home > 通信 >『アセンション館通信』第773号:自己イメージが縮んだままに



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2019/02/10(第773号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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 ☆☆   ☆☆   https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している夢の場面の報告です。

 「知らないでいること」に心地よさを覚えてください。
 そうすることによって、思考を超越することができます。
   (『世界でいちばん古くて大切なスピリチュアルの教え』)

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在821名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.自己イメージが縮んだままに

2.編集後記
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■ 1.自己イメージが縮んだままに
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今日は寒いですね。

先程から少し雪がぱらつきましたが、

今はまた薄雲をとおして

微かに日の光が入ってきました。

一瞬一瞬変化します。

今は少し明るくなってきました。

つかの間の場面です。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、

お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人のpariです。

このごろこんなことを思います。

それは少なくとも

自分が現象世界を見ているという

この現実を引き受けた上での話でなければ

すべてがウソになってしまうな、

という感じです

ここを飛ばしては何を言っても

ただの寝言にしかなりません。

「私は在る」とは、

この現象世界が顕現できる

その根拠に言及する言葉です。

この現象世界に

気づいているものが存在するという

このことだけは否定できないと

そういうことです。

確かにそれは否定できないし、

そのことはわかりました。

そして究極的には

わたしが現象としてはけっして姿を現さない

その実在そのものだという

そのことも理解できます。

ではそう理解できたら、

それで一巻の終わりなのかと言えば、

そういうわけにはいかないわけです。

いまこの現象世界を

こうして見ている自分がいるわけです。

なぜ現象世界を見ているのか。

それは現象世界という【見かけ】への

執着、関心が解体していないからです。

それがわたしの現実です。

いまのわたしの現住所です。

その現実をすっぽかすことはできない。

そうしようにも、

その現住所の現実が復讐してくることでしょう。

マハラジの処方自体は明らかです。

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 世界は無数の輪(リング)でできている。
 それに引っかける鉤(フック)は
 みなあなたのものだ。
 あなたの鉤をまっすぐにしなさい。
 そうすれば何もあなたを
 捕らえることはできないだろう。
 あなたの耽溺を放棄しなさい。
 ほかに何も放棄するものはない。
 常習的な利欲心、
 結果を探し求める習慣を止めなさい。
 そうすれば自由の世界はあなたのものだ。

 『私は在る』(p259)
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> 常習的な利欲心、
> 結果を探し求める習慣を止めなさい。
> そうすれば自由の世界はあなたのものだ。

こうして処方箋は提供されているわけです。

とはいえ、現在のわたしと

マハラジが提供するこの処方箋の間には

じつは大きなギャップがあります。

マハラジは根本的なことしか

言わない方です。

細部を説明する方ではないし、

方法を語れる人ではありません。

マハラジ自身にとっては、

それはほとんど自然な過程として起こり、

意図的な努力ではなかったからです。

マハラジはこんなふうに言います。

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 私は何ひとつ意図的にしなかった。
 手放そうという熱望、
 ひとりになること、
 内側へと向かうこと、
 すべてはひとりでに起こったのだ。

 質問者 あなたはまったく何の努力も
     しなかったのでしょうか?

 マハラジ
 何ひとつしなかった。
 私は真我を実現しようと
 苦悩したわけでさえない。
 彼は私に「あなたは至高なるものだ」と告げ、
 そして死んだのだ。
 私にはただ彼を疑うことができなかった。
 それ以外はすべてひとりでに起こっていった。
 私は変わりつづけていく私を見ていた。
 ただそれだけだ。
 実のところ、私は驚いている。
 しかし、
 彼の言葉を実証したいという
 熱望が湧いてきたのだ。
 私には
 彼が嘘をついているはずがないという
 あまりにも強い確信があったため、
 彼の言葉の完全な意味を実現するか、
 そうでなければ死ぬしかないと感じたのだ。
 私の決意は強固なものだったが、
 何をすべきか知らなかった。
 私は何時間も彼のことと
 彼が確約した言葉を想い、
 議論することなく、
 ただ彼の言った言葉を覚えていたのだ。

 『私は在る』(p409) 
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> 彼が嘘をついているはずがないという
> あまりにも強い確信があったため、
> 彼の言葉の完全な意味を実現するか、
> そうでなければ死ぬしかないと感じたのだ。

マハラジはこういう方です。

そしてこういう状態になれば……。

> 私の決意は強固なものだったが、
> 何をすべきか知らなかった。

たとえ方法などいっさい知らなくとも

起こることが起こるまで

事態は進行していくのでしょう。

──────────────────
 質問者
 そして、何があなたに起こったのでしょうか?
 どのようにしてあなたが至高なるものだと
 知るに至ったのでしょうか?

