━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2018/10/7(第755号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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☆☆ ☆☆ https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している夢の場面の報告です。
わたしは存在している。身体は現れてはいるが存在してはいない。
欲望や期待や喜びは、現れはするが存在してはいない。
心配や恐怖や悲しみは、現れはするが存在してはいない。
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在828名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.自分が何でもないものだと知る
2.編集後記
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■ 1.自分が何でもないものだと知る
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向こうの青空が
大きくなっていくようです。
上の方はまだ雲に覆われていますが。
天気はつねに変わる。
それだけのことですね。
自分好みの天気が来るわけでもなし、
望む自分がいるわけでもなし。
ふ。
(*^_^*)
さて、またまた一週間が過ぎて、
楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、
お付き合いいただく今がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人の pari です。
結局、
われわれがもっている
自分についてのイメージというのは
すべて聞いた話だけなんですね。
──────────────────
あなたはけっして生まれなかったし、
けっして死ぬこともないだろう。
生まれて、
そして死んでいくのは観念であり、
あなたではないのだ。
あなた自身を「私は生まれた」という想念と
同一化することで、
あなたは死をまぬがれない者となる。
映画のなかではすべてが光であるように、
意識が広大な世界となるのだ。
よく見てみなさい。
すべての名前と形は、
意識の大海のはかない波にすぎず、
ただ意識だけが存在するのだ。
『私は在る』(p410)
──────────────────
はじめてマハラジの言葉に出会ったころ、
マハラジのこんな表現は
かけ離れた境涯だと思っていました。
ところがいつの間にか
こういう言葉がすべて
自明のことと感じられるようになっている。
この身体は生まれたものですから、
当然、いつかは死ぬことでしょう。
生まれたものは死ななければなりませんから。
では、
身体が死んだら自分も死ぬのかと言えば、
それは自分という言葉で
何を意味しているのかによるでしょう。
じゃ、自分って何?
ってことですよね。
熟睡しているあいだ
自分がいないのは確かなので、
自分というのは
目覚めている間に起こってくる
想念であることは間違いないでしょうね。
そして、
どんな想念が起こるかは、
どんな想念が引き寄せられてくるのか?
あるいは
どんな想念が配達されてくるのか?
ということでしょう。
その場合、
もし引き寄せている自分がいる
と考えるのなら、
習慣となった強い信念、
思い込みが自分だということになる。
しかしそのような強い信念を
選択できた実体など存在しないと思うなら、
そもそもすべては
自然現象の一部だということになる。
そのいずれの場合も、
「自分」というのは「思い込み」のことらしい
ということになります。
でも、
そう思われてきた段階で、
いったい自分などという分離独立した実体が
存在できるものだろうか?
という感じがしてくることは間違いない。
いや、それは無理でしょう。
まず自分の【現象面】にかぎって考えてみます。
現象というのは、
その現象に気づいているものの存在、
つまりその現象の背景なしには
起こりえないことは間違いない。
ということは、
現象というのは
一面では対象物であり、
もう一面では
その対象物に気づいている背景です。
あえて言うなら、
現象という概念には
仮想時空間内の特定の点の集合、
つまり表現の定義集合という面と同時に、
その定義集合の背景であり
かつその現象に気づいているものという
両面が含まれていることになります。
こういう描写はすべて、
本来不可分の<ひとつのもの>を
あえて分別し分割した結果生まれた
抽象概念でしょう。
自分の現象面については
そういうことが言えるでしょうね。
では、
自分の【継続性】はどこにあるのか?
すべてがつかの間の仮の姿である
現象そのもののなかには
どんな【継続性】も見つからないでしょう。
ならば、
現象に気づいているもの、
現象の背景には【継続性】はあるのか?
現象の背景は不動です。
永遠ではあるかもしれないが、
変化を前提とする【継続性】を
そこに想定することはできない。
【継続性】とは
“変化の中にあって一貫しているもの”
という虚構の概念なのです。
つまり、
そんなものは存在しないということです。
つかの間の変化の相である
ある“見かけ”に同一化した意識が
想像上の“自分”の延命を願って
現象の中に投影したのが
「自分」という虚構なんでしょうね。
その「自分」という虚構の根拠にあるのが
「私は在る」という存在感の
「私は愛する」という特性なのでしょう。
自分というのは
本来不可分の<ひとつのもの>を
あえて分別し分割した結果生まれた
虚構の抽象概念だということです。
じゃあ、
分別し分割しなければどうなるのか?
