home > 通信 >『アセンション館通信』第754号:たとえ知的理解だけだとしても



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2018/09/30(第754号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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 ☆☆   ☆☆   https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している夢の場面の報告です。

わたしは存在している。身体は現れてはいるが存在してはいない。
欲望や期待や喜びは、現れはするが存在してはいない。
心配や恐怖や悲しみは、現れはするが存在してはいない。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在828名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.たとえ知的理解だけだとしても

2.編集後記
──────────────────

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■ 1.たとえ知的理解だけだとしても
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雨模様ですね。

サンデッキが濡れている程度で

雨が降っている感じもない。

視界の上半分は

青空は見えないものの、

あまり暗い感じでもありません。

コスモスの季節ですね。

背丈がとても高い。

もっとも他の草もだいぶ伸びているけれど。

とはいえ台風が近づいているようで。

配信される明日(の今)は

台風がきているのでしょうか。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、

お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

考えてみると、

かなり贅沢な趣味とも言えますよね。

何の役にも立たないことを

これほど長く書きつづけているとは。(^^;)

もっとも

夢見られた登場人物にすぎない身分で

それ以外のことができたはずもありません。

いずれにせよ

もし「わたし」が顕現に関連する意味なら

それは現象世界全体が展開するための

機能の一部として生成されていることに

何の疑いもありません。

またもし「わたし」が非顕現の意味なら、

「私は在る」だけ知っていれば、

それ以上のことは特にない。

このごろやっと、

──────────────────
 あなたの幸福への探求自体が、
 あなたを惨めに感じさせているのが
 わからないだろうか?
 
 『私は在る』(p258)
──────────────────

という言葉が浸透してきました。

遅いですよねぇ。(*-_-*)

この言葉はけっこう好きらしく、

これまで二十数回引用しているようです。

つまり、

いかにも理解しているように

見せびらかすことで、

実際に理解が浸透するのを妨害する

わたしの常套手段です。

といっても、

そういうことをしているわたしという実体が

存在するわけじゃありませんが。

まあ、

こういう知ったかぶりのメルマガを書く

という機能を顕現するために

このpariパターンという肉体精神機構が

誕生させられたわけでしょうね。

そんな精神身体機構は

まず“知ったかぶり”をしたいという

止むに止まれぬ特性を

埋め込まれていることでしょう。

実際には理解していないのに

いかにも理解しているかのように

吹聴したいという欲望を持たされている。

そうでなかったら、

二十数回も引用してから、

「やっとわかってきた」なんて

普通言えます?

普通は言えませんよね。(^_-)

でも、

この登場人物の役割は、

自分がまだ理解してもいない観念を、

いかにも理解しているかのように

二十回以上も吹聴する

という役割を果たすことなのです。

ならば

そういう特殊能力を

もっていなければならない。

だから

pariパターンは

そういう能力を持たされて

誕生してきているわけです。

それだったら、

二十回以上吹聴する道化を演じたら

お前も悟らせてやる

くらいのインセンティブが

ついていてもいいはずですが、(*^_^*)

そうでもないわけです。

だって、

精神身体機構が悟るなどということは

もともとありえないんですから。

精神身体機構というのは

意識内容の感受・表現機能の実現を

担当補助する単なる手段、

物質的道具にすぎません。

この物質的道具に一体化した意識が

欲望したり、発情したり、

舞い上がったり、落ち込んだり、

右往左往して

一人芝居を演じているわけです。

そしてそれが

つかの間の見かけを反映した

一人芝居だとわかったら、

恥ずかしいやらバカバカしいやら、

最後には消えるしかないわけです。(^_-)

まあ、この、

恥ずかしくもバカバカしい光景を

最後まで見届けましょうか。

この精神身体機構が生きている間は、

この精神身体機構の延命に向けて機能する以外

当面、他に仕事もないわけですから。

それに何と言っても、

他に趣味もないですし。(*^_^*)

というわけで、

今日も運命である恩寵の指図を受けて、

マハラジ最晩年の言葉を

写経させていただきます。

今日は前回の直前部分に当たる

「一九八一年二月三日」の対話から

写経いたします。

──────────────────
 一九八一年二月三日
 
 マハラジ
 私が詳細に説明している知識は、
 人格としての
 あなたのアイデンティティを消滅させ、
 あなたを顕現した知識へと
 変革することだろう。
 意識である顕現した知識は、
 自由で条件づけられていないのだ。
 その知識を捉えることも
 放棄することもできないのは、
 あなたが空間よりも
 微妙なその知識だからだ。 
 
 あなたが顕現であるというこの知識は、
 瞑想を通じて開かれなければならない。
 あなたは言葉を聞いて
 それを得ることはできない。
 
 この意識は他のどんな経験以前にも
 あるものではないだろうか?
 そして、
 この意識がその上に起こった
 何かがあるのではないだろうか?
 目覚めた状態、熟睡、存在感、
 これらの
 経験以前に存在していたそれ以外に、
 誰がこれらを経験できるのだろうか?
 
