home > 通信 >『アセンション館通信』第753号:衝動と意識が正しいコースへ導いて



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2018/09/23(第753号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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 ☆☆   ☆☆   https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している夢の場面の報告です。

わたしは存在している。身体は現れてはいるが存在してはいない。
欲望や期待や喜びは、現れはするが存在してはいない。
心配や恐怖や悲しみは、現れはするが存在してはいない。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在828名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.衝動と意識が正しいコースへ導いて

2.編集後記
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■ 1.衝動と意識が正しいコースへ導いて
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今日も一面の曇天に覆われた

ぼんやりした天気の日です。

新しくて古い今が始まる。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、

お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

こうして一週間が経って

ここに戻ってくると、

なんか懐かしいような

嬉しいような感じもあります。^^;;

毎週同じようなことを書いているだけです。

ですが、

その同じような言葉の背後で

一週間もの川が流れ去ったとも言えるし、

また同じような言葉が湧いているだけ、

とも言えます。

せっかく一週間が巡って

やっと手に入れた自由時間なのだから、

思考の後など追いかけないで、

一日ゆっくり、

ただ「私は在る」でいたらいいじゃないか、

とも言えます。

でもこうしてまた、

モニター画面に向かってニヤニヤしている。

バカは死ななきゃ治らない。

こんなことに何の意味もないことは、

重々納得しています。

でも宇宙は創造をやめないし、

pariパターンもまた、

その宇宙創造の一微小部分なので、

こうしてやっぱり、

それらしい役を演じさせられている。(*^_^*)

と、そんな思考も湧いてきます。

そんな、

親しみ馴染んだ思考に

まだ興味があるんでしょうね。

それがpariパターンの

「あるがまま」です。

このごろ時々ネイサン・ギルの

『すでに目覚めている』を見返していて、

こんな一節が目に止まりました。

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 Q 
 先ほどの三次元のスクリーンの比喩はすごくいい  
 ですね。以前は平面のスクリーンを思い描いてい  
 ました。映画館にあるような。そのせいで、スク  
 リーンの比喩はこれまであまりピンとこなかった  
  んです。
  
 A 
 ええ、この映画はスクリーンの上で、
 そしてスクリーンの内側で上映されています。
 ここで使えるうまい比喩がもう一つあるとしたら、
 それは、
 現れるすべてが一人の人間の身体で、
 人間として現れている登場人物は
 その一人の人間の身体を循環しているちっぽけな
 細胞だという喩えです。
 ひとつひとつの細胞は観点にすぎません。
 そういう細胞のひとつひとつを通して
 一体性は自分自身の中で
 自分自身として自分自身を見ています。
 
 『すでに目覚めている』(p38)
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> ここで使えるうまい比喩がもう一つあるとしたら、
> それは、
> 現れるすべてが一人の人間の身体で、
> 人間として現れている登場人物は
> その一人の人間の身体を循環しているちっぽけな
> 細胞だという喩えです。

こういう比喩については

pariパターンもよく想像するタイプです。

この宇宙がひとりの人間の身体で、

宇宙の個々の登場人物は

その身体の中の

ちっぽけな細胞のようなものという

この比喩はとても秀逸ですね。

> ひとつひとつの細胞は観点にすぎません。

まさにそういう感じですよね。

> そういう細胞のひとつひとつを通して
> 一体性は自分自身の中で
> 自分自身として自分自身を見ています。

そんな構造の中で、

劇の中の個々の登場人物は

自分の観点で別の細胞の観点を

批評したりするわけですよね。(*^_^*)

たとえば、

自分が四六時中緊張し続けている

肛門の細胞だなんて不公平だ。

自分は人体全体の意志決定を担当する

大脳前頭葉の脳細胞であるべきだった、

とかいった感想が湧いたりする。(^_-)

