━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2019/01/13(第769号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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☆☆ ☆☆ https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している夢の場面の報告です。
「知らないでいること」に心地よさを覚えてください。
そうすることによって、思考を超越することができます。
(『世界でいちばん古くて大切なスピリチュアルの教え』)
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在823名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.【わたし】【見かけ】【意識】
──「リーラ(神の戯れ)」再訪──
2.編集後記
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■ 1.【わたし】【見かけ】【意識】
──「リーラ(神の戯れ)」再訪──
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今日はかなり寒い日です。
夢の中だって冬は寒い。
(*^_^*)
さて、またまた一週間が過ぎて、
楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、
お付き合いいただく今がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人のpariです。
わたしたちは肉体をもっているとき
こうして現象世界を体験できます。
ある意味で【自分】を体験できるわけですよね。
ここで【わたしたち】と言っているのは、
多様性という幻想の中に想像された
唯一の実在である【意識】のことです。
いずれにせよ、
実在しているのは意識しかありません。
でも別に【意識】という名前のついたものが
存在しているわけではないので、
なんだかわからん“名無しの権兵衛”とか、
【なんでもないもの】と言ってもいいです。
とにかく、
いっさい何も存在しないのではなく、
何か非常にパワフルなものが存在しているのです。
なぜそう言えるか?
なぜなら、
これを書いている【わたし】がいて、
それを読んでいる【あなた】がいるからです。(*^_^*)
ただし、
【わたし】がいるのはかなり確かだとしても、
【あなた】がいるのはかなり想像です。(^_-)
というわけで、
あまり硬いことを言わなければ、
このメルマガが現象しているところには
【わたしたち】がいるわけです。
少なくとも、
【わたし】には
【わたし】が存在しないとは言えません。
ただし【あなた】が存在するというのは、
多分に【わたし】の想像です。
この【わたし】というのは、
肉体の誕生とともに発現する
「私は在る」という感覚、
つまり存在感のことですよね。
この存在感が発現すると
すべての顕現が立ち上がってくるわけです。
そしてそこで展開する内実のなかで、
この【わたし】の本質は【意識】と言うべきか、
といった感じが浮上してくるわけでしょう。
では、この【意識】という観念に
どんな意味合いが込められているんでしょう?
それは【わたし】が【わたし】を見るための仕組み
とでもいった感じでしょうか。
【わたし】がただ【わたし】でいるだけでは、
【わたし】は【わたし】の存在を
確認できません。
【わたし】はたしかに
存在しているのかもしれないけれど、
その存在を確認できない。
その状態では
【わたし】は【わたし】の存在に気づいていません。
ラマナ・マハルシはその状態を
「私−私」と表現したようです。
もしかしたら
源泉としての【わたし】は、
【わたし】の存在が
そのまま永遠の闇の中に埋没してしまうことを
望まなかったのかもしれません。
永遠の闇の中に埋没してしまうとは
ズバリ消滅を意味したでしょうから。
だから【わたし】は
「私は在る」の痕跡を残したのかもしれませんね。
【わたし】の【見かけ】として、
現象世界としてです。
この顕現と非顕現を束ねたものを
指し示す名前が【意識】です。
顕現と非顕現というのは、
二つの別のものではありません。
それはただ
顕現という機能を実現するには
その顕現に気づく何かがなくてはならない
というだけのことです。
なぜなら、顕現するには
“何か”として顕現するしかありませんが、
その顕現した“何か”に気づくためには
その“何か”ではないものが必要だからです。
それを“なんでもないもの”と言いましょう。
すると、
【わたし】が顕現するためには、
【わたし】が“なにか”と
“なんでもないもの”の二役を演じるしかない
ということになります。
【わたし】とその【見かけ】とは、
二つの別のものではなく、
「顕現−非顕現」という機能を内包した
唯一の実在【わたし】の二つの側面だと言えます。
そしてそのような意味合いを込めて
その唯一の実在を【意識】と呼んだわけです。
それは自らの存在の確認能力を秘めた
【わたし】の在り方です。
