home > 通信 >『アセンション館通信』第768号:あなたが覚醒なのだ



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆
 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2019/01/06(第768号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
-☆☆────-☆☆─────────────────────
 ☆☆   ☆☆   https://www.ascensionkan.com/
━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している夢の場面の報告です。

 「知らないでいること」に心地よさを覚えてください。
 そうすることによって、思考を超越することができます。
   (『世界でいちばん古くて大切なスピリチュアルの教え』)

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在825名
──────────────────
◇◇ もくじ ◇◇

1.あなたが覚醒なのだ

2.編集後記
──────────────────

━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 1.あなたが覚醒なのだ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━

夢の中では年が明けました。

今日はとても天気がいいです。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、

お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人のpariです。

このタイトルのメルマガ配信を始めたのは

2004年2月29日(日)のことでした。

この週一のメルマガ配信を続けて

足かけ16年目に突入したようです。

この間にメルマガのテーマは

いわゆるアセンションの話題から、

「私は在る」というテーマに移りました。

その移行期は今思えば

かなり早い時点だったようです。

発行翌年の2005年10月30日(第88号)で、

初めて『私は在る』について書いています。
https://www.ascensionkan.com/mm/vol088.html#1

この号の配信は

心理的にかなり不安定な状態で行われたみたい。

インターネットが繋がらない状態で

記事を書いていたようです。(^^;)

記事の内容も

それなりに辻褄は合っているようすが、

実際は何一つ受け取ってはいません。

でも一度これを読んでしまったのは事実なので、

エゴも無傷ではいられないでしょう。

真理の言葉が

ゆっくりゆっくり浸透してきます。

そのためにこの身体が発射されたというか、

そういう欲望がこの身体に乗ったわけでしょう。

だからこんな夢の場面が起こっています。

ただ、

このpariパターンというのが、

そうとう“下根”というか

タフなマインドとして機能するための

プログラミングだったのは間違いありません。

なにしろ本屋の息子です。
https://www.ascensionkan.com/mm/vol077.html#1

本屋の息子という条件づけは

簡単に言えば

“何一つ深まらない”ということです。

ランダムに色々なタイトルの本(関心)が

視野に入るだけですから。

昨日はあっちが気になったかと思えば、

今日はこっちが気になるというだけです。

──────────────────
 意識がそこにあるかぎり、
 苦痛と快楽は避けられない。
 対極のものと自己同一化することが、
 意識の、
 「私は在る」の本性なのだ。
 
 『私は在る』(p182)
──────────────────

> 対極のものと自己同一化することが、
> 意識の、
> 「私は在る」の本性なのだ。

この一点に関するかぎり

pariパターンはかなり純粋培養的な

プログラミングとも言えそうです。

深まるということができないように

とても入念にプログラミングされている。

そして一瞬一瞬、

「わかった」(@_@)

と思いながら、

けっして何かに熟するということがない。

かなり愚かしい登場人物として

誕生させられているようです。

そのようなカルマとして

発射された身体だったのでしょう。

でも、

おかげさまでというのか何というのか、

動画を1/2倍速で再生するような

わかりの遅い理解過程をデモ再生するには

うってつけのパターンだったかもしれません。

おかげさまで、

同じ霊的意識内実に対する

異なる覚者たちの表現を

たどる機会に恵まれました。

スピリチュアルの世界とは

基本的には現象世界の全表現が該当するでしょう。

何らかの究極の真実というものが

いつか表現されるなどということはありません。

あらゆる表現は

つかの間の一場面にすぎません。

観照しているのは永遠不動です。

つまり、あなたです。

ただ、

この文章を書かされているわたしや

この文章を読んでいるあなたは、

感覚機能に騙されて

現象の中に自分がいると感じさせられている。

つまり、

観照される画面の中の何かを自分と見なしているので、

その自分の存続を願ったり、

その消滅を恐れたりしする

いろいろの体験にフォーカスしています。

このエゴが自前で生きているかのような

偽りの観念が生きているかぎり、

投影された画面は物語として体験され

その物語の中で様々な快楽や苦悩が起こっています。

──────────────────
 私たちは多様性を、
 苦痛と快楽の劇を愛している。
 私たちは対比によって魅せられているのだ。
 このために対立するものと、
 それらの表面上の分裂を必要としている。
 しばらくの間それらを楽しみ、
 それから退屈して、
 純粋な存在の平和と沈黙を切望するのだ。
 宇宙のハートは絶え間なく鼓動している。
 あなたはその観照者であり、
 そのハートでもあるのだ。
 
