home > 通信 >『アセンション館通信』第766号:意識はそれ自身を知りえない



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2018/12/23(第766号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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 ☆☆   ☆☆   https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している夢の場面の報告です。

 「知らないでいること」に心地よさを覚えてください。
 そうすることによって、思考を超越することができます。
   (『世界でいちばん古くて大切なスピリチュアルの教え』)

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在823名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.意識はそれ自身を知りえない

2.編集後記
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■ 1.意識はそれ自身を知りえない
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今日は昨日とは変わって曇天ですね。

全体に雨霧がかかっています。

寒々しい冬枯れの山里の景色です。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、

お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人のpariです。

相変わらず

いろんな思考に惑わされています。

そしてせっかくの土曜日まで、

こうして文字を書いたりして……。

ここでこのように揺動している思考に

あたかもなにか実体的な

意味があるかのように。

こうして支離滅裂な人生を送ってきて、

ふと思い出してみれば、

これは意識が観ている

ひとつのチャンネルの動画なんですよね。

しかもその中に

「自分」が登場しているというのですから、

タチが悪いです。(*^_^*)

その中のpariという登場人物が自分だという。

これは文句なし、

問答無用の大前提です。

そういうお話を幼い頃から叩き込まれて、

さて世の中に出て

自分が何者かを見つけなさいというわけです。

こうなっては、マハラジが、

これが「巨大な詐欺」だと言うのもわかります。

ラマナはこの状況をこんなふうに描きます。

──────────────────
 それは映画のようなものだ。
 スクリーン上には光があり、
 その上を去来する影が、
 何かのドラマが演じられているような印象を
 観客に与えるのである。
 もし映画のなかで、
 観客もまたドラマの一部として
 スクリーン上に見られたとしたら、
 見る者と見られるものがともに
 スクリーン上にあることになる。
 それをあなた自身に当てはめてみなさい。
 あなたはスクリーンだ。
 真我が自我をつくり出した。
 そして自我とはあなたが尋ねている世界や、
 植物や、樹木として現れた想念の総体なのである。
 実際には、
 それらはみな真我以外の何ものでもない。
 もしあなたが真我を見るなら、
 いつでもどこでもすべてが真我として現れるだろう。
 真我以外の何ものも存在しないのである。

 『あるがままに』(p50)
──────────────────

さあて、

これを聞いて

そのまま分かる人は変わってます。(*^_^*)

たとえばの話ですが、

登場人物pariは

若い頃から今に至るまで

ひたすら現在の場面から逃げることだけを

試みてきたと思います。

でも、それは無理です。

不可能なんです。

体験的にやり切ったと言ってもいい。

映画の登場人物が

映画の中の現在の場面より

もっとマシな画面を想像して

現在の場面からの逃亡を図ったって、

そんなことできるわけがない。

映画の中の登場人物は

その映画の中の役割を演じるしかできない。

それ以外にできることなどなにもない。

それに、

もっとマシな画面を想像すると言ったって、

その想念ですら実際は

登場人物pariが自前で創造してなどいません。

ただその前の想念の呼び水で

配達されてきた想念にすぎません。

では、その呼び水になった想念は

pariの自作の想念なのかと言えば、

それもまたその瞬間に配達されてきた

想念にすぎないのですから。

助けを求めるように本棚を見ると、

エックハルト・トールの

『世界でいちばん古くて大切なスピリチュアルの教え』
https://amzn.to/2Ab54ua

という本が目につきました。

開けてみると、

こんな言葉が飛び込んできました。

──────────────────
 「知らないでいること」に
 心地よさを覚えてください。
 そうすることによって、
 思考を超越することができます。
 
 『世界でいちばん古くて大切な
 スピリチュアルの教え』(p51) 
──────────────────

なるほど。

自分に一番の薬はこれか!

と思いました。

次のページにはこんなふうに

展開されていました。

──────────────────
 「知らないでいること」に
 心地よさを覚えてください。
 そうすることによって、
 思考を超越することができます。
 なぜなら、
 思考は常に結論を出そう、
 解釈しようとしたがるからです。
 「知らないこと」を恐れているのです。
 つまり、
 知らないでいることに
 心地よさが感じられるようになったら、
 それは思考を超越した証拠。
 すると、
 観念的でない、
 より「深遠な知」が、
 その状態から生まれてきます。
 
 『Stillness Speaks』(p053-054) 
──────────────────

なんと!(@_@) ⌒★?

