home > 通信 >『アセンション館通信』第765号:この謎を理解する唯一の方法



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2018/12/16(第765号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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 ☆☆   ☆☆   https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している夢の場面の報告です。

 どの観念もあなた自身のものではないということを認識しなさい。
 それらはみな、外側からあなたにやってくるのだ。
 あなたは全力をあげて考えなければならない。(『私は在る』)

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在823名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.この謎を理解する唯一の方法

2.編集後記
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■ 1.この謎を理解する唯一の方法
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今日はすっかり晴れ上がって

この(夢の)部屋の中は温かです。

夢の中だって、

いや夢の中だからこそ、

晴れるとやっぱり嬉しいですよね。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、

お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

先週は探求者が何であるかについての

ラメッシ・バルセカールの説明をご紹介しました。

要するに、

夢の中の登場人物の立場に一体化した宇宙意識が

こうして苦痛と快楽の夢を観ているわけです。

自分は人間だと思えば、

肉体が置かれたその状況の中で

リアルに喜んだり苦しんだり

しなければならない。

全現象(幻像)が夢であることが

百パーセント確実な理解の中では、

苦しんでいる者が誰もいないことも

百パーセント自明です。

幻像の対象に欲望する者がいなければ、

全顕現はただの「見かけ」であり

そこで苦しむ者も存在しませんから。

その理解を深めていくという前提で

ラメッシ・バルセカールが提案する方便は、

全現象(幻像)が夢だと知りながら、

あたかも自由意志があるかのように振るまい、

何一つ状況を制御できないという理解を

日常的に深めていく手法です。

ラメッシが前提している道筋は

こんなふうにも表現されるのでしょう。

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 すべての二元性は幻想であり、
 すべての行為は瞬間的で、
 そして、すべての意志は幻想です。
 いたんこれが理解されれば、
 人は自発的であろうとするのをやめます。
 
 『誰がかまうもんか?!』(p194) 
──────────────────

> すべての二元性は幻想であり、

物質に実体がないことを

何となくでも知らされているわれわれには、

見かけが幻想であるというのは

理解できる気もしますよね。

> すべての行為は瞬間的で、

ところで、

これはすごいですね。(@_@) ⌒★?

現象世界で

われわれがしているつもりの準備は、

じつはまったく意味がない。(^_-)

それは継続という想像の上に構築されている

幻想だということです。

物質という想像と時間という想像は

とても深く相互依存し、

相互補強しているのかもしれません。

というわけで、次の

> そして、すべての意志は幻想です。

というのはわれわれには理解不能です。(*^_^*)

エゴとはこの理解を拒否する

意志表明のようなものですから。

だから、

> いたんこれが理解されれば、
> 人は自発的であろうとするのをやめます。

ということが起こるのでしょうね。

実際、

今このように湧いてくる想念、

今この指を使ってこの文字を書いているのが、

これが神の御心であるというのなら、

まさに「何をか言わんや」以外の

何物でもありません。

まさにジョークですよね。(^_-)

何をどう思えっていうの?

という世界です。(*^_^*)

そんな道筋に触れて

『意識は語る』の対話のなかで

ラメッシはこんなふうに語っています。

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 (質問)
 目覚めていないとき、自分の人生を送る
 ための何千という様々な道があり、ほと
 んどあらゆることについて何千という
 様々な考えがあります。私はそれらの中
 からどう選んだらいいのでしょうか?
 
 (ラメッシ)
 普通の人々にとっては、
 それは適切な問題です。
 「私は自分が行為者でないことを
  理解していますが、
  でも私はどうやって普通の人生を
  生きることができますか?」
 
 その質問は答えられる必要があります。
 その答えとは。
 「『自分はその行為者ではない』ことを
  知的に理解しながら、
  まるで自分が行為者であるかのように
  機能し続けてください」
 ということです。
 時間が経つにつれて、
 「自分はその行為者ではない」という
 知的理解がより深くなり、
 起こるすべての行為は
 「あなたの」行為ではなく、
 自然発生的な行為だと
 認識されるようになるでしょう。 
 
 『意識は語る』(p581-582)
──────────────────

> 「『自分はその行為者ではない』ことを
>  知的に理解しながら、
>  まるで自分が行為者であるかのように
>  機能し続けてください」
> ということです。

