━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2018/12/30(第767号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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☆☆ ☆☆ https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している夢の場面の報告です。
「知らないでいること」に心地よさを覚えてください。
そうすることによって、思考を超越することができます。
(『世界でいちばん古くて大切なスピリチュアルの教え』)
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在824名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.自分の姿を見ようとしたら
2.編集後記
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■ 1.自分の姿を見ようとしたら
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今年最後の配信になりましたね。
今日はとても天気がいいです。
でも日本海側は大変な雪なんですよね。
現象世界はそういうところですね。
(*^_^*)
さて、またまた一週間が過ぎて、
楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、
お付き合いいただく今がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人のpariです。
先日久しぶりに古くからの友人が
ご夫婦で会いに来てくれてお喋りしました。
なにしろ長い付き合いなので、
彼も一応このメルマガに登録してくれています。
関心領域がまったく違うので、
ほとんど読んでいないのは知っていますが。
でもときどき、
まだ書いているんだなと確認してくれている
ということを聞いていました。
彼から贈られた彼の投稿誌に触れたとき
ついでに……、
「ところで、
わたしが書いていることってわかりますか?」
と聞いてみました。
「いや、ほとんどわからない」
ということでした。(*^_^*)
当然ですよね。
まったく誰の役に立つ話でもないし……。
これくらい長くしつこく
若い頃にもった問題意識の周辺を
縁のあったわずかの本でなぞっていると、
知的な意味、論理的な意味では
本質的に「求道」とはどういうことなのか?
ということはもう十分に理解されています。
求道とは、
自分が望む状態はこの今の状態ではない
という妄想の道行きです。(*^_^*)
思考の中で不幸になっているのに、
その思考の中に幸福を求めている。
簡単に言えば
幸福になりたいだけなんですけど。
でももちろん
エゴが関心をもつのは個人的幸福です。
なにしろ、
不幸になるのは「分離の幻想」、
つまりはエゴなのですから。
そして覚者はこう言います。
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あなたは、
あなた自身の幸福に関心がある。
そして私は、
そんなものはないと言っているのだ。
幸福はけっしてあなた自身のものではない。
それは「私」がないときにあるのだ。
私はそれがあなたの手に届かないところにある
と言っているのではない。
あなたはただ、
あなた自身の彼方に
手を差しださなければならないのだ。
そうすればそれを見いだすだろう。
『私は在る』(p457)
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> あなたは、
> あなた自身の幸福に関心がある。
> そして私は、
> そんなものはないと言っているのだ。
というわけなのです。
そしてエゴがこのことを
どれほどすばやく吸収消化できるかは、
そのエゴ(欲望の束)の練度によるわけです。
(pariパターンなどは
未だに消化できないようです。(^_-) )
要するに、
どういう欲望の塊(魂)が
その肉体に入ってきたかということです。
> 幸福はけっしてあなた自身のものではない。
> それは「私」がないときにあるのだ。
「自分」という観念は
一種の仮想された集合意識です。
実体としては存在しない抽象概念です。
以前わたしは、
物理次元に有機体として現象している生命と、
社会的な抽象概念を区別していました。
つまり、
物理次元に現象している有機体(肉体)と、
人間が発明して使っている抽象概念とを
区別していました。
たとえば、
「肉体」という有機体や、
「地球生態系」という有機体は
物理次元に現象しているので
写真の被写体になることができる。
しかし、たとえば、
「日本」というのは
人間社会では通用する集合的抽象概念だけれど、
それは人間の概念としてあるだけで、
有機体として物理次元には現象していない。
だからそれを写真には撮れない。
というふうに考えていました。
そしてこれは、
神が創った有機ロボットである人体と
人間が制作するAIロボットの違いとも
遠く共鳴する事柄のような気もしていました。
でも今は、
これは程度の問題なんだなと思っています。
「地球生態系」も「日本」も、
「人体」も「AIロボット」も、
本質的な違いはないのだろうと思います。
「地球生態系」であれ「人体」であれ
そのような【見かけ】を観ているのは意識です。
個人が存在するという
分離幻想(物語)の中に入れば、
「個人意識(エゴ)」があるように、
「地球生態系」の意識もあるでしょう。
たしかに「人体」には、
「個人意識(エゴ)」が発現しています。
今のところわれわれは、
人間が作る「AIロボット」には、
クオリアは発現しないと想像するようです。
でもそれは、
「AIロボット」にクオリアを発現させる方法を
自分は知らないと想像するからです。
誰が? (?_?)