何でもないものが
何かになっているだけです。
自分は何かだという
思い込みにエネルギーを投入すれば、
その自分は運命に操られ
現象の中で幸福になったり
不幸になったりする。
自分は何でもないものだ
という事実に安定すれば、
不安や心配に煩わされることはない。
いずれにせよ、
そのどちらかを選択できるような
実体は存在しないわけです。
──────────────────
生まれたものは死なねばならない。
生まれなかったものは
死ぬことはできないのだ。
すべては彼が彼自身を
何であると見なしているかによるのだ。
『私は在る』(p289)
──────────────────
ごく当たり前のことを
マハラジは言っていたのですね。
そして意識は
自動運転する創造宇宙として
新たな身体を誕生させて
飽きることがないのです。
まだpariパターンという
有形のアイデンティティがあって、
それが完全崩壊してはいません。
だから一週間に一度
こんなわかったような言葉を連ねながらも、
自分は何でもないものだという事実に
確固として安定してはいない。
一瞬一瞬に湧いてくる想念を
一瞬一瞬に切り離してはいない。
ただ、それが自分だという
確信もまたないのです。
そんなつかの間の風景が流れています。
というわけで、
今日も運命である恩寵の指図のもとに、
マハラジ最晩年の言葉を
写経させていただきます。
今回は
「一九八一年一月六日」の対話から
写経いたします。
──────────────────
一九八一年一月六日
質問者 死後、私は他の人たちが光に到達
するのを助けることができますか?
マハラジ
死んだあと、
あなたは自分が存在していることを
覚えていないことだろう。
あなたは死とは何かを知らなければならない。
あなたは死後の存在について話しているが、
何かの過去世を覚えているのだろうか?
質問者 前回の人生で、私はある島にいて
他の人々を助けていました。
マハラジ
あなたはその時の
自分の両親を覚えているのかね?
質問者 いいえ。
マハラジ
あなたがそこで生まれたという
証拠は何だろうか?
質問者 わかりません。
マハラジ
こういったことは、
ただあなたに起こった想像、幻想、
概念にすぎない。
もし死ぬときに意識が
非常に力強い概念を楽しめば、
意識はその特別な概念を創造することができる。
死ぬとき、
その人が別の場所での人生を想像するとしたら、
意識は似たような状況を創造することだろう。
しかし、
意識の領域は永遠ではない。
意識は偽物だ。
こういったすべてのことは意識の領域の幻想だ。
『意識に先立って』(p218-210)
──────────────────
> 質問者 死後、私は他の人たちが光に到達するのを
> 助けることができますか?
(たとえ現在の夢の中で
そんなことを思っていないとしても、
必ずこんなことを
思ったことがあるに違いありません。
現にこの方が
今こう質問しているのだから……。)
> マハラジ
> 死んだあと、
> あなたは自分が存在していることを
> 覚えていないことだろう。
あなたの身体が崩壊したあと、
その崩壊した身体を根拠に
想念が起こることはありえない。
(ありがたいことです。)
> あなたは死とは何かを知らなければならない。
死後の心配をする前に、
あなたはまず
死という言葉が何を意味するのかを
知ったほうがいい。
> あなたは死後の存在について話しているが、
> 何かの過去世を覚えているのだろうか?
あなたは身体の崩壊後の
自分の存在について話しているが、
何か過去世ようなものを記憶しているのかね?
> 質問者 前回の人生で、私はある島にいて
> 他の人々を助けていました。
(こういう方は多くいます。
そういう想念もまた
意識(創造宇宙)の一部ですよね。)
> マハラジ
> あなたはその時の
> 自分の両親を覚えているのかね?
あなたはそのとき
あなたの誕生を確認してくれた
両親の記憶を持っているのだろうか?
> 質問者 いいえ。
いいえ、両親の記憶はありません。
> マハラジ
> あなたがそこで生まれたという
> 証拠は何だろうか?
