━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2018/09/16(第752号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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☆☆ ☆☆ https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している夢の場面の報告です。
わたしは存在している。身体は現れてはいるが存在してはいない。
欲望や期待や喜びは、現れはするが存在してはいない。
心配や恐怖や悲しみは、現れはするが存在してはいない。
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在828名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.イメージにイメージを生み出す力はない
2.編集後記
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■ 1.イメージにイメージを生み出す力はない
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丹沢の麓の一隅にあるここは
とても“霧の中”という感じが合う場所です。
そして実際、
ときどき霧の中に隠れることもあります。
いや、それを言うなら
“夢の中”だろう
という意見もあると思いますが、
それもそうですね。
このごろ、
意見というものに反対する力が
さっぱりなくなってしまって。^^;
とても意見好きで、
たぶん自分の意見に対する
素晴らしいこだわりを持って
人生を展開してきたんだと思うんですけどね。
まあ、やるだけやり尽くしたと言うか、
もう何かの意見を主張するほどの
エネルギーが尽きてしまったんでしょう。
それも自然現象ですね。
(*^_^*)
さて、またまた一週間が過ぎて、
楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、
お付き合いいただく今がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人の pari です。
最初は多分、
幸せであるべき自分が幸せでないのは、
何か間違った理由があるのでは、
みたいなエネルギーがあったのかもしれません。
若いころ、
こんなもの要らないではないか、
と思ってしまったわけです。
もちろん、それなりに楽しければ
そんなこと思うはずもないんだけれど、
まあ、自尊心が傷ついて、
楽しくなかったわけですよね。
若い頃にはありがちなことです。
いや、若い頃だけじゃなくて、
エゴの思いというのは
だいたいそうじゃないですか。
Oshoのセリフじゃないですが、
幸せだったらエゴの居場所がないですから。
だから若かろうが年寄りだろうが、
エゴは不幸にのみ焦点を合わせて、
その周囲に
まるで小鳥の巣づくりみたいに
ささやかな理由を掻き集めたりして、
それを論理の唾液で固めて、
自分の基地を作ったるするんでしょうね。
哲学者ならその理由の中に
トグロを巻いたりするのかもしれません。
まあ、pariパターンも
ご多分に漏れず、
そんなことをせっせとやったはずです。
で、それはそれでひとつの自然現象です。
そのこと自体はひとつのあるがままなのですが、
ただそのエゴという自然現象は、
分離した自分が存在するという
催眠状態の中で起こるわけですから、
ある意味では
巣作りをする小鳥よりは惨めです。(*^_^*)
小鳥なら
巣の中の卵を奪い去られてもすぐに諦めて、
また別の巣作りに励むかもしれないし、
あるいはじきに命絶えるかもしれない。
肉体の誕生とともに起こった
エゴという自然現象も、
同程度のことにすぎないのでしょうが、
自分で頑張っているかのような
催眠がかかっている分だけ、
少し余計に
不幸に執着するのかもしれません。
それでこうして
誰に頼まれたわけでもない同じメルマガを
書き続けたりするのでしょうか。(^_-)
それでもやっぱり
そのエネルギーも尽きてきます。
どういうふうに尽きてくるのか?
まずは、
決定的な不動の真実に出会って
すべてが一挙に解決し、
ただ至福に満たされたまま……。
なんてことは起こらない、
というのが自明になったからでしょう。(*^_^*)
肉体が機能しているあいだは
つけっぱなしのテレビのように、
画面の変化は起こりつづけるしかない。
ただ、
Who cares ?
気にする人はいない、
という状態は起こりうるのでしょうが。
思いは湧いてきます。
でも、
特に意味はない。
考えてみれば、
pariパターンは
“意味”ということにこだわる
エネルギーだったようです、
究極的には、
いったいどういう意味があるのかと、
まあ、
そういうことが気になったわけです。
だから、
意味というものはすべて
想像であり、創造だということが
自明になってしまうと、
この疑団エネルギーは
潜在的に拠って立つ根拠を失って、
遅かれ早かれ、
解体に向かうしかなかったのです。
Oshoによって、
クリエイティブ(創造的)であることの意味を
最大限まで持ち上げてもらったのに、
どういうわけかその価値観に安住できずに、
しかし、それにしても、
煎じ詰めたところ、
結局、この現象世界の
すべての不幸の意味は何なのか?
