━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2019/02/17(第774号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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☆☆ ☆☆ https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している夢の場面の報告です。
「知らないでいること」に心地よさを覚えてください。
そうすることによって、思考を超越することができます。
(『世界でいちばん古くて大切なスピリチュアルの教え』)
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在821名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.今この瞬間の外側には何もない
2.編集後記
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■ 1.今この瞬間の外側には何もない
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暦では二十四節気の第一
「立春」をすぎた今頃が
一年でいちばん寒い時期でしょうか。
そのつぎは「雨水」ですから、
雪から雨になっていくのでしょう。
今日は曇り空。
厚着をしているので寒くはありません。
(*^_^*)
さて、またまた一週間が過ぎて、
楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、
お付き合いいただく今がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人のpariです。
「私とは何か?」という問いは、
どこから生まれてくるのでしょう?
この身体の誕生自体は、
現象宇宙全体のなかに織り込まれた出来事として
起こっていることだと思います。
それを古典的な剛体概念の
物理現象としてイメージしようが、
ホログラムとしてイメージしようが、
それが知覚の対象物であることは同じです。
現象宇宙が存在できるためには
それに気づいているものの存在は必須です。
顕現と非顕現は
現象宇宙の両側面でしょう。
「般若心経」にいう
色即是空
空即是色
だと思います。
ネイサン・ギルなら
「気づきとその内容」と表現することでしょう。
そして現象宇宙という構造体は
その内部に自動更新機能を内蔵しているのだと思います。
古来“創造者は絵の中にいる”と言われてきたことです。
現在地球人類が達成しているAI機能ですら、
人間が応答しているのか
AIが応答しているのか判別できないくらいの
対話機能をすでに実現しています。
DNAの構造を
やっと近年発見して解読した地球人類の知性と、
そのDNAという構造体そのものを
デザインした知性との懸隔を考えれば、
創造神たちが知覚対象である現象宇宙に
自動更新機能を内蔵させるくらいは、
造作も無いことだったに違いありません。
つまり、
ラマナ・マハルシがこの質問者に答えたように、
──────────────────
質問者
例えば、今私は手のなかの扇を床の上に置きました。
それはこの日、この時間に、私がこのように扇を動か
し、このようにここに置くということまで、すでに決
定されているということなのでしょうか?
マハルシ
もちろんだ。
何であれこの身体がすること、
そして何であれそれが通り抜ける体験は、
その身体が存在を現したときに
すでに決定されているのである。
『あるがままに』(p388-389)
http://tinyurl.com/2aar6zj
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知覚対象である現象宇宙のありようは
完全に自動操縦で実現されているのです。
「この身体がすること、
それが通り抜ける体験は、
その身体が存在を現したときに
すでに決定されている」
大見者の口から漏れたこの驚くべき発言、
人間にはとうてい信じがたい
この発言が意味する内容は、
受け取ろうとする意図だけが
受け取ることができるものなのでしょう。
これと同種の情報を伝えていたのは、
わたしが知るかぎりでは『神の使者』
の後継本『不死というあなたの現実』の
次の一節でした。
──────────────────
ワークショップの主宰者の友人で
『神の使者』も読んだというピアスという人物が、
グレイト・サンの時代に先住民として
ぼくが暮らしていた場所を見せようと