では、
あなたがそこで生まれたという
何かの証拠をもっているのかね?
> 質問者 わかりません。
わかりません。(*-_-*)
> マハラジ
> こういったことは、
> ただあなたに起こった想像、幻想、
> 概念にすぎない。
過去世などというものは
ただあなたに起こった想像なのだ。
何の根拠もない幻想、
概念にすぎない。
> もし死ぬときに意識が
> 非常に力強い概念を楽しめば、
> 意識はその特別な概念を創造することができる。
ひとつの身体が崩壊するとき、
その身体を根拠に
ある魅力的概念への強烈な欲望が発現していれば
その欲望は特別誂えの概念を創造できる。
> 死ぬとき、
> その人が別の場所での人生を想像するとしたら、
> 意識は似たような状況を創造することだろう。
身体が崩壊するとき、
その身体を根拠に発現していた執着が
別の場所での人生を想像していたなら、
意識はそれに似た状況を創造するだろう。
> しかし、
> 意識の領域は永遠ではない。
しかし、
それにもかかわらず、
意識の領域は永遠のものではないのだ。
その執着も変化を避けることはできず、
やがては解体することになる。
> 意識は偽物だ。
永遠のものではないという意味では、
意識はつかの間の幻像、
偽物だと言わなければならない。
> こういったすべてのことは意識の領域の幻想だ。
過去世とかそういったすべてのことは、
現象にかかわる意識の領域の幻想なのだ。
──────────────────
質問者 意識は常に顕現するのですね?
マハラジ
一欠片の空間が手に入るときだけ、
意識はそこにあることだろう。
質問者 このことを理解するために、
隠遁することは役に立ちますか?
マハラジ
そのとおりだ。
質問者 日常生活をやめるということでしょうか?
マハラジ
そういうことではない。
あなたは自分の家庭生活をやめる必要はない。
質問者 では、どんな種類の隠遁でしょうか?
マハラジ
こういった
大勢の人たちの間にいるときでさえも、
単独でいなさい。
自分自身の真我の中に留まっていなさい。
注意を自分の真我に集中しなさい。
『意識に先立って』(p220-221)
──────────────────
> 質問者 意識は常に顕現するのですね?
意識というのは、
つねに顕現しているものなのですか?
> マハラジ
> 一欠片の空間が手に入るときだけ、
> 意識はそこにあることだろう。
肉体の誕生によって
そこに「私は在る」が生まれたら、
その存在感は自己表現の空間を展開する。
意識はその空間を使って自らを表現する。
> 質問者 このことを理解するために、
> 隠遁することは役に立ちますか?
私にはそういう哲学的お話は
自分とはかけ離れている気がするのですが、
そういうことを理解するには
隠遁することが役に立つのでしょうか?
> マハラジ
> そのとおりだ。
役立つだろう。
> 質問者 日常生活をやめるということでしょうか?
そのためには、
普通の生活社の日常をやめなければなりませんか?
> マハラジ
> そういうことではない。
> あなたは自分の家庭生活をやめる必要はない。
いや、そうではない。
普通の家庭生活をやめる必要はない。
> 質問者 では、どんな種類の隠遁でしょうか?
というと、
その隠遁とはどのような意味ですか?
> マハラジ
> こういった
> 大勢の人たちの間にいるときでさえも、
> 単独でいなさい。
それは、
いつでも現象からは距離をもって
独りでいなさいという意味だ。
たとえば、
このような大勢の中にいるときも
その大勢の空間から隠遁して
独りの空間の中にいなさい。
> 自分自身の真我の中に留まっていなさい。
あなたの真我の中に留まっているといい。
> 注意を自分の真我に集中しなさい。
あなたの真我に
注意を集中していなさい。
──────────────────
質問者 知的に理解することなく、
ただ帰依するだけでは駄目ですか?