じつに明晰ではないですか。

> なぜなら、
> 思考は常に結論を出そう、
> 解釈しようとしたがるからです。
> 「知らないこと」を恐れているのです。

じつに明快にpariの状態を表現しています。(*^_^*)

ところで、この本、

すごいのです。

ちょっと後を見ると、

こんなことが書いてある。

──────────────────
 魂の求道者は、
 未来に悟りを開こうとします。
 「求める者」であるということ自体がすでに、
 未来を必要とすることを暗示しているからです。
 もしあなたが、
 未来に悟りを開けると信じているならば、
 それが、
 あなたにとって真実なります。
 すなわち、
 「本当の自分」になるためには、
 時間など必要ないと気づくまで。
 時間が必要になってしまうのです。 
 
 『Stillness Speaks』(p107-108) 
──────────────────

(>_<)

何をか言わんや。

> 未来に悟りを開けると信じているならば、
> それが、
> あなたにとって真実なります。

一端の求道者のつもりでいましたが、

求道者というのは、

そういう意味だったんですねぇ。(-_-;)

> すなわち、
> 「本当の自分」になるためには、
> 時間など必要ないと気づくまで。
> 時間が必要になってしまうのです。 

これは間違いない。

──────────────────
 木を見ると、
 木の存在に気づきます、
 ある思考や感覚を持つと、
 その思考や感覚に気づきます。
 また、
 喜ばしい経験や、
 痛ましい経験をすると、
 その経験に気づきます。
 
 これらは
 間違いのない真実のように思えますか、
 よくよく考えてみるなら、
 文章の構造そのものに
 さりげなく幻想が含まれていることに
 気づくでしょう。
 言語を使うかぎり、
 幻想は避けられません。
 なぜなら、
 思考と言語は必然的に二元性をともない、
 独立した個人を作ってしまうからです。
 けれども、
 二元性も独立した個人も存在しません。
 真実はどうかと言うと、
 木を眺めているとき、
 わたしたちは
 木の存在に気づいている一人の人間
 ではありません。
 思考でも、
 感覚でも、
 経験でもありません。
 わたしたちは、
 これらの事象は現れる場であり、
 かつその媒体である、
 意識あるいは気づきなのです。
 
 では、
 これからは、
 自分自身が、
 様々に展開する人生の出来事すべてを包含する
 意識であるという気づきを胸に抱いて、
 人生を歩いて行くことができますか?
 
 『Stillness Speaks』(p108-1011) 
──────────────────

> これらは
> 間違いのない真実のように思えますか、
> よくよく考えてみるなら、
> 文章の構造そのものに
> さりげなく幻想が含まれていることに
> 気づくでしょう。

エックハルト・トールから出てくる言葉は

とても穏やかですね。

平易な言い回しの中に

ものすごいことが語られている、

> 言語を使うかぎり、
> 幻想は避けられません。
> なぜなら、
> 思考と言語は必然的に二元性をともない、
> 独立した個人を作ってしまうからです。

まったくです。

間違いありません。

> けれども、
> 二元性も独立した個人も存在しません。

こうして簡単にスッと言い切ってしまうんですね。

マインドはいろいろこねくり回したいけど、

実際はこれだけのことです。

> 真実はどうかと言うと、
> 木を眺めているとき、
> わたしたちは
> 木の存在に気づいている一人の人間
> ではありません。

そう、

映画の中に観客が登場人物として出ていたら

その観客は偽物です。

同様に、

現象の中に自分が登場人物として出ていたら

その自分は偽物です。(^_-)

> 思考でも、
> 感覚でも、
> 経験でもありません。
> わたしたちは、
> これらの事象は現れる場であり、
> かつその媒体である、
> 意識あるいは気づきなのです。

はい。

こんなに単純なことなんですよね。

> では、
> これからは、
> 自分自身が、
> 様々に展開する人生の出来事すべてを包含する
> 意識であるという気づきを胸に抱いて、
> 人生を歩いて行くことができますか?