じっさい、

夢の中の登場人物の空想上の主観にとって

これ以外にできることなど

何一つないのです。

> 時間が経つにつれて、
> 「自分はその行為者ではない」という
> 知的理解がより深くなり、
> 起こるすべての行為は
> 「あなたの」行為ではなく、
> 自然発生的な行為だと
> 認識されるようになるでしょう。

じっさいは、

御心だけが為されているのです。

今ここでこの文字を打っているのは、

わたしの身体と意志という道具をつうじて

表現されている御心なのですから。

わたしという個人的実体が

どこに存在できるというのでしょうか?

というわけで、

今日も運命である恩寵の指図のもとに、

マハラジ最晩年の言葉を

写経させていただきます。(-||-)

今回は

「一九八〇年八月三〇日」の対話から

写経いたします。

──────────────────
 一九八〇年八月三〇日
 
 質問者 意識は永遠に残るのでしょうか?
 
 マハラジ
 いや、意識は肉体があるときだけ、
 そこにある。
 
 質問者 人が理解したとしても、存在し、
     死んでゆく肉体はあるのですね?
 
 マハラジ
 そのとおりだ。
 五大元素、
 三つのグナ、
 プラクリティ、
 プルシャ、
 これらは「私は在るという性質」を示す
 道具なのだ。
 
 原初の状態においては、
 どんな意識の感覚もなく、
 どんな存在の気づきもないが、
 「私は在るという性質」がやってくると
 ただちに全顕現が見られるようになる。
 これが意識の現れだ。
 絶対においては 
 「私は在るという性質」は全体だが、
 その表現は多様だ。
 私は私自身を多様性の中に具現化する。
 人間は一つのタイプの形態であり、
 おのおののタイプの形態はその性質に従って、
 また三つのグナの組合せによって行動する。
 どこに個人の入り込む余地があるのだろうか?
 
 この謎を理解する唯一の方法は、
 自分が宇宙意識と一体化していることを
 理解することであり、
 その宇宙意識は全空間の中に表現されている。
 あなたが自分自身を
 人間の形態と一体化しているかぎり、
 この謎を解くことは不可能だ。
 
 なぜあなたはここに来て、
 一時間かそこらの時間を無駄にするのだろうか?
 もしあなたが二時間、
 肉体的あるいは精神的ワークをすれば、
 何かそれなりのものが得られるだろうに。
 
 『意識に先立って』(p111-112)
──────────────────

> 質問者 意識は永遠に残るのでしょうか?

(「意識」という言葉の定義やイメージに応じて、

 それは永遠に存在する唯一の実在だったり、
 
 ホコリが舞い上がったときにだけ
 
 現れる意識の内容物だったり、
 
 潜象と現象を包含する概念だったり
 
 するでしょうね。
 
 ここで質問者はマハラジの
 
 体験的真実について
 
 質問したのだと思います。)

> マハラジ
> いや、意識は肉体があるときだけ、
> そこにある。

肉体の誕生(という観念)以前にも

肉体の死(という観念)以後にも

意識は存在しない。

> 質問者 人が理解したとしても、存在し、
>     死んでゆく肉体はあるのですね?

ではたとえ誰かが覚醒したとしても、

まだ崩壊していないその肉体は

機能しつづけているのですね?

> マハラジ
> そのとおりだ。
> 五大元素、
> 三つのグナ、
> プラクリティ、
> プルシャ、
> これらは「私は在るという性質」を示す
> 道具なのだ。

そうだ。

崩壊するまで肉体は機能し続ける。

すべてを支える地大、

すべてに潤いを与える水大、

すべてを浄化をさせる火大、

すべてを養う風大、

すべてを包み込む空大という

五つの物質状態も、

サットヴァ(純粋)、

ラジャス(活動)、

タマス(不活発)という三つの属性も、

プラクリティ(物質原理)も、

プルシャ(あらゆるもの中核に在る真我)も、

これらはすべて

「私は在るという性質」を表現する道具だ。

> 原初の状態においては、
> どんな意識の感覚もなく、
> どんな存在の気づきもないが、
> 「私は在るという性質」がやってくると
> ただちに全顕現が見られるようになる。