 『私は在る』(p434)
──────────────────

> 私たちは多様性を、
> 苦痛と快楽の劇を愛している。

われわれはここにいるでしょうね。

> 私たちは対比によって魅せられているのだ。

まさにこの状態です。

> このために対立するものと、
> それらの表面上の分裂を必要としている。

空白でいられる時間さえ

何らかの現象と関わる騒音で埋めたくなるのです。

> しばらくの間それらを楽しみ、

pariパターンは

もう楽しむことはできないようですが……、

> それから退屈して、
> 純粋な存在の平和と沈黙を切望するのだ。

【純粋な存在の平和と沈黙を切望する】

段階にも至っていない。

主観的には最もつまらない状態です。

> 宇宙のハートは絶え間なく鼓動している。
> あなたはその観照者であり、
> そのハートでもあるのだ。

実在するのが現象の観照者であることを

ただ知的に理解した段階です。

それ以外に何も存在しないこと、

現象はすべてつかの間の【見かけ】にすぎないことを

知的に理解している状態です。

でもまだ、

身の回りの現象が

“自分”に都合よく運ぶことを望んでいる。

ふふ。

──────────────────
 あなたはつねに快楽を求め、
 苦痛を避けている。
 いつも幸福と平和を追い続けているのだ。
 あなたの幸福への探求自体が、
 あなたを惨めに感じさせているのが
 わからないだろうか?
 ほかの方法を試してみなさい。
 苦痛と快楽に無関心でありなさい。
 求めず、拒まず、
 永遠に存在する「私は在る」のレベルに、
 あなたのすべての注意を払いなさい。
 すぐにあなたは平和と幸福が
 あなたの本性そのものであることを悟るだろう。
 
 『私は在る』(p258)
──────────────────

> あなたはつねに快楽を求め、
> 苦痛を避けている。

うん。(*-_-*)

> いつも幸福と平和を追い続けているのだ。

たしかに。

> あなたの幸福への探求自体が、
> あなたを惨めに感じさせているのが
> わからないだろうか?

いや、それが……。

わかりはじめてきちゃいました。

> ほかの方法を試してみなさい。

(-_-)?

> 苦痛と快楽に無関心でありなさい。

ああ……それだけか。

> 求めず、拒まず、
> 永遠に存在する「私は在る」のレベルに、
> あなたのすべての注意を払いなさい。

(-_-)

> すぐにあなたは平和と幸福が
> あなたの本性そのものであることを悟るだろう。

(-||-)

このまったく同じことを

ラマナ・マハルシはこう表現します。

──────────────────
 質問者 この覚醒とは何でしょうか?
     どのようにしてそれを得、
     培うことができるのでしょうか?
 
 マハルシ
 あなたが覚醒なのだ。
 覚醒とはあなたのもうひとつの名前だ。
 あなたが覚醒なのだから、
 それを得たり、培ったりする必要はない。
 あなたがしなければならないことは、
 真我でない他のものごとに
 注意をはらうのをやめることだけだ。
 もしそれらに気づくのをやめれば、
 純粋な覚醒だけが残る。
 それが真我である。
 
