home > 通信 >『アセンション館通信』第746号:パラマートマンとジーヴァートマン(至高の自己と個人の魂)



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆   『アセンション館通信』
 ☆☆     ☆☆    2018/08/05(第746号)
☆☆   ☆   ☆☆             
☆☆      ☆★   「私は在る」に導かれ♪
-☆☆────-☆☆──────────────
 ☆☆   ☆☆   https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

 欲望や嫌悪は心のもの
 そして心はあなたのものではない
 あなたはその混乱から自由なのだ
 『Ashtavakra Gita』

人畜無害、読む人は相当変わってます。現在834名
──────────────────
◇◇ もくじ ◇◇

1.パラマートマンとジーヴァートマン
         (至高の自己と個人の魂)

2.編集後記
──────────────────

━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 1.パラマートマンとジーヴァートマン
        (至高の自己と個人の魂)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━

毎日暑いですね。

以前はこんなに暑くなかったような。

感想というほどのものでもありませんが。^^;

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、

お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

こうして思考が湧いてくるのは

なぜなんでしょうね?

ふふ。

というふうに思考は湧いてくるのです。(^_-)

このことに関しては、

いろんな意見があると思います。

今をそのままに受け入れられないから、

今いる状態から逃げようとして

何か別のものを求めてしまうのだ、とか。

そのとおりでしょうね。

今の落ち着けない状態を、

言葉の上だけでで何かのケリをつけて、

納得しようとするのだ、とか。

これなんか、

いかにもpariパターン的な

思考の湧き方のような気もします。

まあ、要するに、

言葉で何か概念を作ることで、

想像された現実に応対しようとしている。

言葉の上塗りです。

すでにある概念に

なにか別の概念で対抗しようとしている。

言葉にまだ意味がある、

という信仰があるから起こることです。

こうしてpariパターンを含めた

多くの思考パターンが

一生をその瞬間から逃げるために

使う手段なのでしょう。

pariパターン、人間、一生、

瞬間、逃げる、使う、手段……、

すべてただの言葉、ただの概念です。

それらすべての概念は、

意識のパターンとして一瞬現れて、

そして消えていく。

何度も何度も繰り返されては、

跡形もなく闇の中に消えていく

すべて一瞬の花火です。

消えていくこと自体は、

とてもいいことなんでしょう。

すべての花火が夜空に残ったら、

後の花火が上がってもわからない。(*^_^*)

今日もまた、

恩寵の指図にしたがって、

マハラジの最晩年の言葉を

写経させていただきます。

今回は「一九八〇年八月二四日」

の対話から写経します。

今回の内容はとても基礎的な概念、

ヒンドゥー教の言葉の意味というか、

ヒンドゥー教の教義のお勉強みたいな

感じが無きにしもあらずです。

ヒンドゥー教は

そういう世界観をもっていたのか、

と再確認する感じです。

実際、

文化圏の違う日本人には、

馴染みのなかった概念ですから。

──────────────────
 一九八〇年八月二四日
 
 質問者 もしチャイタニア(意識)がすべてに行き渡
     り、すべてのこれらの様々なパワーから成り
     立ち、個々の意識が肉体と結びついているな
     ら、この宇宙意識にとって肉体はあるのです
     か? 宇宙意識にとっての宇宙的肉体、ある
     いは様々な肉体の混合があるのですか?
 
 マハラジ
 宇宙意識は肉体をもっていない。
 肉体が登場するときにいつでも宇宙意識が顕現する。
 五大元素の性質が宇宙意識を構成し、
 維持しているのだ。

 質問者 宇宙意識と肉体の中の意識は何かの関係があ
     りますか?
 
 マハラジ
 それは親密な関係だ。
 個人の意識が顕現した意識へと連続している。
 例えば、
 あなたは生命−呼吸をもっている。
 それは外側では空気と呼ばれるが、
 あなたが呼吸するときにはプラーナとなるのだ。

 質問者 パラマートマン(至高の自己)とジーヴァー
     トマン(個人の魂)の違いは何ですか?

 マハラジ
 あなたは部分という観点ではジーヴァ(個人の魂)を、
 全体としてはパラマートマンを考えるが、
 違いは何もない。
 それは肉体の中に固定されているときは一時性や、
 時間の単位、
 ジーヴァの様相を呈する。
 寿命の終わりに、
 それはパラマートマンに融合する。
 
 質問者 全体であるパラマートマンが、なぜ部分であ
     る肉体にそれ自身を制限するのでしょうか?
 