原初の状態では、

いかなる意識感覚も存在しない。

いかなる存在にも気づいていない。

ただ肉体の誕生とともに

「私は在るという性質」が出現すると

ただちに全顕現に対する観照が起こる。

> これが意識の現れだ。

これが意識の出現だ。

> 絶対においては 
> 「私は在るという性質」は全体だが、
> その表現は多様だ。

意識が出現する前の絶対状態では、

「私は在るという性質」は

唯一不可分の全体として在る。

だがそれが表現された状態では、

多様性として現れるしかない。

> 私は私自身を多様性の中に具現化する。

「私は在るという性質」が、

それ自身を具現化しようとするなら

多様性として表現するしかない。

> 人間は一つのタイプの形態であり、
> おのおののタイプの形態はその性質に従って、
> また三つのグナの組合せによって行動する。

人間というのは

その具現化のなかの一つのタイプの形態だ。

具現化のなかの個々のタイプの形態は、

それぞれに固有の性質に応じて、

また変化属性の組み合わせに応じて行動する。

> どこに個人の入り込む余地があるのだろうか?

これらすべては必然的な自動過程であって、

このどこに個別の実体など

入り込む余地があるだろうか?

> この謎を理解する唯一の方法は、
> 自分が宇宙意識と一体化していることを
> 理解することであり、
> その宇宙意識は全空間の中に表現されている。

だから顕現している多様性のなかの

何かの形態に一体化する立場から、

その謎を理解することはできない。

この謎を理解する方法がもしあるとしたら、

ありうる唯一可能な方法は、

自らを宇宙意識と一体化した立場から

すべての多様性を理解することだ。

> その宇宙意識は全空間の中に表現されている。

この謎を理解するために

自らを一体化すべき宇宙意識の立場は、

全現象宇宙の多様性を包含する全空間として

表現されている。

「私は在るという性質」であるあなたは、

その全空間に一体化すればいいだけだ。

> あなたが自分自身を
> 人間の形態と一体化しているかぎり、
> この謎を解くことは不可能だ。

しかしあなたが自分自身を

多様性として顕現している全宇宙の中の

ひとつのタイプにすぎない人間の形態と

一体化しているかぎり、

あなたが満足する理解に

到達することはできない。

あなたが探し求めているものは、

現象宇宙の中の対象物ではないからだ。

自らを人間に一体化しながら、

この謎を解くことは不可能なのだ。

> なぜあなたはここに来て、
> 一時間かそこらの時間を無駄にするのだろうか?
> もしあなたが二時間、
> 肉体的あるいは精神的ワークをすれば、
> 何かそれなりのものが得られるだろうに。

どうしてあなたはこんなところに来て

時間を無駄にしているのかね?

ここにいるわずかの時間にしろ、

他のところで何かの仕事をしたら、

それなりの報酬を受けられるだろうに。

──────────────────
 質問者 こういった時間は役に立ちます。
     それ以外のすべては役に立ちません。
 
 マハラジ
 どう役に立ちうるというのか?
 あなたはこういった二時間が役立ちますと言うが、
 私はそれが役立つ者を破壊している。
 私はそのアイデンティティを破壊しているのだ。
 
 個人を破壊する教えをまさに個人が欲しがるとは、
 面白いことではないだろうか?
 その理由は、
 個人とは決して存在したことがなかったからだ。
 個人というものは決してそこにいなかった
 という知識がやって来るのだ。
 
 質問者 覚醒とは何ですか?
 
 マハラジ
 「私は在る」という観念が芽生える前、
 あなたは存在しているが、
 しかし、
 あなたは自分が存在していることを知らない。
 それに引き続き、
 多くの出来事が起こり、
 あなたはそれで自分自身を飾り始めた。
 あなたは起こってくる出来事、言葉、
 言葉の意味から
 自分自身の意味を引き出そうとするが
 ……それらはあなたではない……
 だからそれらを放棄しなさい。
 あなたは「私は在る」という観照以前に
 存在しているのだ。
 「私は在る」という言葉以前のそこに、
 自分のキャンプを張りなさい。 
 
 『意識に先立って』(p112-113)
──────────────────

> 質問者 こういった時間は役に立ちます。
>     それ以外のすべては役に立ちません。

いいえ、とんでもないです。

こういった時間こそが役に立つのです。

これ以外のことは

本当は何の役にも立たないと思っています。

> マハラジ
> どう役に立ちうるというのか?
> あなたはこういった二時間が役立ちますと言うが、
> 私はそれが役立つ者を破壊している。
> 私はそのアイデンティティを破壊しているのだ。

どういう役に立つというのかね?

