が存在していることに
 何の疑いも持っていないが、
 何があなたに
 ずっと存続していたいと思わせるのだろうか?
 
 無限の時間が来ては去っていった。
 この時間の中で
 無数の形が創造されては破壊されてきた。
 今、彼らは存在の感覚をもっているだろうか?
 彼らは自分自身について心配しているだろうか?
 この存在感がなければ、
 あなたは何をすることもできず、
 またそれを継続するために
 できることも何一つないのだ。
 
 『意識に先立って』(p216-218)
──────────────────

> 存在のこの感覚は、
> あなたに関するかぎり
> 最も受け入れられるものではないだろうか?

自分が存在するというこの無条件の存在感こそが、

あなたが自分の中核として

最も受け入れやすいものではないだろうか?

> あなたはそれを一番愛しているのではないだろうか?

あなたが自分として一番愛しているのは、

その存在感ではないかね?
 
> あなたはなぜここに座っているのだろうか?

あなたはなぜ『意識に先立って』を

買ったのだろうか?

> あなたはここに自分自身のために座っている。

あなたは自分自身のためにこの本を買ったのだ。

> なぜなら、
> あなたは自分自身のために何かが欲しいからだ。

それは、

あなたが自分自身のために何かがほしいからだ。

> あなたとは何なのか?

その何かを欲しがっている

あなたとは何なのか?

> その中に入りなさい。

そのあなたの中に入って

それが何かを調べなさい。

> あなたは自分が存在していることに
> 何の疑いも持っていないが、
> 何があなたに
> ずっと存続していたいと思わせるのだろうか?

あなたは自分が存在していることを

まったく疑っていないのに、

そのあなたがどうして

ずっと存続していたいと思うのか?

何があなたに

ずっと存続していたいと思わせるのだろうか?

> 無限の時間が来ては去っていった。

これまで

無限の時間が来ては去っていったことだろう。

> この時間の中で
> 無数の形が創造されては破壊されてきた。

その無限の時間の中では

無数の形が創造されては破壊されてきたはずだ。

> 今、彼らは存在の感覚をもっているだろうか?

それらの

創造されては破壊されてきた無数の形たちは

今、存在の感覚をもっているのだろうか?

> 彼らは自分自身について心配しているだろうか?

それらの無数の形たちは

今、自分自身について心配しているだろうか?

> この存在感がなければ、
> あなたは何をすることもできず、
> またそれを継続するために
> できることも何一つないのだ。

もし、それらの消滅した無数の形たちが

今、存在の感覚をもっていないのだとしたら、

それらの消滅した形たちに

今、できることが何かあるだろうか?

かつて形であったときに、

できたことが何かあったのだろうか?

この存在感がなければ、

あなたにできることなど何一つないのが

わからないだろうか?

この存在感がなければ、

形を継続しようという思いすら湧かない。

この存在感がなければ、

あなたにできることも何一つないのだ。

──────────────────
 質問者 なぜそれは
     継続することを愛するのでしょうか?
 
 マハラジ
 それはそういう性質だからだ。
 意識と愛は同じものだ。
 自分自身に尋ねてみなさい。
 あなたが欲しがっているものは何なのかと。
 あなたは何を追い求めているのかと。
 あなたは自分自身を一個の実体と考え、
 何かを欲しがっている。
 もし意識がそこになければ、
 あなたに必要なものは何かあるだろうか?
 あなたが聞いていることは、
 あなたの期待とはまったく異なるものだ。
 
 『意識に先立って』(p227-228)
──────────────────

> 質問者 なぜそれは
>     継続することを愛するのでしょうか?

なぜ私たち(その存在感)は

生き延びたいと望むのでしょうか?

> マハラジ
> それはそういう性質だからだ。

その存在感がそういう性質のものだからだ。

> 意識と愛は同じものだ。

すべての現象世界を引き起こしている

存在感(=意識)と愛は同じものだ。

> 自分自身に尋ねてみなさい。

あなたは自分自身に尋ねてみるといい。

> あなたが欲しがっているものは何なのかと。

自分が欲しがっているものは

いったい何なのか?

> あなたは何を追い求めているのかと。

自分が追い求めているものは

いったい何なのか?

> あなたは自分自身を一個の実体と考え、
> 何かを欲しがっている。

あなたは現象世界の中で

形あるものとして顕現している自分を

一個の実体と考えて、

その前提の上で何かを欲しがっている。

> もし意識がそこになければ、
> あなたに必要なものは何かあるだろうか?

もし、そこに存在感(=意識)がなかったら、

そこに何かの必要性が起こるだろうか?

> あなたが聞いていることは、
> あなたの期待とはまったく異なるものだ。

こうして今あなたが聞いていることは、

あなたが聞こうと期待したこととは

まったく異なることだろう。

──────────────────
 質問者 私は自分自身を意識と
     一体化するべきでしょうか?
 
