━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2018/06/03(第737号)
☆☆ ☆ ☆☆
☆☆ ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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☆☆ ☆☆ https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。
わたしは存在している。身体は現れてはいるが存在してはいない。
欲望や期待や喜びは、現れはするが存在してはいない。
心配や恐怖や悲しみは、現れはするが存在してはいない。
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在839名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.未分化の状態と仲良くしなさい
2.編集後記
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■ 1.未分化の状態と仲良くしなさい
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今日も穏やかな天気です。
(*^_^*)
さて、またまた一週間が過ぎて、
楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、
お付き合いいただく今がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人の pari です。
苦痛に満ちた身体を介して
絶対が語りかけてくる奇跡的な機会、
マハラジ最晩年の言葉のシャワーを浴びましょう。
こうして紡がれる言葉が
無意味になる地点に向けて。
今回は「一九八〇年四月二三日」
の対話から写経します。
──────────────────
一九八〇年四月二三日
マハラジ
あなたの真我、
未分化の状態と仲良くしなさい。
決して分離はなかったのだが、
あなたは自分がそれと
一つではないという幻想に陥っている。
私は自分の本質を理解した。
それは常に生きている。
しかしそれは、
みんなが考えて考えるように生きているのではない。
私は実体のない世界の知識や、
その経験によってこの人生を生きたいとは思わない。
人々は私に、
私は生きなければならないと言うが、
私はそんなふうに生きたくない。
私は自分自身の本質ゆえに生きているのであり、
それはそこにあり、
その存在はそこにあり、
その存在あればこそ私はそこにいる。
私の本当の状態は全体であり、
未分化であり、
誕生と死を超えている。
私は自分の肉体とマインドに
決して束縛されていない。
私は無限なのだ。
『意識に先立って』(p25)
──────────────────
> あなたの真我、
> 未分化の状態と仲良くしなさい。
意味が存在しはじめる
それ以前の状態と仲良くしなさい。
> 決して分離はなかったのだが、
> あなたは自分がそれと
> 一つではないという幻想に陥っている。
意味が存在しはじめたのは
あなたが定義を許したからだが、
定義が可能になるには
分離が想像されなければならなかった。
実在するものに
けっして分離はなかったのだが、
想像された意味を現実化するために
あなたは分離幻想を受け入れるしかなかった。
> 私は自分の本質を理解した。
私は分離幻想が捏造される以前の
自分の本質を理解した。
> それは常に生きている。
実際は、
存在しているのは常にそれだけだ。
> しかしそれは、
> みんなが考えて考えるように生きているのではない。
しかしそれは、
あなたが想像するような意味合いで
存在しているのではない。
> 私は実体のない世界の知識や、
> その経験によってこの人生を生きたいとは思わない。
私は想像の中にしかありえない
意味や定義の中のこの人生を生きたいとは思わない。
> 人々は私に、
> 私は生きなければならないと言うが、
> 私はそんなふうに生きたくない。
人々は私に、
そのような意味や定義の人生を押しつけてくるが、
私にはそのような意味や定義の人生は無用だ。
> 私は自分自身の本質ゆえに生きているのであり、
> それはそこにあり、
> その存在はそこにあり、
> その存在あればこそ私はそこにいる。
私は自分自身の本質として存在しており、
何をせずともそれはそこにあり、
それが存在するがゆえにそこにあり、
その存在あればこそ私はそこにいる。
> 私の本当の状態は全体であり、
> 未分化であり、
> 誕生と死を超えている。
あらゆる定義や意味以前に存在する
未分化の全体が私の本当の状態だ。
それは誕生と死に先立って存在している。
> 私は自分の肉体とマインドに
> 決して束縛されていない。
私は肉体とマインドの誕生に先立つ
けっして肉体とマインドに
束縛されないものとして存在している。
> 私は無限なのだ。
私はいかなる制限にも先立つ
無限なるものとして存在している。
──────────────────
絶対である私は
自分が生きてきたという
どんな経験も持ったことはないが、
今私は自分が生きているという経験をしていて、
それを通じてこのすべての困難を経験している。
この経験は時間と空間に制限されている。
しかし、
私はことのすべてを理解したとき、
自分が生きてきたという
どんな経験ももたなかったことを理解した。
これはどんな経験も超えた状態だ。
なぜこれはやってきたのだろうか?