 マハラジ
 誰かがそれを伝えにきたわけではない。
 内面でそう言われたのを聞いたわけでもない。
 事実、努力したのは、
 ほんのはじめのころだけだ。
 私は光を見たり、声を聞いたり、
 神々に出会ったり、
 彼らと話をしたりという
 奇妙な体験を通り抜けてきた。
 ひとたびグルが私に
 「あなたは至高の実在だ」と言ったとき以来、
 幻想や超越状態を体験することはなくなり、
 とても静かに、
 そしてシンプルになった。
 私は欲望をもつことや知ろうとすることが
 だんだんなくなっていき、
 最後にはまったくの驚きとともに、
 「私は何も知らない。
  私は何も欲しくない」
 と言うまでに至ったのだ。

 『私は在る』(p409) 
──────────────────

(-||-)

こういうわけですから、

わたしがいかに自惚れようとも、

マハラジに起こったようなことが

自分にも起こりうるなどとは期待できません。

もともと全体が同じドラマを

再び創造するはずもないでしょうし。

意図せず起こった直滑降で

マハラジが通り抜けていった雪道を、

わたしは一歩一歩

ハマったりコケたりしながら

そこがどんな土地なのかをいちいち確認しながら

たどるしかないのかもしれません。

すると、そういう状況に合わせて

その領域のあり様を教えてくれる方が

わたしの前に現れたわけです。

十年前にいちど購入したときは、

どうやらエゴが実際の危険を察知して

ブロックに成功したようです。

エゴの手玉に取られたわたしは

そのときはうかうかと、

ダンボール箱に入れてブックオフに

もっていって手放したのだと思います。

『ニュー・アース』という

エックハルト・トールの本です。

今回はこの方の教えに沿って

少し雪道を前に進めないかと思いました。

エックハルト・トールという方の文章は、

われわれがこの現象界のなかで

生きる喜びを求めているという現実から

話を進めてくれます。

ただ、

引用するとなぜか

平板に聞こえてしまうところがあります。

マハラジの言葉のようには

写経には向かないのかもしれません。

イギリスの最高学府を出たような方ですから、

マハラジと違ってとても教養のある方です。

なので、

論理の展開がとても明晰かつ緻密で、

ある意味マハラジのような飛躍がありません。

それが平板な内容が書かれているような

印象を与えるのかもしれませんね。

自分の現住所というかマインドのあり様が

まだこの世での人生を気にしている、

あるいは生きる喜びを願っている、

という現状をまず認めることにします。

そのこと自体は特に間違ってはいないと、

ただその求め方が間違っているのだと、

そういう出発点を認めることにします。

では、どう間違っているのか?

そしてそれはわたしが

どんな誤解に晒されているからなのか?

エックハルト・トールの表現に沿って、

その要点だけをたどってみます。

──────────────────
 生きる喜び

 不幸やネガティブ性は
 この地球上の病気だ。
 外的環境の汚染にあたるものが、
 人の心のネガティブ性である。

 それは人々が貧しい場所だけではなく
 どこにでも、
 それどころか人が
 充分以上のものをもっている場所に
 多く見受けられる。
 意外だろうか?
 そんなことはない。
 豊かな世界の方が
 形への同一化が進行しているし、
 中身に囚われ、
 エゴの罠に深く落ち込んでいる。

 『−ニュー・アース』(p231)
──────────────────

この地球上の人間は

生きる喜びを願っているのに、

現状では不幸が普遍的な病気として

この惑星の住人を覆っている。

それは物質的に貧しい人々だけでなく、

豊かな人々も陥っている病的状態だ。

それはこの惑星では

物理的形態への同一化の病が猛威を振るっていて、

エゴの罠に深く落ち込んでいるからだ。

──────────────────
 幸福になれるかどうかは
 自分に起こる出来事しだいだと、
 つまり幸福は形に依存していると、  
 人は信じている。
 何が起こるかなど、
 この宇宙で最もあてにならないことだと
 気づいていない。
 起こる出来事はつねに変化しているのに。
 人々は、
 現在の瞬間が、何か
 起こってはならないのに起こったことによって
 損なわれるいるとか、
 起こるべきだったのに起こらなかったことのゆえに
 欠陥があると思う。
 そのために
 人生(生命)本来の深い完全性を、
 つねに目の前にあり、
 起こったたことや起こらないことを、
 つまり形を超えて存在している完全性を見逃す。
 今この瞬間を受け入れ、
 どんな形よりも深くて
 時間によって侵されることのない
 完全性を見出さなければいけない。

 『−ニュー・アース』(p231-232)
──────────────────

自分が幸福になるためには、

物理次元の現実として

何らかの条件が満たされる必要がある

とわれわれは考えている。

しかし、実際は

そのような状況が起こることはない。

どんな状況が起こっても、

それもまた変化しなければならないし、

その変化した状況のなかで

また幸福になれない理由を探すだろうから。

幸福は外的状況によるものではなく、

自分がこの瞬間と仲良くなっている

ことに関係がある。

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 生きる喜び(真の幸福はこれだけだ)は
 形や所有者や達成や人間や
 出来事を通じてもたらされはしない──
 起こる出来事を通じてもたらされることは
 あり得ない。
 その喜びは外からもたらされることは決してない。
 それはあなたの中の形のない次元から、
 意識そのものから放出されるものであり、
 したがってあなたと一体だからである。

 『−ニュー・アース』(p232)
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生きる喜びというのは

自分を取り巻いている状況や

自分が所有しているもの、

あるいは達成したもの、

自分の仲間たちといった出来事によって

もたらされるものではない。

そういう外的条件からもたらされる

喜怒哀楽が人を満足させることは

けっしてありえない。

喜びとは自分自身のなかから、

意識そのものから放出されるものであり、

あなた自身がその喜びだからだ。

形や所有や達成や人間といった

外的状況から物語を紡いでいるのはエゴだ。

わたしたちはそのエゴが作る物語を

すっかり自分自身のことだと思いこんでしまった。

エゴが作る制限のなかに囚われてしまった。

ではそのエゴは

どんな方針に沿って物語を紡いでいるのか?