 マハラジ
 意識である以外に、
 この「あなた」とは何だろうか?
 それは二つだろうか?
 この世界で何かができる
 実体というものはないのだ。
 霊的探求ができる実体もない。
 もし実体がなければ、
 どんな束縛なく、
 どんな解放もない。
 ただこれだけを理解しなさい。
 何もするべきことはない。
 私が何を言っているにしろ、
 聞いたものは投げ捨てなさい。
 肉体を獲得してこの存在感を得る前、
 あなたは何をしたというのだろうか?
 私にそれを教えて欲しい。
 この存在感、
 「私は在る」という知識のあとで、
 あなたはあるテレビ映像見せられた。
 「これがあなたの家族であり、
  これがあなたの両親だ」。
 あなたはこういったことを
 個人的に経験しているのだろうか?
 
 創造されては破壊されるだろうものを理解し、
 そして何事にも苦しむことのない
 あなたとは何かを理解しなさい。
 
 私は意識とその意識の中に起こることは何であれ、
 巨大な詐欺にすぎないという結論に至った。
 この詐欺を犯している人は誰もいない。
 それは自然発生的な出来事だ。
 この詐欺の犯人は誰もいない。
 
 意識の欠片が泥と土の神を創造し、
 それは受け入れられ、
 私たちが祈るものは何でも与えてくれた。
 この詐欺を理解したうえで、
 それについては何もできることはなく、
 起こりうることはただ理解が起こるためだ
 ということを理解しなさい。
 
 この肉体とその味わい、
 それが理解だ。
 この肉体は食べ物の本質からなるが、
 意識はその食べ物の本質の特性ではないだろうか?
 次のことは人が心に留めておくべき非常に単純な質問だ。
 私は自分自身の存在について
 どんな権威やコントロールをもっているのだろうか?
 そうすると、
 人は個人の努力で何ができるのだろうか?
 
 全顕現は不妊の女性の子供であることを理解しなさい。
 しかし、
 それを理解したうえで自分の仕事に完全な注意を払い、
 その仕事をできるだけの能率的におこいなさい。
 あなたがこの世の中でやっている
 その仕事の面倒をよく見なさい。
 なぜなら、
 それは孤児だからだ。
 
 『意識に先立って』(p228-229) 
──────────────────

> 質問者 私は自分自身を意識と
>     一体化するべきでしょうか?

この質問では、

この質問者は自分が何を言っているのか

わかっていないようです。

> マハラジ
> 意識である以外に、
> この「あなた」とは何だろうか?

意識である(存在感)以外に

「あなた」というものが存在するのだろうか?

このあなたの「自分自身」とは何のことかね?

> それは二つだろうか?

意識(存在感)と「あなた」は

二つの別のものだろうか?

> この世界で何かができる
> 実体というものはないのだ。

この現象世界に顕現している形の中に

何かができる実体というものは存在しない。

> 霊的探求ができる実体もない。

現象世界に顕現している形が

霊的探求をしているわけでもない。

> もし実体がなければ、
> どんな束縛なく、
> どんな解放もない。

形として顕現しているあなたの身体が

「私は在る」

と主張しているわけではないのだ。

「私は在る」と言っているのは

あなただ。

あなたという存在感(意識)が

自分が存在することを知っているのだ。

だから、

顕現している形の中に

どんな実体もないとしたら、

実際は、

どんな束縛なく、

どんな解放もありえないことを

まず受け入れなさい。

> ただこれだけを理解しなさい。

だからまず、

あなたという存在感(意識)以外に

自分が存在することを知っている者はいない、

というこれだけを理解しなさい。

> 何もするべきことはない。

それ以外に

するべきことなど何もない。

> 私が何を言っているにしろ、
> 聞いたものは投げ捨てなさい。

私が何を言ったとしても、

そんな聞いた理屈はすべて投げ捨てなさい。

あなたという存在感(意識)は、

あなた以外の誰にも依存することなく、

自前で存在していることを知ればそれでいい。

> 肉体を獲得してこの存在感を得る前、
> あなたは何をしたというのだろうか?

ところで、

あなたが今の身体を獲得して

この存在感を手に入れる前に、

あなたは自分で何かをしたのだろうか?

> 私にそれを教えて欲しい。

どこかで聞いた話ではなく、

あなたが自分で知っていることを

私に教えてほしい。

> この存在感、
> 「私は在る」という知識のあとで、
> あなたはあるテレビ映像見せられた。

あなたは今の身体を得て

この存在感を、

「私は在る」という観念を獲得したあとで、

あるテレビ映像見せられたはずだ。

> 「これがあなたの家族であり、
>  これがあなたの両親だ」。

「これがあなたの家族であり、

 これがあなたの両親だ」

という話を聞かされたのではないかね?

> あなたはこういったことを
> 個人的に経験しているのだろうか?

それらの聞かされた話以外に、

その人たちが家族であり、

その人たちが自分の両親であることを確認する

個人的な経験をしたのだろうか?

