home > 通信 >『アセンション館通信』第743号:最高の状態は生まれていない状態だ



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆   『アセンション館通信』
 ☆☆     ☆☆    2018/07/15(第743号)
☆☆   ☆   ☆☆             
☆☆      ☆★   「私は在る」に導かれ♪
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 ☆☆   ☆☆   https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

 欲望や嫌悪は心のもの
 そして心はあなたのものではない
 あなたはその混乱から自由なのだ
 『Ashtavakra Gita』

人畜無害、読む人は相当変わってます。現在835名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.最高の状態は生まれていない状態だ

2.編集後記
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■ 1.最高の状態は生まれていない状態だ
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意識の中には

いろいろな苦しみがあります。

どの苦しみが上品だとか

どの苦しみが下品だなどと言っても

ナンダンの言い草ではありませんが、

目くそ鼻くそを笑うそのものですし、

そもそも目くそも鼻くそも

想像の中にしか存在しない。

何故にすべては始まってしまったのか?

などという問いも単なる概念なら

それに対する答えも

単なる概念にすぎないのです。

豪雨が来ることもあれば、

こうして熱暑が来ることもある。

ただそれだけのこと。

過ぎ去りゆくつかの間の風景です。

(-||-)

またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、

お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

「私は在る」は

いろいろな思考の種となるようです。

いろいろな思考のなかには

多様多彩なものが存在するという

思考ももちろんあったでしょう。

多様多彩なものが存在するという

想像がある以上は、

早晩その想像を裏づける

多様多彩なものの“実体”も

想像されるのではないでしょうか。

世界像の物理的根拠を研究する学問を

「物理学」と呼ぶようです。

そしていまや

その物理学の最先端領域に現れた

「量子力学」という分野を

無視できる物理学者はいません。

現代の物理学者たちが

現象世界の最微小な物質的根拠と見なす

素粒子とは

従来の意味での物質とは異なります。

それはある質量を持った物理的実体というより、

むしろ意識に反応する物理的根拠、

という意味合いのものであるようです。

つまり、

素粒子とは意識であり、

物質とは意識の一位相であるという

意識世界の構造を暴露するものでした。

現象世界とは

意識の思い込みを表現するための

ホログラムだということなのでしょう。

現在の思い込みの根拠を

どこまでも過去に遡ってみても、

どこまでも未来に延長してみても、

何かの根拠に到達できるわけではない。

ただ意識のなかで新たな想像が起こり、

それに連動する新たなホログラムを励起し、

新たな構造が展開されるだけでしょう。

自然に多発し乱反射する想像のなかで

意識は溺れるしかないのでしょう。

その意識のパターンが

どこかで破綻すれば、

またゼロクリアして

新たな冒険に旅立つのかもしれません。

名前と形を表すための意識とは

要は、

物質であり死物ですから、

実際は何も起こっていない。

ただそれを眺めているものが、

いっとき、

悪夢にうなされる意識状態に

フォーカスしていただけなのです。

──────────────────
 人間はいったい、
 いつになったら
 ひとつのことを別のことに
 対立させるのをやめるのか?

 『Ashtavakra Gita』(p77-79)
──────────────────

今日もまた、

恩寵の指図にしたがって、

マハラジの最晩年の言葉を

写経させていただきます。

今回は「一九八〇年八月二一日」

の対話から写経します。

いつも本音しか語らないマハラジですが、

この日はことの他に体調が悪かったのか、

まあぶっきらぼうなこと。

飾り気なし、

正真正銘の本音のみです。

──────────────────
 一九八〇年八月二一日
 
 マハラジ
 私は人々に八日から十日以上
 滞在させるのはあまり気が進まない。
 彼らが何を理解したとしても、
 それを消化しなければならず、
 それ以上の話は彼らに届かないことだろう。
 
 仮にある物知りがここを去ってどこかへ行ったとして、
 その人は一人でいることができないだろう。
 彼は霊性の商品を配達できるように
 誰か仲間を渇望したり、
 霊性を語り合える他の仲間を求めるはずだ。
 さもなければ、
 その人は非常に不幸を感じることだろう。
 あなたは他のサーダカに出会わないとしても、
 幸福で満足を感じるだろうか?
 
