home > 通信 >『アセンション館通信』第780号:生まれ変わるのは個人の思考だ



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2019/03/31(第780号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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 ☆☆   ☆☆   https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している夢の場面の報告です。

 あなたがしなければならないことは、
 真我でない他のものごとに注意をはらうのをやめることだけだ。
 もしそれらに気づくのをやめれば、純粋な覚醒だけが残る。
 それが真我である。『あるがままに』

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在816名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.生まれ変わるのは個人の思考だ

2.編集後記
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■ 1.生まれ変わるのは個人の思考だ
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今日は曇り日ですが季節は春。

庭の正面のレンギョウの黄色が

目立つようになりました。

これから庭が色づくのでしょう。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、

お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

こうして土曜日になると

習慣となった週のサイクルが発動して

何かを書こうとしてモニターに向かいます。

いまこの場面で何が動いているのでしょう?

いったい何を求めて?

ある種の気分が落ち着く理由を求めて

動きだしているのでしょうか?

想念が問題を映し出すというのに、

その想念に何を求めようというのか?

思うに、

わたしは意味を求める人間でした。

いったいこのような人生に

どんな意味があるのかと思いました。

この現象世界に

そこで展開される不条理を是認できるような

究極的な意味とか

客観的な意味のような、

そういうものがあるのだろうかと思いました。

若さというのは無謀なエネルギーの

使い方をするものです。

そうやって時がすぎて今、

少なくともこの想念の中には

究極的な意味とか

客観的な意味といったものは

ありえないことが明白になりました。

そういうことを求めてきた者には

最初から自明の結論が自明になったという

だけのことだと思います。

あらゆる体験の瞬間は

すでにそのように起こってしまいました。

それぞれの瞬間に付与された意味は、

すでにそのように起こってしまったので、

すべて取り返しがつかないというだけです。

それぞれの瞬間を

他の瞬間で置換することはできません。

ただ、また今という瞬間に

“記憶”というラベルの付いた別の思考で

上書きされることがあるだけです。

もしかしたら、

襖絵を引き剥がしてみたら、

ある絵の下から別の絵が出てきたみたいな、

そんなこともあるかもしれません。

でも、ある襖絵の下から

別の襖絵が出てきたからといって、

真実が発見されたわけでもありません。

聞くところによると、

過去に起こったすべての体験の記憶が

記録されている書庫もあるそうです。

既知として存在するすべての瞬間の記憶が

念入りに貯蔵されている物理空間、

アカシックレコードと呼ばれる、

そんな記憶の貯蔵庫があるのかもしれません。

でも、

それだけのことです。

ゴミ箱の中でプラスチックごみが

腐敗せずに溜まっているようなものでしょう。

どれほど多様多彩な体験の記憶が蓄積され、

その貯蔵庫の内容物が微分されようと積分されようと、

ただそれに応じた別の様相が顕れるだけで、

そこにどんな究極的意味や客観的意味が

特定されるわけでもありません。

体験という物理現象の“盥回し”の中から

どんな真の意味も出現しようがない

というだけのことです。

つまりは、

現象の体験のなかに“意味”を探すことに

どんな意味もありえないのです。

意味は構造をもちえません。

体験の意味を微分しようが積分しようが、

ただ新たな別の平板な意味が顕れるだけです。

体験のなかに

いかなる究極の意味もなければ

真の意味もありません。

すべての体験は

ただ「あるがまま」です。

その瞬間が

そのようなものとして体験されたという

ただそれだけのことです。

その瞬間のその体験の原因や意味を

体験世界の構造のなかに求めることは

まったく無意味なことでした。

なぜならそれは

物理現象そのもののなかに

原因や意味を求めることだからです。

そのような姿勢は大なり小なり

現象のなかに何らかの構造を期待して、

その構造のなかに原因や意味を求めることでした。

でも実際は、

物理現象とは表現媒体にすぎません。

物理現象は

原因や意味を思考として表現できても、

現象世界の中に何かを引き起こす

実際の原因となることはできません。

現象世界は

あくまでも単なる【見かけ】です。

現象世界という独立した構造体が

実体として存在するわけではないのです。

pariパターンはそのことを

【<意識>は、誕生できないのだ。】
https://www.ascensionkan.com/work/04comp_13m-process.html

という言葉で証明したはずでした。

でも実際は、そのときは

【無生命の物理次元から
 
 <意識>が誕生することはありえない】

という言葉が論理的に指し示している意味包含が

理解されていませんでした。

その言葉の含意がわかっていたら、

ずばり、

【現象世界とは<意識>が見ている夢だ】

ということが理解されていたでしょう。

とはいえ、

そのことを後悔できるような

誰かが存在しているというわけでもありません。

そんな体験が起こっていたときも

実際はその体験が目撃されていただけです。

ただしそのとき、

そこに体験者がいるという幻想が

疑われることはありませんでしたが。

現に今この瞬間にも<意識>は

登場人物pariのふるまいを観ています。

登場人物pariとは現象世界の一部であり、

知覚の対象物です。

しかし週に一度土曜日のこの瞬間だけ

一瞬そのような想念に注意が向けられたとしても、

それだけでわたしの居場所が

真我として安定するわけではありません。

ラマナ・マハルシはこう説明します。

──────────────────
 真の再誕生とは自我として死に、
 霊性として再生することである。
 これがイエスの礫と復活の真意である。
 霊性、真我、源のなかに溶け去り、
 身体としての感覚が消え去るまで、
 新しい身体はつねに手に入るだろう。

