━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2019/01/27(第771号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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☆☆ ☆☆ https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している夢の場面の報告です。
「知らないでいること」に心地よさを覚えてください。
そうすることによって、思考を超越することができます。
(『世界でいちばん古くて大切なスピリチュアルの教え』)
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在822名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.物語は無意識の闇の中に
2.編集後記
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■ 1.物語は無意識の闇の中に
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今日も晴天ですね。
硝子戸の中は温かい。
(*^_^*)
さて、またまた一週間が過ぎて、
楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、
お付き合いいただく今がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人のpariです。
毎週土曜日になってこの画面に向かうと
なぜかいつも超越的なことを書きだす。
それもただ言葉だけで。
これはもう癖みたいなものですね。
普段の生活とはかけ離れている意識とも言えるけど、
一種のリズムになったのでしょう。
こうしてメルマガの画面に向かえば
気づきの対象となるすべて、
すべての状況すべての想念が、
つかの間の画面にすぎないことは自明です。
どんな想念が起こり、何を願ったとしても
何ひとつ永続するものなど無いのだから。
睡眠中に見る個人的な夢の中で
ただただ状況に押しまくられながら
すべての画面が変転していくのと
本質的には何も違わない。
なのに、
こんなに夢中になってしまって……。
あ、そうか、夢の中か! (*^_^*)
知覚されているすべては
ただの一場の画面にすぎません。
けっして留めておくこともできなければ、
自分のものにもできません。
“自分のもの”って……。(-_-)
“自分のもの”とは、
この知覚対象である世界に
“自分”以外の誰かが存在するという
「エゴ」の観点から捏造された幻想、
いわば物語の中にしかありえないものです。
知覚対象の世界を“真に受ける”というのは、
「エゴ」の物語の中に入ることです。
現象世界に見えているものは、
言葉で描写された途端に
すべて「エゴ」の観点からの風景になる。
現象世界とは
ある意味ですべて「エゴ」なんですね。
われわれは「エゴ」の物語を眺めている。
だから現象はすべて幻想なんだなぁ。(-_-;)
では「エゴ」とは何か?
「エゴ」とは知覚の対象物である
現象世界の中の何らかのパターンに
意識が同一化することなんでしょうね。
この部分が“自分”だと。
そして見られている対象物の何かに同一化したとたんに
見ている<気づき>は対象物の煙幕の中に入る。
無意識の闇に覆われるわけです。
その対象物に同一化した観点から物語が生まれます。
その物語の中で
つかの間の快楽や苦しみが生まれるわけです。
物語というのは無意識の闇の中でしか生まれません。
その物語の中で“わたし”は動き出す。
まるで“わたし”というものが存在するかのように。
そして無意識の闇の中で“わたし”は途方に暮れ、
その物語の中で
元々存在しなかった“わたし”が迷子になるわけです。
“わたし”が物語の中の状況を嫌悪することは
元々存在しない“わたし”が生き延びる方策ですから、
その物語を崩壊させることなどありえません。
その物語の真実性を強化することにしかならない。
<気づき>自体は今この瞬間にも
その状況の背景としてつねに存在しています。
<気づき>は今この瞬間の状況に気づいており、
その状況を理解しています。
<気づき>がなければどんな体験もありえません。
ただ<気づき>はどんな解釈にも与しない。
ただ気づいているだけです。
どんなポジティブな解釈も、
どんなネガティブな解釈も、
対象に同一化した意識エネルギーの産物です。
見かけに投影されたただの解釈にすぎません。
<気づき>を覆い隠すただの無意識の闇です。
体験を可能にしている<気づき>自体は
この瞬間の状況の解釈の中にはいません。
<気づき>は「エゴ」が捏造する物語という
無意識の闇の中に<気づき>の光を放ちます。
物語のヒダヒダに隠れる無意識の闇を
<気づき>の光を投じて追い散らすわけです。
言葉が紡ぐ世界はどこまで行っても
「エゴ」が捏造する解釈でしかなく、
無意識の闇でしかないわけです。
その無意識の闇は
その闇の中での苦闘によっては消えません。
“自分”の苦しみは、
“自分”が入れ込んだ思い込みの中で
想像されたものでしかないわけですから。
快楽も苦しみも
無意識の闇の中でしか現象しないでしょう。
なのに今やわたしたちは
その想像から捏造された構造物に
深く深く取り込まれてしまったわけです。
マハラジは言います。
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そこには想像があるだけだ。