 『意識に先立って』(p102)
──────────────────
 
> マハラジ
> 私は人々に八日から十日以上
> 滞在させるのはあまり気が進まない。
> 彼らが何を理解したとしても、
> それを消化しなければならず、
> それ以上の話は彼らに届かないことだろう。

ずっと話しつづけてきて、

マハラジにわかったことが、

実際にそういうことだったんでしょうね。

> 仮にある物知りがここを去ってどこかへ行ったとして、
> その人は一人でいることができないだろう。

べつにこのpariパターンが

物知りというわけでもありませんが、

ここでマハラジが言っていることは

まさに身につまされます。

> 彼は霊性の商品を配達できるように
> 誰か仲間を渇望したり、
> 霊性を語り合える他の仲間を求めるはずだ。

ここでやっていること

マハラジの言葉の

文字通りのスピーカー(拡声器)に

なっていることも、

仲間を渇望したり、

霊性を語り合える他の仲間を求めて

いるわけでしょう。

そのうち商品を配達できるように

なりたいものです。

> さもなければ、
> その人は非常に不幸を感じることだろう。

これこそはまさにズバリ、

このpariパターンの現実において

すでに実現していることです。

> あなたは他のサーダカに出会わないとしても、
> 幸福で満足を感じるだろうか?

後ろの「用語解説」によれば、

“サーダカ”とは、

「霊的修練者。真理の探究者」

のことだそうです。

意識の内容から

すべて身を引くことができるか……、

それが肝心要のことなのでしょう。

「あなたは他の探求者とたむろしなくても、

 ひとりで幸福で満足していられるかね?」

まさに、

親心以外のなにものでもありません。

この質問者はどう答えたか?

──────────────────
 質問者 はい、大丈夫です。
     他人と自分の知識を分かち合いとたいと思う
     段階を経験すること、それは真剣の探求者に
     とって必要な出発点ですか?
 
 マハラジ
 それもその一部であるが、
 しかしそれもまた終わらねばならない。
 最高の状態はマインドの経験が何もない、
 生まれていない状態だ。
 「私は在る」という概念を探求しなさい。
 自分の真実のアイデンティティを発見しようとする過程で、
 あなたは真我さえ放棄するかもしれないが、
 それを放棄することであなたはそれなのだ。
 
 (窓の下枠に止まって何羽のツバメを眺めながら)、
 ツバメに内在する意識と、
 この肉体に内在する意識は同じだ。
 ここではその道具は大きく、
 向こうではそれはより小さい。
 ツバメたちは食べ物をどこで見つけるか思案している。
 彼らの腹は満たされていない。
 すべての種は苦しんでいる。
 創造そのものが苦しみなのだ。
 輪廻転生などについては様々な概念があるが、
 雨は輪廻転生するのだろうか?
 あるいは火は?
 空気は?
 要約すれば、
 それは単に五大元素の変遷にすぎない。
 しかし、
 あなたはそれを輪廻転生と呼ぶかもしれない。
 
 この霊的探究の過程で、
 すべてはこの意識の領域の中で起こることだろう。
 最終的には、
 あなたは願望のない
 絶対のパラブラフマンの状態を偶然発見するか、
 その中に到達する。
 
 私は存在性を理解し、
 それを超えた。
 仮に私があと百年生きたとしても、
 目覚めた状態、
 睡眠の状態、
 「私は在る」の状態、
 これらにどんな使い道があるというのだろうか?
 私はそのことに飽き飽きしている。
 
 私は自分自身のために
 どんな排他的なアイデンティティも持っていない。
 私がどんなアイデンティティをもっているにしろ、
 それは五大元素の戯れであり、
 そして普遍的だ。
 この体調ではあまり話せないので、
 私は人々を長くは留めない。
 私はただいくらかの知識を分け与え、
 彼らに行くように言う。
 このレベルの奥深い知識があっても、
 彼らは理解することができない。
 彼はいったいどんな恩恵を
 引き出すことができるというのだろうか?
 