マハラジ
もしあなたがそのように帰依すれば、
知識がその中から花開くことだろう。
人は帰依から神に出会うと言われるのは、
それは人格神にではなく、
その帰依者自身が知識の中へ、
深遠さの中へ花開くということだ。
彼が神々しくなるのだ。
その神は、
その帰依者が自分自身を知るかぎり、
そこにいることだろう。
そして、
その帰依者が
何でもないものの中に静まるとき、
神もまた何でもないものの中へ静まるのだ。
最終的な分析では、
あなたのバランスシートは無である
という結論に到達しなければならない。
肉体の中で消化された食物の本質から、
「私はあるという性質」が生まれる。
現在のあなたの姿は
この食物という材料の結果だ。
もし食物がなければ、
あなたはどこにいるのだろうか?
自分が何かの行為者であるなどと
間違って主張しないようにしなさい。
──すべてはただ起こっているだけだ。
もしあなたが存在しなければ、
神を含めた
こういったすべての修行の必要性が
どこにあるというのだろうか?
たとえこのことを完全に確信したとしても、
あなたは何でもないものに帰すのだ。
それにもかかわらず、
あなたは臨終のときに
生き延びるための
最後の薬の一滴を飲むことだろう。
本当の解放とは、
自分が何でもないものだと知ることだ。
あなた自身も含めて、
あなたのすべての知識は精算される。
そのときあなたは解放されるのだ。
もしあなたが、
自分が何か偉大な行為をしたと考え、
それから天国へ行くことを計画しているなら
概念に取り憑かれているのであり、
解放されていない。
この知識はグルに帰依する人向きだ。
そういう人だけが
この知識を受け取るにふさわしい。
質問者 私たちは長年こういうお話を聞い
ていますが、決して飽きることが
ありません。
マハラジ
これを繰り返し何度も何度も聞くことには、
そういった魅力がある。
あなたは言葉を集めて蓄積しているのではなく、
言葉の衝撃を得て、
それからそれらを手放しているのだ。
『意識に先立って』(p221-222)
──────────────────
> 質問者 知的に理解することなく、
> ただ帰依するだけでは駄目ですか?
私はどうも知的な理解が苦手なのですが、
知的に理解できなくても、
ただ帰依するだけでは駄目でしょうか?
> マハラジ
> もしあなたがそのように帰依すれば、
> 知識がその中から花開くことだろう。
もしあなたが
そのように帰依することができるなら、
その帰依の中で知恵が花開くことだろう。
> 人は帰依から神に出会うと言われるのは、
> それは人格神にではなく、
> その帰依者自身が知識の中へ、
> 深遠さの中へ花開くということだ。
昔から、
真の帰依の中で
神との出会いが起こると言われるのは、
その帰依の中で
あなたが神なる存在に出会う
という意味ではない。
あなたが真に帰依の中に没入したとき、
その帰依する者自身が神性の知識の中へ、
その深遠さのなかに花開くという意味だ。
> 彼が神々しくなるのだ。
あなたが真に帰依したとき、
あなたが神性に溶け入るという意味だ。
> その神は、
> その帰依者が自分自身を知るかぎり、
> そこにいることだろう。
あなたが溶け入ったその神性は、
そこに帰依者がいるかぎりは、
そこに在ることだろう。
> そして、
> その帰依者が
> 何でもないものの中に静まるとき、
> 神もまた何でもないものの中へ静まるのだ。
そして、
その帰依者自身が
何でもないものとして溶解するなら、
その神性もまた
何でもないものとして静まることだろう。
> 最終的な分析では、
> あなたのバランスシートは無である
> という結論に到達しなければならない。
結局のところは、
あなたの収支決算はただの無に他ならない
という理解に到達しなければならない。
> 肉体の中で消化された食物の本質から、
> 「私はあるという性質」が生まれる。
自己愛の根拠である
「私は在る」という性質は、
肉体の中で消化された、
食物の本質から生まれている。
> 現在のあなたの姿は
> この食物という材料の結果だ。
現在あなたが自分と考えている姿は、
あなたが食べた食物という
材料から構成されている。
> もし食物がなければ、
> あなたはどこにいるのだろうか?
もしあなたが食物を食べていなければ、
あなたのその姿は現象できるだろうか?
