home > 通信 >『アセンション館通信』第742号:概念化を放棄すれば、あるがままが残る



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2018/07/08(第742号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
	
このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

わたしは存在している。身体は現れてはいるが存在してはいない。
欲望や期待や喜びは、現れはするが存在してはいない。
心配や恐怖や悲しみは、現れはするが存在してはいない。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在835名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.概念化を放棄すれば、あるがままが残る

2.編集後記
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■ 1.概念化を放棄すれば、あるがままが残る
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地上に大雨が降り注いています。

雨が降っていないところもあります。

過ぎ去っていくつかの間の風景です。

(-||-)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、

お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

わたしは存在しています。

そう言ってもいいわけです。

でも同時に

わたしは存在していません。

という言明もたしかに間違ってはいない。

わたしの実状は存在そのものです。

その意味ではわたしは存在します。

でも、

わたしがわたしだと思っているものは、

実際は存在していない。

その意味では、

わたしたちは存在していない自分について

いろいろ思い悩んでいるわけです。

言葉の表現というのは

誤解の玉突き現象のようなものですね。

マハラジの言葉を読んでも、

それで楽になれるわけではありません。

存在しないものの悩みが軽くなるわけではない。

その悩みに

意識エネルギーが流れ込んでいるかぎり。

ただ、悩んでいる者が

実際は存在していないということを

ふっと思い出すことができるだけです。

今日もまた、

その恩寵の指図にしたがって、

マハラジの最晩年の言葉を

写経させていただきます。

今回は「一九八一年二月二二日」

の対話から写経します。

質問者はどういう思いを保ちつづければ

心の平安が得られるのかを知りたいと願って

マハラジに質問しています。

──────────────────
 一九八一年二月二二日
 
 質問者 私たちは日中何をするべきですか?自分の
     本質を発見しマインドの平和を得るためには
     どういう行為や思考を持つべきですか?
 
 マハラジ
 どんな思考や行為も、
 肉体−マインドとの一体化にもとづいている。
 それゆえ、
 自分の本質を見るためには、
 現象的中心とのこの一体化を捨てなければならない。
 これはどんなに意志によっても不可能だが、
 どんな特別な努力もなく起こるものだ。
 何かを行うという問題がないのは、
 何かをする誰もいないからだ。
 
 マインドはただ何かの名前と形、
 イメージにしか働きかけることができない。
 もしあなたがこれを放棄すれば、
 マインドは無力になることだろう。
 私があなたの本質について言っていることは
 あまりに単純なのでマインドはそれを理解できない。
 
 あるがままが常にずっとあったのだ。
 概念化を放棄すれば、
 あるがままが残る。
 人々はただ顕現だけを見て、
 止まってしまう。
 顕現の背後に行って、
 顕現と非顕現は二つではなく、
 一つであることを誰が見るだろうか。
 
 顕現は光として、
 非顕現は暗闇として見られるが、
 その両方認識するそれ、
 つまりありがままからすれば同じものなのだ。
 
 一体化を捨てたものにとっては、
 そのことはとても単純だ。
 言葉は何かを指し示すことができるだけだ。
 あるがままのそれは
 私のようでもあなたのようでもなく、
 それは自分が何であるかに気づいてさえいない。
 意識はそれ自身を意識するとき、
 何かの知識がありうる。
 それはどんな知識より以前にある。
 それはとても単純だ。
 非常に学識があると思われている人々がここへ来るが、
 私は彼らをどう見るだろうか?
 私は彼らを完全なる無知の中にいると見る。
 
 『意識に先立って』(p250-251)
──────────────────
 
> 質問者 私たちは日中何をするべきですか? 自分の
>     本質を発見しマインドの平和を得るためには
>     どういう行為や思考を持つべきですか?

普段どういう思いを心に保ちつづければいいのか?