 今あなた方に話しかけているそれは、
 私の原初の状態に
 一時的にやってきた状態で、
 時間に束縛されている。
 それゆえ、
 あなたと私に恐れの感覚はない。
 この変化する状態が
 肉体と一体化したとき初めて、
 恐れがあるのだ。
 
 死の恐れとは、
 すべての機能が
 分離した実体として
 肉体のアイデンティティを受け入れた罰金だ。
 死を恐れるのは誕生だけだ。
 存在と不在は相互関連している二元性であり、
 これは存在感が起こったあとで
 初めて理解された。
 それ以前は不在の感覚も
 存在の感覚もなかったのだ。
 
 『意識に先立って』
 『意識に先立って』(p243-244)
──────────────────

> マハラジ
> 私が詳細に説明している知識は、
> 人格としての
> あなたのアイデンティティを消滅させ、

私がここで詳しく説明していることを

もしあなたが理解するなら、

あなたの個人人格としての

アイデンティティは破壊されるだろう。

(pariパターンに関しても

 人格としてのアイデンティティというか

 個人としてのプライドは、

 破壊されたと言ってもいいです。
 
 この愚かなパターンがわたしです、なんて
 
 自慢にもならないですから。)

> あなたを顕現した知識へと
> 変革することだろう。

個人人格としての自分との

一体化を破壊されたあなたは

顕現した知識となることだろう。

(この部分は実現していません。

 まだ何かマインドの煙幕が

 残っているのでしょう。

 視界明瞭という状態になっていない。)

> 意識である顕現した知識は、
> 自由で条件づけられていないのだ。

顕現した知識としての意識は

自由でどんな条件にも

拘束されていない。

(言うまでもないことですが、

 pariパターンに関しては
 
 もちろん、
 
 自由で条件づけられていない
 
 というふうにはなっていなくて、
 
 記憶を参照し、
 
 覚者の言葉を引用して、
 
 なにかお仕着せをほしがっている
 
 状態です。)

> その知識を捉えることも
> 放棄することもできないのは、
> あなたが空間よりも
> 微妙なその知識だからだ。 

顕現した知識である

意識としての姿を現したあなたが

その知識を捉えることも

放棄することもできないのは、

あなた自身が、

空間よりも微妙な

その知識そのものだからだ。

> あなたが顕現であるというこの知識は、
> 瞑想を通じて開かれなければならない。
> あなたは言葉を聞いて
> それを得ることはできない。

あなたが顕現であるというこの事実は、

外からやって来る言葉を聴いて

手に入るようなものではない。

その事実を確認するには

あなたの手段そのものを洗練するしかない。

あなたの注意が内側を向いて

想念のホコリが沈降して

はじめて自明になる事実だ。

> この意識は他のどんな経験以前にも
> あるものではないだろうか?

経験として湧き上がってくる

どんな想念もはじまる以前から、

それはすでに存在している。

> そして、
> この意識がその上に起こった
> 何かがあるのではないだろうか?

想念や光景といった

何らかの意識内容が顕現するためには、

その想念や光景が湧いてくるための

その前提となる背景のようなものが必要だ。

そうでなければ、

その想念や光景が湧いていると

何が判定・認識するのか?

> 目覚めた状態、熟睡、存在感、
> これらの経験以前に存在していた
> それ以外に、
> 誰がこれらを経験できるのだろうか?

目覚めた状態、熟睡、存在感、

そういった経験が顕現できるためには、

それらの経験が起こる以前から

存在していたもの以外に、

それらの経験が起こったことを

判定・認識できるものなどありえない。

> これらの経験以前に存在していた
> それ以外に、
> 誰がこれらを経験できるのだろうか?

目覚めた状態、

熟睡、

存在感といった経験を

経験として支えることができる

素地がそこにすでに在ったことが

わからないだろうか?

