home > 通信 >『アセンション館通信』第747号:存在という無知なる子供−原理



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆   『アセンション館通信』
 ☆☆     ☆☆    2018/08/05(第747号)
☆☆   ☆   ☆☆             
☆☆      ☆★   「私は在る」に導かれ♪
-☆☆────-☆☆──────────────
 ☆☆   ☆☆   https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

 欲望や嫌悪は心のもの
 そして心はあなたのものではない
 あなたはその混乱から自由なのだ
 『Ashtavakra Gita』

人畜無害、読む人は相当変わってます。現在832名
──────────────────
◇◇ もくじ ◇◇

1.存在という無知なる子供−原理

2.編集後記
──────────────────

━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 1.存在という無知なる子供−原理
━━━━━━━━━━━━━━━━━━

暑くはあるけれど、

今日はそれほどでもないかな。

マハラジの部屋には空調はあったんでしょうか?

いや、きっと無いな。

(-||-)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、

お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

先日MRIの検査結果を聞くために

東京に行ってきました。

手術してくださった山田先生が

ホルモンの数値や脳のMRI画像を眺めながら、

「もうどれくらいだったっけ?」と訊いたので

「十年です」と答えました。

すると先生はこちらを見て

「もういいでしょう。

 MRIはもういいね」

とおっしゃいました。

もう再発も考えなくていいようです。

あまり心配もしていませんでしたが、

ありがたいことです。

10年前の先生の7時間にもわたる手術のおかげで、

こうしてこれまで何の副作用もなく

生きてこられました。

この身体を大事に使わなくては、

今更ながらに思います。

せっかく救っていただいた命を

それなりに大切に使ってきただろうか?

大いに疑問です。

いったん夢の中に入ったら、

この身体の中にしか出口はないのに……。

今日もまた、

恩寵の指図にしたがって、

マハラジの最晩年の言葉を

写経させていただきます。

ちょっと最初の部分に目を通してみました。

なんか聞こえてくるエネルギーがすごい。

今回からは順に写経させていただこうかな。

というわけで今日は

「一九八〇年四月四日」の対話から写経します。

──────────────────
 一九八〇年四月四日
 
 質問者 グルの恩寵について、お話してい
     ただけませんか?
 
 マハラジ
 最も重要なことは、
 グルの言葉をあなたが
 どれだけ強く信頼するかということだ。
 いったん信頼があれば、
 恩寵は自然に流れる。
 グルへの信頼は自分の内なる意識、
 自分の真我への信頼に基盤が置かれている。
 存在性(beingness)の愛、
 それこそ私が
 より高いレベルへ導こうとしているものだ。
 永続するものは真我に対するこの愛であり、
 それにもとづいて、
 寺院は建てられている。
 このキリスト意識は存在している。
 しかし、
 それは一人の人間への信仰だろうか?
 キリストは一人の人間としては磔にされたが、
 彼のものであったこの宇宙意識は今日も生きている。
 
 『意識に先立って』(p8)
──────────────────
 
> 質問者 グルの恩寵について、お話してい
>     ただけませんか?

いつの時代も

この夢の時空の中に

グルの恩寵は浸透してきているのかもしれません。

でも、

これほどのエネルギーが注いでいる時代は

めったにないのかもしれませんし。

> マハラジ
> 最も重要なことは、
> グルの言葉をあなたが
> どれだけ強く信頼するかということだ。

この言葉です。

これには参りました。(*-_-*)

グルの言葉はいつでも鳴り響いている。

ただ、

耳を傾ける者がいない。

そしてあまりにも信頼が薄いのでしょう。

【最も重要なことは、
 グルの言葉をあなたが
 どれだけ強く信頼するかということだ。】
 
(-||-) 

> いったん信頼があれば、
> 恩寵は自然に流れる。

そこに信頼さえあれば

遍満している恩寵は自然に流れだし

そのパワーが発揮されるのでしょう。

十年経ってやっと聞こえてきた言葉です。

> グルへの信頼は自分の内なる意識、
> 自分の真我への信頼に基盤が置かれている。

グルへの信頼は

自分が真我であることへの信頼に基づいている。

その真我への信頼が薄いために

こうして

エゴとして画策してしまうのでしょうね。

> 存在性(beingness)の愛、
> それこそ私が
> より高いレベルへ導こうとしているものだ。

マハラジが教えてくれているのはいつでも

「私は在る」の一点にすがることです。

> 永続するものは真我に対するこの愛であり、
> それにもとづいて、
> 寺院は建てられている。

投影された幻影の宇宙にも

投影機であるこの身体にも

浸透しているのは真我に対するこの愛。

この永遠の愛に基づいて

大宇宙という大伽藍も、

肉体という寺院も建てられている。

> このキリスト意識は存在している。

キリスト意識という永遠の愛だけが実在する。

> しかし、
> それは一人の人間への信仰だろうか?