その誰かがいるんでしょうか? (^_-)
個人の形態を構成しているのは
間違いなく物質でしょう。
じゃあ、
物質は意識の夢を見られるのでしょうか?
以前「海辺の家」という文章を書いたときも
https://www.ascensionkan.com/work/04comp_08umibe.html
結局はそのことを書いていました。
それから、
素粒子のネットワークで意識を創れるかを
想像したこともありました。
しかし、
先に意識のイメージがないのに、
物質の最小単位である素粒子が
どうしたら自律的に意識を構想するなんて
芸当ができるのでしょうか?
あえて意識と物質を分けて考えるなら、
物質とは検証可能な客観的対象物でしょう。
要するに、
客観的対象物がどうして主観を構想できるのか?
という話です。
つまり「主観」と「客観」、
「主体」と「対象物」という言葉自体が、
そのように現象を描く前提の用語法なのです。
もともと唯一無二の不可分のものを
表現上の都合であえて
「気づき」と「現象」とか、
「非顕現」と「顕現」とか、
「主体」と「対象物」とか分けたわけです。
そうであるなら、
認識されない「現象」がありえない以上、
気づかれない「現象」は存在できません。
同じように、
その用語法の上では
「現象」は「気づき」の背景なしには
ありえません。
また「顕現」とは
もともと自らの可能性を見るために
「非顕現」が現した仮幻の姿なのですから
「顕現」と「非顕現」の区別に本来意味はなく、
「顕現」も「非顕現」も一心同体、
同じものだと言えるでしょう。
また「主体(知る者)」がいない状況で
「対象物(知られるもの)」が現れることはないので、
これも現象の両面にすぎません。
このような
元々幻想でしかない「二元性」の両極は
自らの想像(創造)の中で迷子になった意識が
帰り道で辿らざるをえない道標なのでしょうね。
──────────────────
ひとたびあなたの想像以外は
何も困難をもたらすことができない、と
絶対の確信を持って知るなら、
あなたは欲望や恐れ、
概念や見解に注意を払わず、
真実とともにのみ生きるだろう。
『私は在る』(p131)
──────────────────
> ひとたびあなたの想像以外は
> 何も困難をもたらすことができない、と
> 絶対の確信を持って知るなら、
原理はこれほど単純なことなのに……、
> あなたは欲望や恐れ、
> 概念や見解に注意を払わず、
> 真実とともにのみ生きるだろう。
自分の想像の中で迷子になった意識にとっては、
これほど難しいことはありません。
だからこそマハラジも
これほど強い言葉を使うのでしょう。
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私は意識とその意識の中に起こることは何であれ、
巨大な詐欺にすぎないという結論に至った。
この詐欺を犯している人は誰もいない。
それは自然発生的な出来事だ。
この詐欺の犯人は誰もいない。
『意識に先立って』(p228)
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> 私は意識とその意識の中に起こることは何であれ、
> 巨大な詐欺にすぎないという結論に至った。
夢の中での苦しみの巨大さからいえば、
発見された真実は詐欺としか言えない。
> この詐欺を犯している人は誰もいない。
> それは自然発生的な出来事だ。
しかし、
詐欺の犯人は特定できません。
なぜなら、詐欺の犯人は
実体としては存在しないからです。
詐欺の犯人は創造という絵の中にいます。
つまり、
夢の中にしかいないわけです。
それが釈尊の「縁起」が意味することです。
犯人は現象という物質仮定の中にいて、
それは【見かけ】を構成する
単なる物質的自動過程にすぎません。
その自動過程の中で
想像が誘引され物語が立ち上がる。
どこで? (?_?)