脳細胞をやったことがないから言える

感想なのかもしれません。

誰にわかるでしょう。

脳細胞は脳細胞で、

まるでブラック企業のような

単調で過酷な労働環境のなかで、

ひたすら自分の寿命が尽きて

資格審査に落ちて廃棄され、

喜びのない単純作業から解放されるとだけを

唯一の希望にしているかもしれませんし。

なかには、

タイムトラベラーとかいって、

宇宙内の隅々まで旅行し、

いろんな光景を監査・見物しながら

宇宙身体の微調整を司るような

そんな冒険をつづけて、

エリート意識に浸っている方々も

いるのかもしれませんが。(^_-)

まあ、埒もない冗談はさておき、

もともと

“何でもない一体性”でしかないものが

自分を何かとして体験しようとすれば、

“分離の幻想”を何らかの形で

実体化する以外に方法はありません。

現象がすべてつかの間の見かけであり、

虚偽だとはそういうことでしょう。

現れはすべて“つかの間の虚偽”であり、

それに気づいているものは、

“何でもない一体性”だということ。

そしてその両者は二つではなく

それしかない(二番目のない)

存在する唯一の<意識>の

二つの側面だということ。

これは受け入れるしかありません。

受け容れる態度も、

受け容れない態度も、

ともに現象することが許されている

態度のパターンにすぎないわけです。

“分離の幻想”とはひとつの虚偽です。

自分以外の者の存在を前提にしないと

成り立たないのに、

その自分以外の者の存在を

内面から確認することはできません。

他者がいると想像しているだけなのです。

したがって、

他者の内面が知覚されると、

早晩このシステムは崩壊に向かうしかありません。

他者の存在を憶測し合うこのシステムの

寿命やいかに。(*^_^*)

誰が何を感じているのか? (^_-)

というわけで、

今日も運命である恩寵の指図を受けて、

マハラジ最晩年の言葉を

写経させていただきます。

今日は

「一九八〇年一〇月四日」の対話から

写経いたします。

──────────────────
 一九八一年二月一七日
 
 マハラジ
 私はグルでも弟子でもない。
 すべては五大元素の遊びだ。
 肉体は単に生物的な発達、
 植物の成長にすぎないのに、
 私たちはそれに誇りを抱いて
 「私は誰々だ」と主張する。
 しかし、 
 これはただ自然な成長であり、
 植物のようなものなのだ。
 
 質問者 その経験者は永遠ですか?
 
 マハラジ
 もし経験者が永遠だったなら、
 これは何か、あれは何かと探求したり、
 質問したりなどしなかっただろう。
 もし彼が永遠だったなら、
 すでにこの物質世界のすべての知識を
 持っていたことだろう。
 
 質問者 どうしたら私たちは自分の道を
     見つけることができますか?
 
 マハラジ
 真我を悟りたいという衝動が非常に強烈なら、
 あなたの衝動と意識が
 正しいコースへ導いてくれることだろう。
 
 『意識に先立って』(p244-245)
──────────────────

> マハラジ
> 私はグルでも弟子でもない。

私の居処は現象の中にはない。

> すべては五大元素の遊びだ。

グルとか弟子とか

そういった形と名前のすべては

現象宇宙を構成する五大元素の戯れだ。

> 肉体は単に生物的な発達、
> 植物の成長にすぎないのに、
> 私たちはそれに誇りを抱いて
> 「私は誰々だ」と主張する。

肉体は植物の成長衰退のような

生物的発達崩壊の一過程にすぎないのに

私たちはそれがあたかも

自分の達成でもあるかのように

「私は誰々だ」と主張する。

> しかし、
> これはただ自然な成長であり、
> 植物のようなものなのだ。

だがそれは、

ただの自然過程の一部、

植物の成長のようなものだ。

> 質問者 その経験者は永遠ですか?

では、

それを経験している者が

永遠なのですか?

