━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2018/12/02(第763号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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☆☆ ☆☆ https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している夢の場面の報告です。
どの観念もあなた自身のものではないということを認識しなさい。
それらはみな、外側からあなたにやってくるのだ。
あなたは全力をあげて考えなければならない。(『私は在る』)
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在823名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.どんな空腹も願望もない状態へ
2.編集後記
──────────────────
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■ 1.どんな空腹も願望もない状態へ
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今日はまた素晴らしい天気ですね。
夢の中の風景とその中の幸不幸は
夢見られた登場人物の観点からしか
いかなる意味もありません。
そんなことは百も承知、
千も合点といいながら、
しかもなお
夢の通ひ路 人目よくらむ
とさまよい続けている人がいます。
誰のこっちゃか。(^_-)
(*^_^*)
さて、またまた一週間が過ぎて、
楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、
お付き合いいただく今がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人の pari です。
マハラジの観点は
最初から明らかです。
──────────────────
本当にあなた自身のものを意識することはない。
あなたが意識していることは、
あなたでもなければ、
あなたのものでもない。
あなたのものとは知覚の力であり、
あなたが知覚しているものではない。
意識を人の全体像として見なすのは間違いだ。
人は無意識であり、意識であり、超意識だ。
だが、あなたは人ではないのだ。
あなたのものとは映画のスクリーン、
光、そして見る力だ。
だが、映像はあなたではない。
『私は在る』(p463)
──────────────────
> 本当にあなた自身のものを意識することはない。
このことは論理的に納得できます。
(絶対的確信が足りないだけで。)
> あなたが意識していることは、
> あなたでもなければ、
> あなたのものでもない。
わたしが何を意識していようと、
それはわたしではない。
これが腑に落ちれば
いいだけなのですが……。(-_-;)
> あなたのものとは知覚の力であり、
> あなたが知覚しているものではない。
わたしは知覚の力を避けることはできない。
それにもかかわらず、
わたしは知覚しているものを
無視しなければならない。
To know or not to know that is the question,
> 意識を人の全体像として見なすのは間違いだ。
知る者、知られるもの、知ることを
人の全体像として見なすのは間違いだ。
> 人は無意識であり、意識であり、超意識だ。
人間は身体であり、想念であり、宇宙意識だ。
> だが、あなたは人ではないのだ。
だがあなたは人間ではないのだ。
(言葉で語るには、
代名詞は一瞬一瞬
その意味を転じなければならないようです。)
> あなたのものとは映画のスクリーン、
> 光、そして見る力だ。
> だが、映像はあなたではない。
あなたのものとは、
非顕現という不動の常在であり、
顕現を照らし出す光であり、
その顕現を知覚する力だ。
だが、
そこで照らし出される映像を
あなたが制御することはできない。
なぜなら、
その映像は幻想の中の誤解によって
創造されるしかないからだ。
とはいえ、
こんな言葉を操れるからと言って、
顕現が生み出す幻像から
自由だということではありません。
『アシュターヴァクラ・ギーター』に
こんな一節があります。
──────────────────
3 智慧
1
あなたは真我が本来ひとつで
限りないものだと
知っている
あなたは真我を知り
それゆえ、安らかなのだ
それなのに、なぜまだ富を望むのか?
2
無知ゆえに
あなたが真珠貝の中に銀を見るとき
強欲が湧き起こる
真我に無知なために
感覚が渦巻く世界にたいして
欲望が湧き起こる
3
大海の波のように
その中で世界が湧き起こっては静まりかえるそれ
それがあなた自身だと知りながら
なぜみじめにうろつきまわるのか
4
聞かなかったのだろうか?
あなたは純粋な気づきだ
あなたは純粋な奇跡だ
しかもあなたの美しさには限りがない
それなのに。なぜ煩悩に身を焦がすのか?
『Ashtavakra Gita』(p054-055)
──────────────────
> あなたは真我が本来ひとつで
> 限りないものだと
> 知っている
>
> あなたは真我を知り
> それゆえ、安らかなのだ
>
> それなのに、なぜまだ富を望むのか?