 『あるがままに』(p21)
──────────────────

> あなたが覚醒なのだ。

すべての現象は

その背景としての観照なしには起こりえない。

あなたがその観照なのだ。

> 覚醒とはあなたのもうひとつの名前だ。

唯一目覚めていて現象を観照しているのは

実在であるあなただ。

現象が現象を観照しているわけではない。

> あなたが覚醒なのだから、
> それを得たり、培ったりする必要はない。

目覚めて現象を観照しているのが

あなたの現状なのだから、

そのあなたが目覚めを獲得したり、

培ったりする必要はない。

> あなたがしなければならないことは、
> 真我でない他のものごとに
> 注意をはらうのをやめることだけだ。

あなたがしなければならないのは、

つかの間の【見かけ】でしかない現象の中に

何かを求めるのをやめることだけだ。

現象に注意を払うのをやめなさい。

しなければならないことは

しなければならないだろう。

だが現象という【見かけ】のなかに

何かを求めるのはやめるだけでいい。

> もしそれらに気づくのをやめれば、
> 純粋な覚醒だけが残る。
> それが真我である。

何らかの利己心をもって

現象に働きかける必要もなければ、

そこに娯楽を求めることもない。

それらはあなたでもあなたのものでもない。

もしあなたの心が完全に内側に向けば、

あなたに現象は現れなくなる。

そこには純粋な覚醒だけが残る。

それが真のあなただ。

──────────────────
 あなたは真我である。
 あなたはすでにそれなのである。
 
 事実は、
 あなたが自分の至福に満ちた状態に
 無知だということだ。
 無知は次から次へと起こり、
 至福である純粋な真我にヴェールをかけてしまう。
 ただ誤った知識である
 無知のヴェールを剥ぐことだけを試みればよい。
 誤った知識とは、
 真我を身体や心と同一視することにある。
 この偽りの同一視がなくならなければならない。
 そうすれば、ただ真我だけが残る。
 
 『あるがままに』(p36-37)
──────────────────

> 事実は、
> あなたが自分の至福に満ちた状態に
> 無知だということだ。

わたしたちは真の自分の状態を知らない。

> 無知は次から次へと起こり、
> 至福である純粋な真我にヴェールをかけてしまう。

その無知が次々と

真我にヴェールをかけてしまう。

そして私たちはその見かけの罠に囚われる。

> ただ誤った知識である
> 無知のヴェールを剥ぐことだけを試みればよい。

私たちに必要なのは

そのその見かけの罠を無視することだけだ。

──────────────────
 あるがままのあなたで在りなさい。
 天から降りてくるようなものは何もないし、
 現れもしない。
 必要なのは自我を失うことだけだ。
 在るものは、つねにそこに在る。
 今このときでさえ、
 あなたはそれである。
 空白状態はあなたによって見られている。
 空白を見ているあなたはそこに存在している。
 何を待つというのだろうか?
 「私はまだ見ていない」という考え、
 見たいという期待、
 何かを得ようとする欲望は
 すべて自我の作用である。
 あなたは自我の罠に陥っている。
 これらのことはあなたではなく、
 すべて自我が言っているのである。
 あるがままのあなたで在りなさい。
 それ以上何も必要ない!
 
 『あるがままに』(p122)
──────────────────

> あるがままのあなたで在りなさい。

あなたは自分が存在することを知っている。

その永遠の存在で満足しなさい。

> 天から降りてくるようなものは何もないし、
> 現れもしない。

あらゆる現象は

すべてつかの間の見かけにすぎない。

そんなものに何を期待することがあろう?

> 必要なのは自我を失うことだけだ。

あなたに必要なのは、

自我の言葉を無視することだけだ。

> 在るものは、つねにそこに在る。

実在するものは

つねに永遠に実在している。

> 今このときでさえ、
> あなたはそれである。

今ここでそれは存在している。

そしてあなたこそがその存在だ。

> 空白状態はあなたによって見られている。
> 空白を見ているあなたはそこに存在している。

あなたは現象を観照しているだけではない。

あなたは空白をも見ている。

そして空白を見ているあなたは

今この瞬間にもここに存在しているのだ。

> 何を待つというのだろうか?
> 「私はまだ見ていない」という考え、
> 見たいという期待、
> 何かを得ようとする欲望は
> すべて自我の作用である。

無知ゆえにあなたは

自分が何かを求めているのだと思う。

だが何を求める必要があるというのか?