だからある意味では
見えるもの(何かとしての顕現)は
すべて自分ではありません。
ただ見えるものを見ることによって、
見ている自分が存在することを確認できるのです。
というわけなので、
【見かけ】を見ることが
自分の存在確認にすぎないなら
何の問題もありません。
また【見かけ】のすべてが
自分の表現全体として認識されているなら
これまた何の問題もありません。
しかし、もしかすると、
それだけでは、
この【見かけ】の顕現能力を維持することが
できないのかもしれません。
なぜなら、
もし【見かけ】がつねに存在確認でしかないなら、
自分の存在が自明な【わたし】にとっては、
無意味で蛇足のシグナルでしかありません。
そんなものを
【わたし】が気にする必要もないので
【わたし】はやがて気にするのをやめるでしょう。
実在しているのは唯一【わたし】だけなので、
【見かけ】はエネルギーを断たれて
自己再生能力を失うのかもしれません。
顕現という半身を失った非顕現は、
非顕現だけでは存在できずに、
永遠の闇の中に埋没してしまうことでしょう。
それで一向にかまわないとも言えます。
さしずめ、リーラ(神の戯れ)を
「巨大な詐欺」と評するマハラジは
【わたし】がただ【わたし】である
「私−私」の在り方で満足することでしょう。
この状態では【わたし】は
ただの潜在可能性として存在しており、
【わたし】の存在に気づいていません。
ただ【わたし】の潜在可能性の中には、
「顕現−非顕現」という両面を備えた
【意識】世界も含まれていました。
その可能性を顕現するには
おそらく
「リーラ(神の戯れ)」という仕組みが
必要だったのです。
それは顕現世界のなかに
永遠の変化の種を内蔵させて
その種を顕現世界の中で
永遠にリサイクルさせる自動過程なのでしょう。
先程も言ったように、
自分の存在を知っている絶対の主体性【わたし】は、
自分自身を対象として見ることはできません。
【わたし】が自分を見るには
自分を何らかの対象物として表現して
それを見るという方法しかありません。
その対象物である【見かけ】が
それ自体でひとりでに新たな見かけを演出したら
【わたし】は興味をそそられて
「顕現−非顕現」の両面を備えた【意識】世界が
自然に安定するかもしれません。
その場合も、
実際に存在しているのは
【意識】(顕現−非顕現)だけです。
客観的な知覚の対象は、
本質的には自作自演の変化する自動過程、
つかの間の【見かけ】以外ではないからです。
だから【意識】がそのことを知っているなら、
この興味ある「華麗にきらめく空虚なショー」を
ただ起こるがままに楽しむだけでしょう。
しかし、
もし見ている【意識】が、
この現象世界が思い込みを映し出す
単なるホログラムであることを忘れて、
それ自体で独自に存在する現実だと思い込んだら、
かなり厄介な揉め事に巻き込まれます。
なぜなら、
【見かけ】の出来事を見ているのは
たしかに唯一の実在である【意識】ですが、
もしその【意識】が
【見かけ】の出来事を現実と思いこんだら、
エネルギーを全面的にそこに注ぐからです。
実際は【見かけ】の出来事は
顕現構造体という自動プログラムが
機械的に生成した無生命の感覚刺激にすぎません。
現象世界とは
その感覚刺激が肉体の知覚能力によって感知され
精神機能の知力によって解釈されたものです。
想像できるかぎりの
超最先端VR(仮想現実)とも言えるでしょう。
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たったひとつ、あなたには誤りがある。
あなたは内面を外面に見て取り、
外面を内面として見ているのだ。
あなたの内側にあるものを
あなたの外側にあると見なし、
外側にあるものを
あなたの内側にあると見なしているのだ。
マインドと感情は外側にあるのだ。
だが、あなたはそれらを
最も内部にあると見なしている。
あなたは世界が外界のものだと信じている。
だが、
それは完全にあなたの精神の投影なのだ。
『私は在る』(p258)
──────────────────
> あなたは内面を外面に見て取り、
> 外面を内面として見ているのだ。
つまり、
外界とは心身構造体のプログラミングが
呼び出したホログラムであり、
マインドと感情こそが
個人に一体化した【意識】が呼び出した
一種の出力にも似たものだと
マハラジは言っているのかもしれません。
たしかに、わたしたち
(という個人に一体化した【意識】)にも、
このような知識を知的に理解することはできます。
理解はできるのですが、
いかんせん、肉体の誕生以来
ひたすら学び蓄積してきた自分とは
すべてこの個人に一体化した【意識】なのです。
それが自分の思考であり感情です。
これこそが“自分”なのです。
普段の日常生活はすべて
この“自分”のまわりに築かれています。(-_-;)
しかしまた、
物質からできたこの身体に
思考や感情を創造する機能がないこと、
それもまた理解できます。
身体というのは
現象世界というホログラムが生成する
ヴァーチャル・リアリティの
超高機能の受信・解読装置だということを。
──────────────────
あなたが意識していることは、
あなたでもなければ、
あなたのものでもない。
あなたのものとは知覚の力であり、