(>_<)
それは、
幻影の中での幸福を
今もなお追い求めているからです。
でも、
現象とは絶えざる変化です。
そこには変化する【見かけ】しかありえません。
その変化する【見かけ】の中に
常在の影である安全を求めるのは、
もともと不可能な夢なのです。
エゴとは
現象宇宙構造体の中での機能を果たすべく
その不可能な夢を追求するように
プログラムされた道具にすぎません。
エゴがそうするのはかまいません。
それが仕事ですから。
しかし、
なぜあなたまでが
そのエゴの役割に同一化する必要がある?
あなたはいつでも知っている。
真実の安らぎは常に在ることを。
あらゆる瞬間の中に。
求めないことの中に。
無思考の中に。
> 無知ゆえに
> あなたが真珠貝の中に銀を見るとき
> 強欲が湧き起こる
にもかかわらず、
あなたに強欲が湧き起こるのは、
あなたがいまだに
変化する【見かけ】のなかに
安全と幸福を追い求めているからです。
それはいまだに【見かけ】が真実だと
愚かにも信じているからなのです。
> 真我に無知なために
> 感覚が渦巻く世界にたいして
> 欲望が湧き起こる
感覚という詐欺師の業が渦巻く世界で
それほどまでも翻弄されるのは、
あなたが真我に無知だからです。
もちろん、
エゴという魔法の眼鏡が取り除かれ、
「あるがまま」が現前するのは、
恩寵によるしかありえません。
エゴという思考によって、
その現前を引き寄せることはできない。
だが、
あなたは今のこの瞬間にも、
できることなど何もないことを理解して、
ギブアップすることはできる。
もしそれができないのなら、
この世という夢の中で、
安全と豊かさを追い求めるしかありません。
誰もそれを引き止めてはくれない。
> 大海の波のように
> その中で世界が湧き起こっては静まりかえるそれ
> それがあなた自身だと知りながら
> なぜみじめにうろつきまわるのか
(/_;)
なぜみじめさを
そんなに後生大事に護ろうとするのか?
なぜただの聞いた噂を、
それほど自分のことだと真に受けるのか?
あなたが受け容れなければ、
何ひとつ現前できないというのに。
> 聞かなかったのだろうか?
>
> あなたは純粋な気づきだ
>
> あなたは純粋な奇跡だ
> しかもあなたの美しさには限りがない
>
> それなのに。なぜ煩悩に身を焦がすのか?
(T_T)
これまであなたは
聞いたことがないのだろうか?
ただあなただけが在るのだということを。
あなた美しさには限りがなく
すべての光輝はただ
あなたを飾るためにあるだけだというのに。
ああそれなのに、
なんと不思議なことか!
あなたは幻像の中、
言葉が作り出す物語の中、
つかの間の【見かけ】のなかに、
幸福を求め、
おのれの安全の足場を求める……。
──────────────────
ひとたびあなたの想像以外は
何も困難をもたらすことができない、と
絶対の確信を持って知るなら、
あなたは欲望や恐れ、
概念や見解に注意を払わず、
真実とともにのみ生きるだろう。
『私は在る』(p131)
──────────────────
わたしの想像以外は
何一つ困難をもたらすことができない。(-_-;)
(*^_^*)
これだけのことが革新できないために、
こうして
今日も運命である恩寵の指図のもとに、
マハラジ最晩年の言葉を
写経させていただきます。(-||-)
今回は
「一九八七年一二月九日」の対話から
写経いたします。
──────────────────
一九八〇年一二月二八日
マハラジ
あなたのあらゆる概念で、
全体や究極を理解することができるだろうか?
あなたは知識そのものが無知であることを
理解しただろうか?
もしそれが現実であるとすれば、
それは永遠にそこにあったことだろう。
それは、
始まりも終わりもなかったことだろう。
今、
「私は在る」という経験が感じられているが、
以前にその経験は存在しなかった。
それが存在しなかったときには、
どんな証明も要求されなかったが、
いったんそれが存在すると、
多くの証明が要求される。
『意識に先立って』(p190-191)
──────────────────
> あなたのあらゆる概念で、
> 全体や究極を理解することができるだろうか?
