home > 通信 >『アセンション館通信』第738号:サットグルは人間の両親の子供ではない



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2018/06/10(第738号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

わたしは存在している。身体は現れてはいるが存在してはいない。
欲望や期待や喜びは、現れはするが存在してはいない。
心配や恐怖や悲しみは、現れはするが存在してはいない。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在839名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.サットグルは人間の両親の子供ではない

2.編集後記
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■ 1.サットグルは人間の両親の子供ではない
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向こうに青空も出ているけれど、

上に雨を含んだような薄暗い雲もある。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、

お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

マハラジの言葉は

言葉が指し示すものを理解することに

意味があると感じさせてくれるところがあって

それがpariパターンのようなタイプの

マインドにとっての救いです。

今回は「一九八〇年一一月三〇日」

の対話から写経します。

──────────────────
 一九八〇年一一月三〇日
 
 マハラジ
 この「私は在るという性質」は自然の機能であり、
 五大元素からなる食物の本質である肉体の産物だ。
 
 それはそれ自身を知り、
 存在することを愛している。
 この知識のあることの助けで、
 あなたは自分の真我を知るようになる。
 
 多くの年月が過ぎ去ったが、
 誰一人として自分のアイデンティティや
 記憶を永遠に留めておくことはできなかった。
 それは肉体が去るときいっしょになくなってしまう。
 五大元素プラス三つのグナが人を意味するが、
 そこにはこの「知識のあること」、
 つまり「私は在る」という記憶が付随する。
 この人格は
 五大元素によって供給される食物で維持される。
 この食物がきちんと供給されているかぎり、
 肉体と「私は在るという性質」も
 またそこにあることだろう。
 いったんその供給が止まれば、
 「私は在るという性質」の感触もなくなってしまう。
 
 マハラジに会いに来たそれ、
 あなたはそれを認識しているのだろうか?
 それは肉体だろうか?
 それとも、肉体の外側にある何かだろうか?
 
 質問者 内側か外側か、私には分かりません。
 
 マハラジ
 非常にいい答えだ。
 その肉体をわきによけて、
 それを描写してみなさい。
 
 質問者 私にはできません。

 マハラジ
 あなたがそれを描写できないとすれば、
 それは何の役に立つのか?
 
 質問者 何の役にも立ちません。
 
 マハラジ
 いったんこれを理解したら、
 あなたは真理を得ることだろう。
 ここで聞いているもの、
 つまりあなたの知らないものがあなただ。
 そしてあなたが自分だと思っているものは、
 あなたではない。
 
 最高の霊性の目的はパラマートマンだという知識は
 肉体と「私は在る」に内在するが、
 それは描写できないものだ。
 そのことに確固として同意するなら、
 それはあなたが霊的知恵を持っていることを
 意味するのではないだろうか?
 
 質問者 誰が霊的知恵を得ることができるのでしょう
     か?
 
 マハラジ
 あなた以外に
 いったい誰がそうできると言うのかね?
 ただあなただけだ。
 あなた以外に「私は誰か」と尋ねることの
 できる人がいるのだろうか?
 もし「私」という質問者はそこにいなければ、
 誰が質問するのだろうか?
 これが、
 あなたにとっての霊的知識の頂点なのだ。
 あなたはもう二度と来る必要がない。
 
