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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2019/03/10(第777号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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 ☆☆   ☆☆   https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している夢の場面の報告です。

 あなたがしなければならないことは、
 真我でない他のものごとに注意をはらうのをやめることだけだ。
 もしそれらに気づくのをやめれば、純粋な覚醒だけが残る。
 それが真我である。『あるがままに』

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在819名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.世界はあなたの反映にすぎない

2.編集後記
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■ 1.世界はあなたの反映にすぎない
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春ですねぇ。

いま庭に降りたついでに

水瓶の金魚に餌をやってきて驚きました。

水瓶は二つあって大きな水瓶に

いまはメダカから金魚になったのが

四匹泳いでいます。

最初は十数匹いましたが少しずつ減って、

四匹になった状態でもう一年以上になります。

それに餌をやったついでに

小さな水瓶にかけてあった金網を外しました。

この水瓶にももらったメダカが

最初は十匹ほど放してありました。

(大きい水瓶に一緒にできないのは、

 金魚になった大きいのが小さなメダカを

 食べてしまうからです。)

でもそれも少しずつ減って、

最後に一匹だけ残っていたのです。

その水瓶には猫に攫われないように

金網をかけてありました。

でも実際は最後の一匹のメダカもいなくなって

もうだいぶ経っていました。

で今日、庭に出たついでに

その水瓶にかけてあった金網を外したのです。

すると、なんと、

そこに一匹のメダカが泳いでいるではないですか。(@_@) ⌒★?

驚きました。

以前その長径1m弱の楕円形の水瓶のなかを

自分でも呆れるほど丁寧に目視で探して、

もう最後のメダカがいなくなっているのを

確かめてあったからです。

まさに狐につままれたとはこのこと。

こんなことがあるんですねぇ。

このメルマガも今回が777号だそうで、

そろそろ異次元に入ってきたのかも。(^_-)

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、

お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

1週間に一度こうして

浮上してくる思考にかかずらって、

何やかや文字を書き連ねて、

かなり長い時が経ちました。

もう今となっては

思考をひねり出すことで

何かができるとも思っていません。

たしかに、

何かを発見しようと思って

考えごとをしていた時期もありましたけど。

もともとこのメルマガを書いているのは、

【物質過程が意識を誕生させることなどありえない】

という観念を他のどんな観念にも先立って

配達される運命にあった人間です。

『OSHO―21世紀への指導原理』
https://amzn.to/2EOmyyg

という本を書いていたときの情熱は、

地球46億年の歴史の中から意識が誕生した、

などという地球上で未だに信じられている常識が

いかに荒唐無稽な空想であるかを

自分なりの論理で証明することでした。

いったい無意識がどうやって

意識に憧れることができるのかと。

人様に証明できたかどうかは知りませんが、

自分なりの論理性で自分のためには

それは証明できたと思いました。

それは知覚の対象物である物理過程は

意識を誕生させる基盤ではありえないということです。

大本系の術語でいうところの「霊主体従」です。

「体主霊従」はありえないということです。

そのことを懸命に論理的に証明して、

自分で納得したとは思ったものの、

もし意識に先立つ物理過程としての客観世界など

ありえないのだとしたら……。

それが意味する世界像はどういうものか?

その意味の包含を全面的には了解していませんでした。

意識に先立つ物理過程としての

客観世界がありえないということは……、

実際はその逆だということでしょう。

意識に先立つ現象世界などありえない以上、

現象世界とは意識が見ている夢でしかない

ということです。

ところが、

意識の誕生の不可能性の証明に

あれほどの情熱を込めることができたのに、

現象世界が実際に夢であるという話は、

そう簡単には飲み込めないものでした。

夢であるはずの

現象世界への応対に手がいっぱいで、

毎日そこでのサバイバルに明け暮れ、

これが夢だという話には

1週間に一度のエネルギーしか避けなかった。

まるでお笑いです。(^_-)

最初はまずアセンションする世界の

素晴らしさを吹聴するつもりで始めたのです。

たぶんそれは

道具としての当人が預かり知らぬ、

全体が使うための都合だったのでしょう。

念の入ったことに、

この道具は比較的幼いうちに

感じることを封印する運命でもあったようです。

つまり、

考えるしか能がない道具として用意されたのです。

となるとこの道具が遭遇するすることになる観念は、

せいぜいのところ、

【思考にできるのは、

 思考の能力に絶望するところまで

 あなたを連れて行くことだけだ。】

というような表現になるでしょうか。(^_-)