だがキリスト意識への信仰は

歴史上の一人の人間への信仰だろうか?

> キリストは一人の人間としては磔にされたが、
> 彼のものであったこの宇宙意識は今日も生きている。

たしかに、

ナザレのイエスは磔にされたが、

彼が伝えた宇宙意識、

実在への永遠の愛は今も生きている。

──────────────────
 質問者 この愛を解放したり、高めたりする方法が
     ありますか?
 
 マハラジ
 それは、
 ヴィリティ(思考上の変化)であり、
 過程の一部だ。
 様々な活動があり、
 修行などがある。
 日常生活においてさえ、
 あなたはある種の過程を経る。
 それらは、
 この意識のためのプージャ(礼拝)では
 ないだろうか?
 
 質問者 マハラジは意識それ自身を超越する類の愛に
     ついて語っているのですか?
 
 マハラジ
 宇宙意識から出てくる微風こそ、
 他の種類の愛を生かしておくのだ。
 しかし、
 ほとんどの人は自分たちの愛を個人に限定している。
 
  質問者 人はどうやったら宇宙的な愛の中へ拡大
      できますか?
 
 マハラジ
 偽物を偽物と理解しなさい。
 それがあなたにできるすべてだ。
 あなたはあるものを別のものに
 変えることはできない。
 
 『意識に先立って』(p8-9)
──────────────────

> 質問者 この愛を解放したり、高めたりする方法が
>     ありますか?

この真我への永遠の愛を

解放したり高めたりする方法があるのでしょうか?

(ちょっと投影されたイメージが、

 投影機の改善を願望するかのような雰囲気も
 
 無きにしもあらず。)

> マハラジ
> それは、
> ヴィリティ(思考上の変化)であり、
> 過程の一部だ。

それは単に概念的なドラマの一部であり、

現象構造体の自然過程の一部だ。

> 様々な活動があり、
> 修行などがある。

そこには当然、

様々な霊的活動や霊的修行が現れることだろう。

> 日常生活においてさえ、
> あなたはある種の過程を経る。

幻影の中の日常生活のなかですら

あなたは様々な過程を経るのではないかね。

> それらは、
> この意識のためのプージャ(礼拝)では
> ないだろうか?

それらはすべて、

この宇宙意識のための礼拝と言えないだろうか?

> 質問者 マハラジは意識それ自身を超越する類の愛に
>     ついて語っているのですか?

それは

意識自体を超越しようとする愛について

話しておられるのですか?

> マハラジ
> 宇宙意識から出てくる微風こそ、
> 他の種類の愛を生かしておくのだ。

むしろ、

あらゆる愛は

宇宙意識から出てくる微風とも言えるだろう。

> しかし、
> ほとんどの人は自分たちの愛を個人に限定している。

だが幻影を真実と誤認する大部分の人々は

愛を個人に限定することになる。

>  質問者 人はどうやったら宇宙的な愛の中へ拡大
>      できますか?

ではどうすれば

宇宙的な真我への愛に拡大していけるのでしょうか?

> マハラジ
> 偽物を偽物と理解しなさい。
> それがあなたにできるすべてだ。

【偽物を偽物と理解しなさい。
 それがあなたにできるすべてだ。】

たったこれだけ……じつに簡単明瞭です。

これがまだ起こっていないから、

つまりわたしが自分を幻影だと思っていないから、

まだ幻影の方に目を向けるのでしょう。

> あなたはあるものを別のものに
> 変えることはできない。

夢の中の登場人物であるあなたに、

夢の中のあるものを

別のものに変えることはできない。

当然のことです。

──────────────────
 質問者 愛はその対象を失ったら、その活力を失う
     のではないでしょうか?
 
 マハラジ
 あなたは肉体レベルから質問している。
 肉体が存在する以前の自分の状態に戻ってはいない。
 「愛」という言葉が存在する以前に、
 あなたは存在しているのだ。
 肉体との一体化以前の状態、
 あなたはそれに退却しなければならない。
 
 私は真実の永遠の状態を自分で発見したので、
 肉体に関する何も必要ではない。
 だから、
 私はそれらが出て行くのを待っているだけだ。
 この完全な充足感の中では、
 何もまったく必要ではない。
 私は自分のグルに出会ったあと、
 この完全な充足感の状態を得た。
 もし私が自分のグルと出会わなかったならば、
 私は一人の人間として生き、
 死んだことだろう。