 『あるがままに』(p341)
──────────────────

> 霊性、真我、源のなかに溶け去り、
> 身体としての感覚が消え去るまで、
> 新しい身体はつねに手に入るだろう。

真我のなかに溶け去って、

いっさいの身体感覚が消え去らないかぎり、

現前する想念を自分と誤解したわたしは

つねに新たな身体に自己同化することだろうと。

──────────────────
 放り投げられた石は
 再び源に戻り、落ち着くまで
 つねに動きのなかにある。
 頭痛は頭痛が起こる以前の状態に戻るまで
 苦しみを与えつづける。
 生命と再誕生への渇望は、
 絶対的な存在、
 サットである生命の本質そのもののなかに
 本来備わっている。
 本質的に不滅であるにもかかわらず、
 はかない道具でしかない
 身体との偽りの同一化によって、
 意識はそのはかなさと同化してしまう。
 それが誕生の連鎖という
 結果をもたらしたのである。
 だが、
 いかに果てしなく身体が転生を繰り返そうとも、
 いつかは終焉がおとずれ、
 唯一永遠の真我に明け渡すときが来るのだ。

 『あるがままに』(p341)
──────────────────

> 放り投げられた石は
> 再び源に戻り、落ち着くまで
> つねに動きのなかにある。

新たに身体を獲得した「私は在る」は

その身体が崩壊して、沈黙するまで

つねに動きつづける思考を放さない。

> 頭痛は頭痛が起こる以前の状態に戻るまで
> 苦しみを与えつづける。

身体に一体化している「私は在る」は

その身体が崩壊するまでは

分離幻想から解放されることはない。

> 生命と再誕生への渇望は、
> 絶対的な存在、
> サットである生命の本質そのもののなかに
> 本来備わっている。

生命の本質である存在性そのもののなかに、

生命と再誕生への渇望が

本来備わっているからだ。

> 本質的に不滅であるにもかかわらず、
> はかない道具でしかない
> 身体との偽りの同一化によって、
> 意識はそのはかなさと同化してしまう。

絶対的存在としての意識は本質的に不滅だ。

だがその意識の道具である現象は

その性質上はかない見かけでしかありえない。

そのはかない現象世界の一部である身体と

偽りの同一化をすることによって

意識はそのはかなさと同化してしまう。

> それが誕生の連鎖という
> 結果をもたらしたのである。

そこ結果見かけ上起こっていることが

誕生の連鎖だ。

> だが、
> いかに果てしなく身体が転生を繰り返そうとも、
> いつかは終焉がおとずれ、
> 唯一永遠の真我に明け渡すときが来るのだ。

だが一見果てしなく見える身体の転生にも

いつか必ず終焉がおとずれる。

なぜなら永遠に存在するのは

現象の背景に実在している真我だけだからだ。
──────────────────
 はっきり理解されなければならないのは、
 生まれ変わるのは魂ではなく、
 あたかも転生するかのように見える
 個人の思考にすぎない。
 心がいかなる次元で活動しようとも、
 それはそれ自身のために身体を作りだす。
 物理的世界には物理的身体、
 夢見の世界には夢の身体を。
 夢見の身体は夢の雨に濡れ、
 夢の病で病気になる。
 ちょうど夢のない深い眠りのなかでは世界がなく、
 それゆえ身体もないように、
 物理的身体の死後、
 心はある期間活動を停止する。
 だが、
 すぐそれは新しい世界と新しい身体
 (アストラル)のなかで活動的になる。
 そのあとに、
 それは「再誕生」と呼ばれる
 別の身体を得るのである。
 だが、
 ジニャーニ(真我を実現した人)の心は
 すでに存在をやめ、
 二度と再び誕生と死の原因を起こすことはない。
 彼にとって、
 幻想の連鎖は永遠に断ち切られたのである。
 
 こうしてみれば、
 誕生も死も本当は存在しないということは、
 もはや明らかだろう。
 再生という過程のなかで幻想を生みだし、
 それを維持してきたのは心なのだ。
 そして、
 それは真我実現によって破壊されるのである。