ここからの歩みはじつに遅々としたものでした。

かろうじてまず浸透してきた理解は、

思考は自分ではない、

ということでした。

思考が気づきの対象物であることは間違いない。

わたしがその思考に気づいている以上、

わたしの気づきの対象である思考が、

わたし自身でないのは自明です。

わたしの身体という

形態をもつ知覚対象の物質過程が

気づいているわたし自身ではないように、

わたしの思考という

形態をもたない知覚対象物の物質過程もまた、

気づいているわたし自身ではありません。

論理的には(メンタル体としては)

わたしは物質界に拠り所を失いました。

その証拠に、

どんな観念を思いついても、

それが自分の手柄とは思えなくなりました。

それはただその思考が

どこからともなく配達されてきただけです。

にもかかわらず、

まだ自分の愚かさで落ち込むことはあります。

何ひとつわたしの手柄ではないのに、

責任だけは自分のものだとは、

こんな不公平なことがあるでしょうか?(*^_^*)

いやいや、

これもそのうち消えていくでしょう。

どんな気分もただのつかの間の場面です。

いつまでも居座ることはないし、

こちらからその気分に一体化して、

エネルギーを注ぐこともなくなるでしょう。

(ただ観念よりは感情や気分のほうが

 一体化する癖の度合いが

 いくぶん強いのかもしれませんが。)

そうなってくると、

この身体が人間社会のなかでハマっている状況にも

そう真面目に一体化することもなくなるでしょう。

すべてはつかの間の場面にすぎません。

観念も気分もこの身体がハマっている状況も、

すべては知覚対象の物質過程であり、

そのまた観念的解釈のなかにしか現れない。

真面目に自己同化する必要などありません。

ただ比較的真面目に自己同化する

場面もあるだろうというだけです。

ネイサン・ギルが言うように、

われわれはまさにalready awake

『すでに目覚めている』のです。

その『すでに目覚めている』状態が

様々の劇として展開しているだけです。

その劇が面白くて夢中になれるなら、

それは一体性が展開するそのようなチャンネルです。

つらくて苦しくてたまらない劇なら、

それも一体性が展開するそのようなチャンネルです。

全エネルギーを込めて神を恨むなら、

それも一体性が展開するそのようなチャンネルです。

どれも良くも悪くもない。

そこで劇の登場人物が演じさせられている以外の

どんな究極的意味もありません。

つまりは、

何の意味もない。

マハラジなら、

「巨大な詐欺」と言うところです。

とはいえ、

それぞれの劇に見入っている誰もが

そう言わなければならないというものでもない。

ただ、

想像の“膨らし粉”を練り込めば、

それがどれほど偉大な話として展開するか、

誰にもわかったものではない、

というだけです。

なぜなら、

あなたが注ぐ意識エネルギーの創造物が

展開しているだけなのですから。

つまり、

わたしが見ているのは

わたし自身の関心であり執着だということです。

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 あなたは考え違いしているのだ。
 世界はあなたなしでは何の存在ももってはいない。
 あらゆる瞬間において、
 それはあなたの反映にすぎない。
 あなたが創造し、破壊するのだ。

 『私は在る』(p113)
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> 世界はあなたなしでは何の存在ももってはいない。

あなたが気づくことなしに、

客観的に存在している世界などどこにもない。

世界はそれに関心を持っているあなたが支え、

あなたがエネルギーを注いで現象させているのだ。

> あらゆる瞬間において、
> それはあなたの反映にすぎない。

あなたがあなたのチャンネルを選んでいる。

たとえ意識的ではないにしても。

> あなたが創造し、破壊するのだ。

娯楽はあなたの期待に応えて展開している。

なぜなら、あなた以外に

同じチャンネルを見ている者などいないのだから。

あなたとはあなたが見ているチャンネルだ。

──────────────────
 夢は同じではない。
 だが、夢見る人はひとりだ。
 夢のなかでは、
 私が昆虫であり、私が詩人なのだ。
 私は光だ。
 その光のなかで、
 すべての夢が現れては消える。
 私は夢の内側と外側だ。
 頭痛もちの人がその痛みを知り、
 また自分が
 その痛みではないことを知っているように、
 私も夢を知り、
 私自身が夢を見、
 また見ないことを同時に知っている。
 私は私で在る。
 夢の前も、夢の間も、夢の後も。
 だが、私が夢のなかで見ることは、
 私ではないのだ。