──────────────────
 エゴの縮小

 エゴはつねに自分が
 小さくなるのではないかと警戒している。
 縮小しそうだと感じると、
 自動的なエゴの修復装置が働いて、
 「私」の精神的な形を回復させる。
 誰かに非難されたり批判されると、
 エゴが縮んだと感じ、
 すぐに
 自己正当化、防御、避難によって
 小さくなった自己意識を
 修復しようと図る。
 相手が正しいか間違っているかは
 どうでもいい。
 エゴの関心は、
 真実よりも自己保存の方にある。

 『−ニュー・アース』(p232-233)
──────────────────

エゴの物語作成指針は、

ひたすら自己イメージの維持・拡大だけを

目的としている。

エゴの関心は真実ではなく、

ひたすら自己保存だからだ。

ところが

形態への同一化の罠にかかったわたしは

つねにエゴが展開する論理を

自分だと勘違いしている。

実際はエゴの関心はつねに

全体から分離した自己という

その自己像の維持拡大だけを目的としている。

エゴはつねに外的状況を

個人幻想の立場から解釈し、

様々な論理や方策を駆使して

自己イメージの保存と拡大を画策する。

エゴが展開するこの物語を真に受け、

その物語を自分と見なしているかぎり、

実際は永遠に生きる喜びが発現することはない。

あなたはひたすら

比較徒競走の道に駆り立てられることになる。

ではそこから解放されるには

どうしたらいいのか?

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 力強いスピリチュアルな実践は、
 エゴが縮小したときに修復しようとせず、
 意図的に縮んだままにしておくことだ。
 時折実行してみることをお勧めする。
 たとえば誰かに批判されたり、
 避難されたり、
 悪口を言われたとき、
 すぐに報復や自己防御を試みない
 ──何もしないでおく。
 自己イメージが縮んだままにしておき、
 そのとき自分の奥深いところで
 どんな感情が起こるかを観察する。
 数秒間は
 自分自身が小さくなったという
 不快感があるかもしれない。
 しかしそのあと、
 生命力に満ちた
 広々としたスペースを感じるのではないか。
 あなたはまったく縮んでなといない。
 それどころか拡大した。

 『−ニュー・アース』(p233)
──────────────────

自分の自己像が収縮する状況で、

あわててその修復反応に入らずに、

そのままにしていてみることだ。

すぐに報復や自己防衛に走らない。

何もしないでいる。

自分が惨めに感じるままにしておくのだ。

そしてどんな感情が起こるか観察する。

数秒間は誤解にさらされたままでも、

やがて自分がまったく収縮していないことに、

それどころが拡大したことに、

気づくかもしれない。

──────────────────
 そこで驚くべきことに気づくだろう。
 なんらかの意味で
 自分が小さくなったように思えても、
 それに対して
 (外部に対してだけでなく内的にも)
 まったく反応せずにいると、
 実は確かなものは何も縮小しておらず、
 それどころか
 「小さく」なったことで
 かえって大きくなる。
 自己防衛したり
 自分自身の形を強化しようとしないでいると、
 形への自己同一化から、
 つまり精神的な自己イメージから
 離れることができる。
 (エゴが)「小さくなる」ことによって、
 あなたは逆に拡大し、
 「いまに在る」状態が
 立ち現れる場所ができるのだ。

 『−ニュー・アース』(p233-234)
──────────────────

自己像が収縮することは

かつてない大いなるチャンスだ。

その場面で

あなたが反応せずにいられたら、

エゴが収縮して

あなたが拡大する。

突然、

エゴが自分ではないという

理解のための余地が生まれる。

あなたの自己イメージが小さくなることで、

それに気づいている本来のあなたが

立ち現れる場所ができるのだ。

(-||-)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
──────────────────

(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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『私は在る』の「目次」はここ↓にあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
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「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
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『アセ通』既刊号はすべてここにあります。
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■ 2.編集後記:
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幻想が崩壊した方々には

それぞれ雰囲気は違っても

ある種の同質性が感じられます。

自己イメージの収縮というのは

エゴにとってはそれなりのピンチです。

もちろん、

反応は起こりそうになります。

でも、

じっと耐えることもできる。

わたしがこういうことを書かされているのは、

いまがちょうど使い勝手がいい

頃合いだからでしょう。

だからこういうことが起こっている。

それ以外にあるはずもありません。

ありがたいことです。(-||-)

すっかり暗くなりました。

それではおやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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二つの配信スタンドで発行されています。
mag2:http://www.mag2.com/m/0000126287.html
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