いったいなぜこれだけの不幸が必要なのか?
このすべての不幸を補償して
あり余るような根拠がありうるのか?
と問いつづける
イワン・カラマーゾフのような
疑問が残ってしまった。
そうなると、
ニサルガダッタに出会うしかないわけです。
そして、
創造的であるという概念の意味が
ひっくり返ってしまいました。
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想像が豊かな創造力であることに
疑いはない。
宇宙のなかの宇宙も、
想像によって構築されているのだ。
それにもかかわらず、
それらはみな空間と時間、
過去と未来のなかにあり、
実際は存在しないのだ。
『私は在る』(p306-307)
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したがって
想像力によって強力に支援された
創造そのものの意味も逆転します。
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(愚かさの終焉は)
創造においては
――けっしてありえない。
なぜなら、
創造自体が無知の根本だからだ。
物質自体が無知だ。
知ろうとしないこと、
そして知らないということを
知ろうとしないこと、
それがかぎりない苦しみの原因なのだ。
『私は在る』(p134)
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物質によって実現されるいわば鈍感力が、
現象宇宙という客観的存在らしきものを
可能にしていることは間違いない。
その物質宇宙という幻想世界の本質を
これほど見事に表現した言葉に、
他で出会ったことがありません。
pariパターンというのが、
こういう概念に出会う必要がある
エネルギーだったということでしょう。
pariパターンにかかった魔法は
こういう概念によってしか
解除できなかったのです。
このマハラジの表現は
pariパターンにとっての
必須の刺抜きの刺だったと思われます。
もちろん、
単なる自然現象ですが、
ネイサン・ギルふうに表現するなら、
ストーリーの中では
そんなふうに起こるわけです。
疑問のエネルギーに見合った“真実”が
呼び出されるということです。
価値とか意味の存在理由は
物語の中にしかありません。
したがって、
物語の中でしか存在できないわけです。
価値や意味を問うている当人が
物語の登場人物なのですから、
いかに熱望しようと
想像した価値や意味の根拠を、
物語の外にまで、
つまり、意識の外にまで
拡張することはできないわけです。
物語の中で想像されたのではない
唯一の価値を求めるなら
それは肉体の誕生によって励起される
「私は在る」(存在感)でしょう。
そしてそこに内在する
「私は愛する」です。
意識はこの知を根拠に展開します。
「私は在る」はわれわれの創造物ではないし、
存在感が励起する意識世界も
われわれの創造物ではありません。
その逆に、
われわれはその意識世界の中の
物語の中の登場人物です。
物語の強力な催眠下にある登場人物は、
もちろん、
自分が理解したり
成し遂げたりできると想像します。
つまり、
その想像に満足するかぎり
そのように想像することを回避できません。
だから物語の催眠下にある登場人物は、
自分が成し遂げたと思う権利があるし、
自分の愚かさだと落ち込む権利もある。
その想像に満足できなくなったときです、
懸命に自分がハマった現実(想像)から
脱出しようと足掻くのは。
一般的にはど
こまでも物語の中で登場人物として足掻きます。
そしてなかには
自ら肉体生命を断つ劇が展開する場合もあります。
劇の中には
そんなふうに自己破壊的にではなく、
現象構造全体に疑念をもつ物語もあるのでしょう。
すべて地上の気象の変化のようなもので、
個人的出来事ではありません。
自然現象として起こっている。
ところで、
“いいとこ取り”という表現がありますよね、
その意味では
pariパターンの現状は、
まるで“悪いとこ取り”みたいです。
自分が成し遂げたと思う権利を
すでに失っているのに、
自分の愚かさだと恥ずかしくなる権利を
まだ手放していない。(*^_^*)
まあ、じつにバカげた状態ですが、
いつまでもはつづかないでしょうけど。
そのうち
恥ずかしくなる権利も失うでしょう。
もともと、
恥ずかしくなる権利を所有する
どんな実体も存在しないのですから。
今この瞬間に
自分がいるという観念を根拠にした
恥ずかしいという想念が湧いているだけです。
単なる古くからの習慣の残滓です。
もちろん、
物語の中の登場人物としては
なるべく楽な展開を願うわけですが、
そう問屋が卸すかどうか。
未だに微かに威力を残している幻想は、
身体の行動に対する幻想です。
いまだに、
自分には何もできないということが、
いまいち腑に落ちていない。(*^_^*)
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質問者 もちろん、私の行為は
私がコントロールできます。
マハラジ
試してみるがいい。
しなければならないことを