それらの経験が起こる以前から

そこに存在していたもの以外の誰が

それらを体験できるというのだろう?

> 今あなた方に話しかけているそれは、
> 私の原初の状態に
> 一時的にやってきた状態で、
> 時間に束縛されている。

こういう話を聞かされると、

あなた方は

では、

いったい何者がそんなことを言えるのか?

と疑問に思うかもしれない。

今、

あなた方に話しかけているこの状態は、

現象というつかの間の

見かけの世界に介入するために

原初の状態である絶対に

一時的にやってきている状態だ。

そしてそのような状態として、

もちろん、

その状態自体が時間に拘束されている。

> それゆえ、
> あなたと私に恐れの感覚はない。

つまり、

伝えようと揺れている意識状態も、

受け取ろうと揺れている意識状態も、

ともにつかの間の意識状態にすぎず、

伝える側にも受け取る側にも

恐れの感覚はない。

> この変化する状態が
> 肉体と一体化したとき初めて、
> 恐れがあるのだ。

将来の存続を想像した

恐れが生まれるのは、

このつかの間の変化する意識状態が

より長い恒常性をもつかのような

肉体という物質基盤と一体化したときだ。

> 死の恐れとは、
> すべての機能が
> 分離した実体として
> 肉体のアイデンティティを受け入れた罰金だ。

自らの崩壊に対する恐怖は、

意識全体の顕現機能の中で

一時的に起こる個々の想念が

分離した実体として想像された

肉体という抽象概念を、

自分のアイデンティティとして

受け入れたときに発生する。

それはいわば

誤解に対する罰金のようなものだ。

> 死を恐れるのは誕生だけだ。

崩壊に対する恐怖は、

一時的状態である想念が

肉体という分離実体

(として想像された抽象概念)に

自らを帰属させたために起こっている。

想念という

瞬間的に発生しているものが、

一瞬一瞬に起こる自らの発生を

誕生した肉体という

いわば視覚的実体に帰属させたために、

その肉体の崩壊が

あたかもその想念の未来に

関係があるかのごとく想像することが、

“死の恐怖”といわれるものだ。

> 存在と不在は相互関連している二元性であり、
> これは存在感が起こったあとで
> 初めて理解された。

存在と不在というのは、

片方が誕生したために

もう片方も不可避的に引きずり出された、

いわばひとつの想像の裏表だ。

片方は他の片方なしには存在できない。

この相互関連した二元性は、

存在感が起こったあとで

初めて理解されたのだ。

> それ以前は不在の感覚も
> 存在の感覚もなかったのだ。

それ以前は、

存在という感覚もなければ、

不在という感覚もなかったのだ。

──────────────────
 質問者 もし私たちがただ知的に理解しただけで、
     まだ本当には理解していないとしたら
     どうなのでしょうか?
 
 マハラジ
 たとえ知的理解だけだとしても、
 その大きな利点は
 死の恐れに束縛されないだろうということだ。
 誕生はあなたに何も与えてくれなかったので、
 死はあなたから何も奪うことはできない。
 
 世間的には
 このひどい病気をもっているにもかかわらず、
 私はまったく以前と同様に話し続けている。
 それは私には何の影響も与えていない。
 誕生したものだけが消滅するのであれば、
 どうして私が
 影響を受けることがあるだろうか?
 
 あなたは私の話を聞くことができて幸運だ。
 だから、聞きなさい。
 しかし、
 理解しようと努力しないことだ。
 なぜなら、
 あなたの知力だけがそれを理解しようとするが、
 知力はそれに到達しないからだ。
 あなたが聞いたことは
 それ自体の結果をもつだろうから、
 それを妨害しないようにしなさい。
 
 たとえあなたが
 ある種の恐れの感情などをもつとしても、
 それらは肉体とマインドを構成する
 化学的なものにすぎないことを理解しなさい。
 あなたはその一時的状態と何の関係もない。
 
 霊性という名のもとに、
 多くの人が最高の知識を得ようと
 様々な苦行を行っている。
 その知識はどこから、
 何から来るのだろうか?
 彼らは何を得ようとしているのだろうか?
 
 この知識はある──私がある限り。
 
 『意識に先立って』(p244-245)
──────────────────
 
> 質問者 もし私たちがただ知的に理解しただけで、
>     まだ本当には理解していないとしたら
>     どうなのでしょうか?