意識の中で。
なぜなら意識しか存在しないからです。
> この詐欺の犯人は誰もいない。
物質的自動過程である【見かけ】に誘引されて
夢を観ているのは意識です。
しかし、
いったん夢から覚めたら、
その【見かけ】のなかに
どんな物語も存在しないことは自明です。
つまり苦しんでいる者は誰もいない。
【見かけ】はあくまでも物質過程です。
客観的対象物である物質は苦しみません。
それは苦しみの【見かけ】を創るにすぎない。
苦しむのは夢を観ている意識です。
そして通常われわれが自分と思っているものは、
夢見られている物質過程です。
こういう文面では
一瞬一瞬「わたし」の意味がシフトする。(*^_^*)
今の今まで“自分”だったものは、
単なる概念にすぎなかったわけです。
その概念にエネルギーを注いで実体化していたのは、
観ている意識エネルギーです。
つまり、
あなたが“自分”という言葉で指すものと、
わたしが“自分”という言葉で指すものは、
同じものだということです。
あなたの身体という物質過程が
意識をもっているわけではなく、
またわたしの身体という物質過程が
意識を所有できるはずもない。
単なる物質過程が
どうやって意識を想像し、
構想して、創り出し、
それを所有できるというのでしょう?
実際は、
唯一無二の存在である意識の中に、
あなたやわたしの身体が
想像(創造)されて、
投影されているだけです。
pariパターンという物質過程は
かなり愚かしい体験を重ねながら、
このような文面を書かされるために
創造された心身構造体なのです。
なにしろ、わたしは
ひたすら<いま・ここ>から逃げるために
人生を送ってきたようなものだからです。
ところが、
何ができないと言って、
<いま・ここ>から逃げることほど
不可能なことはありません。(>_<)
なぜなら、ご存知のように、
「いま、ここに、私は在る」こそが
【見かけ】の幻想に基づかない
わたしの唯一絶対の真実だからです。
わたしが求めてきたものは、
知覚対象である現象世界の中の
何かではありえません。
そして、
何かではありえないものは
いったん自分の姿を見ようとしたら、
何かとして自らを表現するしかない。
表現するにはそれしか方法がないからです。
表現とはそういうことですから。
だから……、
なんでもないものが、
あらゆるものになりながら、
その中で自分探しをしている。
それが古来インドで
「リーラ」と呼び習わされた
【神の隠れん坊】です。
晩年のマハラジは
これを「巨大な詐欺」と呼びました。
神聖なジョークという言い方もあります。
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世界は華麗にきらめく空虚なショーだ。
それは在り、しかもそれはない。
私が見たいと欲し、
それに参加したいと望むかぎり、
それはそこに在る。
私が気にかけるのをやめるとき、
それは溶け去る。
それは原因がなく、
何の目的にも仕えない。
それは私たちが放心しているときに起こる。
まったく見たとおりに現れはするが、
そこには何の深みも意味もない。
ただその傍観者だけが実在なのだ。
彼は真我ともアートマとも呼ばれる。
真我にとって世界は、
それが続くかぎり楽しみ、
終われば忘れられてしまう、
ただの色鮮やかなショーにすぎない。
何であれ、
舞台の上で起こることが彼を恐怖で身震いさせようと、
あるいは笑い転げさせようと、
常に彼はそれがただのショーだと知っている。
欲望や恐れなしに、
彼は起こるがままに楽しむのだ。
『私は在る』(p196)
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(-||-)
土曜だけこんな景気のいい話を書いています。
字面だけ読めばまるで……。(^_-)
いや、逆に言いましょう。
ウィークデイはすっかり
地球人を真似しているのですから、
土曜くらいは覚者の真似をするのも
悪くないかも。(*^_^*)
(-||-)
──────────────────
あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
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(-||-)
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永久的なもの、
それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
──────────────────
……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
………○…………○…………○………
『私は在る』の「目次」はここ↓にあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html
「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
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「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/
『アセ通』既刊号はすべてここにあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/
………○…………○…………○………
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■ 2.編集後記:
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夢の中では、
今年はこんな年でしたね。
さて来年はどんな年になるのか。
それにしても冬になるといつも、
日本海側は大変だなぁと思ってしまいます。
すっかり暗くなりました。
それではおやすみなさい。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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