私のグルは、
「『私』という意識が現れたので、
これらの経験が始まった。
だから、
人は『私』という意識の本質を見て、
源泉に戻り、
この『私』がどこからやってきたのかを、
発見することができる」
と正確に説明してくれた。
『意識に先立って』(p25-26)
──────────────────
> 絶対である私は
> 自分が生きてきたという
> どんな経験も持ったことはないが、
> 今私は自分が生きているという経験をしていて、
> それを通じてこのすべての困難を経験している。
意味と定義とその記憶に先立って
常に存在している絶対である私は、
自分が生きてきたという
どんな経験も持ったことはないが、
今私は
意味と定義とその記憶を担った人生を
生きるという経験をしていて、
そのことを通じて
このすべての困難を経験している。
> この経験は時間と空間に制限されている。
この経験は
意味と定義とその記憶を担うために
時間と空間に制限されている。
> しかし、
> 私はことのすべてを理解したとき、
> 自分が生きてきたという
> どんな経験ももたなかったことを理解した。
しかし私は
こうした事態の所以をすべて理解して、
意味と定義とその記憶をすべて
無用のものとして手放したために、
自分が生きてきたという
どんな経験ももたなかったことを理解した。
> これはどんな経験も超えた状態だ。
意味と定義とその記憶に先立って
常に存在しているこの状態は、
どんな経験も超えた状態だ。
> なぜこれはやってきたのだろうか?
どうしてこの状態はやってきたのか?
> 私のグルは、
> 「『私』という意識が現れたので、
> これらの経験が始まった。
> だから、
> 人は『私』という意識の本質を見て、
> 源泉に戻り、
> この『私』がどこからやってきたのかを、
> 発見することができる」
> と正確に説明してくれた。
それは、
私のグルが次のことを明確に説明してくれて、
私がそれを疑うことなく信頼したからだ。
私のグルが説明してくれたことはこうだ。
意味と定義とその記憶という
これらの人生の経験が始まったのは、
「私」という意識が現れたためだ。
だから、あなたは
その「私」という意識から目を離さずに
その「私」という意識についていって
常に存在している源泉にまで戻れば、
この「私」がどこからやってきたのかを、
発見することができるのだと。
私はグルのその指示にしたがい、
「私」という意識を追いかけることで、
意味と定義とその記憶に先立って
常に存在しているこの状態に至った。
──────────────────
質問者 もし私が病気になって無意識である場合と、
マハラジが病気で無意識であるとことの
違いは何ですか?
マハラジ
私は自分の本質を知っているし、
私はそれだ(I am That)。
それに対して、
あなたは自分の肉体とマインドに制限されている。
それゆえ、
自分が病気だと感じれば、
医者を呼んで処置してもらうことだろう。
あなたはこういったあらゆる概念を持つだろうが、
私はそういったものをもっていない。
私は自分の本質の中で眠っているのに対して、
あなた毛布をかけて眠っている。
病気になると、
あなたはそのことだけを考えているというのが
真実ではないだろうか?
なぜあなたはこの領域に入ったのだろうか?
私があなたに話しているとき、
肉体−マインドとの一体化から
理解しようとしてはいけない。
あなたの本当の状態はいつもそこにある。
それはどこへも行っていない。
あなたはそれがそこにあることを知らなかったが、
今はそれがそこにあることを知っている。
あなたは何もしなかったが、
それは常にそこにあるのだ。
私の真実で全体である均質的な状態に、
ほんの小さいさざなみが現れ、
「私はある」というニュースがやってきた。
そのニュースのせいで全てが変わってしまい、
私はこれを知り始めた。
しかし今や私は自分の真実の状態を知ったが、
それはまず最初に自分の真実の状態を理解し、
それからその状態に
このさざ波が行き来するのを理解するということだ。
一方、
あなたの場合は、
ささなみに関心をもち、
自分の真実の状態に関心をもっていない。
『意識に先立って』(p26-27)
──────────────────
> 質問者 もし私が病気になって無意識である場合と、
> マハラジが病気で無意識であるとことの
> 違いは何ですか?
なるほど。
マハラジの答えを聞いてみましょう。
> マハラジ
> 私は自分の本質を知っているし、
> 私はそれだ(I am That)。
私は自分が何かを知っている。
私は永遠に実在しているそれだ。
> それに対して、
> あなたは自分の肉体とマインドに制限されている。
それに対して、
あなたは自分の肉体とマインドという
定義と意味とその記憶を担った
あなたの人生という制限を信じ、
それに反応することで生きている。
> それゆえ、
> 自分が病気だと感じれば、
> 医者を呼んで処置してもらうことだろう。
だからあなたは、
自分が病気になったと思えば、
医者とその処置に頼ることだろう。
> あなたはこういったあらゆる概念を持つだろうが、
> 私はそういったものをもっていない。
あなたはそういう
あらゆる定義や意味を担った人生を生きているが
私はそういうものに制限されていない。
> 私は自分の本質の中で眠っているのに対して、
> あなた毛布をかけて眠っている。
私はあるがままの自分の本質に満足して
その中で眠っているのに対して、
あなたは一枚余計な毛布をかけて眠っているのだ。
> 病気になると、
> あなたはそのことだけを考えているというのが
> 真実ではないだろうか?
