━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2019/04/07(第781号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している夢の場面の報告です。
あなたがしなければならないことは、
真我でない他のものごとに注意をはらうのをやめることだけだ。
もしそれらに気づくのをやめれば、純粋な覚醒だけが残る。
それが真我である。『あるがままに』
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在815名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.求められていたのは思考の不在
2.編集後記
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■ 1.求められていたのは思考の不在
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今日は霞むような晴天です。
部屋の中だからか
すっかり温かくなりましたね。
あ、外に出てみてもけっこう温かい。
(*^_^*)
さて、またまた一週間が過ぎて、
楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、
お付き合いいただく今がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人のpariです。
こうして何でもないものが
やたらに何かであるようなふりをして
あること無いこと想像しては不幸を捏造し、
その不幸を撲滅するために頑張っているというのが
人生というものなのでしょう。
そんな想像による夢に関心をもたなければ、
何も起こってなどいないわけです。
ところがいったん、
その夢の中の登場人物に同一化すれば、
これらすべての見かけは
見事なまでの感覚的リアリティを備えた
重苦しい現実になるわけです。
ここで改めて再確認すべき単純な事実は、
物理次元からの意識の誕生はありえないことです。
肉体の誕生とともに立ち上がってくる現象世界とは、
実際は潜象状態の<意識>が活性化して、
現象状態に移行するということです。
その活性化したアストラル身体が
さらなる物質界の身体を求めて、
その身体こそが自分だと信じるための
完璧な環境と教師たちを備えた世界として、
物質界を創造するのでしょう。
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そこには想像があるだけだ。
知性とエネルギーは、
あなたの想像のなかですべて
使い果たされてしまった。
あなたはまったく
想像に夢中にさせられてしまったため、
どれほど実在から遠く離れて
さまよい歩いたのかさえ
わからなくなってしまったのだ。
想像が豊かな創造力であることに疑いはない。
宇宙のなかの宇宙も、
想像によって構築されているのだ。
それにもかかわらず、
それらはみな空間と時間、
過去と未来のなかにあり、
実際は存在しないのだ。
『私は在る』(p306-307)
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<意識>は想像するという
途方もない能力を内包しています。
しかも想像したものを創造できるのです。
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「私は在る」が変わらぬ事実だ。
一方、
「私は創造された」はひとつの観念だ。
神も宇宙もあなたのもとへやって来て、
彼らがあなたを創造したと伝えはしなかった。
因果関係の概念に取りつかれたマインドが
創造を発明し、
そして「創造者は誰なのか?」と不思議がるのだ。
マインド自体が創造者だ。
これさえもまた完全な真実ではない。
なぜなら創造されたものと
創造者はひとつだからだ。
マインドと世界はひとつだ。
あなたが世界として考えているものは、
あなた自身のマインドなのだということを
理解しなさい。
『私は在る』(p521)
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マインド自体が創造者。
もしマインドが創造者であることが
理解できるなら……。
> これさえもまた完全な真実ではない。
> なぜなら創造されたものと
> 創造者はひとつだからだ。
創造された世界が創造者の想像そのものだと
理解せざるをえないでしょう。
> マインドと世界はひとつだ。
創造者であるわたしと
創造された世界はひとつです。
> あなたが世界として考えているものは、
> あなた自身のマインドなのだということを
> 理解しなさい。
わたしの眼前に広がり
わたしを拘束している世界は
わたしの想像力の創造なのです。
というのも
ここで再度確認しておくなら
無生命の物理次元から、
その物理次元に気づく<意識>が誕生することは
ありえないからです。
この世界の創造の責任を
「神」という他者に転嫁することは可能です。
ただしあえてそれをするというのなら、
被造物であるバイオロボットのわたしに
<意識>としての不満を口にする
可能性も権利もないわけです。
もしわたしが
「私は在る」と知っているのなら、
創造者としての全責任を取るべきはそのわたしです。
なぜなら、
わたしが在るがゆえに、
全宇宙が存在することは明らかであり、
その全宇宙はわたしが娯楽として創造したのだから。
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世界はそれ自体から
それ自体を再創造するのだ。
それは一時的なものが
一時的なものを生みだしていく
果てしない過程だ。
そこに行為者がいなければならないと
あなたに考えさせるのは自我なのだ。
どれほど恐ろしいイメージであろうとも、
あなたがあなた自身のイメージによって
神をつくり出すのだ。
あなたのマインドのフィルムを通して世界を投影し、
そして原因と目的を与えるために神をも投影する。
それはすべて想像なのだ。
その外へと踏みだしなさい。
『私は在る』(p371)
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> 世界はそれ自体から
> それ自体を再創造するのだ。
> それは一時的なものが
> 一時的なものを生みだしていく
> 果てしない過程だ。
これこそが
仏陀が「縁起」と呼んだものでしょう。
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欲望をもち、恐れ、