> 創造されては破壊されるだろうものを理解し、
> そして何事にも苦しむことのない
> あなたとは何かを理解しなさい。

現象世界の中で多くのものが創造され、

また破壊されるのを見てきたはずだ。

何らかの形として顕現したものが

すべて移り変わり、崩壊していくのを

あなたは理解したことだろう。

崩壊していくものは

見かけの上で断末魔の苦しみを

表現するかもしれないが、

実際は、現象世界の中に

そのような実体が存在するわけではない。

すべての快楽と苦痛は

あなたという

存在感(意識)ゆえに生じている。

あなたが在るから

すべてが起こっているのだ。

見かけの上でのすべて苦楽は

あなたの現象に対する

自己同一化ゆえに現象している。

すべての現象が

あなた(存在感)ゆえに生じていることを理解し、

現象(見かけ)のなかに

どんな実体も存在しないことを理解したら、

あなたは顕現しているものへの自己同一化をやめて、

自分自身(存在感)を調べることに向かうだろう。

実際は、

あなたはその存在感にさえ先立って

存在している。

その何事にも苦しむことのない

あなたとは何かを理解しなさい。

> 私は意識とその意識の中に起こることは何であれ、
> 巨大な詐欺にすぎないという結論に至った。

私は

この存在感(意識)ゆえに、

そしてこの存在感(意識)のなかで起こることは、

すべて巨大な詐欺にすぎないという結論に至った。

> この詐欺を犯している人は誰もいない。

といってもそれは、

この巨大な詐欺の実行犯が

誰かいるという意味ではない。

> それは自然発生的な出来事だ。

それはすべて意識の中で

自然に発生していることだ。

> この詐欺の犯人は誰もいない。

犯人は誰もいない。

というのも、

意図とか目的とか

そういうものはすべて

意識の内容物でしかありえないからだ。

だから意識を誕生させた意図

というものはありえない。

> 意識の欠片が泥と土の神を創造し、
> それは受け入れられ、
> 私たちが祈るものは何でも与えてくれた。

意識の一隅が波立ったとき

そこに想像された神がその揺らぎから誕生し、

その神が意識の中で受け入れられたとき

それに祈る意識が想像したものは

すべて創造され与えられたのだ。

> この詐欺を理解したうえで、
> それについては何もできることはなく、
> 起こりうることはただ理解が起こるためだ
> ということを理解しなさい。

起こったのはそのような

大いなる幻影だったと了解したうえで、

それについてできることは

何もないことを理解しなさい。

起こりうることはただ

誰にも責任のないその巨大な詐欺を

終わらせることは可能だと理解することだけだ。

> この肉体とその味わい、
> それが理解だ。

この肉体とその味わいとして起こっていること、

それが理解だ。

どんな味わいも間違ってはいない。

そのような理解が起こっているという、

それだけのことだ。

そしてその味わいが

どうにも耐えられないという理解になれば、

それを終わらせることはできるという理解が開けるのだ。

すべては恩寵でありすべては運命だ。

> この肉体は食べ物の本質からなるが、
> 意識はその食べ物の本質の特性ではないだろうか?

この肉体の特性は

食べ物の本質が担っていた特性だ。

食べ物の本質の特性とは

存在しつづけたいという存在への愛だ。

ならば意識の特性とは

存在しつづけたいという存在への愛ではないだろうか?

> 次のことは
> 人が心に留めておくべき非常に単純な質問だ。

次のことは、

人が心に留めておくべき

非常に啓発的で単純な質問だ。

> 私は自分自身の存在について
> どんな権威やコントロールをもっているのだろうか?

私は自分自身の存在について

どんな権威や支配権をもっているのだろうか?(-_-)

私は自分自身を存在させたことがあるだろうか?

私は自分の存在感を

意図的に獲得したり手放したりできるだろうか?

> そうすると、
> 人は個人の努力で何ができるのだろうか?

だとすると、

この身体に自己同化している人間、

現象世界に顕現している人間に、

個人の努力でできることが何かあるのだろうか?

> 全顕現は不妊の女性の子供であることを理解しなさい。

現れの世界はすべて

誰一人意図的に誕生させた者がいないのに

生じてしまっている世界であることを理解しなさい。

> しかし、
> それを理解したうえで自分の仕事に完全な注意を払い、
> その仕事をできるだけの能率的におこいなさい。

とはいえ、

そのことを理解したうえで

あなたは自分の仕事に可能なかぎりの注意を払って、

できるだけ能率的にその仕事をおこないなさい。

> あなたがこの世の中でやっている
> その仕事の面倒をよく見なさい。

この現象世界であなたがしている

その仕事の面倒をよく見なさい。

> なぜなら、
> それは孤児だからだ。

なぜなら、

現れの世界は親のいない孤児であるために

現れの世界以外に

どこかで超越的に面倒を見てくれる者が

存在するわけではないからだ。

(-||-)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
──────────────────

(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
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新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
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おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
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というのを作らせていただきました。(^^;)

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       ………○…………○…………○………


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■ 2.編集後記:
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> 全顕現は不妊の女性の子供であることを理解しなさい。

<何故にすべては始まってしまったのか?>

という問いは、

ついにそのエネルギーに相応しい理解に

出遭ったようです。

ありがとうございました。(-||-)

ではまた。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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