 私はわずか二年半しか
 自分のグルと付き合えなかった。
 彼はおよそ二百キロ離れたところに住んでいて、
 四ヶ月に一度だけここに来て、
 一五日間滞在した。
 私の状態はすその結実だ。
 彼が私に与えてくれた言葉は
 非常に深く響いたものだ。
 そして、
 私はたった一つのことだけに留まった。
 私のグルの言葉は真理であり、
 彼はこう言った。
 「あなたはパラブラフマンだ」と。
 それに関して、
 それ以上の疑いも質問もなかった。
 
 いったん私のグルが
 伝えるべきことを伝えたあと、
 私は決して他のことに心を煩わせなかった。
 私はグルの言葉にしがみついた。
 
 私は現在のこの物事の状態がどういうものか、
 それがどれほど移ろいやすいものかを
 正確に知っている。
 また、
 私は永遠の状態も知っている。
 私にはこのつかの間の状態は不要だ。
 さて、
 あなたが自分の国に戻るとき、
 ジニャーニ(賢者)という資格を
 もち運ぶことだろう。
 ジニャーニにという言葉に、
 あなたがどんな意味をくっつけているのか、
 私に言ってみなさい。

 質問者 私が思うには、ここにより長くいる一部の
     インド人たちはより資格があります。
     彼らはそれについて話すかもしれません。
 
 マハラジ
 現代のインド人の群れは、
 物質的な面があまりに発達した
 西洋人の後を追っている。
 彼らは霊性を追い求めてはいない。
 彼らは西洋の科学的発展に追随し、
 あなた方の真似をしたいのだ。
 『アイ・アム・ザット 私は在る』
 (ナチュラルスピリット刊)が
 モーリス・フリードマンによって
 翻訳されているので、
 人々はそれを読むことだろう。
 そして、
 ジーン・ダンの本はもっと重要になるだろう。
 私には神や霊性に関する
 どんな知識も欠けていない。
 なぜなら、
 私はこの子供−原理
 (child-principle)が何なのか、
 完全に知っているからだ。
 あなたがこの無知なる子供−原理、
 存在を知るようになれば、
 どんな霊的追求、
 あるいは世俗的追求においても、
 何一つ欠けるものはなくなることだろう。 
 
 『意識に先立って』(p9-11)
──────────────────

> 質問者 愛はその対象を失ったら、その活力を失う
>     のではないでしょうか?

恋愛ならたしかにそういうことになりそうです。

> マハラジ
> あなたは肉体レベルから質問している。

たしかに。

> 肉体が存在する以前の自分の状態に戻ってはいない。

こういう語り口はいかにもマハラジですね。

それは「父母未生以前の本来の面目」からの

永遠の視点ではない。

> 「愛」という言葉が存在する以前に、
> あなたは存在しているのだ。

「愛」という言葉さえも概念だ。

その「愛」という言葉が存在する以前にも

あなたは存在していたのだ。

> 肉体との一体化以前の状態、
> あなたはそれに退却しなければならない。

この人間という体験を可能にしているもの

それ自体に退却しなければならない。

あなたがが自分と見なしているものから

執着や欲望、

その裏返しである心配や恐怖を取り除けば、

あなたはその背景そのものだ。

それがすべての体験の可能根拠であり、

あなたはいまでもそれなのだ。

> 私は真実の永遠の状態を自分で発見したので、
> 肉体に関する何も必要ではない。

私はいま肉体が誕生する以前の状態に在る。

肉体が投影する意識の背景にあるそれ、

それが永遠の実在であることを知っているいま、

私には肉体に関わるものは何も必要ない。

> だから、
> 私はそれらが出て行くのを待っているだけだ。

真の自分が現象の背景であることを知っている今

私は肉体という幻影の投影機が

自然に消えるのを待っているだけだ。

> この完全な充足感の中では、
> 何もまったく必要ではない。

あらゆる騒音が始まる以前の

この完全な充足感の中では、

必要なものは何もない。

何かを求める者がいないのだから。

> 私は自分のグルに出会ったあと、
> この完全な充足感の状態を得た。

私の場合は、

グルに真実を伝えられてから

この完全な充足感の状態を確認した。

> もし私が自分のグルと出会わなかったならば、
> 私は一人の人間として生き、
> 死んだことだろう。

もしグルに出会っていなかったら、

私は幻影の中で一人の人間として生き、

幻影の中で肉体として死んだことだろう。

> 私はわずか二年半しか
> 自分のグルと付き合えなかった。
> 彼はおよそ二百キロ離れたところに住んでいて、
> 四ヶ月に一度だけここに来て、
> 一五日間滞在した。
> 私の状態はその結実だ。