だからあなたは病気になると
その毛布だけで大丈夫かどうかが
気になるのではないかね?
> なぜあなたはこの領域に入ったのだろうか?
だから、
自分がなぜこの領域に入ったのかを理解しなさい。
> 私があなたに話しているとき、
> 肉体−マインドとの一体化から
> 理解しようとしてはいけない。
こうして私があなたに話しているとき、
その言葉を、肉体とマインドに一体化した
あなたの普段の観点に翻訳しようとしてはいけない。
何が私にこのような言葉を語らせているのか
それを理解しようとしてみなさい。
> あなたの本当の状態はいつもそこにある。
あなた自身の本当の状態も、
じつは常にそこにあるのだ。
> それはどこへも行っていない。
すべての現象に浸透して
実在するものはこれしか存在しないからだ。
> あなたはそれがそこにあることを知らなかったが、
> 今はそれがそこにあることを知っている。
あなたは今まであなた自身が
すべてに浸透する実在であることを知らなかったが、
今ではこうしてそれが自分であることを知っている。
> あなたは何もしなかったが、
> それは常にそこにあるのだ。
実在するためにあなたは何もしなかった。
しかし実際は、
すべての現象に浸透して
実在しているものはそれしかないのだ。
> 私の真実で全体である均質的な状態に、
> ほんの小さいさざなみが現れ、
> 「私はある」というニュースがやってきた。
その永遠の常在である均質的な状態に、
ほんの小さいさざなみが現れた。
それが「私はある」というニュース、
I am-ness(私は在るという知識)だ。
> そのニュースのせいで全てが変わってしまい、
> 私はこれを知り始めた。
この「私は在るという知識」ひとつで
すべてが変わってしまった。
存在することは、
知ることでもあることになってしまった。
> しかし今や私は自分の真実の状態を知ったが、
> それはまず最初に自分の真実の状態を理解し、
> それからその状態に
> このさざ波が行き来するのを理解するということだ。
しかし今や私はグルの恩寵で、
「私は在るという意識」に先立って常在している
自分の真実の状態を知った。
「私は在る」とは
その常在する源泉にさざ波が立つことだと
理解したのだ。
> 一方、
> あなたの場合は、
> ささなみに関心をもち、
> 自分の真実の状態に関心をもっていない。
一方、あなたはと言えば、
その常在する源泉に立ったさざなみのほう、
意味と定義とその記憶に基づいた
あなたの人生のほうに興味をもっていて、
すべての現象に先立って常在している
自分の真実の状態に関心をもっていないのだ。
──────────────────
非顕現としての私の存在から、
この顕現の状態が出てきた。
その均質性は
属性の活動やマインド投影を理解しているが、
属性の活動やマインドの投影は
均質性を理解することはできない。
それがそれを理解しようとするとき、
それはそれと一つになる。
あらゆる人はこのすべての意味を理解しようとしている。
しかし、
あなたは理解できない。
なぜなら、
「私はこれだ、私はあれだ」という
自分を束縛するあらゆる産着を着ているからだ。
それらを取り除きなさい。
究極的な観点は、
理解するべきことは何もないということだ。
だから、
私たちが理解しようとするときには、
ただマインドの曲芸にふけっているだけだ。
あなたが知りたいと憧れる霊的な物事は、
すべてこの物質的世界という幻想の中で起こっている。
あなたの物質的、
霊的活動のすべてがこの幻想の中にある。
あらゆることが物質的世界で起こっているが、
そのすべては不正直であり、
この詐欺の中には何の真理もない。
質問者 昨晩、瞑想の最中に「私−私」の純粋な状態
がありました。私はそれを真我の認識だと理
解しました。
マハラジ
それがあなたの真我の本当の意味だろうか?
そんなもの、吐き出してしまいなさい。
あなたが何を理解したとしても、
あなたはそれではない。
なぜあなたは概念の中でさ迷うのだろうか?