するのだということを、
あなたはすぐに理解するだろう。
『私は在る』(p373)
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マハラジの言葉の中でも、
この言葉はとても説得力がありますよね。
【行為者はいない】とは、
そういう具体的な意味をもっていたのか、
と思いました。
実際、
自分がこれまでしてきたどんな選択も
単に「しなければならないこと」を
してきただけなのはとても明白でした。
他にやりようがなかっただけでした。
あったような気はしても、
実際に起ったことはそれだったからです。
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質問者
自由意志というものはないのでしょうか?
私には欲望をもつ自由はないのでしょうか?
マハラジ
いいや。
あなたは欲望に強制されるのだ。
ヒンドゥー教では
自由意志という概念自体が不在だ。
だから、そのための言葉もないのだ。
意志とは拘束、固定、束縛だ。
『私は在る』(p373)
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【意志とは拘束、固定、束縛だ。】
「意志」をそういう意味で捉えるのなら、
まさに「何をか言わんや」ですよね。
それでも、
実際の日常場面では、
まだ相変わらず自分の行動で
現実が動くような幻想が起こるのです。
気づきの対象物であるこの登場人物に、
現象を動かす能力があるように
どうしてもまだ思えてしまう。
身体への一体化が居座っている……。
でも……知の浸透もまた、
不可避的に起こっているとも思われます。
実際にパワーをもっているのは、
対象物の身体ではないわけですから。
霊的指導者たちが使う概念は
それぞれ違います。
だから
ごちゃ混ぜにしても仕方がないのですが、
ネイサン・ギルの『すでに目覚めている』に
次のような問答があります。
──────────────────
Q 思考は脳と呼ばれている器官から出て
くるものにすぎないんですね。
A
いいえ、そうじゃありません。
どんなイメージにも
ほかのイメージを生み出す力はありません。
劇の中ではそう思われているというだけです。
Q ということは、思考がどう生まれるかは
完全な謎というわけですか?
A
ええ。
すべてが完全な謎であるのと同じです。
『すでに目覚めている』(p131-132)
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> どんなイメージにも
> ほかのイメージを生み出す力はありません。
> 劇の中ではそう思われているというだけです。
以前から、
この一節は
とても重要に思われるのに、
なかなか飲み込めない一節でした。
今日は何やら、
現状報告みたいなことになりました。
まあ、
起こることが起こっているだけです。
(-||-)
──────────────────
あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
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(-||-)
──────────────────
永久的なもの、
それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
──────────────────
……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
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『私は在る』の「目次」はここ↓にあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html
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ご自由にお書きください。
………○…………○…………○………
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■ 2.編集後記:
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今日はなんだか勢いで
現状報告みたいなことを書き綴りました。
すべてエネルギー現象ですね。
今日はもう暗くなりました。
このごろ暗くなるのが早いですね。
明日は朝から集落の草刈りです。
おやすみなさい。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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二つの配信スタンドで発行されています。
mag2:http://www.mag2.com/m/0000126287.html
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