この質問者はそういうことを知りたいと願って

マハラジに問いかけています。

> マハラジ
> どんな思考や行為も、
> 肉体−マインドとの一体化にもとづいている。

普段あなたがどんな思考を持ち

どんな行為をしたところで、

それらはすべて、あなたが

自分の身体や自分の思いだと思っているものを

問題にすることによって起こっている。

それらの行為や想念の背景には、

現象として顕現しているその身体や思いが

自分と関係があると見なす想念がある。

したがって、

そこで湧いてくるいかなる想念や行為も

そこに顕現している身体や想念から

あなたを解放する役には立たない。

> それゆえ、
> 自分の本質を見るためには、
> 現象的中心とのこの一体化を捨てなければならない。

それゆえ

本来の自分が何であるかを見るためには、

身体や思いとの一体化から起こってくる現象を

すべて捨ててかからなければならない。

> これはどんなに意志によっても不可能だが、
> どんな特別な努力もなく起こるものだ。

そんなことは、

身体や思いとの一体化から起こってくる

どんな意図的行為や意志にも不可能なことだ。

だがもう一方では、

それはどんな特別な努力や意志がなくても

起こることでもある。

> 何かを行うという問題がないのは、
> 何かをする誰もいないからだ。

意図的行為や意志という問題がないのは、

そもそも意図的行為や意志を実現できる

どんな実体も存在しないからだ。

あなたが自分の努力と見なしているものは

現象の中で構造的に起こっている行為と想念だ。

それをあなたは自分の努力と見なしている。

あなたは自分がいると前提の中で

発生している想念を見ているからだ。

そしてそのこと自体もまた

自然(不可避的・構造的)に起こっている。

> マインドはただ何かの名前と形、
> イメージにしか働きかけることができない。

意識の内容物である顕現は

名前や形という意識の内容物である顕現を相手に

戯れることしかできない。

それは全体として見れば、

海の表面の波しぶきのようなものにすぎない。

波しぶきの中に

別の波しぶきに対して自分は何かができる

と想像している想念も含まれている

というだけのことだ。

> もしあなたがこれを放棄すれば、
> マインドは無力になることだろう。

だから、

もしそれを観照しているあなたが

現れてくる個々の波しぶきに興味を失えば

顕現する波しぶき自体は

あなたに何もすることはできない。

> 私があなたの本質について言っていることは
> あまりに単純なのでマインドはそれを理解できない。

あらゆる顕現を可能にしている

あなたの本質について私が指摘していることは

意識の内容物である想念が

対象として処理できるいかなる構造も持たないため

単純すぎて想念はそれを理解できない。

> あるがままが常にずっとあったのだ。

あらゆる意識の内容物の背景には

常にあるがままが存在している。

> 概念化を放棄すれば、
> あるがままが残る。

【概念化を放棄すれば、あるがままが残る。】

意識の内容物である想念が

意識の内容物を対象として処理すること、

そういう想像が放棄されれば、

そこに残っているのがあるがままだ。

> 人々はただ顕現だけを見て、
> 止まってしまう。

人々は

身体と想念が自分に関係するという

想像の中にあまりにも深く入り込んでいるため、

身体と想念との自己同化の前提の中で生じている

顕現だけを相手にしてそこで止まってしまう。

> 顕現の背後に行って、
> 顕現と非顕現は二つではなく、
> 一つであることを誰が見るだろうか。

顕現の背後に回って、

顕現と非顕現は同時に発生していること、

見られる世界と同時に見る者が生じていることを

見破りなさい。

> 顕現は光として、
> 非顕現は暗闇として見られるが、
> その両方認識するそれ、
> つまりありがままからすれば同じものなのだ。

見られる世界は光の中に現れ、

見る者は暗闇の中に留まっているが、

その両者の対発生に気づいているもの、

すなわちあるがままからすれば、

顕現と非顕現とは同じものなのだ。

> 一体化を捨てたものにとっては、
> そのことはとても単純だ。

身体と想念が自分に関係している

という観念を捨てた者にとっては、

それはとても単純な事実だ。

> 言葉は何かを指し示すことができるだけだ。

言葉とは、

ある現象を別のなにかの現象との関係の中で

説明しようとする傾向性にすぎない。

> あるがままのそれは
> 私のようでもあなたのようでもなく、
> それは自分が何であるかに気づいてさえいない。

顕現と非顕現が対発生する以前から存在する

あるがままは、

顕現の中の何らかの名前や形に

喩えられるようなものではなく、

そもそも自分が何であるかを定義する

必要性にも迫られていない。

> 意識はそれ自身を意識するとき、
> 何かの知識がありうる。

“何かの知識”とは、

「私は在る」と意識した状態が想像する

様々の観念にすぎない。

それ以外に

何かの知識というものがありうるわけではない。

> それはどんな知識より以前にある。

顕現と非顕現の対発生に先立つ状態、

すなわち、あるがままは、

どんな知識の必要性をも超えている。

> それはとても単純だ。

それにはいかなる構造もない。

> 非常に学識があると思われている人々がここへ来るが、
> 私は彼らをどう見るだろうか?

世の中で非常に賢いとみなされている人々が

ここに訪れるが、

このあるがままの状態は

その人たちをどのように見ていると思うかね?

> 私は彼らを完全なる無知の中にいると見る。

あるがままの状態は、

その人たちを知識の構造体の中で

さまよっている状態と見る。

──────────────────
 質問者 なぜ暗闇への恐れがあるのでしょうか?
 
 マハラジ
 あなたの質問は完全に不適切だ。
 源泉がなければ光も暗闇も認識されないのだから、
 その源泉に行きなさい。
 私が主体に行くようにと言ったときに、
 対象について話すことが何の役に立つのか?
 