あなたは言葉が紡ぎ出す概念で
全体や究極を理解できると、
本気で信じているのだろうか?
> あなたは知識そのものが無知であることを
> 理解しただろうか?
あなたは
絶対の表現である顕現が姿を現すには、
本来ひとつであるものを、
対立した二極に分裂する以外に
方法がないことを理解しただろうか?
言葉とはその分裂を捏造するための手段だ。
その言葉が紡ぎ出すあらゆる観念が
無知以外の何物でもありえないことを、
あなたは理解しただろうか?
> もしそれが現実であるとすれば、
> それは永遠にそこにあったことだろう。
> それは、
> 始まりも終わりもなかったことだろう。
言葉が紡ぎ出した知識が、
もし実在であるというのなら、
その実在は永遠にそこに在るはずだ。
その実在は、
始まることも終わることも
ないはずではないかね?
> 今、
> 「私は在る」という経験が感じられているが、
> 以前にその経験は存在しなかった。
> それが存在しなかったときには、
> どんな証明も要求されなかったが、
> いったんそれが存在すると、
> 多くの証明が要求される。
今あなたには存在の感覚があって、
あなたは、
「私は在る」という経験をしている。
> 以前にその経験は存在しなかった。
しかし、
その経験が現れる以前は、
その経験は存在しなかったのだ。
そしてその経験が現れるためには
それ以前に
あなたが存在していなければならないことが
あなたにわからないのだろうか?
> それが存在しなかったときには、
> どんな証明も要求されなかったが、
> いったんそれが存在すると、
> 多くの証明が要求される。
その経験が存在しなかったときは、
あなたには何も要求されなかった。
どんな自己証明も必要なかった。
ところがいったん
その存在感が現れると
それ以来あなたは
多くの自己証明を要求されている。
その不思議さを考えてみなさい。
──────────────────
どうやってあなたは朝、
目覚めたのだろうか?
そもそもなぜあなたは目覚めたのだろうか?
知るのはマインドではなく、
マインドがあるゆえに誰かが知るのだ、
さて今、
私の手が上がったが、
誰が知るのだろうか?
私の手を上げたものは、
自分がそれを上げたことを知っている。
あなたはマインド以前に存在しており、
それゆえにマインドは働いているのだ。
あなたはいつ目覚めるのだろうか?
あなたが存在しているかぎり、
あなたは目覚める。
他人の概念を通じて、
あなたは自分のまわりに
あまりに多くの物事を築きあげてきたので、
道に迷っている。
「あなた」は他人の概念によって装飾され、
粉飾されている。
外からの噂を受け取る以前に、
自分についての情報を
何かもっていた人がいるのだろうか?
『意識に先立って』(p191)
──────────────────
> どうやってあなたは朝、
> 目覚めたのだろうか?
どうやってあなたは朝目覚めたのかね?
> そもそもなぜあなたは目覚めたのだろうか?
そもそもなぜあなたは目覚めたのかね?
目覚めるか目覚めないか
それはあなたの手の内にあるだろうか?
> 知るのはマインドではなく、
> マインドがあるゆえに誰かが知るのだ。
朝、眠りから覚めて
目覚めの現実を受け入れるには、
受け入れるあなたの存在が不可欠であることが
あなたに理解できるだろうか?
目覚めの現象世界は知覚対象であり
それはもちろん
意識の内容物で構成されているだろう。
しかしその意識の内容物を知るのは
意識の内容物ではない。
その意識の内容物が舞い上がるのを、
それ以前に存在している誰かが知るのだ。
> さて今、
> 私の手が上がったが、
> 誰が知るのだろうか?
たとえば、今、
こうして私の手が上がったが、
それを知るのは誰だろうか?