> 自分が何かの行為者であるなどと
> 間違って主張しないようにしなさい。
自分が現象から分離独立した
行為者という実体であるかのような
幻想には陥らないほうがいい。
> ──すべてはただ起こっているだけだ。
肉体が食物を食べることも、
その食物が消化吸収されて
あなたの姿を維持していることも、
すべてはただ自然現象の一部として
起こっているにすぎない。
> もしあなたが存在しなければ、
> 神を含めた
> こういったすべての修行の必要性が
> どこにあるというのだろうか?
自然現象の一部として織り込まれた
身体現象は現れているにしても、
それをコントロールできる
どんな分離独立した実体も
存在しないことが明らかである以上、
究極の救済を保証する神を暗示する
神の救済を求める修行といったものの
必要性がどこにあるだろうか?
> たとえこのことを完全に確信したとしても、
> あなたは何でもないものに帰すのだ。
たとえあなたが
私の言葉を完全に確信したとしても、
それでもやっぱり、
あなたは無に帰すしかないのだ。
> それにもかかわらず、
> あなたは臨終のときに
> 生き延びるための
> 最後の薬の一滴を飲むことだろう。
そしてそうであるにもかかわらず、
あなたはやっぱり、
死に臨んで延命のための
最後の薬の一滴を飲むことだろう。
> 本当の解放とは、
> 自分が何でもないものだと知ることだ。
あなたが手にすることができる
本当の解放とは、
自分が「何でもないもの」だと理解することだ。
「何でもないもの」が
「あなた」になっているだけなのだ。
> あなた自身も含めて、
> あなたのすべての知識は精算される。
あなたの身体も、
その身体を自分だと思っていた思い込みも、
あなたの肉体を根拠に起こっていた
すべての知識は精算され、
無に帰すことになる。
> そのときあなたは解放されるのだ。
そのときはじめて、
あなたの自分という思い込みは
あなたという幻想の実体から解放される。
> もしあなたが、
> 自分が何か偉大な行為をしたと考え、
> それから天国へ行くことを計画しているなら
> 概念に取り憑かれているのであり、
> 解放されていない。
もし、
自分が何か偉大な行為をしたと考え、
それから天国へ行くことを計画している
何らかの意識体があるとするなら、
そこには何か
まだ未解消の
何らかの概念に取り憑かれた、
想像、幻想、思い込み、
執着、欲望といった状態が起こっていて、
解放を求めていることだろう。
> この知識はグルに帰依する人向きだ。
> そういう人だけが
> この知識を受け取るにふさわしい。
こういう知識は、
グルに帰依する人に向いている。
そういう人しか
この知識を受け取ろうとはしないだろう。
> 質問者 私たちは長年こういうお話を聞い
> ていますが、決して飽きることが
> ありません。
長年こういうお話を聞いているのですが、
何度聞いても
理解はできないのですが、
同時に
聞き飽きるということもないのです。
> マハラジ
> これを繰り返し何度も何度も聞くことには、
> そういった魅力がある。
たしかに、
こういう話を何度も何度も聞くことには、
それに向く人にとっては
それなりの魅力があるものだ。
> あなたは言葉を集めて蓄積しているのではなく、
> 言葉の衝撃を得て、
> それからそれらを手放しているのだ。
そういう場合、
あなたは言葉を収集しているのではなく、
その言葉を聞いて、
ショックを味わっては、
またそれらの言葉を手放しているのだ。
それもまた
現象宇宙が投影している
自然現象の一部だ。
(-||-)
──────────────────
あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
──────────────────
(-||-)
──────────────────
永久的なもの、
それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
──────────────────
……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
………○…………○…………○………
『私は在る』の「目次」はここ↓にあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html
「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/
「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/
『アセ通』既刊号はすべてここにあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/
………○…………○…………○………
▼『アセ通』へのご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
「私は在る」に関するご意見や単なるメールなど、
ご自由にお書きください。
………○…………○…………○………
▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518
………○…………○…………○………
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■ 2.編集後記:
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たいぶ青空の部分が
大きくなったようです。
といってもまだまだ
雲の部分が多いですけど。
今日は明るいうちに終えました。
それではまた。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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二つの配信スタンドで発行されています。
mag2:http://www.mag2.com/m/0000126287.html
melma:http://www.melma.com/backnumber_110091/
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