 『私は在る』(p135)
──────────────────

(-||-)

> 夢は同じではない。

いま見られている夢に

同じものはひとつとしてない。

> だが、夢見る人はひとりだ。

だが、それを夢見ているのは

唯一の実在である不動の一体性だ。

> 夢のなかでは、
> 私が昆虫であり、私が詩人なのだ。

夢のなかでは

わたしは見られる昆虫になり

わたしがそれを寿ぐ詩人になる。

> 私は光だ。

わたしはそれを照らし出す光だ。

> その光のなかで、
> すべての夢が現れては消える。

そのわたしの光の中で

すべての夢が現れては消えてゆく。

> 私は夢の内側と外側だ。

わたしは見られる夢の内側にも外側にもいる。

> 頭痛もちの人がその痛みを知り、
> また自分が
> その痛みではないことを知っているように、
> 私も夢を知り、
> 私自身が夢を見、
> また見ないことを同時に知っている。

頭の痛い人が、

自分でその痛みを感じながら、

しかもなお自分がその痛みでないことを

知っているように、

わたしもまた自分の夢を知り、

自分でもその夢を見たり、

また見なかったりすることを知っている。

> 私は私で在る。

わたしはわたしであるものだ。

> 夢の前も、夢の間も、夢の後も。

夢が始まる以前にも、

夢が展開しているその間も、

夢が終わったその後も。

> だが、私が夢のなかで見ることは、
> 私ではないのだ。

だがわたしが夢のなかで見ることは

わたしではないのだ。

それはただの対象物、

ただの娯楽のネタだ。

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 自分の存在に完全に気づいていなさい。
 そうすれば、
 あなたは意識的に至福のなかにある。
 あなたがマインドを自己から引き離し、
 あなたではないものにマインドをとどめるために
 幸福の感覚を失うのだ。

 『私は在る』(p114)
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> 自分の存在に完全に気づいていなさい。

自分だけが存在することに完全に気づいていなさい。

> そうすれば、
> あなたは意識的に至福のなかにある。

そうすれば、

あなたの至福が揺らぐことはない。

> あなたがマインドを自己から引き離し、
> あなたではないものにマインドをとどめるために
> 幸福の感覚を失うのだ。

あなたが知覚の対象物である現象世界を

あたかも客観的実在でもあるかのように扱うために

あなたは幸福の感覚を失うのだ。

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 行為なしに生きることはできない。
 そしてそれぞれの行為の裏には、
 ある欲望や恐れが潜んでいるのだ。
 結局、あなたの為すことはすべて、
 世界は現実のものであり、
 あなたから独立しているという
 確信に基づいているのだ。
 その反対の視野に確信したなら、
 あなたのふるまいも
 まったく違ったものとなるはずだ。

 『私は在る』(p512)
──────────────────

> 行為なしに生きることはできない。

あなたが身体をもって生きているかぎり、

行為なしにその夢を通り抜けることはできない。

> そしてそれぞれの行為の裏には、
> ある欲望や恐れが潜んでいるのだ。

そしてあなたが通り抜ける

一つ一つの行為の裏に、

あなたの欲望や恐れが潜んでいることだろう。

> 結局、あなたの為すことはすべて、
> 世界は現実のものであり、
> あなたから独立しているという
> 確信に基づいているのだ。

結局、あなたのすべての行為は、

あなたが世界を現実のものと信じ、

あなたから独立して存在しているという

あなたの確信を反映していることだろう。

> その反対の視野に確信したなら、
> あなたのふるまいも
> まったく違ったものとなるはずだ。

もしあなたが

自分が見ているのが夢であることを確信していたら、

あなたの態度もふるまいも

まったく違ったものになるのだ。

あなたの存在の真実を明かすのは、

あなたの行為なのだ。

(-||-)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
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(-||-)

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 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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『私は在る』の「目次」はここ↓にあります。
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■ 2.編集後記:
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777号ということで、

少し状況を整理してみました。

こうして時をおいて整理してみると、

この登場人物がやっていることが

よく見えてくるようです。

何も問題はありません。

問題とはすべて架空の想像による捏造です。

(-||-)

今日はすっかり遅くなりました。

おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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二つの配信スタンドで発行されています。
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