 『意識に先立って』(p102-103)
──────────────────

> 質問者 はい、大丈夫です。

「はい、大丈夫です」

とこの方は答えましたね。

まあ、もしこの方が

マハラジの身近にいて

たくさんの話を聴いたとしたら、

しかもそれを吸収したとしたら、

他の誰かと分かち合いたいと望んだところで、

個人的に伝えられることは、

かなり限定されるでしょう。

>     他人と自分の知識を分かち合いとたいと思う
>     段階を経験すること、それは真剣の探求者に
>     とって必要な出発点ですか?

でも、この方は

そういうことを望むということも、

真剣な探求者にとって必要な出発点なのかと、

マハラジに確認しておきたかったようです。

どうなんでしょう?

もしかしてこの方は本書の編者

ジーン・ダンその人なのでしょうか?

> マハラジ
> それもその一部であるが、
> しかしそれもまた終わらねばならない。

理解するなかで

そういう欲求も起こるだろうが、

しかしそれもまた消えていくにちがいない。

> 最高の状態はマインドの経験が何もない、
> 生まれていない状態だ。

【最高の状態は

 マインドの経験が何もない状態、

 生まれていない状態だ】

これこそが、

端的で、ストレートな言明です。

Oshoも最初のころは

たしか、

そのようなことを言っていたものです。

講話の聴衆に向かって

彼はこう明言していたのです。

「少なくともあなた(がた)は、

 最善は逃した」

と……。

ところがその後は

あまりにも親切にウェスタンマインドに

付き合った結果でしょうか。

「私はlife affirmativeだ」

生肯定者だと明言していました。

すべては自然現象ですよね。

現象が自然な流れをとることを

邪魔できるような者は誰も存在しません。

どんな表現も束の間の現れです。

> 「私は在る」という概念を探求しなさい。

ラマナ・マハルシのいう

アートマ・ヴィチャーラ

「私とは何か?」でしょうか。

「私は在る」という概念を

考えに考えなさい、

ということではないでしょうね。

いや、それも含まれるのかもしれませんが、

基本的には、

考えることが堂々めぐり、

単なる想念のタライ回しであることを、

想念の根っこを見破ることで発見しなさい

ということなのでしょう。

> 自分の真実のアイデンティティを
> 発見しようとする過程で、
> あなたは真我さえ放棄するかもしれないが、
> それを放棄することであなたはそれなのだ。

体験している当人

想念を見ている当人を

その根っこまで追跡すれば、

そういうところまで行き着くしかないのでしょう。

> (窓の下枠に止まって何羽のツバメを眺めながら)、
> ツバメに内在する意識と、
> この肉体に内在する意識は同じだ。

ツバメに内在する意識も、

この肉体に内在する意識も、

食べ物という同じ材料でできている。

> ここではその道具は大きく、
> 向こうではそれはより小さい。

ただ、ツバメの場合は

欲求構造はより単純で、

この人間の身体の中では

より複雑化した観念構造体の中を

さまよわなくてはならない。

その違いはただ、

利用する観念構造の規模の違いにすぎない。

> ツバメたちは
> 食べ物をどこで見つけるか思案している。

ツバメの場合は、

ただ食物を求めているだけだ。

> 彼らの腹は満たされていない。

空いた腹が食べ物で満たされれば、

ツバメはそれ以上余計な心配はしない。

> すべての種は苦しんでいる。

だがいずれにせよ、

生命世界のすべての種は苦しんでいる。

> 創造そのものが苦しみなのだ。

現象世界そのものが苦しみの器なのだ。

> 輪廻転生などについては様々な概念があるが、
> 雨は輪廻転生するのだろうか?

満たされなかった人間の欲望が

魂となって輪廻転生するという概念があるが、

ならば雨という現象は

輪廻転生するのだろうか?

> あるいは火は?
> 空気は?

火という現象は輪廻転生するのか?

あるいは空気は輪廻転生するのか?