> 私の手を上げたものは、
> 自分がそれを上げたことを知っている。
私の手を上げたものは、
自分がそれを上げたと知っていることだろう。
> あなたはマインド以前に存在しており、
> それゆえにマインドは働いているのだ。
あなたは
意識の内容物が舞い上がる以前に存在しており、
そのあなたが在るがゆえに
意識の内容物は機能できるのだ。
> あなたはいつ目覚めるのだろうか?
> あなたが存在しているかぎり、
> あなたは目覚める。
あなたがこの目覚めの日常世界に
目覚めるのはいつだろうか?
あなたが存在するかぎり
あなたは目覚めることになる。
それを避けることはできない。
> 他人の概念を通じて、
> あなたは自分のまわりに
> あまりに多くの物事を築きあげてきたので、
> 道に迷っている。
この目覚めの日常世界に誕生して以来、
あなたは自分のまわりに
あまりに多くの物事を築きあげてきたので、
それで道に迷っているのだ。
> 「あなた」は他人の概念によって装飾され、
> 粉飾されている。
あなたが現在信じている「あなた」とは
あなたの外から提供された概念によって
装飾され粉飾されたものだ。
> 外からの噂を受け取る以前に、
> 自分についての情報を
> 何かもっていた人がいるのだろうか?
その目覚めの日常世界で
外からの噂を受け取る以前から、
自分についての情報(物語)を
何かもっていた人がいるだろうか?
(もちろん、
多次元宇宙からの記憶を携えて
この地球を訪れた、
とおっしゃる方の存在を
否定することなどできません。
そういう方は必ずいらっしゃることでしょう。
しかしもしそういう方が
何かの使命や願望を持っていると言うのなら、
それもまた意識の内容物であることは
間違いないありません。
<何故にすべては始まってしまったのか?>
すべて物語とは、
娯楽でしかありえないようです。)
──────────────────
サットグルの目的は、
他人からのこういったあらゆる概念を
築き上げる以前のあなたが
どんなものかを教えることだ。
あなたの現在の霊的倉庫は
他人の言葉でいっぱいだ。
そういった概念を破壊しなさい。
サットグルとは
決して変わらない永遠の状態
──あるがままのあなた──
を意味している。
あなたはその不変で永遠で変わらない絶対だ。
サットグルはあなたに、
他人のうわさと概念によって
あなたのまわりに築きあげられた、
こういったすべての壁を
取り除きなさいと言っているのだ。
あなたにはどんな形もデザインもない。
あなたが見る名前や形は
あなたの意識にすぎない。
真我には色はないが、
色やその他を判断できる。
サットグルによって導かれている者は
もう生まれることがない。
あなたのサーダナは終わり、
あなたはこの場所にたどり着いた。
真我を探すあなたに
私はこういう種類の知識を説明し、
どんな空腹も願望もない状態へ導いている。
あなたが知識をもつとき、
意識がそこにあるかぎり、
あらゆるところへ
行き渡っているものとしての「私」を見るが、
意識の観照者は
どんな「私は在る」ももっておらず、
それはあなたの真実の永遠の本質だ。
肉体を放棄することは、
私にとっては偉大な祝祭なのだ。
『意識に先立って』(p191-192)
──────────────────
> サットグルの目的は、
> 他人からのこういったあらゆる概念を
> 築き上げる以前のあなたが
> どんなものかを教えることだ。
実在からの声とも言えるサットグルに
もし目的があるとしたら、
目覚めの日常世界の中で
他人から聞かされたあらゆる噂話や概念を
身にまとう以前のあなたが
どういう状態なのかを教えることだ。
> あなたの現在の霊的倉庫は
> 他人の言葉でいっぱいだ。
> そういった概念を破壊しなさい。
これまでの霊的探求の中で
あなたがかき集めてきた霊的情報は
すべて他人の言葉だったはずだ。
そういった概念をすべて破壊しなさい。
> サットグルとは
> 決して変わらない永遠の状態
> ──あるがままのあなた──
> を意味している。
サットグルとは、
あなたの本来の状態、
あなたの不動で永遠の状態、
言葉を換えれば、
「あるがままのあなた」を意味している。
概念の煙幕の中で迷っているあなたの中で、
概念で汚染されていないまっさらな状態を
永遠に知っているそれだ。
> あなたはその不変で永遠で変わらない絶対だ。
真我としてのあなたは
その不変で永遠で変わらない絶対だ。
> サットグルはあなたに、
> 他人のうわさと概念によって
> あなたのまわりに築きあげられた、
> こういったすべての壁を
> 取り除きなさいと言っているのだ。
その【あるがままのあなた】は、
概念の煙幕の中で迷子になっているあなたに
絶えず沈黙の言葉で語りかけている。
他人の噂や概念によって
自分のまわりに築いてきたすべての壁を
取り除きなさいと。
> あなたにはどんな形もデザインもない。
> あなたが見る名前や形は
> あなたの意識にすぎない。
あなたには本来どんな形もデザインもない。