カホキヤに連れていってくれた。
セントルイスに滞在した数日間、
ピアスはぼくのガイドを買って出てくれて
友人になった。
カホキヤにはカールという人も同行した。
カールに紹介されたとき、
長いこと疎遠だった兄弟に会ったような
親しみを感じた。
駐車場に近づくとき、
ぼくは妙な気分になった。
それから駐車場に入って車を停めたとき、
アーテンとパーサが心を転送して
ここを訪れる未来を見せてくれたときと
すべてがまったく同じに進行しているのに気づいた。
似ているなんてものではない。
まるでコピーだった。
身体のほんの小さな動きまで同じなのだ。
語り合う言葉、
丘に向かう足取り、
そして始めて上る丘までまったく同じだった。
これはショックだった。
確かにいまの出来事なのに、
すでに前に起こっていたなんて。
たった一つ違うのは、
今回はどこにもアーテンとパーサの姿が
見えないことだった。
丘の頂上で、
ほんの数秒間だったが、
心が転送されたときに経験したのと
まったく同じ千年前のカホキヤの幻を見た。
その数秒間にぼくは前回と同じ方向を眺め、
グレイト・サンの住まいがそこにあると感じたが、
しかしその方向には目を向けず、
数秒間、前回と同じ幻想を見た。
ぼくが圧倒されたのは、
この出来事がすでに「書かれて」いて
そのとおりに起こらなければならなかった、
という思いだった。
それについて、
ぼくはどうすることもできない。
もしぼくが別の場所にいることになっていたら、
別の場所にいただろう。
それは止めたいと思っても止められない。
どこか別の場所にいるはずではないなら、
どんなにがんばってもその場所には行けない。
それは定められたことで、
起こる前にすでに既成事実なのだ。
すべての瞬間、
すべての言葉、
すべての友人、
すべての敵……
それはぼくが参加に同意したシナリオで、
今回が初めてのようにここにいるが、
実際には映画は撮影済みで、
ぼくは観客であり、
宇宙サイズのバーチャルリアリティの
ゲームのようなもので、
そのなかで歩きまわっているように見えるけれども、
本当はそこにはいない。
自分の人生もそうなのだ、
とぼくは気づいた。
だから何を見ても不安になったり
動揺したりする理由はまったくない。
そもそもすべてを作り上げたのは自分だし、
すべては本物ではないのだから。
おもしろいことに、
だからといってこの経験に
喪失感が伴うことはなかった。
それどころか大きな自由を感じた。
もうものごとを起こそうと苦労する代わりに
ものごとが起こるままにしておけばいいからだ。
自分が見ている世界に
責任があるのは自分だと心得て、
判断する代わりに赦すことができる。
なぜなら自分の思考を
自分の内側でなく外側に見るために
自分が世界を作ったのだから。
外側に置いたのはそれが恐かったからだが、
その恐怖は間違った考えに基づいていた。
もう恐れる必要はない。
ただ赦して、
あるがままにすればよく、
そのプロセスで自分を解放する。
ぼくは自分のシナリオに身をせ、
その目的を前とは違った目で見る。
かつてぼくを囚われ人にしていたものが、
いまではわが家に戻る切符だ。
カホキヤとセントルイス訪問の残りも
完璧にあるべきとおりに運んだし、そ
れ以外ではあり得ないというのがぼくの思いだった。
『不死というあなたの現実』(p289-291)
──────────────────
つまり、
現象としていま現れているものは
すべて気づきの対象物であって、
いわば撮影済みの映画のフィルムの一コマのようなもの、
ラメッシ・バルセカールの比喩では、
すでに書き終わっている小説の現在のページなのです。
そこで演じられている動きのなかには、
いかなる主体も存在しえないわけです。
そしてこのことに照応しているのが、
これまたなかなか理解できない
ネイサン・ギルの次のような言葉です。
──────────────────
Q.思考の結果として感覚が生まれるんだと
思っていました。
A.
違います。
他のことの結果として起こるようなことは
何もありません。
こういうイメージはどれも
すべて今この瞬間に現れて、
気づかれています。
一つのものが別のもののきっかけに
なったりはしていません。
そう見えるのは催眠状態にあるからです。
別々のイメージが生じているだけですが、
お互いを作り出したり、
相互に絡んでいたりするように
見えたりするわけです。
『すでに目覚めている』(p184-185)
──────────────────
> Q.思考の結果として感覚が生まれるんだと
> 思っていました。
時間的に先行する現象の何かが
後続する事象の原因になっている、
というのが
われわれ人間に普遍的な共通の理解形式です。
しかし、
ここでネイサン・ギルは
その可能性を明確に否定しています。
> A.