どうしよう?←─『ルパン三世カリオストロの城』の
        銭形警部の声で。(*^_^*)

──────────────────
 「私は、『本当の自分』を知りたい」。
 あなたはそう思うかもしれません。
 けれども、
 あなた自身が、
 「本当の自分」なのです。
 あなた自身が、
 すでに「知」そのものなのです。
 あなた自身が
 すべてを知る媒体である意識なのです。
 意識は、
 それ自身を知ることができません。
 意識が、
 「知」自身なのですから。
 
 これさえ認識していれば、
 ほかに知るべきことは何ひとつありません。
 しかも、
 すべての認識は、
 この認識から湧き出でるのです。
 「わたし」は、
 自分自身を、
 意識の対象、
 知識の対象にすることはできないのです。
 
 つまり、
 わたしたちは、
 自分自身にとって対象になることはできません。
 にもかかわらず、
 私たちは、
 頭の中で自分自身を対象へと作り上げています。
 これこそが、
 エゴ的アイデンティティという幻想は生じる、
 他ならぬ理由です。 
 
 人は皆、
 「私は○○です」といって、
 人にも自分にも「私の話」をするものですが、
 そうすると、
 自己を分裂させ、
 「わたし自身」との関係をもちはじめてしまいます。
 
 自分自身を、
 万象万物が発生する源である
 意識と知ることによって、
 出来事に依存することをやめ、
 状況、
 環境の中に
 自己を見つけようとする習性から解放されます。
 
 いいかえるなら、
 どんな出来事が起こるか、
 あるいは起こらないかは、
 どっちでもよくなります。
 物事の重要性、
 深刻さは薄れはじめます、
 代わりに「遊び心」が芽生えます。
 世界は、
 宇宙が繰り広げるダンス
 ──形態のダンス──であり
 それ以上でもそれ以下でもない、
 そう悟るのです 
 
 『Stillness Speaks』(p112-1014) 
──────────────────

> 「私は、『本当の自分』を知りたい」。
> あなたはそう思うかもしれません。
> けれども、
> あなた自身が、
> 「本当の自分」なのです。

(T_T)

ホントですよねぇ。

> あなた自身が、
> すでに「知」そのものなのです。
> あなた自身が
> すべてを知る媒体である意識なのです。

はい。

> 意識は、
> それ自身を知ることができません。
> 意識が、
> 「知」自身なのですから。

わかりました。

(-||-)

> これさえ認識していれば、
> ほかに知るべきことは何ひとつありません。

まったくです。

「私は在る」と同じですね。

> しかも、
> すべての認識は、
> この認識から湧き出でるのです。

そうかぁ。

> 「わたし」は、
> 自分自身を、
> 意識の対象、
> 知識の対象にすることはできないのです。

間違いなく。

> つまり、
> わたしたちは、
> 自分自身にとって対象になることはできません。

はい。

対象にすると“偽の観客”になる。

> にもかかわらず、
> 私たちは、
> 頭の中で自分自身を対象へと作り上げています。

はい。

間違いなく。

> これこそが、
> エゴ的アイデンティティという幻想は生じる、
> 他ならぬ理由です。 

そういうことだったんですね。

> 人は皆、
> 「私は○○です」といって、
> 人にも自分にも「私の話」をするものですが、
> そうすると、
> 自己を分裂させ、
> 「わたし自身」との関係をもちはじめてしまいます。

わかります。

> 自分自身を、
> 万象万物が発生する源である
> 意識と知ることによって、
> 出来事に依存することをやめ、
> 状況、
> 環境の中に
> 自己を見つけようとする習性から解放されます。

【出来事に依存することをやめ】られる。

(-||-)

> いいかえるなら、
> どんな出来事が起こるか、
> あるいは起こらないかは、
> どっちでもよくなります。

すごいことですね。

> 物事の重要性、
> 深刻さは薄れはじめます、

そうか。

> 代わりに「遊び心」が芽生えます。

pariパターンから一番遠い世界だった。

> 世界は、
> 宇宙が繰り広げるダンス
> ──形態のダンス──であり
> それ以上でもそれ以下でもない、
> そう悟るのです 

(-||-)

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 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
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(-||-)

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 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


   ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓にあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

『アセ通』既刊号はすべてここにあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


   ………○…………○…………○………


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■ 2.編集後記:
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エックハルト・トールの『Stillness Speaks』は

以前一度とても感心したことがありました。

でも、そのときは、

pariのマインド構造体が

このメッセージを

しっかりブロックしたようです。

さて、今度はどうでしょう?

今度もやっぱり

pariマインド構造体が

このメッセージをブロックし切れるか?

pariマインドほどの情報乞食が

この智慧を取り込むことができたら、

内部から崩壊しはじめて

もう同じではいられない。

とかなんとか。(*^_^*)

それではまた。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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二つの配信スタンドで発行されています。
mag2:http://www.mag2.com/m/0000126287.html
melma:http://www.melma.com/backnumber_110091/
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