 質問者 私は自分自身のことをあるいは良いと考えたり、
     あるいは悪いと考えたりします。
 
 マハラジ
 肉体への一体化があるからこそ、
 そういうことが起こる。
 それを捨てなさい。
 私は今後、
 
 それはどういう状態状態なのかだけを話すので、
 しっかり認識しなさい。
 私は対話をするだけの肉体的エネルギーがない。
 あなたが聞くことは何であれ、
 無駄にはできないし、
 無駄にはならないことだろう。
 
 『意識に先立って』(p251-252)
──────────────────

> 質問者 なぜ暗闇への恐れがあるのでしょうか?

暗闇への恐怖というのは

なぜあるのでしょうか?

> マハラジ
> あなたの質問は完全に不適切だ。

あなたの質問は単に知的なものだ。

> 源泉がなければ光も暗闇も認識されないのだから、
> その源泉に行きなさい。

光も闇も

源泉が存在するからこそ認識される。

光と闇が生まれる以前の状態、

その源泉に行き着きなさい。

> 私が主体に行くようにと言ったときに、
> 対象について話すことが何の役に立つのか?

あらゆる現象の認識基盤である

知る者を知りなさいと私が言っているときに、

知られるものについて質問することが

何の役に立つというのか?

> 質問者 私は自分自身のことをあるいは良いと考えたり、
>     あるいは悪いと考えたりします。

私は自分を善悪で判断する傾向が強いので、

それで暗闇が怖いのかと思ったのです。

> マハラジ
> 肉体への一体化があるからこそ、
> そういうことが起こる。

肉体や想念を自分だと思っているから、

そういう観念が起こるのだ。

> それを捨てなさい。

そのような肉体への自己同化を捨てなさい。

> 私は今後、
> それはどういう状態状態なのかだけを話すので、
> しっかり認識しなさい。

私はこれから、

このあるがままとはどのような状態なのか

それだけを話すことにするつもりだ。

だからしっかりそれを聴きなさい。

> 私は対話をするだけの肉体的エネルギーがない。

私にはもう

一般的な対話に答えるだけの

肉体的エネルギーが残されていない。

> あなたが聞くことは何であれ、
> 無駄にはできないし、
> 無駄にはならないことだろう。

あなたがここで聞くことは、

何ひとつ無駄にしていいものはない。

またあなたにとって

けっして無駄にはならないだろう。

(-||-)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
──────────────────

(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


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■ 2.編集後記:
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普段自分が生活的に気にしていることは、

すべて夢の中のストーリーです。

わたしが夢の中の登場人物である以上、

わたしはそのストーリーを

どうすることもできないでしょう。

その意味では、

その何ひとつ重要ではないとも言えます。

とはいえ、

普段の日常的な心配や言葉遣いが

自分の実際のフォーカスであることも確かです。

その意味では、

何ひとつ重要ではないと言いながら、

それだけを気にしている……とも言える。

以前から

> 自己背信は悲惨な問題だ。
> それはマインドを癌のように腐らせてしまう。
> 『私は在る』(p548)

というマハラジの言葉が気になっていました。

こんなことを言われて

気にならない人がいるでしょうか。(*^_^*)

> 明晰性と考え方の高潔さのなかに
> 治療法があるのだ。(同p548)

しかもこんなふうにダメ押しされたら

もう立つ瀬はありません。(;_;)

でもまた、

こんな言葉もあります。

> 自己非難や自己不信は悲惨な過ちだ。
> あなたの絶え間ない苦痛への闘いと快楽の追求は、
> あなたがあなた自身に抱く愛のしるしなのだ。

え(@_@)、と思うでしょ。

このころは、マハラジも

エネルギーに溢れていて優しいです。

そしてこう続くのです。

──────────────────
 私があなたに願うことは、
 あなた自身への愛を完全なものにしなさい、
 ということだ。
 あなた自身のなかの何ひとつ、
 否定してはならない。
 あなた自身に無限性と永遠性を与えなさい。
 そして、あなたはそれらを
 必要としないことを発見しなさい。
 あなたはその彼方にあるのだ。
 
 『私は在る』(p431-432)
──────────────────

> あなた自身のなかの何ひとつ、
> 否定してはならない。

ああ……。

この愚かさを否定してはならない。

> あなた自身に無限性と永遠性を与えなさい。
> そして、あなたはそれらを
> 必要としないことを発見しなさい。

わたしはその愚かさを必要としない。

そのことを発見しなければならないんだ。

> あなたはその彼方にあるのだ。

はい。(-||-)

今日は、まだ明るいようです。

ではまた。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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