知性とエネルギーは、
あなたの想像のなかで
すべて使い果たされてしまった。
あなたはまったく想像に夢中に
させられてしまったため、
どれほど実在から遠く離れてさまよい歩いたのかさえ
わからなくなってしまったのだ。
想像が豊かな創造力であることに疑いはない。
宇宙のなかの宇宙も、
想像によって構築されているのだ。
それにもかかわらず、
それらはみな空間と時間、
過去と未来のなかにあり、
実際は存在しないのだ。
『私は在る』(p306-307)
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> あなたはまったく想像に夢中に
> させられてしまったため、
> どれほど実在から遠く離れてさまよい歩いたのかさえ
> わからなくなってしまったのだ。
今や想像が完全に現実になってしまいました。
そして無意識の闇の中で生まれた誤解のために、
わたしたちは無用な物語を背負い込み、
その物語の重さで押しつぶされそうになっている。
これは映画の主人公のつらい立場に入れ込んで
感情的浮沈を楽しむ娯楽と同じことだと思います。
だからそれが楽しみだったら
何も問題はないとも言えます。
でももし、
楽しみの域を超えて苦しんでいるのなら、
それはもう娯楽とは言えません。
苦しみ中毒でしかありません。
その苦しみの中にとどまりたくないのなら、
その苦しみにまで至ったすべての想像を
ひとつひとつほどくしかありません。
すべてのプログラムを解除するしかない。
元々「なんでもないもの」が
「なにか」になるには、
どこかで誤解が必要だったでしょう。
その誤解は無意識の暗闇の中に
隠れるしかなかったのでしょうね。
そしてその誤解は
意識されなかった感情として物質化し、
肉体の細胞の中に蓄積されたのでしょう。
エックハルト・トールが
「ペインボディ」と呼んだものは
そういうプロセスなのかもしれません。
「なんでもないもの」が
「なにか」になるために
想像上のアクロバティックな一線を
超えることが必要だったのでしょう。
「なんでもないもの」が
「なにか」になるとは、
ある意味で耐え難いことだったので、
自分でも意識したくない
矛盾と違和感がそこにあったのかもしれません。
その耐え難い感じが一種の塊となって、
無意識の暗闇の中に貯蔵されたのでしょう。
そういう認知されない感情たちが、
意識することを回避したい不安と恐れとなって
無意識の暗闇の地下倉庫に封印されている。
その無意識の暗い地下倉庫に
<気づき>の光を投じる必要があるのでしょう。
ひとつひとつに光を当ててみれば、
子供の頃に感じることを避けた
恐れだったりするのでしょうね。
「なんでもないもの」が
「なにか」になることには、
なにやら詐欺行為じみたやましさが
隠れていたのかもしれません。
作家の埴谷雄高さんが
<自同律の不快>と呼んだ感じにも
そんな意味合いが隠れていたかも。
「なにか」になったものが
常に架空の比較に晒されなければならないのは、
そういう理由があるのではないでしょうか。
何も願わなくてすむのなら
それがいちばんかも。
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世界は無数の輪(リング)でできている。
それに引っかける鉤(フック)は
みなあなたのものだ。
あなたの鉤をまっすぐにしなさい。
そうすれば何も
あなたを捕らえることはできないだろう。
あなたの耽溺を放棄しなさい。
ほかに何も放棄するものはない。
常習的な利欲心、
結果を探し求める習慣を止めなさい。
そうすれば自由の世界はあなたのものだ。
努力せずに在りなさい。
『私は在る』(p259)
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(-||-)
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あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
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(-||-)
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永久的なもの、
それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
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……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
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■ 2.編集後記:
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どんな言葉もただの概念にすぎません。
言葉が出てこないのは、
言葉の賞味期限が切れつつあるのか。
すっかり暗くなりました。
それではおやすみなさい。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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二つの配信スタンドで発行されています。
mag2:http://www.mag2.com/m/0000126287.html
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