> 違います。
> 他のことの結果として起こるようなことは
> 何もありません。
これはわれわれが理解することを
迂回したいという言葉というか、
この本を読んだ読者の誰もが
読まなかったことにしておくだろう、
と思われる言葉です。
とうてい理解できないからです。
でもネイサン・ギルは
現象のなかで起こることが
次の現象に影響を与えるという可能性を
明確に否定しています。
もちろん人間は
自分の現実を望ましい方向に向けよう、
自分の未来に良い現実を引き寄せよう
と思って日々生きているわけですから、
こんなネイサン・ギルの言葉が
理解できるわけがありません。
もし理解が起こったら、
その瞬間に脱力も起こるでしょう。
緊張する理由が
いっさい消えてしまうわけですから。
このpariパターンの人生は
人生そのものが何のためにあるのかと
その意味を問うことでした。
いったい、
どうしてこんなものがあるのか?
こんなものなくてもいいじゃないか?
と思ったわけです。
まあ、じゃっかんネガティブな観念を
DNA的にか育ちの上でかもたされていたわけです。
そういう登場人物として
投影されていたホログラムなのでしょう。
ある意味で
間違った在り方なのかもしれないけれど、
でもそのようなパターンとして
投影されてきたわけです。
わたしが努力して
どうにかできるわけでもなさそう。(*^_^*)
ネイサン・ギルは
生きることの意味について
こんなふうに語ります。
──────────────────
Q.では、生きることには何の意味が
あるんでしょうか?
A.
意味は何もありません。
生というこの映画は壮大な娯楽です。
その質問は、
「自分」という観点から、
映画の中で同一化している
登場人物の観点から生じているんです。
登場人物との同一化が起こっていると、
絶えず理由を探そうとしたり、
意味を見出そうとしたりすることになります。
それで、
一般的に「目覚め」と呼ばれているものを
手にすることこそが生きることの
「究極の意味」なんだと感じられるんです。
目覚めて、
ふたたび一体性に戻るのが目的なんだと。
でも、
一体性はすでに起こっています。
100%の目覚めがすでに起こっていて、
思考のストーリーが
まともに受け取られなくなると、
今あることが今あるだけです。
今この瞬間の外側には何もありません。
この登場人物には
過去の人生も未来の人生もありません。
ストーリーは現れ続けるかもしれませんが、
深刻に受け取られることはなくなります。
『すでに目覚めている』(p82)
──────────────────
> Q.では、生きることには何の意味が
> あるんでしょうか?
こんなふうな尋ね方もありますよね。
> A.
> 意味は何もありません。
(^_-)
わたしはこういう言葉が聞きたかったし、
観念としてはこれで充分、
これで満足です。
でも、
全現象宇宙が創造しているのは、
そのような登場人物ばかりではないでしょうね。
たくさんの、たくさんの
無限のパターンを創造して
永遠に倦むことがないのですから。
ご存知のように、
このメルマガタイトルでも明らかですが、
pariパターン自身が
アセンション大好き人間でした。
初めて山尾三省さんが訳された
ラマナ・マハルシの本を読んだときは、
その言葉の意味がまったくわかりませんでした。
なのでむしろ、
「意味は何もありません。」
というような観念で満足する
登場人物のほうが稀かもしれません。
> 生というこの映画は壮大な娯楽です。
マハラジは「巨大な詐欺」
という言葉を使っていましたね。
ラマナ・マハルシは
ただ端的にこう言います。
──────────────────
あなたがしなければならないことは、
真我でない他のものごとに
注意をはらうのをやめることだけだ。
もしそれらに気づくのをやめれば、
純粋な覚醒だけが残る。
それが真我である。
『あるがままに』(p21)
──────────────────
まあ、
何度こんな言葉を聞いたからと言って、
それが起こるわけでもありませんが。
ネイサン・ギルはこう続けます。
> その質問は、
> 「自分」という観点から、
> 映画の中で同一化している
> 登場人物の観点から生じているんです。
間違いなくそうでしょう。
> 登場人物との同一化が起こっていると、
> 絶えず理由を探そうとしたり、
> 意味を見出そうとしたりすることになります。
わたしも倦まず弛まず、
それをずーっとやってきました。
まさに馬鹿の一つ覚えのように。
そしていまもこうして
こんな言葉と戯れるような登場人物として
投影されているのです。
> それで、
> 一般的に「目覚め」と呼ばれているものを
> 手にすることこそが生きることの
> 「究極の意味」なんだと感じられるんです。
まあ、
現在投影されているこの身体の観点について言うなら、
「究極の意味」などどうでもいいですが、
楽になりたいですよね。(^_-)
> 目覚めて、
> ふたたび一体性に戻るのが目的なんだと。
そうすれば、
五次元世界に転生して、
創造する世界が
ホログラムであることを知りながら、
意図的に自ら望む世界を創造できるようになるとか。
> でも、
> 一体性はすでに起こっています。
これがネイサン・ギルの独壇場です。
> 100%の目覚めがすでに起こっていて、
> 思考のストーリーが
> まともに受け取られなくなると、
> 今あることが今あるだけです。
もう、
真面目に夢を紡ぐことは
起こりにくくなる。
いまこのように、
気づきとその内容が起こっているだけ。