 『意識に先立って』(p168-170) 
──────────────────
 
> マハラジ
> この「私は在るという性質」は自然の機能であり、
> 五大元素からなる食物の本質である肉体の産物だ。

現象世界のすべてが、

「私は在るという知識」から出現する

一連の自然発生現象であるというのは、

マハラジが伝えてくださった

ひとつの観念です。

ただ、もしこの観念に

心底、納得ができるのであれば

そこに新たな論理的見晴らしが開けてきます。

その「私は在るという性質」は

肉体の本質から誕生したものであること、

そして肉体の本質とは

存在したいという食物の本質であり、

食物の摂取によって維持されていることも

マハラジによって伝えられた知見です。

> それはそれ自身を知り、
> 存在することを愛している。

この「私は在るという性質」は

自分が存在することを自ら知っており

自分が存在することを愛しています。

> この知識のあることの助けで、
> あなたは自分の真我を知るようになる。

この「私は在る」という知識に助けられて

われわれは自分の真我を知るようになる。

> 多くの年月が過ぎ去ったが、
> 誰一人として自分のアイデンティティや
> 記憶を永遠に留めておくことはできなかった。

ところで、

この現象世界のなかで

多くの年月が過ぎ去ったが、

この時空間内に誕生した者、

つまりわれわれの誰一人として

自分のアイデンティティや

記憶を永遠に留めておくことはできなかった。

このことは誰もが認めなければならない事実です。

> それは肉体が去るときいっしょになくなってしまう。

肉体の中にあるときに

われわれがこれほど気にしていた

自分のアイデンティティや記憶は、

この肉体が滅びたとたんに

それといっしょに雲散霧消してしまう。

> 五大元素プラス三つのグナが人を意味するが、
> そこにはこの「知識のあること」、
> つまり「私は在る」という記憶が付随する。

マハラジの肉体が住んでいたインドでは

人間とは

五大元素+三つのグナとして理解されているが、

人間という五大元素+三つのグナの戯れには

この「私は在るという知識」、

「私は在る」という記憶が付随している。

> この人格は
> 五大元素によって供給される食物で維持される。

そしてその人間の人格は

五大元素(つまり物質)からなる食物が維持している。

> この食物がきちんと供給されているかぎり、
> 肉体と「私は在るという性質」も
> またそこにあることだろう。

だから、

肉体が食物を摂取できているかぎり

肉体と「私は在るという性質」も

そこにあることになる。

> いったんその供給が止まれば、
> 「私は在るという性質」の感触もなくなってしまう。

いったんその食物を摂取できなくなれば

「私は在る」という感覚も維持できなくなる。

> マハラジに会いに来たそれ、
> あなたはそれを認識しているのだろうか?

いまこうしてマハラジの前にいるあなたは

そのことを認識しているだろうか?

> それは肉体だろうか?
> それとも、肉体の外側にある何かだろうか?

こうしてマハラジに会いに来たのは

肉体だろうか?

それとも肉体以外の何かなのだろうか?

> 質問者 内側か外側か、私には分かりません。

それが肉体の内側にいるのか

外側にいるのか私にはわかりません。

> マハラジ
> 非常にいい答えだ。

それはあなた自身の体験に基づいた

非常に素直で正直な答えだ。

> その肉体をわきによけて、
> それを描写してみなさい。

では、

その肉体のことは放っておいて、

こうしてマハラジに会いに来た者を

あなたの言葉で描写してみなさい。

> 質問者 私にはできません。

どう言っていいのかわかりません。

> マハラジ
> あなたがそれを描写できないとすれば、
> それは何の役に立つのか?

あなた自身がそれを描写できないのなら、

それはいったい何の役に立つのかね?

> 質問者 何の役にも立ちません。

何の役にも立ちません。

> マハラジ
> いったんこれを理解したら、
> あなたは真理を得ることだろう。

いったんあなたが

誰が何のために幸福を求めているのか

自分は知らないというこの事実を理解したら、

あなたは真理を得ることだろう。

> ここで聞いているもの、
> つまりあなたの知らないものがあなただ。

こうしてマハラジに会いに来た者、

マハラジに質問してその答えを聞いている者、

あなたの知らないその者が、あなただ。

> そしてあなたが自分だと思っているものは、
> あなたではない。

そして、

あなたが自分だと思って

そのように代弁している者は、

あなたではないのだ。

> 最高の霊性の目的はパラマートマンだという知識は
> 肉体と「私は在る」に内在するが、
> それは描写できないものだ。

そうした霊的な探求が求めている究極のものが

パラマートマン(至高の真我)だという知識は、

肉体にも内在し、

「私は在る」という存在感覚にも内在するが、

それは存在感覚の派生物である言葉では

描写できないものなのだ。

> そのことに確固として同意するなら、
> それはあなたが霊的知恵を持っていることを
> 意味するのではないだろうか?

あなたがそのことに納得し、

確固として同意するなら、

それが霊的知恵を持っている

ということではないのかね?

> 質問者 誰が霊的知恵を得ることができるのでしょう
>     か?

霊的知恵を得ることができる誰かが

存在するのでしょうか?

> マハラジ
> あなた以外に
> いったい誰がそうできると言うのかね?

究極の答えを知って安心しようと

マハラジに会いに来たあなた以外に、

誰がそうできると言うのかね?

> ただあなただけだ。

ただその答えを求めてきた

あなただけがそれができる。

> あなた以外に「私は誰か」と尋ねることの
> できる人がいるのだろうか?

「私は誰か」と尋ねているあなた、

その存在感覚以外に、他に誰か

それを尋ねることができる人がいるだろうか?