 『あるがままに』(p342-343)
──────────────────

> はっきり理解されなければならないのは、
> 生まれ変わるのは魂ではなく、
> あたかも転生するかのように見える
> 個人の思考にすぎない。

このことをはっきり理解しなさい。

次々と別の身体に転生する

魂という実体が存在するわけではないのだ。

転生するかのように見えているもの、

それは実際は分離を信じている個人の思考だ。

> 心がいかなる次元で活動しようとも、
> それはそれ自身のために身体を作りだす。

思考の種はどこにあろうと

それが活動している次元において

自分のための身体を作りだす。

> 物理的世界には物理的身体、
> 夢見の世界には夢の身体を。

その思考の種は

物理次元では物理的身体を創造し、

夢見の世界では夢の身体を創造する。

> 夢見の身体は夢の雨に濡れ、
> 夢の病で病気になる。

個人的夢のなかの夢の身体は、

その夢の物語のなかで

夢の雨に濡れ、夢の病気になる。

> ちょうど夢のない深い眠りのなかでは世界がなく、
> それゆえ身体もないように、
> 物理的身体の死後、
> 心はある期間活動を停止する。

ちょうど物理的身体が生きている期間中にも、

個人的夢の深い睡眠状態のなかで

世界も身体も消えてしまう瞬間があるように、

個人的思考が作った物理的身体の崩壊後

しばらく思考活動が休止する期間がある。

> だが、
> すぐそれは新しい世界と新しい身体
> (アストラル)のなかで活動的になる。

だが思考の種そのものは生きているため、

それはすぐにアストラルの

新しい世界、新しい身体のなかで活性化する。

> そのあとに、
> それは「再誕生」と呼ばれる
> 別の身体を得るのである。

そして

その活性化したアストラル身体が

新たな物理的身体を獲得するのが

「再誕生」と呼ばれるものだ。

> だが、
> ジニャーニ(真我を実現した人)の心は
> すでに存在をやめ、
> 二度と再び誕生と死の原因を起こすことはない。

だが真我を実現した意識のなかでは

思考の種はすでに焼尽しているため、

そこでは二度と再び思考が活性化して

新たな身体を求めることはない。

> 彼にとって、
> 幻想の連鎖は永遠に断ち切られたのである。

真我を実現した意識においては

思考の種は焼き尽くされ灰燼に帰しており、

幻想の連鎖は永遠に断ち切られたのである。

> こうしてみれば、
> 誕生も死も本当は存在しないということは、
> もはや明らかだろう。

ということは、

思考が描き出すつかの間の夢の中にしか

顕れることができない誕生も死も

実際には存在していないということだ。

> 再生という過程のなかで幻想を生みだし、
> それを維持してきたのは心なのだ。

想像のなかで現象世界を誕生させ、

再誕生と呼ばれる過程のなかで

その幻想を維持しているのは

いまこの瞬間に浮上している個人の思考なのだ。

> そして、
> それは真我実現によって破壊されるのである。

そしてその幻想は、

あなたが思考に注目することをやめ、

ひたすら真我として留まることで真我を実現すれば

今この瞬間にも破壊されるのである。

──────────────────
 ひとたび生まれたなら、
 あなたは何かに到達する。
 そしてそれを達成したなら、
 再び戻ってくるのだ。
 それゆえ、
 そのような無駄なことはすべてやめるがいい。
 あるがままに在りなさい。
 あなたが誰なのかを知りなさい。
 生まれ、死に、
 生まれ変わることから自由になりなさい。
 そして真我としてとどまりなさい。

 『私は在る』(p122)
──────────────────

> ひとたび生まれたなら、
> あなたは何かに到達する。

いったん誕生した身体と一体化したら、

あなたはその身体の運命を

辿らなければならない。

> そしてそれを達成したなら、
> 再び戻ってくるのだ。

そしてその仕事をやり終えたら、

あなたはまた本来の沈黙に戻る。

> それゆえ、
> そのような無駄なことはすべてやめるがいい。

そういうわけだから、

そのような無駄な苦行はすべてやめなさい。

> あるがままに在りなさい。

あるがままの無努力で在りなさい。

> あなたが誰なのかを知りなさい。

すべてを存在させているのが

あなた自身であることを知りなさい。

> 生まれ、死に、
> 生まれ変わることから自由になりなさい。

生まれ、死んでゆくものはあなたではない。

そういう偽りの幻想を手放して、

本来のあるがままの自由でありなさい。

> そして真我としてとどまりなさい。

そして永遠不動の真我としてとどまりなさい。

(-||-)

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 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
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(-||-)

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 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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『私は在る』の「目次」はここ↓にあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

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「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
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『アセ通』既刊号はすべてここにあります。
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ご自由にお書きください。


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■ 2.編集後記:
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ひところ書き終えるのが

とても早くなっていた時期がありました。

いままた

書き終えるのに時間がかかっています。

書くことに意味を感じられるかどうかが

危うくなっているのでしょう。

もちろん、

どんな体験にもなんの意味もない

と言うことはできます。

その上で、

書くことが自然に捗ることもあれば、

ただ意味もなく

難渋することもあるのでしょう。

今日もすっかり暗くなりました。

おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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二つの配信スタンドで発行されています。
mag2:http://www.mag2.com/m/0000126287.html
melma:http://www.melma.com/backnumber_110091/
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