ここに来て私の話を聞く二時間が

役に立つとあなたは言うが、

私はその役に立つはずの人間を破壊している。

そのあなたというのが

何の実体もない虚構であることを暴露して、

そのアイデンティティそのものを

破壊しているのだ。

> 個人を破壊する教えをまさに個人が欲しがるとは、
> 面白いことではないだろうか?
> その理由は、
> 個人とは決して存在したことがなかったからだ。
> 個人というものは決してそこにいなかった
> という知識がやって来るのだ。

個人という虚構の概念を破壊する教えを、

その個人が欲しがるとは

面白い現象だとは思わないかね?

この皮肉な現象の真の理由は、

心配して満足を求めている

とあなたが自認している当人は、

実際ははじめから存在しておらず、

偽物の解答には絶対に満足できない者が

その探求を突き動かしているからだ。

画像の中に存在する個人という実体は

けっして存在したためしがない。

夢に集中していた当人が、

自分が見ているのが夢にすぎないことを

自覚したときに初めて、

自分はけっして夢の中にいたことなど

一度もなかったことを自覚する。

ただ夢を観ていただけだという知識が、

やってくるのだ。

> 質問者 覚醒とは何ですか?

いったい、

覚醒というのは何なんでしょうか?

> マハラジ
> 「私は在る」という観念が芽生える前、
> あなたは存在しているが、
> しかし、
> あなたは自分が存在していることを知らない。

肉体という道具が誕生する以前、

「私は在る」という存在感が芽生える以前も、

あなたは存在している。

しかし、

その状態にいるあなたは

自分の存在に気づいていない。

> それに引き続き、
> 多くの出来事が起こり、
> あなたはそれで自分自身を飾り始めた。

その状態の中に肉体が誕生して、

「私は在る」という存在感が発現する。

それ以降、

他人から教えられた物語の中で

あなたは多くの出来事を体験し、

それらの記憶で自分を飾りはじめる。

> あなたは起こってくる出来事、言葉、
> 言葉の意味から
> 自分自身の意味を引き出そうとするが
> ……それらはあなたではない……
> だからそれらを放棄しなさい。

あなたは現象として起こってくる

多くの出来事に遭遇しながら、

それらの出来事を解釈する

言葉やその意味を他人から告げられる。

そしてその文脈のなか

言葉の意味のなかで

自分の意味を確立しようとする。

しかし、

それはすべて想像の中にあって、

それらはあなたではないのだ。

だから、

そういうものは捨てることだ。

> あなたは「私は在る」という観照以前に
> 存在しているのだ。
> 「私は在る」という言葉以前のそこに、
> 自分のキャンプを張りなさい。 

実際のあなたは

存在感の発現によって

観照が始まる以前から存在している。

現象世界は

それがなくても既に存在している

あなたに対して起こるのだ。

既に存在していながら

自分の存在に気づいていない状態、

存在感が始まる以前の状態に、

自分の居場所を定めなさい。

そうすれば、

現象世界があなたを苦しめることはない。

(-||-)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
──────────────────

(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


   ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓にあります。
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「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
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   ………○…………○…………○………


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■ 2.編集後記:
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あらゆる瞬間に起こっているのは

唯一、御心だけです。

ただそれを自分の思いだと、

自分の欲望であり自分の意志だと思うばかりに、

われわれは夢を観ているわけです。

すると夢の中では苦しむしかない。

しかし、

御心がそうである間は、

それ以外にできることはありません。

御心に反逆できる自分など

存在しないわけですから。(*^_^*)

また今日も夢の中で一日が経って、

すっかり暗くなりました。

それではまた。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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二つの配信スタンドで発行されています。
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