> もし「私」という質問者はそこにいなければ、
> 誰が質問するのだろうか?

もし「私は誰か」と尋ねている

そのあなたがいなければ、

いったい誰が質問するというのだろう?

> これが、
> あなたにとっての霊的知識の頂点なのだ。

これが、

あなたが出会うことができる

霊的知識の頂点なのだ。

> あなたはもう二度と来る必要がない。

もしあなたがこの知識を受け取ったら、

あなたはもう二度と

わたしに会いに来る必要はない。

マハラジにこう言われて、

質問者は慌ててこんな言い方をします。(^^;)

──────────────────
 質問者 私はマハラジといっしょに座るのが好きです。

 だったら、ここに座っていればいい。
 さて、
 あなたがあと一年生きようが、
 千年生きようが、
 その結果はただこれだけだろう。
 
 質問者 マハラジは私が質問をする前に答えてくださ
     います。
 
 マハラジ
 最初はあなたは他の人たちが言うことを受け入れる。
 しかし、
 やがて何であれ受け入れたことは、
 船外に投げ出される。
 
 質問者 私は存在性がどうやって存在するようになっ
     たのかについて何も経験していません。
     なぜなら、私は存在以前に何が実在していた
     のかについての知識がまったくないからです。
 
 マハラジ
 この知識は非常に単純で、
 同時に非常に奥深い。
 知識のあることが現れ、
 そして最後には消滅する過程のすべてを
 誰が知っているのだろうか?
 これを理解できれば
 サットグルの状態に到達しているが、
 普通の人は理解できない。
 サットグルは人間の両親の子供ではないのだ。
 
 これらの秘密を知り、
 理解するためには、
 まさに「私は在る」の原理に明け渡しなさい。
 そうすれば、
 その意識だけがあなたをこれに導いてくれることだろう。
 今、意識の中に安定しなさい。
 もしそうしなければ、
 まさにあなたの概念は非常に危険なものになり、
 あなたを絞め殺すことだろう。
 あなたが存在しているという知識が
 すべてのエネルギーの源泉であり、
 すべての神々の源泉であり、
 あらゆるタイプの知識の源泉だ。
 
 こういった話を聞いたからには、
 あなたは二度とここに来る必要はない。
 あなたであるその意識の中に、
 そしてそれゆえにあらゆるものは存在する
 そのまさにダイナミックな原理の中にただいるだけでいい。
 自分自身をその中に安定させ、
 そこで自分の安定を確認しなさい。
 あなたはただそれであるだけだ。
 これは最も単純な方法だ。
 あなたは自分が存在することを知っている。
 だから、
 ただそこにいなさい。
 
 『意識に先立って』(p171-172)
──────────────────

> 質問者 私はマハラジといっしょに座るのが好きです。

私はただここに来て、

こうしてあなたといっしょに座るのが好きなのです。

そんなに邪険に突き放さないでください。(;_;)

> だったら、ここに座っていればいい。

ふふ。

> さて、
> あなたがあと一年生きようが、
> 千年生きようが、
> その結果はただこれだけだろう。

だが、

あなたが何年ここに通おうとも、

またあなたが千年霊的探求の旅を続けようとも

これ以上の答えにたどり着くことはない。

その究極の結果はただこれだけだろう。

> 質問者 マハラジは私が質問をする前に答えてくださ
>     います。

マハラジは

私がまだ質問もしていない問に

答えてくださっているのです。

だから、

もう少し私が理解する時間をください。

> マハラジ
> 最初はあなたは他の人たちが言うことを受け入れる。

あなたは最初は

他の人たちが言うことを受け入れるだろう。

> しかし、
> やがて何であれ受け入れたことは、
> 船外に投げ出される。

しかし、

やがてあなたは

他の誰かから言われて自分が受け入れたことを

すべて外に放り出さなくてはならなくなる。

> 質問者 私は存在性がどうやって存在するようになっ
>     たのかについて何も経験していません。
>     なぜなら、私は存在以前に何が実在していた
>     のかについての知識がまったくないからです。

あなたは、

肉体から存在感覚が生まれたと言われました。

そしてその存在感覚は

食物の摂取によって維持されているとも。

でも私は、

この存在感覚がどうやって誕生したのかについて

自分では何も経験していません。

というのも、

存在以前に何が実在していたのかについて、

私には体験に基づく知識がまったくないからです。

> マハラジ
> この知識は非常に単純で、
> 同時に非常に奥深い。

この知識は表現すれば非常に単純だが、

同時に実際に自分で探求するには非常に奥深い。

> 知識のあることが現れ、
> そして最後には消滅する過程のすべてを
> 誰が知っているのだろうか?