> マハラジ
> もし経験者が永遠だったなら、
> これは何か、あれは何かと探求したり、
> 質問したりなどしなかっただろう。

もし永遠が経験者だったのなら、

あれこれ質問したり、

現象の中で戸惑って

自己探求したりはしなかっただろう。

> もし彼が永遠だったなら、
> すでにこの物質世界のすべての知識を
> 持っていたことだろう。

もし経験者が永遠の存在だったら

永遠の中に現れる

つかの間の現象の表現を担当する

物質世界のすべての知識を

最初からもっていたことだろう。

> 質問者 どうしたら私たちは自分の道を
>     見つけることができますか?

私たちはどうすれば

自分の道を見つけられるのですか?

> マハラジ
> 真我を悟りたいという衝動が非常に強烈なら、
> あなたの衝動と意識が
> 正しいコースへ導いてくれることだろう。

あなたが自分だと思っている現れに

真我を悟りたい衝動が

非常に強烈に現れているのなら、

その衝動と意識自体が

正しいコースへと流れ込むことだろう。

それを妨げることができる

あなたが存在するわけではないのだから。

──────────────────
 質問者 
 時々私が何かを理解したとき、何かが起きます。
 緊張したり、頭や首が震え始めたりするのです。
 ときには頭の中で雑音が続きます。
 私にはそれが理解できません。
 それを無視するべきでしょうか? 
 それとも何をしたらいいのでしょうか?
 
 マハラジ
 ただ無視しなさい。
 しかし、
 それらは良い兆候だ。
 
 質問者 肉体的病気も時々あります。
 
 マハラジ
 それは病気ではなく、
 五大元素の肉体の表現だ。
 
 質問者 
 人はナマ・マントラを通じて覚醒することが
 できますか?
 
 マハラジ
 非常にたくさんの賢者たちが、
 ナマ・マントラを通じて
 最高の状態の中へ成長した。
 あなたが何を暗唱するにしろ、
 マインド以前のあなたと融合するべきだ。
 
 質問者 グルがパワーとエネルギーを与えてくれる
     と話す人々もいます。
 
 マハラジ
 それも可能だ。
 私はただ自分の真我だけに没頭した。
 
 質問者 トランス(忘我状態)、ビジョン、サマー
     ディ、マハラジはこういったすべてのことを
     経験されましたか?
 
 マハラジ
 色々な経験があったが、
 私はこういった経験を何も受け取らなかった。
 
 『意識に先立って』(p246-247)
──────────────────

> 質問者 
> 時々私が何かを理解したとき、何かが起きます。
> 緊張したり、頭や首が震え始めたりするのです。
> ときには頭の中で雑音が続きます。
> 私にはそれが理解できません。
> それを無視するべきでしょうか? 
> それとも何をしたらいいのでしょうか?

(霊媒体質の方なのでしょうか?

 こういうタイプの方もいるのでしょうね。)

> マハラジ
> ただ無視しなさい。
> しかし、
> それらは良い兆候だ。

問題にするには及ばないが、

それは良い兆候だ。

> 質問者 肉体的病気も時々あります。

身体が不調になることもあります。

> マハラジ
> それは病気ではなく、
> 五大元素の肉体の表現だ。

それは病気ではない。

あなたの肉体に表現されている

五大元素の肉体的調整だ。

> 質問者 
> 人はナマ・マントラを通じて覚醒することが
> できますか?

(本書の最後にある用語解説には、

 【ナマルパ Namarupa
 :名前(nama)と形(rupa)。世界の特質】
 
 【マントラ Mantra
 :聖なる音節や言葉の組み合わせ。真言。呪】
 
 とあります。
 
 ナマ・マントラとは、
 
 称名(唱名)のことなんでしょうね。)

> マハラジ
> 非常にたくさんの賢者たちが、
> ナマ・マントラを通じて
> 最高の状態の中へ成長した。

そうなんですねぇ。

無知な想念を無視する

非常に強力な方法のひとつなんでしょう。

> あなたが何を暗唱するにしろ、
> マインド以前のあなたと融合するべきだ。

知ったかぶりの思考をひたすら無視する。

そして思考以前の自分に親しむ。

(-||-)