 マハラジ
 それにはどんな理由もない。
 それはただ起こるだけだ。
 しかし、
 パラマートマンの中には存在への気づきがまったくなく、
 ただ気づきへの気づきがあるだけだ。
 存在の気づきが現れるやいなや、
 二元性が現れ、
 顕現がやって来る。
 
 『意識に先立って』(p106-108)
──────────────────
 
> 質問者 もしチャイタニア(意識)がすべてに行き渡
>     り、すべてのこれらの様々なパワーから成り
>     立ち、個々の意識が肉体と結びついているな
>     ら、この宇宙意識にとって肉体はあるのです
>     か? 宇宙意識にとっての宇宙的肉体、ある
>     いは様々な肉体の混合があるのですか?

この質問者はおそらくインド人で、

ヒンドゥー教徒なのかもしれませんね。

西洋人の文脈からでてくる

質問とも思えません。

しかし、

この質問者が尋ねている問は、

pariパターンなどにも理解できます。

いまちょっと出てきた思いつきですが、

もしかして、

pariパターンには

少しヒンドゥー教徒の理屈っぽさDNA

みたいなのが混じっているのかも。(^_-)

この方には、

無境界の空間に充満する分離不能な生命力

みたいな論理的イメージがあるのでは。

生きているのは空間だというわけです。

しかし同時に、

目に見える現象世界では、

個々の形体をまとった別個の生命体が

現象しているように見えるわけです。

おそらく、

人間を含むすべての動物にとって、

個体の範囲が一つの分離した生命体に

見えているはずです。

とはいえ、

この質問者の方も、

いろいろ教わっているので、

この人体という一個の肉体が

環境から分離されて

自前で独自に生存できないことは、

よく知っているわけです。

人体の中では何兆個もの細菌が

生命活動をしていると言われます。

その一個一個の細菌が、

どんなアイデンティティを持っているか、

あるいは持っていないかはわかりません。

でも、

それら細菌の生命圏である

人体としての人間に、

それなりのアイデンティティがあることを、

われわれはよく知っています。

ならば、

日本人が住む日本列島にも

それなりのアイデンティティが

あるのかもしれない。

ないとは断定できないでしょう。

(そういう思考波動に入った瞬間、

 pariパターンの圏内にも

 そのような(たとえば、国常立尊といった)

 意識存在が接触してきたわけです。

 すべて想像です。

 でもラマナ・マハルシが言うように、

 その世界は存在するのです。)

ならば、

生態系惑星地球にも

それなりのアイデンティティがあるかもしれない。

太陽系にも、

あるいはこの銀河系にも、

その他の島宇宙にもそれぞれのレベルの

自己同定意識があるかもしれない。

というような想像は当然湧いてくるはずです。

そういう概念的背景があっての

この質問者の問いだと思います。

「もし意識がすべてに行き渡り、
 すべてのこれらの様々なパワーから成り立ち、
 個々の意識が肉体と結びついているなら、
 この宇宙意識にとって肉体はあるのですか?
 宇宙意識にとっての宇宙的肉体、
 あるいは様々な肉体の混合があるのですか?」

それぞれのレベルの肉体には、

それ相応の“個々の意識”とか“宇宙意識”が

対応しているのでしょうか?

といった疑問でしょうか。

> マハラジ
> 宇宙意識は肉体をもっていない。

とても明確なマハラジの答えです。

宇宙意識に対応する

固有の肉体というものはない。

つまり、宇宙意識とは

エゴの延長上のものではない

ということでしょうね。

> 肉体が登場するときにいつでも宇宙意識が顕現する。

その逆に、

個々の肉体が誕生したときに、

それに応じてその必要を満たすための機能として

そのつど宇宙意識が顕現するのだ、と。

> 五大元素の性質が宇宙意識を構成し、
> 維持しているのだ。

宇宙意識とは

「地水火風空」という機能要素として

肉体の運命を司るために顕現する、

ということなのかもしれません。

> 質問者 宇宙意識と肉体の中の意識は何かの関係があ
>     りますか?

とても慎重で入念な質問ですね。

では、その宇宙意識と肉体の意識とは

何らかの関係を持っているのですか?

> マハラジ
> それは親密な関係だ。

おお。

宇宙意識と肉体の中の意識とは

親密に関係しあっている。

潮の干満と連動する月齢も、

天体の周期も、

肉体の意識に密接な影響を及ぼしている、

というような意味合いなのか……。

> 個人の意識が顕現した意識へと連続している。

逆に個人の中で起こる想像も

現象世界として顕現する意識に影響している。

当然とも思える言葉ですが、

どういったニュアンスなんでしょうね。

> 例えば、
> あなたは生命−呼吸をもっている。
> それは外側では空気と呼ばれるが、
> あなたが呼吸するときにはプラーナとなるのだ。

ああ、

そういう意味で

密接に関係しているというのなら、

われわれの身体の中の意識と、

身体の外側の意識は連続している

といったような意味合いでしょうか。

> 質問者 パラマートマン(至高の自己)とジーヴァー
>     トマン(個人の魂)の違いは何ですか?