あなたはあなたが知っているあなたではなく、
あなたは知るものなのだ。
『意識に先立って』(p26-27)
──────────────────
> 非顕現としての私の存在から、
> この顕現の状態が出てきた。
すべての顕現に先立って
すべての現象の中に浸透している
非顕現としての私の存在から、
この顕現の状態は出てきている。
> その均質性は
> 属性の活動やマインドの投影を理解しているが、
> 属性の活動やマインドの投影は
> 均質性を理解することはできない。
すべての顕現状態に先立って存在している
この源泉の均質性は
そこから派生して現象する
属性の活動やマインドの投影を理解しているが、
一方、源泉から派生してきた
属性の活動やマインド投影は
源泉の均質性を理解することはできない。
> それがそれを理解しようとするとき、
> それはそれと一つになる。
派生物が源泉に接触しようとすれば、
火をかき回す火かき棒のように
火とひとつになって消えるしかないからだ。
> あらゆる人はこのすべての意味を理解しようとしている。
誰もがこのすべての意味を理解しようとしている。
たとえば、
<何故にすべては始まってしまったのか?>
などと。
> しかし、
> あなたは理解できない。
だが、それは無いものねだりだ。
> なぜなら、
> 「私はこれだ、私はあれだ」という
> 自分を束縛するあらゆる産着を着ているからだ。
なぜなら、
あなたは最初に自分の立場を
定義や意味やその記憶で武装してから、
その定義や意味の観点に
すべての現象に先立って常在している
源泉を押し込もうとしているからだ。
> それらを取り除きなさい。
あなたの定義や意味のなかに
源泉を押し込もうとするのではなく、
あなたに困難を強いている
その定義や意味のほうを取り除きなさい。
> 究極的な観点は、
> 理解するべきことは何もないということだ。
もしあなたに
すべての定義や意味を手放す
究極の勇気があれば、
理解するべきことなど何もないことがわかる。
あなたはもともと無色透明であり、
もともとどんな制限も担っていない。
あなたはもともと自由だ。
> だから、
> 私たちが理解しようとするときには、
> ただマインドの曲芸にふけっているだけだ。
だから、
何であれ私たちが理解しようとするときには、
ただマインドの曲芸にふけっているだけなのだ。
> あなたが知りたいと憧れる霊的な物事は、
> すべてこの物質的世界という幻想の中で起こっている。
あなたが知りたいと憧れる
人生の意味や目的といった大袈裟な問いも、
すべてこの「私は在るという意識」から派生し
“私”を定義する必要から捏造された
物質的世界という分離幻想の中で起こっている。
> あなたの物質的、
> 霊的活動のすべてがこの幻想の中にある。
あなたの世間的な物質的活動や霊的探求のすべては、
この幻想の中で起こっている。
> あらゆることが物質的世界で起こっているが、
> そのすべては不正直であり、
> この詐欺の中には何の真理もない。
あらゆることは
物質的世界という見かけの中に想像された
分離を前提とする定義や意味の中で起こっているが、
その分離自体が実在しない幻想であるため
そのすべては不正直であり、
この詐欺の中にはいかなる真実もありえない。
> 質問者 昨晩、瞑想の最中に「私−私」の純粋な状態
> がありました。私はそれを真我の認識だと理
> 解しました。
あなたがその状態を
真我の認識だと理解したのかね?
> マハラジ
> それがあなたの真我の本当の意味だろうか?
あなたが求める真我とは
そういう意味なのだろうか?
> そんなもの、吐き出してしまいなさい。
まずはそれから吐き出しなさい。
> あなたが何を理解したとしても、
> あなたはそれではない。
あなたが何を理解したとしても、
あなたが理解したそれはあなたではない、
> なぜあなたは概念の中でさ迷うのだろうか?
なぜあなたは、
概念という幻想を手放さないのだろうか?
> あなたはあなたが知っているあなたではなく、
> あなたは知るものなのだ。
あなたが知ることができるものはあなたではない。
あなたは知るものなのだから。
(-||-)
──────────────────
あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
──────────────────
(-||-)
──────────────────
永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
──────────────────
……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
………○…………○…………○………
『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html
ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/
新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/
おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/
………○…………○…………○………
▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)
「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。
………○…………○…………○………
▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518
………○…………○…………○………
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■ 2.編集後記:
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> 未分化の状態と仲良くしなさい。
それがサーダナなのでしょう。
なにしろ、
> あらゆることが物質的世界で起こっており、
> そのすべては不正直であり、
> この詐欺の中には何の真理もない。
のですから。
> 究極的な観点は、
> 理解するべきことは何もないということだ。
> だから、
> 私たちが理解しようとするときには、
> ただマインドの曲芸にふけっているだけだ。
まったく単純ですね。
実際、そのとおりなのですから。
今日は明るいうちに終えました。
ではまた。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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