> 質問者 グルがパワーとエネルギーを与えてくれる
>     と話す人々もいます。

(ちょっと遠慮がちな言い方ですね。(*^_^*))

グルがパワーとエネルギーを与えてくれる、

と話す人々もいるようなのですが。

> マハラジ
> それも可能だ。

それもありうることだ。

> 私はただ自分の真我だけに没頭した。

私の場合は、

ひたすら自分の真我だけに没頭した。

> 質問者 トランス(忘我状態)、ビジョン、サマー
>     ディ、マハラジはこういったすべてのことを
>     経験されましたか?

マハラジの場合は、

トランス(忘我状態)とか、

ビジョン(幻視体験)とか、

サマーディ(三昧)とかいったことは

体験されましたか?

> マハラジ
> 色々な経験があったが、
> 私はこういった経験を何も受け取らなかった。

そういうものもあったが、

私はそういう経験はすべて無視した。

強烈ですね。

pariパターンの場合は、

マインドが生み出すすべての体験に

ダボハゼのように食いついたようです。(*-_-*)

まあ、それが

pariパターンのあるがままでした。

──────────────────
 質問者 なぜある人々は経験し、
     他の人たちは経験しないのでしょうか?
 
 マハラジ
 それは一人ひとりの探求者の
 デザインが異なるからだ。
 その探求者の特質で経験に出会うのだ。
 非常にたくさんの
 真我実現した賢者たちが存在してきたが、
 一人ひとりの経験が異なるのは特質が違うからだ。
 ラーマとクリシュナの経験は異なっていた。
 どんな賢者であれ、
 経験は捨てるものだ。
 彼は経験と付き合ったりしない。
 彼はそれに執着もしなければ、
 再び引き起こそうともしない 。
 
 『意識に先立って』(p248)
──────────────────

> 質問者 なぜある人々は経験し、
>     他の人たちは経験しないのでしょうか?

なぜ経験する人たちや

経験しない人たちがいるのでしょうか?

(ふ。

 気持ちはわかりますけど。
 
 そういう問のエネルギーもまた
 
 あるがままですよね。
 
 宇宙が表現している……。)

> マハラジ
> それは一人ひとりの探求者の
> デザインが異なるからだ。

探求者一人ひとりが、

担っている条件が異なり、

それに応じて運命も恩寵も異なるからだ。

> その探求者の特質で経験に出会うのだ。

それぞれの探求者(の身体)が担っている

特質に見合った経験に出会う。

> 非常にたくさんの
> 真我実現した賢者たちが存在してきたが、
> 一人ひとりの経験が異なるのは
> 特質が違うからだ。

非常に多くの探求者たちが

自分の最奥の実体を実現したが、

それぞれ体験の仕方も異なれば、

またそれぞれ真我に導く表現も異なる。

それはそれぞれの探求者が担う

特質が異なるからだ。

> ラーマとクリシュナの経験は異なっていた。

クリシュナの弟子のラーマも

師のクリシュナと同じ体験をしたわけではない。

> どんな賢者であれ、
> 経験は捨てるものだ。

いかなる賢者であれ、

個々の条件に応じる個々の体験に

特別の意味がないことを知っている。

個別の体験にこだわる賢者はいない。

> 彼は経験と付き合ったりしない。
> 彼はそれに執着もしなければ、
> 再び引き起こそうともしない 。

覚者は個別の体験に

付き合ったりはしないものだ。

個々の体験を

ありがたがることもなければ、

執着することもない。

ましてや再び引き起こそうともしない。


(-||-)

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 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
──────────────────

(-||-)

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 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


   ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓にあります。
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ご自由にお書きください。


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■ 2.編集後記:
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日が暮れるのが早くなりましたが、

今日はまだ明るいようです。

それではまた。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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二つの配信スタンドで発行されています。
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