この上何を期待するというのだろう?

あなたは永遠の実在なのだ。

あらゆる形と名前は

つかの間の見かけにすぎない。

自分はまだ見ていないという考え、

新たな何かを見たいという期待、

何かを得ようとする欲望は

すべて物語の中でしか生きられない

自我の働きから生まれる目眩ましなのだ。

> あなたは自我の罠に陥っている。

あなたは【見かけ】の中、

物語の中でのサバイバルを仕掛ける

自我の罠に陥っている。

> これらのことはあなたではなく、
> すべて自我が言っているのである。

あなたに囁きかけるその想念は

【見かけ】に投影した自作の物語の中で

恐怖に駆られている自我の言葉なのだ。

> あるがままのあなたで在りなさい。
> それ以上何も必要ない!

あなたはそれらの言葉を無視して

ただあるがままのあなたで在ればいい。

あなたは自分が存在していることを

自分で知っているのだから。

自我の言葉に耳を傾けて

【見かけ】の物語に何かを求めるがゆえに、

あなたは無用に苦しむのだ。

ただ自分が永遠の存在であることに

満足しなさい。

それ以上に求めるべきものなど何もない。

あなたは形も名前も無いもの。

どんな物語も、どんな形も名前も、

つかの間の画面にすぎない。

それらはあなたなしには存在できない。

あなたこそが永遠の実在なのだ。

──────────────────
 世界は無数の輪(リング)でできている。
 それに引っかける鉤(フック)は
 みなあなたのものだ。
 あなたの鉤をまっすぐにしなさい。
 そうすれば何も
 あなたを捕らえることはできないだろう。
 あなたの耽溺を放棄しなさい。
 ほかに何も放棄するものはない。
 常習的な利欲心、
 結果を探し求める習慣を止めなさい。
 そうすれば自由の世界はあなたのものだ。
 努力せずに在りなさい。

 『私は在る』(p259)
──────────────────

> 世界は無数の輪(リング)でできている。

自我が作る罠は無数の輪でできている。

> それに引っかける鉤(フック)は
> みなあなたのものだ。

その輪に引っかけるフックは

すべてわたしの執着だ。

> あなたの鉤をまっすぐにしなさい。

その執着を手放しなさい。

> そうすれば何も
> あなたを捕らえることはできないだろう。

そうすれば、

何もわたしを捕らえることはできない。

> あなたの耽溺を放棄しなさい。
> ほかに何も放棄するものはない。

現象の中に好きな画面を求めること、

その期待を放棄するだけでいい。

それ以外に手放すべきものは何もない。

> 常習的な利欲心、
> 結果を探し求める習慣を止めなさい。

現象が自分の都合に合わせてくれること、

現象の中に結果を求める習慣、

それを手放せばそれでいいのだ。

> そうすれば自由の世界はあなたのものだ。
> 努力せずに在りなさい。

それ以外にわたしに求められていることは

何もない。

なぜなら、

わたしはすでに存在しており、

自分でそれを知っているのだから。

(-||-)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
──────────────────

(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


   ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓にあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

『アセ通』既刊号はすべてここにあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


   ………○…………○…………○………


▼『アセ通』へのご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702


   ………○…………○…………○………


▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


   ………○…………○…………○………


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.編集後記:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

いつの間にか、

こんなことを書くようになってしまいました。

真我はすでに実現されています。

わたしの現状です。

ただわたしの自我が

退場していないだけです。

いつまでも自我に執着する必要もないかも。

すっかり暗くなりました。

それではおやすみなさい。

<(_ _)>


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
──────────────────
二つの配信スタンドで発行されています。
mag2:http://www.mag2.com/m/0000126287.html
melma:http://www.melma.com/backnumber_110091/
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
Copyleft(C)2018 paritosho
↑コピーレフトの概念はこちら↓をご覧ください。
http://now.ohah.net/commune/--license--copyleft.html#copyleft
──────────────────