この質問者の方は

ヒンドゥー教の教義を

ひとつひとつ確認している感じですね。

至高の自己つまり真我と

個人の魂との違いは何か、と。

> マハラジ
> あなたは部分という観点ではジーヴァ(個人の魂)を、
> 全体としてはパラマートマンを考えるが、
> 違いは何もない。

パラマートマンとは

意識全体を呼ぶ場合の用語であって、

その部分としてはジーヴァが、

つまり個人の魂が織り込まれている、

と言ったような感じでしょうか。

> それは肉体の中に固定されているときは一時性や、
> 時間の単位、
> ジーヴァの様相を呈する。

空間に遍満している同じ意識だが、

肉体にくくりつけられると個人の様相を呈すると。

> 寿命の終わりに、
> それはパラマートマンに融合する。

肉体が崩壊し、それから解放されると、

意識は至高の自己に融合回帰する。

> 質問者 全体であるパラマートマンが、なぜ部分であ
>     る肉体にそれ自身を制限するのでしょうか?

もしそういうことだとすれば、

全体である至高の自己は、

なぜ自らを肉体に制限して個人となるのでしょうか?

(人間としてみるとまことに当然の質問です。)

マハラジのこれに対する答えは、

とてもそっけないです。

> マハラジ
> それにはどんな理由もない。
> それはただ起こるだけだ。

ふふふ。

ここでは【質問エネルギー】は

ただ空振りするだけです。

これが【不妊の女性の孤児】ということでしょうか。

> しかし、
> パラマートマンの中には
> 存在への気づきがまったくなく、
> ただ気づきへの気づきがあるだけだ。

ほう。

至高の自己の中には

存在性に対する気づきはまったくないと。

マハラジの用語でいう

パラマートマン(至高の自己)とは、

存在性というものを知らない意識

ということのようですね。

言い換えると、

“潜在性としての意識”

ということなのかもしれません。

ということは、

肉体の誕生によって

自らの一部が誤解を起こして

個人意識に変化していることにも

まったく気づいていないのでしょう。

> 存在の気づきが現れるやいなや、
> 二元性が現れ、
> 顕現がやって来る。

肉体の誕生に連動して

至高の自己の一部に

「私は在る」という観念が生まれて、

そこに意識の顕在化のようなことが起こる。

するとその顕在化した意識の中では

主体と客体の分離が起こり

現象世界が現前する……。

パラマートマン(至高の自己)と

ジーヴァートマン(個人の魂)という

ヒンドゥー教の概念には

このような概念包含があるのかもしれません。

──────────────────
 質問者 以前誰かが、人間だけが覚醒することができ
     ると言いました。しかし私は、あらゆる生き
     ている細胞も神の顕現だと感じますので、そ
     れは間違った考えだと思います。
 
 マハラジ
 意識は同じだが、
 そのマインドは
 自らが知っているものに従ってしか
 働くことができない。
 下等生物に知られているものは、
 基本的な肉体的必要条件のみだ。
 人間だけが
 幼い頃から単なる肉体面以外の
 高等な思考力を与えられてきた。
 人間は月へ飛んでいくことが可能だが、
 他の種ではこういったことはできない。
 下等な種のマインドは制限されているのだ。
 
 八百四十万の様々な種はあるが、
 その種の一つに妊娠が起こるやいなや、
 コーザル体(目に見えない肉体の一つ)に
 その形態の性質や働きが刻印される。
 誰も鳥に飛ぶように、
 魚に泳ぐように、
 虫に這うように言わないが、
 そうしたことのすべては
 妊娠そのものに刻印されている。
 死ぬことのできないものが、
 今や自分は死ぬだろうと確信している。
 この死への恐れは
 どうやって忍び込んだのだろうか?
 これは人が生まれたという概念、
 つまり単なる言葉にもとづいているが、
 それが束縛だ。
 
 人がしなければいけないことは、
 ただ自分の源泉を発見し、
 そこに本拠地を築くことだけだ。
 
 『意識に先立って』(p108-109)
──────────────────

> 質問者 以前誰かが、人間だけが覚醒することができ
>     ると言いました。しかし私は、あらゆる生き
>     ている細胞も神の顕現だと感じますので、そ
>     れは間違った考えだと思います。