「私は在るという知識」の誕生から、

最後にその知識が消滅するまでの過程のすべてを

知っているのは誰だろうか?

> これを理解できれば
> サットグルの状態に到達しているが、
> 普通の人は理解できない。

これを理解している状態を

サットグルと呼ぶのだが、

霊的探求者の多くは

これを理解している状態には至らない。

> サットグルは人間の両親の子供ではないのだ。

それは、

人間の両親の状態は

食物の本質から構成されているために、

その本質の自然な展開過程の中には

サットグルの状態が入っていないからだ。

だから人間の両親の子供の

自然な展開過程によって

サットグルの状態に至るということはない。

> これらの秘密を知り、
> 理解するためには、
> まさに「私は在る」の原理に明け渡しなさい。

だから人間の両親の子供が

サットグルの状態の秘密を知り、

サットグルの状態を理解するためには、

「私は在る」の原理に明け渡すことが必要になる。

> そうすれば、
> その意識だけが
> あなたをこれに導いてくれることだろう。

「私は在る」の原理に明け渡せば、

その「私は在る」という意識だけが

あなたをサットグルの状態に導いてくれることだろう。

> 今、意識の中に安定しなさい。

いま、

「私は在る」という意識のなか、

その存在感覚の中に安定しなさい。

> もしそうしなければ、
> まさにあなたの概念は非常に危険なものになり、
> あなたを絞め殺すことだろう。

もしあなたがそうしないなら、

「私は在る」という観念は

非常に危険なものになる可能性がある。

あなたはその観念が生み出す

現象世界という幻影の中に閉じ込められ、

そこから出られなくなることだろう。

> あなたが存在しているという知識が
> すべてのエネルギーの源泉であり、
> すべての神々の源泉であり、
> あらゆるタイプの知識の源泉だ。

なぜなら、

自分が存在しているという知識こそが

すべてのエネルギーの源泉であり、

すべての神々の源泉であり、

あらゆるタイプの知識の源泉であり、

それ以外には

どんな源泉も存在していないからだ。

どこかにこの存在感覚を超える

超越的な神々が存在していて、

あなたの面倒を見てくれるわけではないのだ。

あなたが想像のなかで責任転嫁して

想像の他者に明け渡した「私は在る」という知識を

自分の手に取り戻し、

自らその源泉の中に静まる以外に

あなたのパワーを取り戻す術はない。

> こういった話を聞いたからには、
> あなたは二度とここに来る必要はない。

こういった話を聞いたあなたは、

もう二度とここに来る必要はない。

> あなたであるその意識の中に、
> そしてそれゆえにあらゆるものは存在する
> そのまさにダイナミックな原理の中に
> ただいるだけでいい。

自分が存在することを知っている

その「私は在る」という知識、

それゆえにあらゆる現象が現れてきた

そのダイナミックな存在感覚の原理の中に

ただいるだけでいい。

あなたがいるがゆえにすべては現れている。

あなたの存在感覚を唯一の不動の根拠として

すべての現象は現れているのだ。

そして「私は在る」ことを知っているのは

あなた以外には誰もいないのだ。

> 自分自身をその中に安定させ、
> そこで自分の安定を確認しなさい。

幸福を求めてマハラジに会いに来たあなたは、

自分自身をその存在感覚のなかに安定させ、

そこで自分の安定を確認しなさい。

> あなたはただそれであるだけだ。

あなたはただ

全宇宙の存在根拠であるだけだ。

> これは最も単純な方法だ。

これは真に探求する者なら誰もが理解できる

最も単純な方法だ。

> あなたは自分が存在することを知っている。

なにしろあなたは、

自分が存在することを知っているからだ。

> だから、
> ただそこにいなさい。

だから、

ただそこにいなさい。

自分が存在することに満足していなさい。

右往左往する必要はないのだ。

(-||-)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
──────────────────

(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


       ………○…………○…………○………


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http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

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るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。

       ………○…………○…………○………


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       ………○…………○…………○………


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■ 2.編集後記:
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話はとても単純だと感じられました。

ありがたいことです。

(-||-)

今日は明るいうちに終えました。

ではまた。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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