苦しむのはあなたではなく、
環境と影響によって
あなたの身体に築かれた個人なのだ。
あなたは個人ではない。
これがあなたのマインドのなかで
明確に確立されるべき、
けっして見失ってはならないものだ。
『私は在る』(p442)
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自分を身体だと思っている
個人としてのわたしが
欲望をもち、恐れ、苦しんでいることは
わたし自身がよく知っている。
たがその個人としてのわたしが
わたしの欲望や恐れや苦しみに
気づいているわけではない。
なぜなら、
その個人としてのわたしとは
わたしの身体イメージに仮想された幻影の自己だから。
実際はわたしの身体は
個人としてのわたしを表現するための物理現象であり、
もともと表現媒体としての物質にすぎない。
> あなたは個人ではない。
個人の身体という
形態を表現するための粗雑な物理現象が、
欲望や恐れや苦しみといった
より微細な物理現象を所有できるわけでも
それに気づけるわけでもない。
気づいているのは
<意識>であるわたしです。
そのわたしは物理身体が表現する仮想の個人ではない。
> これがあなたのマインドのなかで
> 明確に確立されるべき、
> けっして見失ってはならないものだ。
わたしはこのことだけは明確に理解し
けっして見失ってはならない。
この理解さえ確立されているなら、
次のマハラジの言葉の意味は明白です。
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あなたの幸福への探求自体が、
あなたを惨めに感じさせているのが
わからないだろうか?
『私は在る』(p258)
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幸福への探求とは
幸福を求める思考をなだめるための行為です。
思考が求める現象のなかでの幸福とは
不幸の対極としての幸福でしかありえません。
仮に不幸を排除して相対的幸福を得たところで
それは一瞬の場面でしかありえない。
またその幸福の一瞬に得られるものとは
単に幸福を求める思考の不在にすぎないのです。
何も求める必要などないという安らぎ、
ただあるがままの自分でいる安らぎです。
そこではどんな画策も必要ない。
それまでは自分が娯楽のために創造した
物理次元の世界のなかの物理身体として
迷子になって途方に暮れていただけです。
そして窮状の解決の手段を思考に求めていたのです。
ところが思考は本来あくまでも単なる機能にすぎない。
思考が追求するのは<意識>の注目・歓心です。
いわば思考とは官僚機構にすぎない。
多少の論理的自己矛盾などものともせず、
もっともらしさを装うことくらい
思考にとっては朝飯前なのです。
思考の論理とはまさに忖度そのものなのです。
娯楽の中での放浪に疲れた<意識>が
本当に求めていたのは思考の不在です。
幸福であるためには、
ただ自分本来の幸福に安らげばいい。
世界を創造し、
そこで達成すべき幸福の条件を立てて、
その条件をクリアするために血眼になる必要などない。
たからこそマハルシは言うのです。
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あなたの務めはただ在ることであり、
あれやこれとして在ることではない。
「私は私であるものである」
(I AM THAT I AM)という言葉が
すべての真理の要諦である。
その方法は、
「静かに在ること」に尽きる。
では静寂とは何を意味するのだろうか?
それはあなた自身を打ち壊すことを意味する。
なぜならすべての名前と形が
苦しみの原因だからだ。
「私はこれである」という観念を放棄しなさい。
真我を実現するために必要なのは、
静かに在ることだけである。
それ以上簡単なことがあるだろうか?
それゆえ、
アートマ・ヴィディヤー(真我の知識)の達成は
最も容易なことなのである。
『あるがままに』(p123-124)
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真のわたしの務めは……。
> その方法は、
> 「静かに在ること」に尽きる。
ただ「静かに在ること」に尽きる。
> なぜならすべての名前と形が
> 苦しみの原因だからだ。
なぜならすべての名前と形こそが
苦しみの原因だから。
> 「私はこれである」という観念を放棄しなさい。
わたしは何者でもない。
「あらゆるもの」とはわたしの可能性の
既知の部分の呼称にすぎない。
> 真我を実現するために必要なのは、
> 静かに在ることだけである。
必要なのは、
ただ静かに在ることだけ。
> それ以上簡単なことがあるだろうか?
> それゆえ、
> アートマ・ヴィディヤー(真我の知識)の達成は
> 最も容易なことなのである。
(-||-)
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あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
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(-||-)
──────────────────
永久的なもの、
それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
──────────────────
……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
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『私は在る』の「目次」はここ↓にあります。
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■ 2.編集後記:
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起こるべきことが起こっているのでしょう。
物理身体を持つことの喜びと悲哀を、
これほどまでに堪能してきたのだから。
今日もすっかり暗くなりました。
おやすみなさい。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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二つの配信スタンドで発行されています。
mag2:http://www.mag2.com/m/0000126287.html
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