なるほど。

それはそれで理解できる思考ですね。

> マハラジ
> 意識は同じだが、
> そのマインドは
> 自らが知っているものに従ってしか
> 働くことができない。

あらゆる現象に浸透している

意識自体は同じものだが、

形態に自己同化したマインドは

それが知っているものにしたがって

機能することができない。

このマハラジの言葉を聴くと

「意識」という術語と

「マインド(心・思考)」という術語の

使い方の違いがわかるようです。

要するに、

「マインド」=「形態に自己同化した意識」

ということのようです。

こうして、

マハラジの解答を個々に聴いていると、

すべてとても当然のことに聞こえます。

むしろ、

「なぜ?」とか「どうして?」

と質問するほうが

難癖でもツケているような感じです。(*^_^*)

> 下等生物に知られているものは、
> 基本的な肉体的必要条件のみだ。

細かく検証・確認した体験もありませんが、

それはなんとなく理解できる感じですよね。

> 人間だけが
> 幼い頃から単なる肉体面以外の
> 高等な思考力を与えられてきた。

われわれの育ってきた環境や、

DNAなどの存在を教えられると、

これも普通のこととして理解できます。

> 人間は月へ飛んでいくことが可能だが、
> 他の種ではこういったことはできない。

それは確かでしょう。

> 下等な種のマインドは制限されているのだ。

了解です。

> 八百四十万の様々な種はあるが、
> その種の一つに妊娠が起こるやいなや、
> コーザル体(目に見えない肉体の一つ)に
> その形態の性質や働きが刻印される。

 日本にも「八百万(やおよろず)の神」
 
 という言葉がありますが、

こういうのはどこかで連動しているのか……。

物質で構成されている現象世界で

多様な生命種の一つに妊娠が起こると、

原因次元の波動帯域にその生命種固有の

性質や働きのパターンが刻印される。

> 誰も鳥に飛ぶように、
> 魚に泳ぐように、
> 虫に這うように言わないが、
> そうしたことのすべては
> 妊娠そのものに刻印されている。

いまなら、

現象世界の生命種の妊娠によって、

その種に固有のDNAがコピーされる

という表現になるのかもしれません。

> 死ぬことのできないものが、
> 今や自分は死ぬだろうと確信している。

すると原因次元の意識の中で

その個体の形態への自己同化が起こり、

その個体として誕生したという観念が発生し、

同時にその個体の崩壊に応じて

死が起こることを予期するようになる。

> この死への恐れは
> どうやって忍び込んだのだろうか?

この死にたいする恐れは、

どこからどのように入ってきたのか?

> これは人が生まれたという概念、
> つまり単なる言葉にもとづいているが、
> それが束縛だ。

この“死”という想像は、

“誕生”という観念から派生したものだ。

単なる言葉から連想された誤解だが、

それが自分を人間と自認する意識パターンを

束縛しているのだ。

> 人がしなければいけないことは、
> ただ自分の源泉を発見し、
> そこに本拠地を築くことだけだ。

あなたがしなければいけないことは、

あなたの存在感の根拠を発見し、

その存在感の根拠を自分の住まいとすることだけだ。

こうしてマハラジの言葉を伺っていると、

パラマートマン(至高の自己)という

ある抽象レベルでは「空間」とも呼べる

“潜在性の意識の海”のなかに、

現象世界という

ある自動再生機能を内蔵する

“顕在性の宇宙”のようなものが

内包されているようなイメージが浮かびます。

この“顕在性の宇宙”のなかで

ある生命種の妊娠が起こると

その妊娠に対する興味が

“潜在性の意識の海”のなかに発生する。

するとその興味は意識のベクトルを

その妊娠された生命種の形態の変化に向ける。

そして“顕在性の宇宙”のなかでの

その生命種の固有形態が崩壊するまで

その生命種の形態の変化に注目しつづける。

そしてその生命種の固有形態が崩壊すると、

“潜在性の意識の海”のなかその一点は

その注目から解放され

元の“潜在性の意識の海”のなかに融解して

潜在性の中へと回帰する……。

といったようなイメージが浮かびます。

要するに、

“潜在性の意識の海”のなかでの

意識ベクトルの変化ということなのかもしれません。

“顕在性の宇宙”に目を向ければ

何らかの意味でのアイデンティティが立ち上がり、

苦しみが始まる。

そしてその意識ベクトルが

“潜在性の意識の海”を向けば、

幻想の苦しみは終わる、

ということなのかもしれません。

(-||-)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
──────────────────

(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


   ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓にあります。
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■ 2.編集後記:
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何でもないものを、

何かにしようとしつづけて、

不幸になりつづけているのか……。

いつでもただ

そのままそこにいれば

いいだけなのかもしれません。

それが言葉で不幸と定義されようと、

あるいは幸福と定義されようと、

気にするのは

ただ言葉だけなのかもしれません。

今日は明るいうちに終えました。

ではまた。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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二つの配信スタンドで発行されています。
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