あなたが知覚している名前や形、
それらで形成されるあらゆる物語は、
すべてつかの間の【見かけ】を形成する
意識の内容物にすぎない。
> 真我には色はないが、
> 色やその他を判断できる。
真我であるあなたに色はない。
しかし色やその他を判断できるのだ。
> サットグルによって導かれている者は
> もう生まれることがない。
> あなたのサーダナは終わり、
> あなたはこの場所にたどり着いた。
サットグルに導かれている者は、
二度と再び生まれることはない。
あなたの仕事が終わったから、
あなたはこの場所にたどり着いたのだ。
> 真我を探すあなたに
> 私はこういう種類の知識を説明し、
> どんな空腹も願望もない状態へ導いている。
真我を探求しているあなたに、
私はこうして
本来のあなたについての知識を説明し、
どんな空腹も願望もない状態へと
あなたを誘導している。
> あなたが知識をもつとき、
> 意識がそこにあるかぎり、
> あらゆるところへ
> 行き渡っているものとしての「私」を見るが、
> 意識の観照者は
> どんな「私は在る」ももっておらず、
> それはあなたの真実の永遠の本質だ。
あなたがこの知識をもつとき、
そこに意識がある間は、
すべてに行き渡っている「私」を見るだろう。
だが、
意識の観照者自体は、
どんな存在の感覚ももたない。
それがあなた本来の永遠の本質だ。
> 肉体を放棄することは、
> 私にとっては偉大な祝祭なのだ。
現象宇宙での体験を求めるなら、
肉体は間違いなく必須の道具であり、
あなたにその体験を与えてくれる。
だがそこで体験できるすべては
果てしのない幻想の物語だ。
その肉体を放棄することは、
絶対である私には偉大な祝祭なのだ。
(-||-)
──────────────────
あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
──────────────────
(-||-)
──────────────────
永久的なもの、
それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
──────────────────
……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
………○…………○…………○………
『私は在る』の「目次」はここ↓にあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html
「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/
「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/
『アセ通』既刊号はすべてここにあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/
………○…………○…………○………
▼『アセ通』へのご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
………○…………○…………○………
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………○…………○…………○………
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■ 2.編集後記:
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自分があるpariパターンとしては、
自分が今どんなところにいるのか、
それを毎週確認している感じです。
意図的には、
精一杯の格好をつけながら、
無意識的に
目一杯の恥をかく。(^_-)
それくらいしかできることはありません。
しかもなお念の入ったことに
それらのパフォーマンスはすべて、
「私」がいるという観念から派生する
誤解なのです。(*^_^*)
週に一度、
サットグルの言葉を舐めるように味わう。
長く続けてきたそれは贅沢とも言えます。
またそれは、
意識が夢見た夢の中の
登場人物の役割とも言えるでしょう。
今日は晴天でしたが、
日が暮れるのが早いので
すっかり暗くなりました。
それではまた。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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二つの配信スタンドで発行されています。
mag2:http://www.mag2.com/m/0000126287.html
melma:http://www.melma.com/backnumber_110091/
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