私が自分のグルと出会った回数と言えば、

わずか二年半のあいだに面会した

七、八回のことにすぎない。

私の現在の状態は、

その七、八回の出会いの中で伝えられた

グルのメッセージが実を結んだ結果だ。

> 彼が私に与えてくれた言葉は
> 非常に深く響いたものだ。

グルが私に伝えてくれた言葉は、

私の中で非常に深く響いたものだ。

> そして、
> 私はたった一つのことだけに留まった。
> 私のグルの言葉は真理であり、
> 彼はこう言った。
> 「あなたはパラブラフマンだ」と。

私が信頼したのは

グルが私に伝えてくれた

たった一つの真理の言葉だった。

それは、

「あなたはパラブラフマンだ」

 (あなたは至高の自己だ)

という言葉だった。

> それに関して、
> それ以上の疑いも質問もなかった。

その言葉を聴いたとき私のなかには

それに関して何の疑いも質問も浮かばなかった。

> いったん私のグルが
> 伝えるべきことを伝えたあと、
> 私は決して他のことに心を煩わせなかった。
> 私はグルの言葉にしがみついた。

グルから真実を伝えられて以来、

私は他のことに心を煩わせる気にならなかった。

そしてひたすらグルから伝えられた

その真理の言葉にしがみついた。

私はその一つの言葉を信頼し、

その命綱に取りすがり、

それが自分の現実になるまで引き寄せたのだ。

> 私は現在のこの物事の状態がどういうものか、
> それがどれほど移ろいやすいものかを
> 正確に知っている。

私はいま

現象世界の物事の状態がどういうものか、

それがほんのつかの間の見かけでしかないことを

如実に知っている。

> また、
> 私は永遠の状態も知っている。

いっぽう私は、

永遠の状態もよく知っている。

> 私にはこのつかの間の状態は不要だ。

私には

この現象というつかの間の騒音は必要ない。

> さて、
> あなたが自分の国に戻るとき、
> ジニャーニ(賢者)という資格を
> もち運ぶことだろう。
> ジニャーニにという言葉に、
> あなたがどんな意味をくっつけているのか、
> 私に言ってみなさい。

ところで、あなたは自国に戻ると

ジニャーニ(賢者)として動くことになるのだろうが、

ジニャーニにという言葉を

あなたはどんな意味で使っているのだろうか?

> 質問者 私が思うには、ここにより長くいる一部の
>     インド人たちはより資格があります。
>     彼らはそれについて話すかもしれません。

ここには

私より長く来ているインド人の方々がいます。

私は自分には彼らほどの資格はないと思っています。

彼らならそのように振るまうのかもしれませんが。

> マハラジ
> 現代のインド人の群れは、
> 物質的な面があまりに発達した
> 西洋人の後を追っている。

現代のインド人の大多数は、

物質的に豊かな西洋人を羨んでおり、

その西洋人の後追いをしている。

> 彼らは霊性を追い求めてはいない。

彼らは今や

長くインドの伝統であった霊性を求めてはいない。

> 彼らは西洋の科学的発展に追随し、
> あなた方の真似をしたいのだ。

現代のインド人は

西洋が実現した科学的発展の後を追い、

物質的豊かさを実現した西洋人の真似を

したがっているのだ。

> 『アイ・アム・ザット 私は在る』
> (ナチュラルスピリット刊)が
> モーリス・フリードマンによって
> 翻訳されているので、
> 人々はそれを読むことだろう。

モーリス・フリードマンが

『アイ・アム・ザット 私は在る』を

英語に翻訳して出版したので、

これからは西洋世界の人々が

それを読むことになるだろう。

> そして、
> ジーン・ダンの本はもっと重要になるだろう。

ジーン・ダンが翻訳した本は

これからもっと重要になるだろう。

> 私には神や霊性に関する
> どんな知識も欠けていない。

私の現在のこの状態は

神や霊性に関する知識なら、

欠けることなく伝えられる。

> なぜなら、
> 私はこの子供−原理
> (child-principle)が何なのか、
> 完全に知っているからだ。

私のこの状態からは、

現象世界を誕生させている

この子供−原理が何なのかが、

すべて完全に見えているからだ。

> あなたがこの無知なる子供−原理、
> 存在を知るようになれば、
> どんな霊的追求、
> あるいは世俗的追求においても、
> 何一つ欠けるものはなくなることだろう。 

現象という見かけを求める

この無知なる欲望が何なのか、

この存在という子供−原理が何なのかを知れば、

霊的追求においても、

あるいは世俗的追求においても、

あなたの手に入らないものは

何もなくなるだろう。

(-||-)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
──────────────────

(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


   ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓にあります。
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■ 2.編集後記:
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今日はいちど強い雨が降りました。

そしていまごろになっても暑くなってきました。

いまを避けないようにしないと。

いつまでもこの身体があるわけじゃなし。

今日は明るいうちに終えました。

ではまた。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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二つの配信スタンドで発行されています。
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