> 今この瞬間の外側には何もありません。
その背後に深い意味があるわけではない。
何が起こっているにせよ、
それがいまの気づきの内容だというだけです。
> この登場人物には
> 過去の人生も未来の人生もありません。
そのような登場人物が
いま夢見られているだけです。
> ストーリーは現れ続けるかもしれませんが、
> 深刻に受け取られることはなくなります。
登場人物の立場からのストーリーを追えば、
次の場面はいくらでも提供されます。
そこに夢を追うのをやめれば、
その場面はエネルギーを失って
フェードアウトしていくだけ。
> こういうイメージはどれも
> すべて今この瞬間に現れて、
> 気づかれています。
気づいている誰かが
いるわけではありません。
> 一つのものが別のもののきっかけに
> なったりはしていません。
知覚の対象である
ホログラムの登場人物の見かけの行為が、
次の場面を創造しているわけではないのだと。
> そう見えるのは催眠状態にあるからです。
登場人物に一体化した意識が
そのような夢を観ているだけで。
> 別々のイメージが生じているだけですが、
> お互いを作り出したり、
> 相互に絡んでいたりするように
> 見えたりするわけです。
テレビ画面の中にはなにもないのに、
観ている視聴者の意識のなかで
ストーリーが展開しているのと
それはまったく同じことなのだと。
今回は
「私とは何か?」という問いが、
どこから生まれてくるのか、
と問うことからはじめました。
ネイサン・ギルは
端的にこんなふうに答えています。
──────────────────
Q.思考はどこから生じるんですか?
A.
それはまったくの謎です。
生じる内容すべてについて言えることですが、
思考は内容の一部として気づきの中にただ現れます。
『すでに目覚めている』(p40)
──────────────────
【それはまったくの謎です。】
誰がやっているのかという問いは、
催眠状態の中にいる
登場人物の解釈なのでしょう。
(-||-)
──────────────────
あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
──────────────────
(-||-)
──────────────────
永久的なもの、
それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
──────────────────
……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
………○…………○…………○………
『私は在る』の「目次」はここ↓にあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html
「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/
「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/
『アセ通』既刊号はすべてここにあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/
………○…………○…………○………
▼『アセ通』へのご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
………○…………○…………○………
▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518
………○…………○…………○………
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■ 2.編集後記:
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「アセンション館カフェ」というブログで
日記みたいなものを書き始めました。
noteというところで書き始めたので、
https://note.mu/
もしかして見ていただくには
noteの会員になっていただく
必要があるのかもしれません。
もちろん、会員登録は無料です。
今日みたいなメルマガを書く日は
多分更新しないと思いますが、
それ以外は、
たいていなにか書こうかと思っています。
といっても、
別に特段の異なる話題があるわけでもないので、
だいたいここで書いているみたいなことを、
何かかにか
毎日短い文章で書いていくだけだと思います。
よろしければ、
お付き合いください。
今日はすっかり暗くなりました。
それではおやすみなさい。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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二つの配信スタンドで発行されています。
mag2:http://www.mag2.com/m/0000126287.html
melma:http://www.melma.com/backnumber_110091/
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Copyleft(C)2018 paritosho
↑コピーレフトの概念はこちら↓をご覧ください。
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