あなたが知覚しているものではない。
意識を人の全体像として見なすのは間違いだ。
人は無意識であり、
意識であり、超意識だ。
だが、あなたは人ではないのだ。
あなたのものとは映画のスクリーン、
光、そして見る力だ。
だが、映像はあなたではない。
『私は在る』(p463)
──────────────────
> あなたのものとは映画のスクリーン、
> 光、そして見る力だ。
> だが、映像はあなたではない。
【わたし】とは
この【見かけ】の観照者です。
しかし、
この【見かけ】のなかに
【わたし】はいないのです。
エックハルト・トールはその著
『世界でいちばん古くて大切なスピリチュアルの教え』で、
このことを
次のような平明な言葉で語っています。
──────────────────
20歳(はたち)の頃のあなたは、
自分の身体が、強靭で、
エネルギーに満ち溢れていると感じていました。
60年後の今、あなたは、
自分の肉体が衰え、
年老いたと感じています。
20歳の頃と今とでは、
考え方も変わっているかもしれません。
けれども、
肉体の衰えや、
考え方の変化を感じ取っている
「意識」自体は何ら変わっていません。
その意識こそが、
あなたの中の「永遠なるもの」です。
それが、
形のない「唯一の生命」なのです。
これを失うことなどあるでしょうか?
いいえ、それはありえません。
なぜなら、あなた自身が、
「唯一の生命」だからです。
『世界でいちばん古くて大切な
スピリチュアルの教え』(p463)
──────────────────
> 20歳(はたち)の頃のあなたは、
> 自分の身体が、強靭で、
> エネルギーに満ち溢れていると感じていました。
そのときはそんなことすら
思いませんでした。
それがただ当たり前でしたから。
> 60年後の今、あなたは、
> 自分の肉体が衰え、
> 年老いたと感じています。
たしかに。
> 20歳の頃と今とでは、
> 考え方も変わっているかもしれません。
おっしゃるとおりです。
> けれども、
> 肉体の衰えや、
> 考え方の変化を感じ取っている
> 「意識」自体は何ら変わっていません。
ええ、
この【意識】に年齢はない。
> その意識こそが、
> あなたの中の「永遠なるもの」です。
間違いなく。
> それが、
> 形のない「唯一の生命」なのです。
それが唯一の実在である
【わたし】であり、
【なんでもないもの】です。
> これを失うことなどあるでしょうか?
> いいえ、それはありえません。
ええ、ありえません。
存在しているのは【意識】だけです。
そのほかは
つかの間の【見かけ】を作るために
現れているにすぎません。
> なぜなら、あなた自身が、
> 「唯一の生命」だからです。
はい。
実在するのは【意識】だけですから。
わたしたちは自分を“何か”だと思っている。
でも、現象しているわたしたちとは
自然現象の一部でしかない。
“何か”ではない。
【わたし】はこの身体を見ている。
でもこの身体は息を止めることすらできない。
これは自然現象の一部なのです。
そのことに安らぐことがくつろぎです。
(-||-)
──────────────────
あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
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(-||-)
──────────────────
永久的なもの、
それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
──────────────────
……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
………○…………○…………○………
『私は在る』の「目次」はここ↓にあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html
「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/
「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/
『アセ通』既刊号はすべてここにあります。
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■ 2.編集後記:
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こういうことを書くときだけが
ホッとできます。
まったく不器用なプログラミングで。
今も外は雨が降っています。
今日は寒い日でしたね。
すっかり暗くなりました。
それではおやすみなさい。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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二つの配信スタンドで発行されています。
mag2:http://www.mag2.com/m/0000126287.html
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