こういうお話を伺って

もし知的に理解しただけで、

本当には理解していないとしたら

どうなのでしょうか?

(「知的に理解しただけ」……。

 この疑問はいつもつきまといます。

 「知的に理解しただけ」なのも
 
 確かですから。)

> マハラジ
> たとえ知的理解だけだとしても、
> その大きな利点は
> 死の恐れに束縛されないだろうということだ。

たとえ知的に理解しただけだとしても、

死の恐れに束縛されないという

大きな利点は享受できるだろう。

(まったくです。

 死に関して言えば、
 
 避けようとしたからと言って
 
 避けられるものでもないし、
 
 死んで失うものと言えば、
 
 この心配性の自分だけですから。(^_-)
 
 ただ、
 
 この心配する自分がいないだけ。
 
 死んだら誰が何を心配するのでしょう?
 
 それに第一、
 
 頑張って死なないでいられたとしても、
 
 それで得られるのは
 
 この状態だけですから……。(*^_^*) )

> 誕生はあなたに何も与えてくれなかったので、
> 死はあなたから何も奪うことはできない。

誕生以前から存在しているあなたにとって、

誕生以後に起こっていることは

すべてつかの間の場面にすぎない。

それを掴んで手元にとどめておくのが

不可能だとわかっている以上、

あなたは誕生から何ももらっていない。

ならば、

死があなたから何を奪えるとう言うのか?

> 世間的には
> このひどい病気をもっているにもかかわらず、
> 私はまったく以前と同様に話し続けている。

人間としての私は

世間的には肺ガンという病気もちだが、

私はまったくそれに影響されずに

以前と同様に話を続けている。

> それは私には何の影響も与えていない。

肺ガンは肉体を苦しめているのであって、

私には何の影響も与えていない。

> 誕生したものだけが消滅するのであれば、
> どうして私が
> 影響を受けることがあるだろうか?

誕生したものだけが消滅するのだから、

肉体はもちろん崩壊するだろう。

だからといって、

それが私に何の関係があるというのか?

> あなたは私の話を聞くことができて幸運だ。
> だから、聞きなさい。

あなたは私のこんな話が聞けて幸運だ。

だからその幸運を逃さずに、

よく聴きなさい。

> しかし、
> 理解しようと努力しないことだ。

だが、

無理に思考を巡らせて

私の話を理解しようと努力しないことだ。

> なぜなら、
> あなたの知力だけがそれを理解しようとするが、
> 知力はそれに到達しないからだ。

というのも、

あなたは知力でそれを理解しようとしても、

私の話は

知力で掴むことはきないからだ。

> あなたが聞いたことは
> それ自体の結果をもつだろうから、
> それを妨害しないようにしなさい。

あなたがここで聞いたことは

放っておけばそれ自体の仕事をする。

あなたはただ、

それがそれ自体に仕事をするのを

邪魔しないようにしなさい。

> たとえあなたが
> ある種の恐れの感情などをもつとしても、
> それらは肉体とマインドを構成する
> 化学的なものにすぎないことを理解しなさい。

私の話を聞いて、

もしかするとあなたは

ある種の恐れを感じるかもしれない。

だがそれらは、

単に肉体とマインドを構成する

化学的なものにすぎないことを

理解していればそれでいい。

> あなたはその一時的状態と何の関係もない。

いずれにせよ、

あなたはそういった

一時的状態と何の関係もないのだ。

> 霊性という名のもとに、
> 多くの人が最高の知識を得ようと
> 様々な苦行を行っている。

霊的探求という名のもとに

多くの人々が

最高の知識を得ようとして

苦行を含めた様々な努力をしている。

> その知識はどこから、
> 何から来るのだろうか?
> 彼らは何を得ようとしているのだろうか?

だがその知識は

どこから来るのだろうか?

その人たちは、

どこから来る何を得ようというのか?

> この知識はある──私がある限り。

「私は在る」があるかぎり、

この知識が失われることはない。

(-||-)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
──────────────────

(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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『私は在る』の「目次」はここ↓にあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
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「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
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   ………○…………○…………○………


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■ 2.編集後記:
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今日のところは

それほどひどい雨にもなりませんでした。

あなたに届くころには、

雨風も強くなっているのかもしれませんが。

今日はまだ明るいようです。

それではまた。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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二つの配信スタンドで発行されています。
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