> 予約すれば、
> それは単に五大元素の変遷にすぎない。

つまりは、

現象世界に起こる多様多彩な変化は

すべて単に現象構造体内部での変遷にすぎない。

それは気象の推移のようなもので

すべて自然現象にすぎない。

> しかし、
> あなたはそれを輪廻転生と呼ぶかもしれない。

しかし、

この身体という現象に自己同化したあなたは

それを輪廻転生と呼ぶかもしれない。

おそらく、

身体の崩壊とともに消滅するという観念に

耐えられないのだろう。

> この霊的探究の過程で、
> すべてはこの意識の領域の中で起こることだろう。

霊的探求と言われる過程で起こることは

すべて意識の領域の中で起こることだ。

それは因縁因果であり、

仏陀が言う縁起であり、

要は自然現象にすぎない。

そのなかにどんな自己も存在しない。

> 最終的には、
> あなたは願望のない
> 絶対のパラブラフマンの状態を偶然発見するか、
> その中に到達する。

そのすべての様相を理解し、

その姿を観照したあなたは

すべての現象は

観照するあなた自身であることを理解するだろう。

すべての欲望、すべての願望が

ただ意識エネルギーの

相殺し合う物理現象にすぎないことを知ったとき

あなたはそれ以上

どの欲望にフォーカスできるというのだろうか。

最後に残るのは

すべての誤解が消滅したあとに残るもの

パラブラフマンの状態でしかないだろう。

> 私は存在性を理解し、
> それを超えた。

私は「私は在る」を種として兆す

すべての存在性を理解した。

これ以上その存在性に自己同化することはできない。

私はその存在生そのものを手放した。

> 仮に私があと百年生きたとしても、
> 目覚めた状態、
> 睡眠の状態、
> 「私は在る」の状態、
> これらにどんな使い道があるというのだろうか?

仮にこの身体があと百年生き延びたとして、

その身体を基盤として兆す3つの状態:

目覚めた状態、

睡眠の状態、

「私は在る」の状態、

それらをどう使えというのか?

それらにどんな使い道があるというのか?

> 私はそのことに飽き飽きしている。

私はもうこの身体が持っていたすべての

潜在エネルギーを使い尽くした。

この身体の使用期限は切れているのだ。

ただこの身体からの解放を待っているのだ。

> 私は自分自身のために
> どんな排他的なアイデンティティも持っていない。

私には自分という

いかなる排他的アイデンティもない。

> 私がどんなアイデンティティをもっているにしろ、
> それは五大元素の戯れであり、
> そして普遍的だ。

たとえ、

そこにどんなアイデンティがあったところで、

そんなものはすべて

現象構造体の部品の組み合わせ、

単なる観念の戯れでにすぎない。

そんなアイデンティなら

この現象世界のいたるところに

あまねく溢れかえっている。

> この体調ではあまり話せないので、
> 私は人々を長くは留めない。

この体調では今日はあまり話せない。

だから、

あまり長くあなたたちを留めるつもりもない。

> 私はただいくらかの知識を分け与え、
> 彼らに行くように言う。

ただいくらかの知識を分け与え、

もう帰りなさいというだけだ。

> このレベルの奥深い知識があっても、
> 彼らは理解することができない。

このレベルの深い理解がここにあるが、

それを伝えられる器があまりない。

> 彼はいったいどんな恩恵を
> 引き出すことができるというのだろうか?

今、私からこのような話を聞いたとして、

それを聞いた者がそこから

どんな恩恵を引き出せるというのだろうか?

聞いた者がそこから何を引き出せるのかも、

またその個々の夢の運命のなかに

書き込まれていることだろう。

(-||-)

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 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
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(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


   ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓にあります。
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「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
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「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
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『アセ通』既刊号はすべてここにあります。
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   ………○…………○…………○………


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■ 2.編集後記:
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暑い日ですね。

そういうときもあります。

こんなことを書いてはいますが、

これでも、

この時間は

とても楽しみでもあるのです。

今日は、まだ明るいようです。

ではまた。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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二つの配信スタンドで発行されています。
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